写経屋の覚書-なのは「今回も朝鮮人の集団不法行為を見るんだけど、有名と言えば有名な「直江津事件」について見るよ」

写経屋の覚書-フェイト「直江津?新潟県だよね」

写経屋の覚書-はやて「あー、聞いたことあるで。たしか国鉄(現在のJR)の直江津駅で起こった事件やろ?ウィキにも載ってたで」

写経屋の覚書-なのは「うん。じゃ、新潟県警察史編さん委員会『新潟県警察史』(新潟県警察本部新潟県警察史編さん委員会 1959)のp1048~p1049を見るよ」

写経屋の覚書-新潟1048
写経屋の覚書-新潟1049

直江津駅における朝鮮人の邦人虐殺事件  終戦直後の昭和二十年十二月二十九日、信越線の要所直江津駅ホームにおいて、衆人環視の中で一青年が朝鮮人に虐殺されるという、常識では理解できないような事件が発生した。すでに述べてきたように、終戦直後における国内の交遥は非常に混乱し、わけても列車の混雑ははなはだしかつた。この事件の発生原因は、このような列車の混雑にもあるが、なんといつても敗戦がもたらした所産である。
 事件当目日(十二月二十九日)午後七時ころ、新潟発大阪行普通列車が信越線黒井駅に到着したところ、一見やみ屋と思われる三名の朝鮮人青年が、おのおの荷物をかかえて列車に乗ろうとしたが、満員のため乗りきれない状態であつた。そこで彼等は、懐中電灯で列車の窓ガラスをたたきこわして乗りこもうとしたところ、内部の乗客にこばまれて乗りこむことができず、やむなくデツキにぶらさがつて直江津駅までいつた。
 この三名の朝鮮人は、中頚城郡八千浦村大字黒井に住む日本名、青山七竜(二五)、米村義雄(二一)、山本義雄(一九)で、いずれも戦時中直江津町の信越化学工場で働いていた者であるが、終戦と同時に解雇されてヤミブローカーとなり、この日も三名は農家からおのおの三〇キロ(二斗)くらいずつの米を買い集め、これを大阪方面へ売りに行く途中であつた。彼らは、列車が直江津駅に着くと車内に来りこみ、黒井駅で来るのをこばんだと思われる、京都市東山区清水四(ママ)目、筆墨外交員胤森秀司(二九)に対し、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスをこわして乗ろうとしたのになぜ妨害した」と、詰めより、胤森が「窓から乗りこむという方法はない」と反ばくすると、「朝鮮人にむかつて生意気だ、ホームにおりろ、殺してやる」とわめいてホームにひき出し、組みつきあいの乱闘となつた。このとき朝鮮人三名は、おのおの駅備えつけの列車暖房用パイプやスコツプをもつて胤森に打つてかかり、胤森は、もつていた海軍ナイフでこれを防いだがおよばずついに、頭・左眼などに一〇数か所の傷をおわされてその場に倒れてしまつた。
 所轄署では、報告によつて直ちに所在地署員を動員、駅にかけつけたが、胤森はすでにその場で絶命しており、朝鮮人の姿はなかつた。そこで、緊急手配したところ直江津町麓病院で傷の手当をしている、前記三人の朝鮮人をつきとめ、衣類の血痕などから加害者であることを認め、その場で殺人現行犯容疑者として逮捕した。
 三名は、殺人現行犯として所轄検事局に送られたが、高田に進駐した軍政部が介在し、事件の結末がつかぬうちに三名とも逃走して事件はそのままとなつてしまつた。

写経屋の覚書-はやて「朝鮮人の取締権限が日本官憲にあるかどうかはっきりわからへんころの話やのに、日本警察が逮捕して検事局に送致はできてるんやね」

写経屋の覚書-フェイト「でも、結局は進駐軍の軍政部が介入してグデグデになったみたいだね」

写経屋の覚書-なのは「そうみたいだね。進駐軍の方も明確なスタンスは打ち出せてなかったのかもしれないけどね。ま、1946年2月にSCAPIN756刑事裁判権の行使SCAPIN757朝鮮人及びその他の国民に言い渡された判決の再審理で朝鮮人・台湾人に対して日本官憲に取締権限があるって明言されるまでの間、たしかに取締権限自体は不明確だったけど、決して日本官憲が取り締まれなかったということではないんだよ。そのへんは全国一律と言うより各地方の軍政部で事情は違っただろうとは考えてるんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「あー、各地方の状況も(ちゃ)うやろし、軍政部の担当者の方針も個人個人で(ちご)とったやろね」

写経屋の覚書-フェイト「前に見た兵庫県の場合、同時期の1945年12月でも日本警察が朝鮮人や台湾人を逮捕してたもんね。それだけじゃなくて全国より1ヶ月以上も早く警察官の拳銃装備が許可されてたしね」

写経屋の覚書-なのは「そういうことなんだよね。なのに、全然取り締まれなかったかのように言ってる人もいてね…」

写経屋の覚書-はやて「史料も読まへん人なんやね。誰なんやろ?」

写経屋の覚書-なのは「高山正之っていうんだけどね。ま、週刊新潮の巻末コラムで有名かなぁ。その人がチャンネル桜でヨタ言ってるんだよねぇ…4分00秒以降のところだよ」

写経屋の覚書-はやて「は?1945年11月にGHQが朝鮮人を戦勝国民として連合国と同じ扱いにしろと指令を出した?そんな指令見たことないで」

写経屋の覚書-フェイト「ひょっとして、解放民族として扱う、っていうのを思いっきり曲解したんじゃないかな?」

写経屋の覚書-はやて「そこに続けて直江津事件と浜松事件の話なんかいな…え?浜松事件が5日間の市街戦で300名の死傷者が出たって?4月4日・5日の2日間やし、死者は3名、負傷者は13名か14名やで!何を根拠にこんなヨタ飛ばしとるんやろ?」

写経屋の覚書-フェイト「はやて、浜松事件についてはここではあまり触れない方が…またネタにしなきゃいけないんだからここでネタばれはよくないよ。ともかく、この事件も朝鮮進駐軍とは全然関係ないってことだね」

写経屋の覚書-はやて「そやな。たしかに敗戦っちゅう状況から生まれた凶悪事件なんは事実やけど、組織的な犯罪(ちゃ)うしね」

写経屋の覚書-なのは「そういうことだね。じゃ、今回はここまでにするね」

大阿仁村事件
生田警察署襲撃事件
大滝事件
富坂警察署襲撃事件
七条警察署事件

写経屋の覚書-なのは「今回は七条警察署事件について見るよ」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?これも前に見たよね?」

写経屋の覚書-はやて「ほんまや。映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―で見とるけど…警察史の本文とかまだテキスト起こししてきちんと見てへんかな」

写経屋の覚書-なのは「そうなの。そのエントリーではそこまできっちり見てなかったんだよね。じゃ、あらためてきちんと見ていくんだけど、まずは京都府警察史編集委員会『京都府警察史 第3巻』(京都府警察本部 1980)のp589~592を見るね」

写経屋の覚書-京都589
写経屋の覚書-京都590
写経屋の覚書-京都591
写経屋の覚書-京都592

七条署事件 敗戦の混乱期を迎えた京都は、他の都市に比して戦災被害は少なかったとはいえ、食糧危機に際して市民の飢えと、敗戦のみじめな屈辱感は、市民をして、なすことを知らない虚脱状態に陥らしめていた。このときの府民生活をみると、戦時中は、厳しい経済統制によって公定価格は維持され、わずかな食糧の配給ではあったが、そのルールは守られていた。しかし、終戦を迎えてこの年の凶作とあいまって、食糧問題は重大な危機を迎えた。さらに、インフレーションの進行で生活水準は低下し、人々は争って近郊農家に買出し(個人的食糧調達)に出向かざるをえなかった。
 そのため連日、京都駅は、これらの人々で混雑し、買出し物資であふれていた。昭和二十一年二月十九日指令第七五六号が出された。
 その内容は、「刑事裁判権の行使について、日本裁判所は、爾今、連合国国民又は団体(法人を含む)に対して刑事裁判権を行使してはならない。」との覚書であった。これを曲解、すなわち不当拡張解釈した中国人、朝鮮人らの一部は、自分達は戦勝国民だから、日本の法律には従う必要はないと考え、集団の威力を示し、駅改札口を無札通過し、また日本人に対し暴行、脅迫を加えるなど、暴虐の限りをつくしたのである。
 これの不当、不法行動に対し、指令弟七五六号によって、拘束されるのではないかとのためらいを感じた日本側は、かれらの行動の取締まりを見合わせ、敗戦国民としての辛酸をなめさせられ続けた。
 警察においても、中国人、朝鮮人に対し日本の法律が適用できるかどうか議論が分れ、しばしば緊急課長会議が開かれた。眼前の事態を憂慮して内務省に照会しても明確な回答が得られなかった。取締りを行なえば、中国人、朝鮮人が、集団でその警察署に抗議に押しかけ、警察官に暴行を振うといった事態が、日常茶飯事のように発生していた。
 当時、警察部経済食糧係長、浜本孝作警部補(西陣署長など歴任)や、保安課次席、田中北郎警部(五条署長など歴任)などは、当時取締まりに当たった警察官として、しばしば抗議を受けたが、その際、断固として彼らの脅迫的言動に動ずることなく、警察の威信を守り抜いたのであるが、そのため朝鮮人、中国人に暴行を受けるという事態が生じている。
 ついに、彼らの暴虐に対して、わが国の法律を適用するとの取締方針を固めるに至った当時の七条署長・小寺卯三警視は、二十一年一月十八日、朝鮮人の買出しに対し、物価統制令違反でヤミ米運搬中の朝鮮人を現行犯逮捕した。ここに、七条署事件が発生したのである。
 現行犯逮捕されたその朝鮮人は、連行途中すきを見て、京都駅構内の「朝鮮人連盟京都府本部出張所」に逃げこんだのである。七条署から同所に対し、犯人引渡しを要求したが、彼らはこれを拒否、さらに二十日には、京都駅構内の「朝鮮人連盟京都本部出張所」「中華民国京都華僑連合会出張所」の看板が警察官によって割られたとして、朝連幹部が七条署へ抗議にきた。警察側が一切関知しないと回答したことから、険悪な雰囲気となった。そして二十四日には、四十人の朝鮮人が七条署に抗議に訪れ、代表者十名が署長室において、小寺署長に抗議、代表中の一人が手錠をとりだし同署長にかけようとしたのである。これに相前後して地元的屋、博徒らは、日ごろの朝鮮人、中国人の横暴と彼らとのナワ張り争いがからみ、対立していたが、当日、第三国人が七条署に押しかけたとの情報を得て、地元的屋、博徒ら五百人が警察応援という名目の下に署周辺に集結し、機会をうかがっていた。折しも署長が手錠をかけられようとしたため、公廨で待機中の署員が署長室へ救出すべくなだれこんだのを見て、彼らも署内に乱入、朝鮮人と乱闘になり、朝鮮人を署外に追いだしてしまった。
 しかし、事態はこれで納まらなかった。朝鮮人は仕返しのため人を集めた。これに呼応した朝鮮人、中国人は、約七百人、短刀、日本刀、こん棒等でそれぞれ武装し、午後四時ごろ、駅前及び塩小路高倉付近で、的屋、博徒らと無法〝外国人〟との間で制止の警官をも巻ぎこみつつの大乱闘となったのである。これら暴徒に対し、わずかな警察力では制止もでぎず、まして武装解除され劣悪な装備であるため事態収拾不能となり、急拠軍政部に応援を求め、これに応じたMPが出動、げん銃を威嚇発射し、ようやく事態を収拾したのである。
 この乱闘により、日本人一名、朝鮮人数名が死亡、負傷者は相当数に上ったが、事件処理をMPがしたこともあって、双方とも被害をウヤムヤにして、事件は次第に沈静化した。両勢力(両集団)ともスネに傷持つ身だったのであろう。
 このように、各地に続発する外国人の無暴な行動に対し、警察の武装強化に関する覚書が発せられたのは、七条署事件の二日前であった。
 現実に京都市内各署にけん銃が貸与されたのは、二月にはいってからであり、それも署情に応じて逐次配付されたのである。

写経屋の覚書-はやて「前に『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)を見た時にも言うたけど、日本人が不逞朝鮮人に痛めつけられるとることに対する義憤とか義侠心から来た話やなくて、基本的に利権がらみの抗争やんなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「はやての言う通りだよね。そりゃ、義憤が全くなかったとは言わないけど。これも前に見たけど『戦後京の二十年史』(夕刊京都新聞社 1966)のp35にもやくざ側の目論見について書いてあったよね」

 こうした朝鮮人を中心とした第三国人と七条署の対立はいちはやく塩小路高倉付近のヤミ市を支配するヤクザの耳にも入った。
 「朝鮮人が大挙して日本人の店をつぶす」
 「日本人が朝鮮人の店をつぶす」
 デマが乱れ飛んだ。
 ヤクザらは
 「なにを……やるなら、やってみろ」
 と集まったわけだが、その裏にはここで力を貸して諸事大目にみてもらおうという気持が働いていた(当時の関係者の談)。

写経屋の覚書-なのは「それこそ、映画『残侠』のように、朝鮮人の横暴に堪忍袋の緒が切れた日本人侠客が立ちあがった、って構図なんかじゃないんだよね。この事件は新聞でも報道されているんだよ」

写経屋の覚書-460126朝日(大阪)

1946年1月26日付朝日新聞(大阪版)
京都七条署を襲撃
      白昼、死傷十数名を出す

京都市の表玄関京都駅前七条警察が数十名の一団に二十四日白昼二回にわたつて襲撃され、警察官はじめ地許市民、通行人も巻き込まれ、十数名の死傷者を出した

事の起りは京都駅に掲げてあつた「大日本朝鮮人聯盟京都本部出張所」「旅日京都華僑聯合会出張所」の二枚の看板が数日前より紛失したことを繞り、七条署員が取り外したと主張しその責任を追及するのに対し、七条署側ではこれを事実無根と否定し、その他二、三の問題も絡んでゐるらしく、数日前より対立関係にあつたが二十四日午後一時小寺七条署長を二、三十人の関係者が訪問、激論と化したところ附近の親分達が乾児に棍棒、鳶口等を持たせ五、六十名が警察の応援に押しかけ紛擾化し双方に負傷者を出し、関係者側は一旦引き揚げた

署長は検事局、警察本部へこの旨を通じ善後策を講じてゐる留守中午後四時ごろ又も百余名が武器を携帯し再度来襲、待機してゐた白鉢巻の親分達はじめ警察官、通行人も巻き込まれ、大乱闘を惹起し、府警備隊百余名も駆けつけ空砲で威嚇するなど大騒動となり十数名の死傷者を出した後襲撃団は引揚げた、同夜は警察側では徹夜警戒に当り、二十五日も早朝より不気味な空気の中に対立してゐるが、一方一部には円満和解への気運も動いてゐる
【死者】京都伏見区竹田狩賀町辻本四郎(推定四十歳)【瀕死】京都府久世郡宇治町槇島、西岡英一(三五)=何れも通行人

七条小寺署長談 看板の紛失については部下を取調べたが全然知らない、何かの誤解と思ふ、だがこのやうな事件になつたのは私の力の足りないためで責任を痛感してゐる、しかしこの事件によつて治安の維持に支障を来すやうではならぬので十分治安の確保に努めてゐる

朝鮮人聯盟京都本部談 看板の事件につき二十四日回答を求めたけれども、その時署長は「そんなことをした警官はいない」いつて責任を回避し、この事件になつたのですが署長の責任は逃れられない、なほ今後ともこんな問題の起らぬやうに円満に民族的に結ばれたいものである

京都地裁吉村検事正談 日本人はもちろん中国人、朝鮮人といへども日本の法を犯した時は処罰される、今度のことのどときも日華鮮の幹部がお互に理解し合へば誤解も起さずに済むと思ふ



写経屋の覚書-フェイト「死亡した「日本人一名」って通行人だったんだ」

写経屋の覚書-なのは「ま、ほんとのところはどうだろうねぇ。やくざ側の関係者の可能性は高いとは思うよ」

写経屋の覚書-はやて「そうやんなぁ。そんな危ない事件現場に被害に遭うまでおるほうがおかしいで。通りすがりで巻き込まれただけやったら急いでその場から逃げて避難するか隠れるやろし。なんぼ野次馬やったとしてもやっぱり逃げるで」

写経屋の覚書-なのはウィキだと、灘本昌久「不利益=差別の再検討」(こぺる編集部『部落の過去・現在・そして…』(阿吽社 1991)所収)p55を典拠にして、死者が被差別部落民だったとしているの」

写経屋の覚書-フェイト「実際にその本にはどう書いてあるの?」

写経屋の覚書-なのは「こんな記述だったよ。作者は書籍実物を確認したけど、本文はネットでも見られるよ」

 在日朝鮮人との共闘にしても、あの時点では極めて難しかったと想像される。一九四六年一月、オールロマンスの舞台になった地域で「七条署事件」が起こっている。これは、ヤミ米を扱って警察に逮捕された仲間を奪還にきた朝鮮人を部落のテキ屋が襲撃、朝鮮人四人と部落民一人が死亡するという痛ましい事件であった。朝鮮人排除を手助けすることで警察に恩を売り、そのかわり自分たちのヤミ市の取締りを手加減してもらおうという戦略であったようで(『京都の歴史9』二九四頁)、神戸で朝鮮人を排撃する先鋒隊となって山口組が形成された構図とよく似ている。

写経屋の覚書-フェイト「あれ?死者が被差別部落民という根拠が書いてないね…いったいどんな理由でそう書いたんだろう?」

写経屋の覚書-なのは「さぁ、分からないよ…ただ、ぶっちゃけた話をすると、新聞記事にある住所からうかがえるんだよねぇ。10年ちょっと前まではこんなことネットですら書きにくかったんだけどね…」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、やくざ側に被差別部落民が加わっていたってことになるのかな?」

写経屋の覚書-はやて「そういうことやんねぇ…そう言うたら、前川修っちゅう人がこんなこと書いとるで」

写経屋の覚書-フェイト「へぇ。『残侠』の制作時にいろいろ取材してきちんとやってたんだ」

写経屋の覚書-なのは「ああ、これね。実は『残侠』検証時にはこのあたりはさしあたって必要はないと思って触れなかったの。作者はこれを読む前に『残侠』を見たんだけど、箸をグーで握る若者を見て「あー、なるほどね」とニヤッとしたんだって」

写経屋の覚書-はやて「古田新太が演じとったんやったっけ?あとたしかに七条警察署襲撃事件の場面で「同和聯盟」っちゅういかにもその筋の団体がやくざ側の応援に駆け付けとったね」

写経屋の覚書-なのは「ともかく二度目の衝突で死傷者が出たのは確かなんだけど、続報もあるんだよ」

写経屋の覚書-460130朝日(大阪)

1946年1月30日付朝日新聞(大阪版)
七条署事件円満解決へ
(既報)去る二十四日京都七条警察署に起つた紛擾事件については日本人側は警察で、華鮮側はMPがそれ〲意見を聴取、平穏裡に解決方を要望、一方日本人側では別に代表者を選んで華鮮側幹部とすでに二回懇談した結果、双方とも□□□行動を解き円満解決に到着、後は事後の善後措置を残すのみとなつた、なほ府警察部では厳正な立場から真相の調査に当つた結果従来流布された事□には事実と多少の相違点があり、あくまで事実にもとづき厳正公平に措置すべく努力を重ねてゐるが、なほ今後日華鮮互に手を握り合ひあくまで遵法精神に則り行動するやう要望してゐる

写経屋の覚書-はやて「円満解決なぁ(苦笑) やくざと朝鮮人聯盟で手打ちするってことやろ」

写経屋の覚書-フェイト「え?警察は「今後日華鮮互に手を握り合ひあくまで遵法精神に則り行動するやう要望してゐる」って、捜査立件して処罰しないの?」

写経屋の覚書-なのは「それと「従来流布された事□には事実と多少の相違点があり」というのも気になるよね。具体的なことが書いてないから何とも言えないんだけど」

写経屋の覚書-はやて「厳正って繰り返しとるさかい、ひょっとしたら、警察とやくざ側の関係についてのこと(ちゃ)うんかな?警察が密かにやくざに応援を要請したという噂があるけど、それは間違いや!とか言いたいん(ちゃ)うん?」

写経屋の覚書-フェイト「あー、『残侠』で巡査の火野正平がやくざ親分の高嶋政宏に要請していたところだね」

写経屋の覚書-はやて「警察史の「事件処理をMPがしたこともあって、双方とも被害をウヤムヤにして、事件は次第に沈静化した。両勢力(両集団)ともスネに傷持つ身だったのであろう」っていうんも、ほんまは警察の方が脛に傷持つ方やったりしてw」

写経屋の覚書-なのは「たしかに警察がやくざの応援を要請したという話を打ち消そうとしたのはあり得ない話じゃないよね。ともかく、この七条警察署事件も朝鮮進駐軍の実在を証明しないことはあらためて確認できたよね」

写経屋の覚書-フェイト「朝鮮人聯盟の関係した事件だけど、『朝鮮進駐軍』って名称も出てこないし名乗った証拠もないしね」

写経屋の覚書-はやて「毎回お決まりのパターンになってきたねw」、

写経屋の覚書-なのは「はやてちゃん、それは仕方ないよ。ほんとに『朝鮮進駐軍』って名称も出てこないし、その実在を担保する記述もないんだしね。じゃ、今回はここまでにするね」

大阿仁村事件
生田警察署襲撃事件
大滝事件
富坂警察署襲撃事件

写経屋の覚書-フェイト「あれ?前回まで見てきた事件のカテゴリーを変えたの?」

写経屋の覚書-はやて「ほんまや。「戦後朝鮮人の集団不法行為」って新しいテーマにしとる」

写経屋の覚書-なのは「うん。あれらの事件が朝鮮進駐軍に関係あるかのような印象を与えるのもよくないしね。で、今回はその朝鮮進駐軍についての記述のある本を見るの」

写経屋の覚書-フェイト「どんな史料なのかな?」

写経屋の覚書-なのは「それがね、フェイトちゃん、史料的な価値は無に等しいモノなんだよ。所謂サブカル本なんだ」

写経屋の覚書-はやて「え?ほんならなんで見るん?」

写経屋の覚書-なのは「その理由については最後に言うよ。じゃ、但馬オサム『ゴジラと御真影』(オークラ出版 2009)のp141を見るね」

自らを「朝鮮進駐軍」と呼称
 では、なぜGHQがこのような造語を創造したか。それは朝鮮人の中に戦勝国民を気取って徒党を組み、治外法権的な特権を有するが如く振る舞う輩が少なくなかったからだ。彼らは「朝鮮進駐軍」の腕章を付け、買い出し列車を占拠した。座席に座っている日本人は女年寄りでも構わず蹴散らされ、網棚の荷物は窓から投げ捨てられた。文句を言うと集団で袋だたきにする。鳩山一郎(のちの首相。鳩山由紀夫・邦夫兄弟の祖父)が車中、朝鮮人に襲われ瀕死の重傷を負った※4事件は有名である。

写経屋の覚書-フェイト「え?これって『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(4)で触れた、所謂北斗星投稿にある『鳩山一郎回顧録』の改竄と言うか劣化コピーの蓋然性が高いってものだったよね?」

写経屋の覚書-なのは「うん。※4として以下の文章があるから、北斗星投稿のコピーなのは確定だね」

鳩山の「回想録」によれば、別荘のある軽井沢から帰京中、駅で列車が朝鮮人集団に乗っ取られて日本人乗客が降ろされるのを目撃して注意したところ、この難にあったという。また、この事件を契機に警察予備隊の設立を着想したという。つまり、警察予備隊という発想自体は鳩山一郎のもの(ママ)であり、GHQがそれにGOサインを出したということのようである。

写経屋の覚書-はやて「ネット丸写しで『鳩山一郎回顧録』の原本を確認してへんだけやなくて「回想録」って本の題名までええ加減やん」

写経屋の覚書-なのは「つまり『鳩山一郎回顧録』の本文を確認してないことが確実ってことだね。それにね、鳩山が「この事件を契機に警察予備隊の設立を着想したという」のも不正確なの。回顧録のp43を見るよ」

 その時九州に行つて感心したのは、福岡は割合に静穏なことである。朝鮮人が福岡駅を占領した時に、九州大学の青年達がみんなで朝鮮人を叩き出してしまつたので、すつかり騒ぎが納まったということを聞いて、流石九州男児だなアと思つたりした。
 それでその時思つたのは、日本では共産革命は割合に楽だと感じたことである。
 面と向って自ら犠牲になつて阻止する者が出て来れば出来ないが、自分で責任をとつて防ぐ青年がいなかつたら共産革命が成就すると思つた。多数は要らないが適当な防衛力は要ると思つたのもその時のことである。
 何としても自衛隊を持たなければならないと痛切に考えて自衛軍の構想をその時から持ち始めた。私は当時方々を歩いて、自衛軍の設備と反共ということを同列において私が演説したのはそういうところから来たのだつた。
 こうして私の二十一年二月二十二日の反共声明は発せられたのである。

写経屋の覚書-フェイト「九州に遊説に行った時に九州大学の生徒が福岡駅を占拠した朝鮮人を追い出したって話を聞いたのが契機なんだね」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。「GHQがそれにGOサインを出したということのようである」も明確な間違いなの。鳩山は1950年の警察予備隊設置時には公職追放中でGHQの意思決定に何らかの影響を及ぼせる立場じゃないしね。それに警察予備隊じゃなくて自衛軍の構想だしね」

写経屋の覚書-はやて「全然あかんやん。話にならへんレベルやで。なんぼ学術書やなくてサブカルの読み物やいうたかて、こんだけええ加減なんはあかんやろ」

写経屋の覚書-なのは「だよねぇ。じゃ次はp142~143」

 日本は台湾、朝鮮、南方において直接統治を行った。一方、欧米諸国の植民地支配は間接統治である。例えば、英国はマレーに華僑やインド人を入植させ、現地人の管理をアウトソーシングした。この統治の老獪なところは、被支配者であるマレー人の憎悪が自分たち英国人に向かわず、直接の支配層である華僑、インド人に向かうということだ。また、インドではカースト制度を、アフリカでは部族間対立を巧みに統治に利用した。GHQが当初、三国人の横暴をある程度黙認していたのも、この間接統治を日本に応用したものでないかと筆者は見ているが、どうだろうか。

写経屋の覚書-フェイト「間接統治の応用?」

写経屋の覚書-なのは「じゃ、どうして「解放民族」であるけど敵国民として扱うって中途半端なことにしたんだろうね。その一方で朝鮮帰還の手配もしてるし」

写経屋の覚書-はやて「ほんまに間接統治に利用したかったら、立場や扱いをもっと明確にしとるやんなぁ。ほんまはGHQも方針や姿勢が定まらへんかっただけ(ちゃ)う?」

写経屋の覚書-フェイト「はやての言うとおりだよね。GHQも地方軍政部も、黙認というより「解放民族」をどう扱って遇すればいいか決めかねていたってことじゃないかな。日本官憲からすると微温的だってことになるんだろうけど」

写経屋の覚書-なのは「まぁ、まともな史料なんて読まないんだろうし、そのあたりまできちんと調べないんだろうけどねぇ…次のp143~144も北斗星投稿で見た記述だよ」

恐怖と羨望の対象だった「三国人」
 車内暴力程度のチンピラ行為は可愛い方で、三国人の横暴はそれに止まらなかった。略奪した豊富な食料物資を武器に闇市を牛耳り始めたのである。閉め出された格好のテキ屋、博徒は彼らと激しく抗争した。日本刀、拳銃、※7ダイナマイト、さらには旧軍の倉庫から奪った自動小銃で武装する朝鮮人愚連隊に警察はまったくの無力であり、この時代、盛り場の治安を守り民衆を保護していたのは実は任侠組織だったのである。これが戦後暴力団の台頭に繋がるわけだが…。
 朝鮮人愚連隊は、強盗、放火、土地の不法占拠、強姦、あらゆる違法行為に手を染めた。とりわけヒロポン、密造酒製造販売は朝鮮人街の重要な家内産業だった。メチル酒による失明事故が多発したのもこの時期だ。

写経屋の覚書-はやて「ほんまやねぇ。具体的な事件名もないし、丸写しだけで調査とかしてへんねんやろなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。あと、p149の記述もウィキ丸写しだろうね」

「保安隊」「自衛隊」という呼称は、かつて朝連が私設警察行為を行うとき、好んで使ったものであるのも皮肉な事実である。

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、在日朝鮮民主青年同盟の「そして朝鮮人自身が同胞を取り締まるという名目で「自治隊」と称する私設警察を組織した(これらの名称の他に「保安隊」や「自衛隊」や「警備隊」とも名乗っていた)。」の丸写しってことかな?」

写経屋の覚書-なのは「蓋然性は高いよ。鳩山の話をネット丸写しだけで全然裏も取ってない人が、他の箇所に限って裏を取る確率って極めて低いよね」

写経屋の覚書-はやて「せやなぁ。ネット以外には書籍の丸写しをやるぐらいやろね」

写経屋の覚書-なのは「ま、もともと『撃論ムック』シリーズに連載してたものをまとめて単行本化したものだから、筆者の但馬が接する資料や情報も貧弱だろうし、それらの解釈にバイアスがかかっているっていうのもあるだろうけど、結局は但馬の能力と意思の問題じゃないかな?」

写経屋の覚書-フェイト「『撃論ムック』シリーズ?……アマゾンのデータを見たんだけどなんだか香ばしい人たちが執筆してるよ…」

写経屋の覚書-はやて「ほんまやねぇw なのはちゃんが言うように、資料や情報を得るのはその雑誌関係のお仲間からやろし、そうでなかったとしも自分で精査してへんのやから、そら解釈も偏るわ。で、そろそろ、なんで作者がこんなモンを取り上げるようになったか教えてくれてもええんと(ちゃ)う?」

写経屋の覚書-なのは「そうだね、もう終わるしそろそろいいかな…朝鮮進駐軍ってずっとネット上の情報としてだけあったよね」

写経屋の覚書-はやて「そういうたらそうやな。北斗星投稿にしても、嫌韓系サイトにしても、動画サイト投稿にしても、以前のウィキの項目にしてもみんなネット上の話やったなぁ」

写経屋の覚書-なのは「読み物程度のものでも活字ベースにしたものって少なかったよね」

写経屋の覚書-フェイト「あー、そうだね。この『ゴジラと御真影』の他には『マンガ嫌韓流』とか『別冊宝島 嫌韓流の真実!』とかくらいだったよね」

写経屋の覚書-なのは「やっぱり活字になったものってネット上の記述より信用度が高く扱われるでしょ。それにウィキの朝鮮進駐軍の項目で参考文献になっているから取り上げておこうって思ったんだって」

写経屋の覚書-はやて「あー、そういうことかいな。ウィキ読んでこの本を論拠にして朝鮮進駐軍の実在を言いだすモンが出てくる前に潰しとくいう狙いもあるんやろなw」

写経屋の覚書-フェイト「けど、この本にそこまで影響力や伝播力があるのかな?」

写経屋の覚書-なのは「にゃはは。フェイトちゃんもきついこと言うねぇw 復活したウィキの朝鮮進駐軍の項目に書き加えられたのが2012年10月15日だし、本当に影響力があったのなら、削除前のウィキや動画サイトへの投稿があった2009年年末の段階でもっと名前が出てきてもよさそうなものだけど、作者の調べた限りでは見たことはないんだよね」

写経屋の覚書-はやて「朝鮮進駐軍の実在を主張する連中すらこの本を無視したんか、よう見つけへんかったかやね。どっちやったかてこの本の存在と影響力が小さいことに変わりあらへんし、どっちでもええよw」

写経屋の覚書-なのは「ま、作者にしてみれば、たまたまウィキでこの本の名前を見かけて図書館の書庫出庫待ちの間に読んだら、内容が予想通りだったしこの際晒しておけっていうのもあったんだよね。じゃ、今回はここまでにするね」