10/18(日) ニューヨーク
5:00 目が覚めて日本宛にポストカードを書く。
9:00 ホテル出発。
42nd ストリートより地下鉄に乗ってグランドセントラル、特急でユニオン・スクウェアで降りる。
ユニオン・スクエア広場のベンチに座る。
この公園にもリスが好きなように走り回っている。
この公園で、しばらく今日の予定を考えることにする。
ニューヨークは公園がたくさんある。
その公園には大きな木がある。
芝生があって、多くのリスが遊んでいる。
ベンチで一人、本を読む人がいる。
二人で楽しそうに語る人達がいる。
これだけで、もう日本じゃない。
僕は今、ニューヨークにいる。
リスが時々、足元を走って行く。
遠くあるベンチを見ると浮浪者らしき人もいて、寝ている。
芝生では座って Breakfast を食する人もいる。
リスを追っかけている犬がいる。
その犬の名前を読んでいる人もいる。
これだけで、もう日本じゃない。
空気が違う。
心は何故か目の前の大きな木になってしまう。
ユニオン・スクエア広場

リスが走り回る

忙しくしている時に電話のベルが鳴る。
すぐに出なくては、と走って電話口に行って、受話器を取る。
するとセールスの電話だ。
昔は相手に悪いと思って、すぐには切らないで相手の質問などに答えていた。
すると、これが悪い。
相手にとっては、いいカモだ、と思うようで、ずんずんと押してくる。
最終的には断ると、何かこちらが悪いことをしたような気持ちにもなる。
そんな経験から、セールスの電話はすぐに断るようにしている。
セールスの電話はよくかかる。
だからセールスの電話は慣れたと言える。
電話のベルが鳴ったならば、受話器を取るまでセールスの電話なのかは分からない。
だから、忙しくしていても、電話のベルが鳴ったなら、電話口まで走っていかなければならない。
走って行って、受話器を取ると、機械的な音声が流れてくる。
「こちらは……」
いっぺんで気分が悪くなる。
機械の声を流すのは効果はあるのだろうか。
逆効果だと、ほとんどの人は思うだろうになぜ流すのだろうか。
もっと他の何か目的があるとしか考えられない。
受話器を取って、機械的な音声が流れてくるとすぐに反射的に何も言わずに受話器を置いてしまうので、話されている内容も分からない。
だから、どんなところが電話をかけているのかも知らない。
そんな状態なのだから、効果はあると思えない。
でも、ほんの少しの確率で内容を聞いてくれる人がいるのかもしれない。
そんな人のためにかけている電話を取るしかない自分がいる。
その結果、気分が滅入ることもあるのに、電話を取るしかない自分がいる。
この前、受話器を取ったら電話セールスで、向こうがくどくど色々言ってきたので、
「電話を切りますよ」
と言って切ろうとしたら、向こうの方が先に無言で電話を切った。
無言で先に電話を切られると何か気分の悪さが倍増した。
向こうから一方的に電話をかけてきて、こちらは電話に出てあげた。
という立場なのに、挨拶もなしに無言で先に電話を切るというのは、気分が悪い。
爽やかな気分にさせる電話セールスはないのだろうか。
10/17(土) ニューヨーク
9:30 エジソンホテルをチェックアウト 361.36ドル支払う。
ホテルAチェックイン 140ドル支払う(35ドル)
今日はモダンアートミュージアム(近代美術館)へ行くのが予定。
間違えてアメリカンクラフトミュージアムに入ってしまう。(3.5ドル)
ガラスで作られた花瓶、絵、工芸品などが展示されている。
ガラスは光によって輝きがいろいろと変化してきれいだ。
透明感もいい。
ガラスケースに入っているものは、ガラスケースに置かれたものがケースに写って美しさが倍増したりする。
11:00 目の前のモダンアートミュージアムに移る。
入場するのに人がすごく並んでいる。
混んでいる。ちょっと驚く。
こんなふうに混んでいるとは思ってもいなかった。
10分位並んで中に入る。(5ドル)
土産物売り場は入場券売り場の横にあって、入場しなくても買えるようになっている。
ミュージアムの中に入った人が土産物を買いたい場合は、出口にいる係員に言えば券を渡される。
その券を持って外に出るようにする。
入る時はその券を係員に渡してミュージアムの中に入る。
メトロポリタン美術館もそうだったが、入場した日は1日出たり入ったりできるようになっている。
これは美術館自体が大きくて、美術品を観るのに時間がかかるので、当然のことと思っているようだ。
日本ではあまり考えられない。
ミュージアムの中は、1品でも日本で展示されたら、人が押し寄せてゆっくり鑑賞できないような作品がいっぱいで、うれしくなってしまう。
入口にはミロの「MURAL PAINTING」。
これが、また素晴らしい。
セザンヌ、ムンク、ゴッホ、ゴーガン、スレー、マチス、ピカソ、モネ、シャガールなど、本物だー。
という感じで、絵画で満腹。
ポールキリーってなかなか好み。
ピカソの「BABOON and YOUNG」は面白い。
こんなに有名な画家の本物の絵を簡単に見ることができる環境にあるだけで、アメリカ人には勝てないと思ってしまう。
本物を見て育つことができることは羨ましいと思う。
17:00 美術館を出て、42nd を歩く。
タイムズにスクウェアに出る。
漫才師の「今いくよ・くるよ」さん達に5番街で会う。
思わず、サインをしてもらう。
ミーハーだ。
19:00 ホテルに戻る。
そのまま、すぐに眠ってしまう。
モダンアートミュージアム(近代美術館)




今いくよくるよさん達からもらったサイン
携帯などの契約で成立すると商品券が贈呈されるというようなことがある。
一種のキャシュバックということになる。
以前行われたテレビ等のエコポイントもそのひとつと言える。
何か購入した時に現金の値引きはできないけれど、商品券などを贈呈しますので、お客様にとっては値引きされたのと同等になります。
ですから、今購入すると得ですよ。
ということで使われる方法だ。
このようなことで、商品券、JCB等のギフト券などをもらうのだけれど、それらの券が使用できる店は限られている。
そこで、今日こそあの店で使おう、というように意を決して、財布の中にそれらの券を入れて使う気満々で店に行く。
すると、普段だったら買わないようなものまでも、券を使うために買ってしまったりする。
そんな時は、商品券よりも現金がやっぱり一番いいな。
なんて思ったりする。
そんなふうに思っていたところに、本当のキャッシュバックがあって、現金書留で現金が送られてきた。
封筒の中にはお札が入っている。
取り出して、ありがたく思ってすぐに財布に入れた。
でも、財布に入れたとたんに、他のお札と同化してしまってキャッシュバックされたものですよ。
というオーラがなくなってしまう。
あんなに現金の方がやっぱりいいな。
キャシュバックと言うくらいだから。
なんて思っていたのに、ありがたみはすぐに薄らいでいってしまうようだ。
逆に、なかなか使えない商品券の方がいつまでも頭の中に残ってしまう。
矛盾した気持ちが心の中にあることに気がついた。
10/16(金) ニューヨーク
16:20 バッテリーパークのトイレに行く。
トイレに鍵がかかっていて、中に入れない。
自分と同じように2、3人がトイレを開けようとして、開かないので戻っている。
どうもここのトイレは16:00 頃に鍵がかかってしまうようだ。
17:00 地下鉄に乗って、50th で降りる。
明日から宿泊代が安いホテルに泊まる予定。
明日から宿泊するつもりのホテルに行って、予約をしよとしたら、予約はいらないと言われた。
明日来ればよい。と言われた。
朝の10時頃に荷物を預けたい、と言うと、これもOKだと言う。
つまり、明日の朝10時にチェックインしろ、ということだ。
まだホテルへ帰るのは早すぎるような気がしたので、ブロードウェイの方へ行く。
すると、8人位の黒人達が劇場の前で、ブレークダンスを踊っていた。
なかなか上手いので小銭をあげた。
42nd Street 沿いにも、踊っている人がいて、人だかりができていた。
5Ave をセントラルパーク沿いに歩いて、7Ave を歩き、途中のスーパーで食べ物を買ってホテルに帰る。
ホテルに着くと、すぐに疲れて眠ってしまう。
21:00 目が覚める。
Bath に入って、その後テレビを観ると映画「大地震」をやっていた。
世界貿易センター


世の中は選挙の話題で一色になっている。
政策度外視で政党同士が選挙に勝つために結びつく。
できない公約を平気で掲げる。
日本は議会制民主主義だから、選挙によって選ばれた代表者である議員によって政治は行われる。
だから、議員は国民の代表という意識を強く持っていなければならない。
原発、TPP、消費税、などという言葉が飛び回っているけれど、自分としては気になることがある。
それは、東日本大震災のその後だ。
あの大震災の後は、議員はじめ芸人など多くの著名人が行って、震災に遭われた方々の手を握り、何とかしたい、と言った。
それが、もう震災後1年半以上が過ぎている今では話題にもならない。
喉元すぎれば何とやら、になっているのではないだろうか。
自分のような一般市民は日々の生活に目一杯だから、震災に遭われた人達のことを何とかしなければと、いつも思っているというようなことは無理だ。
けれども、国民の代表者である議員までもが、みんな震災についてそっぽを向いてもらっては困る。
マスコミもそうだ。
東日本大震災の復興状況というのようなものを定期的に表とかグラフとかで発表するようなことをしてもらいたい。
復興の現状が分からない。
あと少しなのか、まだほど遠いのか。
震災復興状況がよく分からない状態では、もう1年半位上経っているのだから、もう大丈夫だろう、と思ってしまってもおかしくない。
年月が経てば経つほど、東日本大震災はもう終わった過去のものとなってしまう。
自分たち一般人には関係ないものとなってしまう。
たとえ、震災復興が遅々として進まず、現地の震災に遭われた人達がいつまでも大変な思いをしていたとしても、終わったものとなってしまう。
自分達ができることが、ただ、復興状況を知り、まだこれだけしか復興されていないのか。
国は何をしているんだ、と憤慨するだけでもいいのではないだろうか。
そのためには、現状を知らなければ何もできない。
震災復興のために何かしたいという人は、きっと今も頑張って色々しているだろう。
でも、それほど強い気持ちは持てないけれど、気にはなるという人は多くいるだろう。
震災復興予算が別の用途に使われていたというニュースで、震災復興の遅さを知った人も多いだろう。
選挙、選挙で騒いでる中で、震災復興について論じる政党、立候補者はいるのだろうか。
東日本大震災復興のために今までに政府は何をしたのか。
今なお、まだ復興が進んでいないとしたら、選挙でも話題にならないとしたら、もう忘れ去られてしまうのではないか。
そんな心配をするだけの自分がいる。
10/16(金) ニューヨーク
エンパイアステートビルを出て、自由の女神像の所へ行く。
地下鉄に乗って、サウスフェリー駅に向かう。
サウスフェリー駅は最終点で、電車は1番前の車両しかドアが開かないらしい。
車掌さんが来て、知らないで乗ってちょこんと座っている人達には、前の車両に移るように、いちいち言いに来る。
バッテリーパークに着く。
ここからフェリーに乗って、自由の女神像の立っているリバティー島に行くことになる。
バッテリーパークは本当に人が多くて、ほとんどが観光客なんだけれど、いろいろな所から来ているようだ。
公園を散歩して、フェリーのチケットを売り場に買いに行く。
チケットは3.25ドル
フェリーを待っている人達の前でボーリングのピンを3本位手で回して投げたりする街頭芸人がいる。
フェリーを待っている人達からお金をもらっていた。
13:05 フェリー出発。
13:25 リバティー島に到着。
自由の女神像の足元の芝生でパンを食べ、スプライトを飲む。
15:00 自由の女神像の展望台に登ろうと中へ入る。
すると、2階くらいで人がずらり並んでいて、上にあがるのを待っていた。
あまりに多いので、展望台へ行くのを断念して下に降りることにした。
後ろにいた日本人4人の女の子もやめた。
日本人はガッツがない。
とりあえず、自分の周りの自分も含めた5人の日本人に関してだけど…。
フェリーよりリバティー島を臨む
リバティー島

リバティー島より

自由の女神像を真下から

やらなければいけないのになかなか出来なくて時間だけが過ぎていく。
ここ数日、効率が悪くて、また、やる気が出なくて、はかどらない仕事がある。
タイムリミットだけが近づいてくる。
時間だけは過ぎていく。
寝不足が続いていく。
やらなければならない、という気持ちはいつも体にある。
だから、よけい疲れる。
仕事には、やりやすいものと、やりにくいものとがある。
当然、やりにくいものは後にしようと思う。
やりやすいものから手をつけようと思う。
そこで、やりやすいものから片付けていく。
すると、あとに残るものは、やりにくいものとなる。
そこで、観念して、やりにくいものに手をつければいいのに、そうしないでまた新たにやりやすいものを持ってくる。
そうなると、いつまでたっても、やりにくいものは奥の方にある。
という状態になってしまう。
そうやって奥の方に閉じ込めておけばいいのだけれども、そこにタイムリミットが関係してくる。
タイムリミットを考えると、ついにというか、仕方なしにというか、とにかく奥にあるやりにくいものに手を出さなければならなくなる。
やらなければならない気持ちとやりたくない気持ちが、けんかをする。
時間だけが過ぎていく。
タイムリミットが近づいてくる。
今、そんな状態です。
10/16(金) ニューヨーク
7:00 起床。bath に入る。
8:00 ホテルを出発。
今日はエンパイヤステートビルに登る予定。
8:30 バスターミナルに着く。
42nd側ではない南側にグレーハンドのTicket売り場があって、そこでバススケジュール、ターンテーブルをもらう。
この駅でコーラを飲む。
Small or Large と言われたのでLargeと答えたら、とても大きくて飲めなかった。
9:00 郵便局(United State Post Office)に行く。
33セント切手を20枚買う。
エンパイアステートビルに向かって歩く。
エンパイアステートビルに到着。
ビルに登る。(3.25ドル)
夜景はきれいだと思うので、次の機会に夜に登って夜景を見ようと思う。
86階の展望台の方が気持ちがいい。
102階はガラス張りで寒くはないが、ガラスが汚くてあまりいい気分ではない。
何となく今日は自分でも旅に慣れてきたように感じる。
エンパイアステートビルの1階にあるカードショップで、スヌーピーが自由の女神のように聖火を持っているTシャツが気に入る。(9.99ドル)
エンパイアステートビル

授業中に騒がしい生徒に静かにするように注意すると、注意する生徒が違っても、全く同じセリフで答えが返ってくることがある。
それが、「何で俺ばっかり」
注意されて、直そうとする前に、注意されて条件反射的に出てくるセリフが、
「何で俺ばっかり」
ということになる。
注意された内容に対するセリフではなくて、注意された行為に対するセリフということになる。
何で俺ばっかりが注意されるんだ、という思いから出たセリフということは分かる。
でも、なぜ注意されたことを直そうというようにならないのか。
と注意した方は思うのが普通だ。
しかし、注意された内容が頭に入らないのだから、直しようがない。
ただ、注意されたということだけが頭の中に残ってしまう。
だから、また注意されると、何度も注意されている。
それも自分だけが…、という思いを持つようになる。
それが「何で俺ばっかり」というセリフになる。
注意されることが多いと当然、そのような意識になる。
どうも兄弟、姉妹がいると、そのような意識になる傾向があるような感じがする。
兄と比べて自分はいつも叱られている。
弟と比べて自分はいつも注意されている。
兄弟、姉妹がいると、そんな意識を持ちやすい環境になりやすい。
では、どうしたら「自分だけが」という被害意識をなくすことができるのだろうか。
まずは、注意されないように自分から意識することが必要になる。
しかし、そのような意識を持つことができないから注意されることになる。
自分はできないという気持ちからも被害意識は作られる。
そこで、小さな成功体験を積み重ねていくことが有効になる
まずは小さな成功体験の積み重ねによりポジティブな意識改革をすると良いだろう。
