昔ほど一睡もしないで徹夜で仕事をするというのが辛くなってきている。
やはり少しは睡眠を取らないと体が言うことを聞かない。
動き回っての徹夜ならよいが、デスクワークの徹夜の場合、午前4時くらいがいちばん辛い。
パソコンの前でいつの間にか眠ってしまっていて、モニターには何か得体の知れないアルファベットがずっと続いていたりする。
そんなこともあった。
つまり、体が睡魔に負けていることになる。
起きていなくてはならないと意識の中では思っていても、睡魔に負けていつの間にか眠ってしまっているわけだ。
それが通常であり、体のためでもある。
体が眠らなければならない。
という信号を送っていて、その信号を脳がキャッチして体を休めることになる。
脳の言うことは聞かなければならない。
体は脳の指令には絶対服従というわけだ。
それが、この前、体が脳の命令に逆らった。
脳が眠れという指令を出していたのに、どうしてもやらなければならないという意識が勝って眠らないで仕事ができた。
その時は吐きそうな感じになった。
脳が悲鳴をあげているようだった。
これは体に悪いなと実感した。
こんな生活を続けたら長生きしないと思った。
脳が気分よくなるようなことをしなければならない。
さわやかだと思えるようなことをしなければならない。
嬉しいと喜ぶようなことをしなければならない。
今、それらのことがなされているだろうか。
10/20(火) ニューヨーク
18:30 エンパイアステートビルに登る。
前回、目をつけておいたスヌーピーが聖火を持っている絵が描かれたTシャツを先に買うつもりで下の土産物店へ行く。
そこへ入ろうとすると「close 」と言われた。
まいったなあ。もう来られないんだけれど。
エンパイアステートビルの86階に登る。
小雨が降っている。
でも、夜景はとても綺麗だ。
Very Beautiful で And Fantastick .
しばらくいると小雨も止んで霧が出てきた。
貿易センターの方はあまり綺麗ではない。
最後には、そちら側は霧で全く見えなくなってしまった。
でも、夜霧のマンハッタンはたしかに綺麗だ。
セントラルパーク側と東側の川の所はとても綺麗だ。
そして、この展望台からビルの上の方を見ると、上の方がライトアップされている。
それが、うす青く光り、またその上部は赤く点灯していて、そこを霧が動いていく。
幻想的でもあり、映画を見ているようで、それを見ているだけでも時間が経つのを忘れてしまう。
霧が美しさを包んで幻想的にしている。
21:00 ホテル着。
小包を梱包したり、ポストカードを書いたりする。
0:20 就寝。
夜霧のエンパイアステートビル

いつものように塾の周りを掃除していたら、地面にBB弾が多く落ちている。
小学生が前のお宮さんでサバイバルゲームをして、エアガンから放たれた弾がこのBB弾ということになる。
土の上に黄色く光るBB弾を見て、小さな環境破壊ではないか、とふと思った。
プラスチックの丸い弾は自然に帰らず、土の上から中に移動し、自己主張をずっとしていくことになる。
そののことを考えて、ゲームはされるべきではないのか。
以前に、テレビで芸人達がどこか山奥に行ってサバイバルゲームをして楽しんでいるのを見たことがある。
その時は、ゲームの後のBB弾の山についてなんか、考えもしなかった。
けれど、今また思い出してみると、ゲームの後はしっかり掃除するべきだ。
やりっ放しはいけない。
BB弾もプラスチックではなくて、自然に優しい、土に帰る素材の物はないのだろうか。
そんなことが気になったので、調べてみると、ちゃんとあった。
バイオBB弾と言うそうだ。
これは生分解性プラスチックという素材で作られていて、数年後には土に帰るのだそうだ。
まさに地球に優しいエアガンの弾ということになる。
きっと値段がまだ高いとか、強度とか、通常のBB弾より劣るところがあるのだろう。
まだまだ、バイオBB弾はBB弾の主流からは程遠いのだろう。
子供達が撃っている弾はプラスチックのBB弾だ。
エアガンとかBB弾とかサバイバルゲームとか、何にも知らないので好き勝手なことを言っている。
エアガン通には、そう非難されるだろう。
でも、小さな小さな1cm もないBB弾からでも環境問題は論じることができることが判明した。
サバイバルゲームには興味もなく、したいとも思わないので、環境問題がどうのこうのと言えるのだろう。
サバイバルゲームにはまっていたら、拳銃片手に弾は撃ち放題。
後のことなんか考えない。
きっと、そうなっているだろう。
10/20(火) ニューヨーク
9:00 ホテル出発
まず、郵便局へ行ってエアーメールを送る。(23ドル)
地下鉄に乗って、86st で降りて、グッゲンハイム美術館に入る。
この美術館は「かたつむりの殻」と言われている建物で、らせん状の通路の壁に絵画が飾られている。
そのらせん状の通路を下りながら絵画を見ていくことになる。
今回展示されている作品にはピカソやシャガールもなかった。
所蔵はされていることになっているので、それらを見たかったのだけれども残念だ。
現代美術の作品が多い印象だ。
特別展示はJan Dibbets という人だった。
写真を切って、360度から見られるようにした作品。
ここで土産として、バッジ2個とポストカードを2枚買った。
12:50 セントラルパークを歩く。
セントラルパークの一番南の所でサンドイッチとジュースを買って公園内で食べる。
ちょっとお腹がいっぱいになって、気持ちが悪くなってしまった。
14:10 近代美術館にまた入る。
今回は1階と2階を重点的に見る。
いつ来ても感動だ。
前回よりも、もっと詳しく見ることができた。
単純に感動している。
17:45 近代美術館を出る。
18:15 写真屋さんに行く。
店が閉まっている。
予定が狂ってしまった。
グッゲンハイム美術館

昨日、衆議院の選挙の公示がされた。
野田首相が嘘つき呼ばわりされたのに頭にきて解散したという話もある。
人間誰しも嘘をついたことはあるだろう。
でも、嘘をついて自分を追い詰めてしまうことも経験する。
その経験が嘘はつかない方が得策だ、という思いになってくる。
その結果、嘘はつかない方がいいということになる。
でも、子どもはまだ、その経験が浅い。
だから、まず嘘で自分を守ろうとする。
嘘をついて、まずいなと思う気持ちよりも、今の状況を嘘により打破して自分を助けたいという気持ちの方が勝つ。
だから、穴だらけの嘘をついてしまう。
特に幼い子どもは必死に嘘をつく。
幼ければ幼いほど、すぐにバレてしまうような嘘を真面目な顔をしてつく。
お母さんに、お父さんに怒られないように、必死に嘘をつく。
そんな時に親としてはどのような態度を取るのがよいのだろうか。
嘘はいけないと、コテンパンにやっつけることも穴だらけの嘘だからできる。
嘘によるつじつまの合わないところを追求して木っ端微塵にしてしまう。
それにより、嘘をついても結局は嘘がバレて、倍以上にしかられてしまう。
そのことを思い知らせる。
そういう経験をさせて、子どもに嘘をつくことの無意味さを理解させる。
ただ、子どもの立場にたつと、これはつらい。
自分を守ろうとしてついた嘘が逆に刃物となって、自分に切りつけてくるとは思っていなかったのだから痛さも倍だ。
痛さに耐え切れない子どもも出てくるかもしれない。
嘘をつかなければいいんだよ。
と思うかもしれないけれど、嘘をつくつもりではなくて、嘘をついてしまうこともあるだろう。
だから、親は時にはどこかに逃げ道を作っておいて叱ることもありだろう。
ちょっと優しすぎるかもしれないけれど、叱る時はそんな冷静さも時には必要になる。
10/19(月) ニューヨーク
10: 00 写真屋さんへ行って今まで取った写真の現像を頼むと今日中には出来なくて明日になると言われた。
そこで別の写真屋さんに行ってみると、やはり1軒目と同じように明日と言われた。
仕方がないので、そこで現像を頼む。
明日の午後5時にできると言われる。
一度、ホテルに戻る。
メーシーズ百貨店へ行って、その後、アルトマン百貨店に行く。
メーシーズ百貨店は若者が多くいる。
でも、アルトマン百貨店は年配者向けという感じ。
34th の土産物屋さんで、思わずTシャツを3枚買ってしまった。
97ドルかかってしまって後悔する。
メーシーズ百貨店にまた行って、ポロシャツ、カーディガン、ワイシャツを買う。
147ドルかかる。ちょっと高い。
15: 00 メーシーズ百貨店を出る。
メールパッケージが想像していたものより小さいので、あと一つ買うことにする。
5Ave、4Ave、など歩き回って、スーパーでポテトチップス、ジュース、ビールを買ってホテルに帰る。
22: 00 明日出すつもりの郵便物を箱に詰める。
メーシーズ百貨店

明日は中学3年生の第2回学調テストが実施される。
2ヶ月前くらいから毎週土曜日は、この学調テストの過去問を解いて出題傾向を自然と体得できるようにしてきた。
しかし、残念ながら真剣さがない生徒は何度傾向が同じ問題が出てきても、同じような傾向の問題が出ているから、これはしっかり覚えておかなくては、と思わない。
そして、今日のような前日になって、「先生教えて」などとジタバタする。
前から、しっかり覚えておくようにと言っていたのに、と思いながらも、要望にこたえることになる。
本当は今日は今までのまとめをやるくらいの気持ちになっていて欲しいものだ。
なかなか、そうは思えないのだろう。
今日になって、ジタバタするのも、しないよりは良い。
教える側としては、これだけ同じような傾向なのだから、これは覚えただろうと思いがちになる。
でも、その考えは一部の生徒には当てはまらない。
何回も何回も繰り返すことを諦めてはいけない。
そのことは肝に銘じておく必要がある。
今日は、第2回学調テスト前日なので、中学3年生は全員、塾で明日のための学習を行った。
始めに毎回行っている数学の学調計算問題をしてみる。
この計算問題は、学調テストの過去出題計算問題の類似計算問題を10問作成したもので講習始めにウォーミングアップとして行っている。
すると、今まで満点がなかなか取れなかった生徒が今日は満点を取ったという生徒も現れて喜ばしい反面、半分ぐらいの点で、まだ理解できていない生徒がいて、心配にもなってしまう。
なにはともあれ、明日の学調テストでは頑張って生徒には良い結果が出ることを願っている。
今日はチューリップとパンジーを塾の周りに植えた。
今まで、なかなかしたくても時間的余裕がなくてできなかった。
毎年、今頃になって行う年中行事だ。
チューリップの球根は150個、パンジーは苗を40位植えた。
汗だくだくになった。
チューリップの球根を今日、ホームセンターに買いに行ったのだが、いつも買う50個入りの大袋の球根が売っていなかった。
いつもだったらまだ大量に売れ残っているはずなのに、いつもと違う。
チューリップの球根の数が少ない。
今年はどうしたんだ。
要因を考えてみると3つの考えが浮かんだ。
1.今年は例年よりもチューリップを植えようと考えた人が多くいた。
2.店が今年は例年より仕入れ数を少なくした。
3.球根を作っている国、または地方においてチューリップの球根が不作で多く出荷できなかった。
まあ、要因はどうでも、現実的には今日チューリップの球根を植えるしかない。
来週になると時間がなかなか取れない。
そこで、急遽、他のホームセンターに行って球根を買うことにした。
そこでも球根50個入りの大袋は3袋しか残っていなかった。
ラスト3袋を購入。
今回購入した球根が小さいので、来春咲くチューリップ小さいことが予想される。
数で勝負ということになるだろう。
パンジーももっと早く植えたかった。
毎年、パンジーは冬の寒さで葉が赤くなってしまう。
もっと早めに植えれば根付くのも早く丈夫になるだろうと思いながらも毎年、植えるのが遅くなってしまう。
今年も、そうだ。
ひとつの要因は咲いているマリーゴールドにある。
黄色くまだきれいに咲いているマリーゴールドを抜いてしまって、その跡地にパンジーを植えるという行為がなかなかできない。
マリーゴールドが頑張って咲いているのを無下に抜いてしまうのはかわいそうだ。
そう思って、なかなか抜けず、後がまのパンジーを植えることができない。
アニキ、あっしは頑張って咲いていますぜ。
抜くなんて殺生なことはしませんよね。
そんなマリーゴールドのセリフが聞こえる。
だから、パンジーがなかなか植えられない。
朝晩の冷え込みが厳しくなり始めた昨今、やっと声が小さくなり、パンジーを植えることができるようになった。
明日の朝はパンジーが嬉しそうに並んでいる。
10/18(日) ニューヨーク
11:00 ワシントン広場のアーチの前で写真撮影。
広場の前でカメラのフイルムを入れ替えていたら、きれいな女の人が時刻を聞いてきた。
「About 11」と答えたら、
「Thank you」と言われて、何となく嬉しかった。
周りを見ると女の人はきれいな人が多い。
スクリーンから皆出てきたみたいだ。
ワシントン広場の周りは大学の街だけあって若者のジョギングしている姿が多く見られる。
西側に歩いて行って通りにぶつかると日本で言うところの歩行者天国になっていた。
思わずそこを何回も行き来して、Tシャツを2枚買う。
後で考えると、高い買い物だった。
また、ワシントン広場の方へ歩いて行って、喉が渇いたのでミルクを買う。
近くの雑貨店に入ったら楽しい物ばかりで、思わずバッグを買ってしまう。
今日は買い物が多い。
次にスーパーに入って、エアーメール用の箱Lを2箱買う。
明日は土産物を買って日本へ送ろうと思う。
今日は買い物の1日となる。
ワシントン広場


「闇金ウシジマくん」を読むとすると内容がグロテスクで眉をひそめる人が多いだろう。
あまり、おおっぴらに読んでいると言えない感じがする。
第1巻を代表に、はじめの頃は金が返せない人間に対してはとことん落ちる所まで落として金を返済させるウシジマくん。
金を借りたら、利子を払うのがやっとで、そのうち利子も払えなくなり、どんどん深みにはまっていく人間。
そんな人間達の裏社会の関係を描いている。
知らないことばかりで、裏ではこんなことが起こっているのか。
と、おもわず思ってしまう。
本当はどうなのか知らないけれど。
ありえることかも、なんて思わせる。
金を借りるのに、トサン(10日で3割の利子)、トゴ(10日で5割の利子)で借りるのだから返せるわけがない。
金がないので闇金から借りて、金が返せなくて人間でなくなる。
そんな状況がはじめの頃のエピソードには多く描かれていた。
だからはじめの頃は話の完結時の後味はよくない。
でも、本当にこんなことあるのだろうか。
ないだろうけれど、ありそうだ。
というような感じにさせるところが面白い。
絵も背景などが写真を観るようで写実的で上手い。
コマ割りも映画のワンシーンを見るような感じがする。
ひとつのエピソードが大体20話ぐらいで終わるようになっている。
だんだんと巻が進むごとにエピソードの完結時は何か気分的には前向きになれるような内容で終わるようになってきているようだ。
清々しさを感じるような時もある。
その点が、始めの頃とは変わってきている。
24・25巻では、「生活保護くん」という題で生活保護受給者を主人公にした内容で、闇金自体の話は薄い。
主人公の自活への芽生えの話で内容的には今までと比べると闇金の怖さは前面には出てきていない。
終わりが少し前向きにしよとしているところ変に意識的で、逆に今までよりもダークさが薄くてパワーダウンしている感じがする。
個人的には「サラリーマンくん」が何か変に共感できるところもあって印象に残った。。


