紅葉の御船山楽園
御船山楽園は、佐賀県武雄市に有る国登録記念物に指定された公園です。御船山。300万年前に有明海から隆起したとか。近くの平野に突出した岩山となって、武雄市の象徴とされています。神功皇后が新羅征伐からの帰りに「御船」をつながれたことからその名が付いたと云われています。写真に見える部分は、御船の船首だとか。標高210mの解説が多いのですが、地理院の地図には207mと記載されています。

最初の写真は、鏡池の向こうに見えるのが萩野尾御茶屋。一番有名な写真と同じ構図です。御船山の手前は、ツツジ谷。季節にはツツジ、桜といろいろな花が咲くそうです。ツツジ谷に覆い被さるのは、樹齢300年の大楠です。ツツジ谷の右手に見えるのは、樹齢170年の大きな楓と解説されていました。

最後の写真は、出口近くで鏡池と楓を撮ってみました。丁度、最初の写真を撮った辺りが見えています。
はじめての厚木市からのお客様
3年半前に厚木市から佐世保市にJターン帰郷。はじめて、厚木からのお客様を招きました。知人の厚木市議が、佐世保市の施設を公用視察に来られたのです。折角の佐世保ですので、佐世保で一番の風景、西海国立公園弓張岳展望台にお連れしました。私のサイトのリンクで紹介致します。
来られたのは、昨夕。一緒に夕食を摂れるというので、佐世保の町を紹介しました。町並みの紹介なのですが、一番の見どころは、直線1kmのアーケード。そして、その中に有る、佐世保のお食事処「レストラン蜂の家」での夕食。佐世保の料理として有名な「海軍さんのビーフシチュー」を頂きました。直線1kmのアーケードの記事はこちらです。「さるくシティ403アーケード」と呼んでいます。
片道1.2km程度の道程を歩いての案内でした。私自身は、迎えの時に、半分程を歩いて下見していました。ちょっと過負荷だったのでしょうか。帰りがけも途中から脹脛がつってきました。しばらく我慢して歩いていたのですが。何度か、待って頂く始末でした。市議には、ご心配とご迷惑をお掛けしました。
ご心配頂いたのですが、私の脹脛は、若い頃の体重で、この部分のみかなりの筋肉質。最近の運動不足が祟っただけだと思います。昔からつることが多い体質ですので、ご心配はご無用でございます。ご安心ください。帰宅して確認すると、12,824歩となっていました。と記しておきます。
佐世保北部の風力発電機を一望
佐世保市北部の吉井町吉元からの眺め。右手に鷲尾岳風力発電所。左手の遠くに長崎鹿町ウィンドファーム。
夥しい発電機群が並んでいます。今日は、珍しく回っていたので、動画に収めました。YouTubeに掲載しました。サックスホーンの苫米地さんの音楽と一緒にご覧ください。
佐世保市吉井町春日神社の大楠
買い物から足を伸ばして、佐世保市の妙観寺トンネルの先まで行きました。先行車が鈍くて渋滞気味。探検で脇道に逸れました。この地域の脇道は、どこも酷道なのですが。帰ろうとした時に、春日神社の看板が見えました。
私が住む地域では、佐世保市春日町の春日神社が有名なのですが。吉井町吉田の春日神社には、樹齢800年の大楠がありました。御神木と説明されていましたが、古い言い伝えで、神社のご神霊を一時、胴腹に安置したとの説明がありました。
ここでは、七五三に因んで、11/14に「じげフェス」というイベントが予定されているとか。佐世保に居てもど田舎という場所なのですが。新たな発見でした。
通りから神社への道は、鳥居を潜る参道を通るのですが。今は、参道を車も通れるようにされていました。なんだか、車で鳥居を潜ったという写真を撮ってみました。家内が何するのと驚いていましたが(笑)
アラベスク1-三連音符と8分音符
ドビッシーのアラベスク1。紹介した楽譜は、全音楽譜出版社のものです。価格は500円と書いてあるのですが。現在は、税込みで990円。確かに50年の歳月なのですが。
最初の楽譜は、1ページ目の2段目。赤丸で示した部分が今日の話題。右手は三連音符でタタタ、左手は8分音符でタタ。三連音符のみだと簡単なのですが。同時に弾くのは、初心者にはなかなか辛いでしょう。弾き始めると三連音符の真ん中が長くなるのが普通です。タタータという具合。
私は、子供の頃にこういう楽譜を結構演奏していて、右手左手をあまり連動せずに弾く練習をしていました。だから、この部分も全く問題なく弾けるのですが、子供の頃の癖で、小節の終わりで右手と左手が合わない事があります。(笑)
このドビッシーのアラベスク1は、曲全体でこの8分音符と三連音符が重なります。2枚目の楽譜は、最後の5ページ目の1段目。今度は、左手で三連音符、右手で8分音符。右手が旋律で、とっても綺麗な部分です。
ただ、ここは、左手が完全に1オクターブアルペジオです。小指から親指まで使うアルペジオなのですが。1音ずつ下がってきます。途中の指使いがなかなか難しい。人差し指、中指、薬指を適切に使っていくのですが。それでも、指を無理に広げたりする必要があります。
綺麗な旋律、左指がきつい。既に4分間程度の演奏した後の後半です。うまく弾けた時の満足感は一入です。
高齢者になってピアノの練習
6月から義理の母の家で過ごしています。家内のピアノが有るので、かなり真剣に練習しました。近況報告、自己紹介、自分の記録など、いい加減な理由からここに色々と記したいと思います。
私自身は、小学生高学年の頃に父がエレクトーンを購入。今から55年位前でしょう。それまで特に音楽が好きという訳でもなかったのですが、独学である程度弾けるようになっていました。ピアノは、高校生の音楽の演習で弾いたり、近居していた叔父のピアノを借りて練習する程度。しかし、就職してからは、たまの帰省で引く程度でした。残念ながら、ハノンなどの基本練習には、興味を持つことはありませんでした。
その後、厚木で住むようになって、一時期中古のエレクトーンを所有して弾いていた頃もあるのですが、ブランクが有るというより、殆どプランクだらけという状態でした。
その小中学校の頃に弾けないけど興味深いと買い揃えた楽譜の一つが、写真のドビュッシーの曲集でした。特に、アラベスク1は、綺麗な曲で、いずれは弾けるようになりたいと思って買ったと記憶しています。既に50年以上前の事ですが。
この楽譜は、ご覧の通りに中級となっています。第3課程中級をマスターされた方となっているのですが。実は、この楽譜には、全5曲が収録されています。その中で、一番簡単なのがアラベスク1です。アラベスク2も収録されているので、ついでに入れたという感じでしょうか。他の4曲には、まだ手も足も出ません。
私の実感では、第2課程初級のソナチネの中で難しい曲のレベルでしょうか。5ヶ月ほど、しっかり練習して弾ける様になりました。ただ、基礎が出来ていないので、ケアレスミスが連発。部分的に上手く弾けた部分をつなぎ合わせると、甘く見て60点という感じです。
これだけ練習すると、いろいろな話題があります。10月にピアノの話題を上げたのは、そういう話題を考えていたからでした。また、様子を見て続きを記します。
戦国時代の悲劇の主人公山本右京の墓
先日の泉福寺跡の情報と共に、山本右京の墓が有るという情報が載っていました。その時は、なんだろうと思いつつ、良く調べずに行って、見つけることができませんでした。
山本右京の墓は、現在の柚木元町、泉福寺跡の少し下にありました。墓は、子孫に依って移動されたとか。写真がその墓が有った事を示す碑です。

山本右京とは、オサイ観音の悲劇の主人公でした。佐世保市の高い山2位の八天岳と4位の隠居岳の間の尾根にオサエ峠があります。そこに、オサイ観音が祀られています。
戦国時代の事、子が居なかった第16代松浦宗家親(ちかし)は、島原有馬氏から五郎盛を養子に取った。ところが親(ちかし)は、何故か五郎盛を有田の唐船城に追いやってしまいます。そして、元々匹敵の平戸松浦氏から次の養子として、九郎親を招いた。それを見て、五郎盛は親(ちかし)が住む飯盛城攻めを画策する。
五郎盛にお伴し唐船城に居た山本右京は、仕える親(ちかし)にこの事を伝えることにした。寒い中、幼子と重身の妻お才を連れて、現在のオサエ峠越えを敢行するのだが、オサエ峠でお才が産気付いてしまう。近くの木こりの家に幼子とお才を預けて、飯盛城に到着。結果として、親(ちかし)は、五郎盛の軍を相当ヶ原で打ち負かすのだが。オサエ峠に戻ると、お才は亡き人となっていた。悲しい話です。
山本家の子孫は、山本右京の墓を小舟町に有る山本家の墓地に移動したそうです。次の写真がその墓の写真です。500年ほど昔の話。お墓の上の部分が当時の墓石でしょうか。

小舟町は、柚木の中心部から山道に登った所にあります。その坂道は、近くの住民が花を飾っていて、花街道と称しています。山本家墓地の入口にも看板が出ていました。

一般に、オサエ峠は、お才観音が訛ったものと言われているようですが。私は、押さえるという意味の鞍峠が正しいという説を信じていています。オサエ峠の下、御美谷池の辺りが高地の盆地となっているのです。
因みに私が住む家の近くに大智庵城跡があります。この城は、松浦親の祖父である松浦定が平戸松浦氏に依って落とされた城でした。
危険な歩道
佐世保市の松浦鉄道の泉福寺駅前の風景。ガードレールの外の歩道を歩いていたら、危うく落ちるところでした。丁度、撮影している場所の後ろに泉福寺駅の入口があります。写真の右側が泉福寺駅です。
車が走っていたので、ガードレールの外側を歩いていました。明るい時間だったので、気付いて落ちることはありませんでした。近くの方は、知っていて歩かないのかもしれません。私も近くの人なのですが(^^;)

現地は、史跡「大智庵城」の麓。写真の地域が当時「水濠」で有ったと、最近知りました。崖の右側がその水濠の名残りです。写真を撮った時は、知らなかったので、撮影していませんが。
少し前ですが、歩けない歩道を紹介しました。山の田水源地の北側の風景です。狭い道にガードレールは有るのですが、歩道はありません。ガードレールは、水源地施設の保護の為に、設置されている様子。狭い道を車が猛スピードで走り抜ける道なのですが、歩行者は誰も守ってくれません。厚木に居た頃は、こういう不思議に遭遇した事が無かったので、とっても興味深く観察しています。










