棱山泊 -51ページ目

恐るべき人

交差点に差し掛かった所で、信号が青となりそのまま通過しようとしたのだが。

 

 


 恐るべきことに、右側から平然と横断歩道を渡って来た。もちろん、歩行者が居たら進む訳にはいかない。そして左折したのだが。
 ドライプレコーダーの画像だと、その瞬間は分かり難いのだが。交差点に入る前の映像で、角に信号の電柱と制御ホックスが有ると分かるでしょう。歩行者がその影に入ったところ。
 今度は平然と次の横断歩道に入ってきたのです。その歩行者がその影に入って見にくいということも分からない様子。もちろん、想定内で歩行者が渡るのを待って発進。
 しかし、こんな平然と歩くとは。恐るべし!!

アサギマダラの飛翔

今年も飛来しました。アサギマダラは、日本から南西諸島に移動すると言うのですが。毎年、この時期に烏帽子岳に寄ってくれます。

 

 

 

 佐世保市烏帽子岳にある「えぼし高原ホースパーク」での映像です。えぼし高原ホースパークに着くと、アサギマダラは飛来していない様子に見えました。白いフジバカマに沢山止まっていたのです。撮影したのですが、なかなか飛んでくれません。少しアップで撮ろうとしたので、飛んでいるシーンは少し見にくいのはご容赦ください。


 ということで、スチール写真で飛んでるシーンです。動画の始めにも載せています。何となくうまく撮れたかな。


 次は、動画と同じ場所です。どのアサギマダラも羽根を広げたり閉じたりします。同時に開いたシーンを狙ったのですが、難しい。


 最後に、赤いフジバカマに止まったシーンです。不思議と、アサギマダラは、白いフジバカマの所に集まっていました。やっと撮れたシーンです。

 なお、撮影した動画は、風切り音のみでしたので、苫米地義久さんのサクスホーンの曲を載せてみました。心に響きます。

 

庭木 金木犀

 毎年、金木犀らしい香りと共に、黄金色の花を咲かせます。毎年、今年は撮ろうと構えるのに、毎回チャンスを逸していました。やっと、捉えました。


 現在の大きさは、頂上の小枝までの高さが4m弱。左右に伸びた小枝の幅が2m程度の大きさです。
 これでも、昨年の秋に剪定した後です。高さで0.5m程度の剪定を実施しました。普通の脚立では届きません。脚立をはしごにして、この木に被せて、登って切りました。
 怖いので、ロープで幹とはしごを結んで作業したのが、思い出されます。

 シソ目、モクセイ科、モクセイ属の木です。銀木犀とかいろいろあるらしいのですが、当家では、この木が1本?のみ。ここの?の意味は後で説明します。高さは、最大で18m程度まで伸びる木だそうですが。幅が2mちょっとの通路に植えてあります。そこまで大きくなったら困りものとなります。毎年、剪定で少しずつ小振りにしていきたいところです。


 毎年撮りたかったのが、この金木犀の花です。毎年、撮ろうした頃には、茶色に色づいて枯れ始めてました。まだまだ、初々しい花が撮れました。といっても、一つ一つは綺麗な花という訳ではありませんが。


 そして、根本を見ると。不思議な光景だと思います。Wikiに依ると幹は、最大で1m程度になると説明されているのですが。この金木犀は、直径が最大で10cm程度の幹が7本程の束となっていました。
 地下で枝分かれした1本の木なのか。7本の木が群生しているのか。不思議だと思いませんか。

祝詞神社おくんち in佐世保

私が住む佐世保市の大野地区には、祝詞神社が有り、この地域の氏神神社となっています。丁度、長崎には、50あまりの地域くんちが有ると紹介したのですが。その中に含まれていない「祝詞神社おくんち」が開催されています。
 このおくんちは、地域性から「大野まつり」とも呼ばれています。町内会から、大野まつりの協賛募金の依頼がありましたので、募金をしていました。そうしたら、そのお礼におみくじ券が送られてきました。この地に住んで5年間。初めてでしたが、会場に行ってきました。


 祝詞神社おくんちは、10月10日が前夜祭。翌11日が本番でした。まあ、様子見という感じで10日の昼過ぎに向かったのですが、さすがに、まだ準備中でした。
 近くの友人が自分で行けないのでと、おみくじ券を託されました。自宅分の2枚と合わせて、4枚のおみくじ券。13時からおみくじ開始というので、少し早目に来てみました。
 家内が財布を忘れたと、私の財布からお賽銭。私自身は、カトリックなのですが、それとは関係なく、神頼みはあまり好きでも無いので、お参りすることは無いのですが。何となく、家内に続いて参拝。お賽銭に、財布の小銭の11円を追加してお参りしました。

 そうやって、おみくじを家内と二人で引きました。末等がポケットティシュ。その次がボックスティッシュ。家内は、1個づつだったのですが、私は、ボックスティッシュが2個。私の方が当たる確率が高かったという話。11円のご利益か(笑)


 大野地区にはショッピングモールがあります。そこから、祝詞神社に向かうには、松浦鉄道の線路を渡る歩道橋を使う必要があります。何度か歩いたことは有ったのですが、そこから、左石駅を眺めた写真です。今は無い柚木線の分岐が有った駅。いまは、無人駅となっていますが、ご覧の通りに上り下りの2本の線路が有ります。通常は右側の駅舎寄りの線路が使われています。しかし、松浦線は単線ですので、上り下りの電車がすれ違う時は、この駅で待ち合わせして、両方の線路が使われます。


 改めて、よく見ると、過去の遺産が見つかりました。左の奥を拡大した写真です。赤く囲った部分が柚木線に分岐していた分岐点でしょう。丁度、2年前に「旧国鉄柚木線の柚木駅」として紹介していました。廃線となった柚木線は、線路跡地をサイクリングロードとして残しています。線路は無いのですが。この部分のみ、廃棄せずに残っていた様子です。


 改めて、最初の写真を見ると、左側に祝詞神社の解説が出ていました。今年の正月でも紹介した、西暦978年に武辺胤明が大野地区を開拓したのが祝詞神社の始まり。そして、大野地区では、その信仰の証として、毎年この時期に「大野まつり」を催していると解説されていました。つまり、元々は大野まつりという名称。後年、「祝詞神社おくんち」とも呼ばれるようにになったという流れのようです。

長崎くんちと日本三大くんち

ようやく、長崎くんちが終わりました。私が生まれたその日が長崎くんちのお上りさん。だから、私の長い人生の中で、常に長崎くんちは存在しているのですが。本格的に参加したのは、多分、50年くらい前に遡ります。厚木に住んでいる間に、帰省して一夜のみ参加した事はあるのですが。
 佐世保に帰郷して、平戸くんち佐々くんちといろいろな「くんち」が有る事を知りました。まあ、博多くんちくらいは知っていましたが。そこで、私の出生の源である、くんちを少し調べて整理したいと思います。


 私が持つ「くんち」らしい写真から紹介致します。2012年の龍年に合わせて、2011年に帰省した時に撮影した、施設に設置されていた、蛇踊りの人形の写真です。へび年もあり、蛇(へび)の写真とも言えるのですが、蛇踊りは、龍の踊りなので、問題はありません(笑)。


 さて、ここからは、Wikiに記載された内容を私なりに並べた情報となります。
 まず、「日本三大くんち」という呼び方があります。誰が呼び始めたか分からないとも。九州北部の風習といいながら、頭に「日本」と付いているのが面白いと思いませんか。
 日本三大くんちは、「長崎くんち」「唐津くんち」「博多おくんち」だそうです。その他、長崎県で約50、佐賀県で13、福岡県で5のくんちが紹介されていました。

 この調査は、「くんちの発祥」を調べる事が目的でした。日本三大くんちのそれぞれの発祥を並べてみます。
 まず、「長崎くんち」です。1634年に当時の長崎奉行の援助を受けて、諏訪神社の初代宮司である青木賢清が初めて旧暦9月7日・9日を祭日に制定したそうな。当然ながら、お祭りの形は、現在とは大きく異なっていたでしょう。イベントの有無を考えなければ、今年で389回目のくんち。つまり、389年の歴史となります。
 長崎くんちの始まりは、二人の遊女の奉納踊りから始まった様子。数年後には、遊女を中心とした踊町という仕組みが始まり、その奉納踊りを見る桟敷も設置される様になったとか。
 基本は、奉納踊りだったものが、1778年には、鯨引きが始まったそうです。長崎くんちのイベントで割りと有名な「鯨の潮吹き」の始まりですね。それから、約250年、色々なことが紹介されていましが、以下省略致します。

 次に「唐津くんち」です。発祥は、唐津神社の口碑に、1661年から1673年に始まったとされているそうですが。実際に曳山が始まったのは、1819年。本来は、唐津神社の縁起に合わせて、旧暦9月29日を本祭として営まれていたそうな。大正に入って、本祭が新暦10月29日、翌30日に町廻りとされたとか。
 今では、10月9日を初くんちと言って、10月29日の本祭を経て、11月5日まで続く長いお祭りの様子です。そして、後半の11月2日の宵曳山に始まる三日間が曳山が行われるメインイベントとなっている様です。

 日本三大くんちとしては、最後に「博多おくんち」です。他のくんちとは、少し違う発祥で説明されていました。元々は、櫛田神社で毎年11月23日に行われていた新嘗祭が発祥でした。1953年に日程と名称を変更して、「博多おくんち」となったそうです。現在は、10月23日、24日のお祭りとなっている様です。
 発祥について、詳しく調べようとすると、元の新嘗祭の歴史が1200年に及ぶそうです。これを博多おくんちの歴史と説明かする方も多いようです。そういう言い方をすると何が何だか分からなくなると思います。だから、博多おくんちの歴史は、70年で良いと思います。

 おくんちの語源は想像通りなのですが、一番目に出てくるのが「九日」です。誰でもそう考える説ですね。それから「供日」、お供えをする日という意味でしょう。Wikiの最後は、「宮日」だそうです。でも、上記の情報を見ると、分かりますよね。それに、いくつかのその他のくんちを調べても、9日を本祭としているくんちは数少ない

 くんち (ここから長崎くんちの事を単に「くんち」と書きます) は、元々、9日を本祭として始まった。続く、三大くんちの2つは、新嘗祭などの後継で、29日や23日を本祭としている。唐津くんちに至っては、後付で9日を初くんちと定めた。
 つまり、正しく「くんち」と呼べるくんちは、「長崎で始まったくんち」だけ。これが私の結論です。その他のくんちは、長崎で始まったくんちに肖って、くんちという名前を付けていった。
 私が生まれた「お上りさん」の真相でした。

加入者を被告にする自動車保険会社

かなり古い話なのですが、私の車が被害に遭った事故で、相手方保険会社の横暴で、結果的に相手方を裁判の被告席に座らせることになった出来事がありました。
 当時、落ち着いたら、sns投稿と考えていたのですが、何となく手が付きませんでした。しかし、丁度最近、似たように事態に繋がりそうな事が発生してきました。とりあえず、顛末を紹介しておきます。

 時は平成17年、今から18年前の2005年6月30日の朝、家族が私の車に乗って運転していました。会社に居た私に、事故が起きたと連絡がありました。


 この写真が家族が撮った私の車の写真です。コントラストの関係で分かり難いですが、右前輪が衝撃で、時計の針の2時に方向まで曲がっています。この部分が一番の決め手でした。もちろん、いろいろと調べたのですが、左に一杯に寄っている所で、相手の車が突っ込んできたのです。
 それから、現場の測量を始め、位置関係、車のサイズなどを調査、整理しました。


 この図が、私が纏めた衝突の原因を纏めたものです。当時から、運転中のスマホ操作が原因で起きる事故が問題となっていました。スマホだけでなく、タバコに火を点けた音楽を選択していた。相手は、当時28歳の青年。運転が未熟だとは思えませんが、これらが原因とするのは容易いこと。

 最初に、事故当日に事故を担当した伊勢原警察署に向かいました。しかし、酷いものです。状況の説明もせずに、相手の運転は、問題視できないの一点張り。まあ、民事不介入は、知っていますが。状況くらい説明しても良いと思うのですが。
 次に、当時勤務していた東京都の法律無料相談所に行ったのですが、道路中央をはみ出した事故であっても、中央線が無い道路では争点にならない。何だか、被害者とは思っていない様子。
 結果を見ると、これらの対応は、酷いと分かるのですが。現在でも同様ということは、推測するまでもありません。


 それから、2ヶ月あまり。まずは相手方に電話したが、応じないので、内容証明郵便で損害賠償請求書を送り付けました。しかし2回目は、受け取り拒否で戻ってきました。
 社名も変わったので明示しますが、当時の保険会社はアイオイ損保厚木支店。何度も足を運びましたが、門前払いでした。

 そこから、自力で取れる手段を調査。行き着いたのが、原告裁判の訴えでした。厚木家庭裁判所が担当です。訴状を提出したのは、10月14日金曜日。事故から3ヶ月半が経っていました。


 まあ、損害を賠償してくれたので、結論で説明します。裁判官の裁定で、当方の損害額の80%を相手方が負担しなさいという示談が成立しました。修理費が約52万円、その他で57万円が実際に掛かった金額。受け取った金額は、約47万円です。80%の金額は、裁判所の計算によります。相当な労力でしたが、この金額の意味を考えると、満足の結果でした。
 相手方も車は、ほぼ全損に近い。当方が契約の保険会社が協力してくれたので、損害額は約19万円と分かっていました。本来なら、被害者側も10%程度の責任を負うもの。正当な示談が成立していれば、総額約75万円の内、私が15万円を負担する必要が有ったかもしれません。まあ、結果的に10万円は負担しているのですが、さらに負担は増えずに済んだのが事実でした。

 この事故で分かったことがあります。今回の事故は、責任関係がはっきりしていました。しかし、相手方の保険会社は、当方が保険を使う事を期待していた様子。保険会社同士で処理すると、責任に関係なく、折半して対応する様子。
 つまり、双方が保険を使うと、保険会社は両取りという仕組み。両方の保険料増加分を両取りするということです。経過の中で、段々と仕組みが見えてきました。だから、絶対に、保険会社は使わないと心に決めたのです。
 それから18年が経ちました。保険を使ってもし1万円が上がったとしたら、現時点で総額で18万円ほどの保険料を余分に支払っていたでしょう。実際に上がる金額は分かりませんが、それ以上かも。十分に元が取れました。今回も保険は、使わない予定です。

年金機構関連で情報漏洩

 10月7日に年金機構から2通のメールが届いた。
タイトル:『【ねんきんネット】電子版「年金振込通知書」についてのお知らせ

 最新の年金振込通知書が準備できたので、ねんきんネットで確認してくださいというのだが。2通は全く同じ内容なので、誰宛かは分からない。メールアドレスで見極めるしかない。
 しかし、届いたメールアドレスが不思議。通常は、私と家内の年金ネットに登録してあるAとBのアドレスに届くのだが。何故だか、Bと別のアドレスCに届いたのだ。つまり、AとBに届くはずがBとCに届いた。何故だ。

 



 今年の9月14日の記事でも触れたのだが、年金機構は、問い合わせ窓口が異常に貧弱。メールとかホームページでの問い合わせは受け付けていない。電話は有るのだが、有料の番号しかない。年金機構のミスを何で、国民がお金を払って問い合わせないといけないのか、不思議で堪らない。
 それでも異常な事実なので、年金機構のお知らせすべきだと考えた。国民から、年金機構のホームページで情報を伝えるには、「ご意見・ご要望、法令等違反通報」コーナーを使って、一方的に情報を伝えるしかなかった。その内容が、次の画像だ。改めて見ると、増々、怒りが込み上げてくる。



 さて、この原因が分かるのは、翌日の今日だった。朝から、同じ内容がAのアドレスにも届いた。それで原因が分かった。
 Cのアドレスは、マイナンバーカードの手続きの為に、家内のマイナポータルに登録しているメールアドレスだった。9月14日の記事で説明した通り、今年から年金ネットとマイナポータルが連携する様になった。だから、年金機構からの年金ネットの通知が、マイポータルに登録されたメールアドレスにも送信されたのだ。

 セキュリティに詳しくないと、この事実の問題点は分かり難いかもしれない。しかし、この事実は、重大なセキュリティインシデントなのだ。
 少なくても、私は、年金機構がマイナポータルの情報を利用して、情報発信をすることは認めていない。にも拘わらず、年金機構は、マイナポータルの情報を利用して、情報を発信したのだ。これは、情報漏洩の一つ。マイナポータルから年金機構に情報が漏れたということ。

 そういう事を禁じる為に、マイナンバーカードが有効に利用されていないという事を思い出してほしい。

 勿論、年金ネットとマイナポータルを連携する手続きの中で、こういう利用をするという文言は有ったのかもしれない。ネットで検索すると簡単に出てきます。『契約時に「説明義務違反」があったら、契約はどうなる?』など。まあ、勝手にマイナポータルに登録したメールアドレスを使ったからとて、被害は無いので、説明の分かり難さが大きな問題となることは無いのだが。
 本来、私たちが年金で裕福に暮らせたはずなのに。その無能さの為に、先細りの年金で苦労している事を考えると、なおさら腹立たしい。

佐世保 海軍さんの散歩道

佐世保市に史跡・文化遺産が多いことは、以前から紹介しているのですが。佐世保市が企画する「ツアー・体験」で多くのプランが用意されています。


 今回は、「海軍さんの散歩道」というツアーに参加してきました。紹介サイトの正式タイトルは、『【金曜日限定プレミアムツアー】日本遺産を巡る海軍さんの散歩道』となっています。

 その中で、メインとなるのは、「海上自衛隊佐世保地方総監部敷地内の地下壕」です。「旧日本海軍 防空壕内 防空指揮所」と言えば、その意味は分かるかと思います。

 ここは自衛隊施設内です。ツアー以外では入れません。当然の事として、初めて入りました。
 

 まずは、防空指揮所の本部の写真を2枚。


 1枚目は、指揮官が見ている場所からの写真。正面の四角い柱の間に置かれたスクリーンを見ながら指揮を執っていたとか。2枚目は、そこから少し右を向いた方向です。指揮所の周りに個別の仕切り部屋があって、通信班とかが配置されていたそうです。正式名称は、「佐世保鎮守府地下防空指揮所」と説明版に記載されています。
 ご覧の通りに、壁面は黒焦げに見えています。佐世保市の説明文では、「戦後に不審火により内装は喪失」と説明されています。でも、今回のツアーでは、「占領した米軍が焼き払った」とのことです。米軍と共存する佐世保市です。酷い米軍という印象を和らげているような感じですね。当時は、「酷い事をした日本軍にお仕置きした」と言っても良いと思うのですが。

 今回のツアーでは、とても残念なのが、写真を撮っていけない場所が多くて、殆ど、写真が撮れなかったこと。写真がないと、何の説明もできないと、勇気を持って聞いて撮った室内での写真でした。


 この写真の中央部に見えているのが「旧日本海軍 防空壕内 防空指揮所」の入り口です。この施設は、現在の「海上自衛隊佐世保地方総監部」の施設の地下にあります。当然、敷地の真ん中だろうと思っていたのですが。一般道路から見えていました。
 この道路は、「佐世保市国際通り」と呼ばれている道です。西九州自動車道の中央インターから、米軍基地入り口と海上自衛隊佐世保地方総監部の入り口が向き合った交差点に向かう途中です。
 この道路を挟んで、向こう側が海上自衛隊佐世保地方総監部です。後ろ側に自衛隊佐世保病院などの施設があります。


 総監部側には、道路反対側の施設で受付をして、道路の上を渡る橋で総監部側に移動しました。橋の上にあるのが、西九州自動車道です。そして、この歩道橋は、海上自衛隊基地内ということになります。

 今回のツアーの出発点は、「旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館」でした。現在は、佐世保市市民文化ホールと呼ばれています。そこから一旦、佐世保橋に行っての説明。この橋が佐世保市の市街地と、当時は広大な鎮守府の境目。だから、「海軍橋」と呼ばれていたとか。


 そこから、総監部に行く途中にあるのが、「海上自衛隊 佐世保資料館」です。資料館として整備されて、セイルタワーと呼ばれています。しかし、説明では、セイルタワーとの説明はありませんでした。
 代わりに、元々は「佐世保水交社」が有ったそうです。タワーの前面にある2階建てのビルです。当時、海軍省の外郭団体として機能していた水交社。ここの機能は、軍幹部の宿泊などだったとか。
 セイルタワーの全体は、撮ったことが無かったので、今回撮影しました。しかし、佐世保橋もセイルタワーも何度も行っている場所です、詳細の説明は割愛いたしします。

 そして、面白い話。この地域は、第二次世界大戦の終戦前に、佐世保大空襲で焼け野原となった場所です。説明した凱旋記念館と水交社の間に、「教法寺」という大きなお寺が今もあるのですが。この教法寺は、大空襲で壊滅した。しかし、凱旋記念館と水交社は、焼け残ったそうです。
 説明員の話では、米軍が終戦後に活用しようと考えたのではないかとのことでした。確かに、そう考えると納得できます。


 ツアーの最後は、総監部の「くらま食堂」で昼食でした。メニューは、「佐世保鎮守府カレー」です。普通のカツカレーも有るらしいのですが、このカレーは、650円という表示が出ていました。
 丁度、今年の1月に「させボックス99」で「佐世保鎮守府カレー」を頂いたと報告しました。そして、その時に、「昔懐かしいデパートの食堂のカレー」と評しました。まさに、昔ながらのカレーでした。私にとってはお世辞にも、美味しいとはいえませんですが。一般的なカレーといえば、問題はありません。

 真ん中に付いた、コロッケ、ポテトサラダにキャベツの千切りは、まあいいでしょう。ゆで卵も美味しかったです。
 しかし、左側にあるフルーツヨーグルトなのですが。右側には大きなシュークリームです。ダブル・デザートとは驚きでした。私は、美味しいカレーの後は、後味を味わう為に、水も飲みません。まあ、この程度なら良いか。いつもは、多くは食べませんが、甘いものも大好きです。美味しく頂きました。
 佐世保市でシュークリームと言えば、「蜂の屋のシュークリーム」なのですが。残念なことに、シャトレーゼのシュークリームでした。厚木で時々お世話になったシャトレーゼです。美味しかったです。

 当日には、整理できなかったので、翌日にこの記事を書いています。10月7日です。佐世保市では「おくんち」の始まり。7日は、「お下りさん」と呼ばれています。つづく、「お上りさん」は私の誕生日です。関係ないか!

 

 最後に、自衛隊OBの方が案内してくださいました。そして、このツアーは、佐世保観光情報センターの企画です。皆様方のおかげで、楽しめました。有難うございました。

オオイタビ大剪定

当家の庭の周りに、合計で20m程度の擁壁があります。いつ頃整備されたかは分かりませんが、擁壁には、オオイタビという蔓植物が植えてあります。年間に3回の剪定でも足りないという感じなのですが。
 前回は、8月27日に伸びた枝を剪定ばさみで主な部分を剪定していたのですが、またすごく伸びて、いい加減に邪魔でした。今回は、深く剪定し、すっきりしたいと始めました。


 朝から剪定を始めたのですが、まずは、剪定していない部分の写真。写真では分かり難いですが、長いもので擁壁から伸びた枝が、20cmを超えているものも多数という感じです。
 道路側は、西側となるので、日差しが当たらない内にと始めました。


 道路側の様子。午前中に何とか終えました。遠景の写真だと違いは分かり難いかもしれませんが。伸びた枝は無くなりました


 道路側の約10mを剪定した結果です。90Lの大ビニール袋に入りきらずに、とりあえず大バケツに残りを入れました。
 残りの10m程度と後片付けを終えたのは、16時過ぎ。さすがに疲れました。結果、90Lビニール袋に1袋、70Lビニール袋に3袋が溜まりました。実際はもっと多いでしょう。私の体重を使って、ギューギューに詰め込んだ結果です。


 前にも紹介したことはあるのですが、オオイタビの剪定に使用しているバリカン。AC電源なので、延長コードで伸ばしての作業となります。一日で終えたのは、このバリカンのおかげです。ということで何とか、今期の作業を終えました。しかし、まだ、日差しが有ります。冬までに、もう一回必要になるかな?

佐世保の秘密基地

佐世保の山奥に有る秘密基地に行ってきました。名称は、「グランピングひみつきち」です。そう、グランピングができる山奥の秘密基地です。


 特徴は、球形の大きなテント。大きな窓で開放されたテントでの生活は、なんだかワクワクしますね。


 テントの中もご覧の通り。豪華なホテルを思わせるようなインテリアです。まさに、グランピングが楽しめそうですね。


 2ヶ月程前に報告した「佐々町迎木場免の蓮池」の記事を書いている時でした。この山奥の地図を見ていると、「グランピングひみつきち」の文字が出ていました。土砂崩れで通行止めとなっている、妙観寺峠の近くです。妙観寺峠は、路線パスも通る道ですが、もう5年近くの間、通行止めで、バスは途中で引き返してします。
 さらに、その道から対向車と交われないくらい狭い道を通って、500m程入った先にありました。


 テントに周りには、ご覧の通りにバーベキューをする場所とか。左手のドラム缶は、風呂です。ドラム缶風呂が楽しめます。山々に囲まれている点も、雰囲気抜群です。


 山の斜面には、秘密基地らしい山小屋もあったり。左側に見えているのは、サウナです。滑り台も、あちこちに。
 この地には、が放し飼いされていて、歩いて居ると追いかけてきたり。山の斜面の柵の中では、が沢山いて、餌やりも体験できるとか。兎に角、子供心で秘密基地を満喫できる場所としては、間違いありません。


 全体としては、大型で球形のテントが2張り。その他、コテージ風のホテルが8棟ほど。実際は、長屋風に繋がっているのですが。入り口がカーポートで独立していて、コテージと言っても間違いではないでしょう。
 面白いのは、元のバス通りから、狭い山道に入る場所に、当然、案内板は有るものだと思って行ったのですが。施設の入り口まで行かないと、何の案内板も無い施設です。知る人ぞ知る秘密基地ということなのかな。


 「グランピングひみつきち」が有るのは、佐世保市吉井町高峰662です。ホームページも紹介しておきます。