Nothingness of Sealed Fibs -95ページ目

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

注意: ものすごいドライな付き合いを実践するクラブという意味ではありません。


ドライ部: 京都にいる大学時代の後輩が誘ってくれたあつまり。連休とかにレンタカーかりて電車やチャリでは行きづらい関西の名所を探訪するというもの。


京都に来て最初の連休。早速、ドライ部に参加してきました。5/3(土)のお話。ちょうど僕が大学4回生だったときに1回生だったやつら(すでにみんな社会人あるいは大学院生)3人と一緒に行った。

運転はみんなで変わりばんこに。もちよった音楽を聴きながらくだらない喋りをして、運転して、観光もできるという、なかなかオツな集まりなのである。


しかも、後輩たちのなかに日本史専攻がいて、普通にガイドしてくれのでお勉強にもなる。むしろ説明が詳しすぎるので、そこまで説明せんでもいいぞ!と突っ込みたくなるぐらいの楽しい道中でした。


①朝6:00いますんでるところの隣にある下鴨神社で葵祭りの流鏑馬の練習を覗き見


1

①朝8:00に京都駅八条口集合。(って、めっちゃ早いし・・・。)


②そのまま国道24号線で奈良へ!!東大寺や法隆寺などメジャーどころにはまったく行かずに、なぜか大安寺 という昔はすごかったらしいが、いまは小さなお寺を見学(9:00~9:30)。お寺のうらに止めてあった、住職さんの者と思われるかっちょいいバイクに少し落書き。いったい、何をしてるんでしょうかね~。率先してやってた自分に哀れみをこめて「がんばれやーい」といいたいです。


③こんどはもっと南の室生寺 へ出発。結構とおくて、途中2回ほど休憩したこともあり、ついたらもう11:30ぐらいだった。


山門↓女人高野の名前にふさわしい大きすぎず、やさしさを感じさせる。



2

山門をはいった奥にある五重塔。素朴な美しさが漂う。


4


④つぎは、またまたドライブで、赤目四十八滝 へ。これは全部見てると3時間ぐらいかかってしまうという有名な渓谷。マイナスイオン浴びまくりで、テンションあがってコーラを1リットル飲みました。


不動滝です。
6


布曳の滝。ほそくてきれいです。
8


荷担滝(一番有名)
7

結局、荷担滝まで見て、疲れたので引き返しました。そして、伊賀上野市の温泉へ!!


⑤温泉をでたらもう20:00に。翌日休日の当直がある後輩を家まで送って大阪へ。その後輩の家の近くで牛鍋(うしなべ) 食べ放題へ。めっちゃおいしくて、食べ過ぎて、ほとんど動けん、→無理にひねり出した喋りがことごとくつまらないという悪循環に陥ったので、ここでお開き。

大阪在住の後輩を下ろした後、順番に家に送っていって、僕も家まで乗せてもらって、おなか抱えながら帰宅。

あらゆる意味でおなかいっぱいな一日はこうして幕を下ろしたのでした。


たのしかった~でもやれやれ、もうあんまりむちゃできない年になりました・・・。

内田樹著、『村上春樹にご用心』を読んだ。


そのなかで比較文学について書かれている箇所が心に残ったので覚え書き。

内田は「文学だけが、真の意味で翻訳可能な言語である」という。

説明が必要だろう。ロジックはこうだ。

①良質な文学は必ず書かれた時代への批判を含んでいる。

そして、
②良質な文学は、その時代の社会が「現に含んでいる事柄」ではなく、「激しく欠いている事柄」を描くことで、時代を批判しようとする

従って、
③良質な文学の読者には、その時代の社会が「激しく欠いている事柄」について共感できる能力が要請される

ここで、
④ある時代の社会が「現に含んでいる事柄」は、国・地域によって異なる歴史・文化的背景を持っており、その種の背景を含めたままで、ある言葉を元言語から別の言語に翻訳しつくすことはできない。

一方、
⑤良質な文学が対象とする、その時代の社会が「激しく欠いている」事柄には、国・地域によって異なる歴史・文化的背景がない。

従って、
⑥良質な文学は、その時代の社会が「激しく欠いている」事柄を描く限りにおいて、元言語から別の言語に正確に翻訳することが可能性である。

つまり良質な文学は、二つの特徴を持つというわけだ。
■読者に、社会が激しくかけている事柄への共感力を要請する点で限定的。
■真に翻訳が可能であるという点で普遍的。

世界に「在る」事柄の「存在感」ではなくて、世界に「欠けている」事柄の「不在感」を取り扱うのが、内田のいう良質な文学なのだ。限られた読者に向けられて発せられた言葉が、言語という壁を軽々と越えるという逆説。

なるほど。

あまりぱっとしないお天気の日に
僕はよく散歩をする
直射日光がさえぎられて
実は動きやすいから



太陽と僕の間に
ふわふわした雲があるから
太陽光線がやわらぐ



だからこそ
僕もふわふわとしていたい
たいせつな人を傷つけようとする
あらゆる悪意をやわらげていたい
たいせつな人がステキな散歩を楽しめるように

この4月から大学院生になりました。

というわけで、久々に(3年ぶり)にまた京都に引っ越してきました!!


う~ん。やっぱ京都はいいな~。自転車で走ると懐かしい空気がとても心地よいです。


今回は、滋賀の祖父母に口出されないように内密に部屋を探したので、自分の気にいった物件を見つけることができました。部屋もすき放題できるので、完全に僕の城と化しています。場所は世界遺産下鴨神社のすぐ横をとおる下鴨本通り沿いです。日当たりもよく、これは本がたくさん読める!!


久々の学生生活は、自分自身の頭との対決なので、正直仕事をしていたときのほうがよっぽど楽に感じます。

とくに、分野が宗教哲学じゃ、ほんとうに引きこもり学問だから・・・。

けれど、このつたない頭で、いろいろ考えている間になんかいいアイデアが浮かんだときの喜びが忘れられず、こりずに文字とにらめっこする毎日です。


引越しはレンタカーで。

4/13の昼過ぎに神奈川をでて、途中、東名高速道路をネムタ眼でなんとかのりきり、途中サービスエリアで休んだりして、京都に着いたのは4/14の早朝2:30ごろ。荷物を部屋に運び終わったのはもう4:00過ぎでした・・・。

疲れた・・・。すべては仕事が片付けられなかった僕のせいなんですが・・・。


大学院は授業もツメツメではないので、自分の読みたい本を本当に自由に読むことができます。

また、院生の人にも、定年退職した方がいらしたり、ヘブライ・ギリシア語に堪能な方がいらしたりと、たくさんの刺激をもらっています。


新しい街で新しい目標に向かってがんばっていこうと思います。

映画『虹色★ロケット』を見た。


千葉県の当時高校3年生のスタッフが、学校の生活指導部から「命」をテーマにした映画(道徳の授業で使うため)製作を依頼されて出来上がった作品。


ものすごく荒削りなのは当然として、そのすごく率直な内容が、いろいろなことを考えさせてくれる。

若い人はこんな風に感じているのかもしれないということをしるだけでも、結構参考になる。


そんな台詞の中の一つ。「生きる覚悟はできたか?」


「死ぬ覚悟」ならともかく、「生きる覚悟」なんて耳慣れない。でも、なんだかぐさっとくる台詞だ。

『虹色★ロケット』の中で、この台詞は、「自分が幸せに生きることが他人の苦しみと引き換えに成立している」と強く思い、その結果として自殺を考える生徒に向かって、その友人から発せられる。


「生きる覚悟」とは、いったいどういう「覚悟」なのだろうか。

もし、自分が生きることが、だれも傷つけることなく、だれの犠牲との引き換えでもない形で実現できるとしたら、そもそも「覚悟」なんていらないだろう。単に、そういう形での自分の生の実現を目指してがんばればいい話である。


だから、この映画でいわれている「生きる覚悟」とは、「生きることが必然的に他者を傷つけざるを得ないならば、他者を傷つけながらも生きることを選び、その選んだ結果をきちんと受けとめる覚悟」と言い換えられる。

この覚悟は重たい。ものすごく重たい。そして、すごく難しい。

特に、自分でいった言葉だが、「きちんと受けとめる」って一体なんだ??という感じである。

受けとめるということが具体的にどういうことかは、正直僕もよくわからない。難しい。


しかし、である。

そもそも、生きるということに、こんな覚悟は本当に必要であるのだろうか??

生きることはそんなに窮屈なのだろうか??もっと愛や慶びに満ち溢れていてもいいのではないか??

そう、僕の率直な思いがつぶやく。


結局うまく言葉にできていないままだけど、「生きる覚悟」と「慶びに満ちた世界」という感覚が両立するとすれば、いつかここにも書いた加藤典洋の『イエローページ』にでてくる「高山での生き方」、これがキーになるのではないかと思う。


あー、ほんとにうまく説明できてないなぁ。反省。