『虹色★ロケット』~生きることに覚悟は必要か~ | Nothingness of Sealed Fibs

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映画『虹色★ロケット』を見た。


千葉県の当時高校3年生のスタッフが、学校の生活指導部から「命」をテーマにした映画(道徳の授業で使うため)製作を依頼されて出来上がった作品。


ものすごく荒削りなのは当然として、そのすごく率直な内容が、いろいろなことを考えさせてくれる。

若い人はこんな風に感じているのかもしれないということをしるだけでも、結構参考になる。


そんな台詞の中の一つ。「生きる覚悟はできたか?」


「死ぬ覚悟」ならともかく、「生きる覚悟」なんて耳慣れない。でも、なんだかぐさっとくる台詞だ。

『虹色★ロケット』の中で、この台詞は、「自分が幸せに生きることが他人の苦しみと引き換えに成立している」と強く思い、その結果として自殺を考える生徒に向かって、その友人から発せられる。


「生きる覚悟」とは、いったいどういう「覚悟」なのだろうか。

もし、自分が生きることが、だれも傷つけることなく、だれの犠牲との引き換えでもない形で実現できるとしたら、そもそも「覚悟」なんていらないだろう。単に、そういう形での自分の生の実現を目指してがんばればいい話である。


だから、この映画でいわれている「生きる覚悟」とは、「生きることが必然的に他者を傷つけざるを得ないならば、他者を傷つけながらも生きることを選び、その選んだ結果をきちんと受けとめる覚悟」と言い換えられる。

この覚悟は重たい。ものすごく重たい。そして、すごく難しい。

特に、自分でいった言葉だが、「きちんと受けとめる」って一体なんだ??という感じである。

受けとめるということが具体的にどういうことかは、正直僕もよくわからない。難しい。


しかし、である。

そもそも、生きるということに、こんな覚悟は本当に必要であるのだろうか??

生きることはそんなに窮屈なのだろうか??もっと愛や慶びに満ち溢れていてもいいのではないか??

そう、僕の率直な思いがつぶやく。


結局うまく言葉にできていないままだけど、「生きる覚悟」と「慶びに満ちた世界」という感覚が両立するとすれば、いつかここにも書いた加藤典洋の『イエローページ』にでてくる「高山での生き方」、これがキーになるのではないかと思う。


あー、ほんとにうまく説明できてないなぁ。反省。