学問は真理の探求を目指しているのだから、真理って今は分かってないけど、いつの日か解明される真実、つまり、思考が到達すべきゴールではないか。
まずはそう思える。
その一方で、そもそも思考は真理に基づいて進められないといけないという側面もある。
その意味では真理って思考のスタート地点だ、ともいえる気がする。
ゴールなのか、それともスタートなのか?
そこまで考えてたら、ふと、思考のゴールでかつスタートである真理の可能性に思い立った。
たとえば、「思考のスタートとしての真理」の意味を問う思考があり得るなら、その思考のゴールには「意味の深まった真理」があるのではないだろうか?
うむ。
ならば、おそらく哲学とは、新しい真理をみつけるというような生産的な運営ではなく、スタートとしての真理の意味を深めていく、ただそれだけの営みなのではないか。
その時、哲学はまるで、人生のスタートラインを、必死になって後ろに後ろにとさげて書き直していこうとする姿勢と言えないだろうか。
スタート地点の前ではなく後ろにゴールがある、あるいは後ろむきであることがそのまま前向きである、そんなところに哲学は成り立つ。
そのときの真理の在り方は、なんとなくアンビバレントな気がするがよく分からない。
というわけでまた次回に持ち越し。