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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

鹿児島最終日。

あさから、おじさんの船で釣りにいき、やや大漁。

そのまま花戸神社と、念仏洞というところに行く。


念仏洞とは、薩摩藩が禁じていた浄土真宗の信徒たちが隠れて信仰を

守っていた洞窟。

畳8条ほどの小さな部屋だが、「信仰」の強さがひしひしと感じられる。


結局、宗教はある種の「強さ」を生むから、絶えることがないように思う。

でも、「強さ」をうむような種類の信仰に僕はあまりしっくりこないのも事実。

このへんはもう少し考えないといけない。


石橋記念公園、東郷平八郎銅像、西郷さんの自決場所、城山洞窟などを

見学して、鹿児島プログラム終了。


午後13:56発の日薩線で北へと向かう。延岡で一時間ほど乗り継ぎの

待ち合わせをし、大分に入ったところで夜の21:30すぎ。

別府まで行きたいところだが、次回の楽しみに残しておくことにして、

とりあえず、大分駅からちかいカプセルホテルに宿泊。

大風呂で汗をながしてから、旅の記録をノートにつけた。


翌日、朝6時30分発の電車で、いよいよ京都に向かって出発。

途中、下関でお土産を買ったりしたけれど、ほとんど途中とまることなく、

ひたすら鈍行電車の旅。京都には夜の21時過ぎに到着した。


ながいながい旅だった。お世話になった方々にお礼の電話をいれて一段落。


結局、もっていた4冊の本は、どれも100頁ぐらいづつ読んだだけで終了。

まぁ、そんなもんである。


帰ってきて翌日は、姉にすすめられた四季のミュージカル「ウィキッド」を相方さんと

鑑賞。いままでのミュージカルでは見たことのない力強さで、久々にゾクゾクした。


さらに翌日は、相方さんと奈良に出動。

近鉄電車にゆられて、まずは興福寺へ。
Nothingness of Sealed Fibs-興福寺
興福寺の五重塔は、すこしエラそうである。興福寺の権力をしのばせる。

そこがまたいいのかもしれないが、ズシンとしすぎていて、ピンとした細さがない。

ちょいと大味な塔である。


有名な阿修羅像はさすがの像。もっとながくみていたかったが、人ごみに押されて

あっけなく退場。相方さんと僕、暑さにやられてへばる。


お次は、東大寺に行った。中学の修学旅行以来だが、あまりにも境内が広すぎて、

まわるには体力がいる。二月堂は、記憶してた姿よりも小さく感じた。

三月堂は拝観料にビビって入らず。相方さんとふたりでへこたれました。


奈良のお寺には権力を感じる。京都の寺院に東大寺ほどの規模を持つところはない。

しいていえば、比叡山クラスであろうか。それほど東大寺はでかかった。鹿もいた。


すっかり歩き疲れたので、吉野葛でつくったデザートをいただき、やや生き返る。

足をゆっくりやすませてから、近鉄電車で帰還。

ものすごくいろんな所に行った一週間だった。

奄美への旅最終章。


9/8早朝、妹と二人で鹿児島新港についた。さっそくおじさんが迎えに来てくれて、

叔父さんの家で、豪勢な朝食。ごちそうさまです。


車がないとなかなかいけない知覧の特攻隊記念館に行きたいとおじさんにリクエスト。

すこし雨がちらつく中、特攻隊記念館に到着。


特攻隊のひとりひとりの方々にドラマがあるということは、あるていど予想できていた

ことなので、たくさんの遺書を目の前にしてもとくにショックは受けなかった。


特攻隊はたくさんの人の努力で資料が収集されて、記念館までたっている。

たしかに特攻隊は悲劇である。しかし戦争の悲劇はなにも特攻隊だけではない。

南方戦線では、ドラマも語り継がれないままにたくさんの兵隊さんが亡くなっている。

特攻隊だけが悲劇ではない、という思いが僕にはある。


むろん、遺族の方々はなくなった特攻隊の方々に特別な思い入れがあるだろう。

しかし、赤の他人である僕が、一人ひとり亡くなった特攻隊の方々に思い入れを

いだくのは、いささか不自然な気がする。


普通の人は、なくなったとき、親戚・友人によって見送られる。

僕は、それが普通であるし、特攻隊の方々も、親戚・友人、関わった方々が見送れば

それはそれでいいのだと思う。全く面識のない僕が、特攻隊の方々を悼むというのは、

なにか変だ。あえてしなければならないことのようには思えなかった。


むしろ個人的に面白かったのは、戦時中の雑誌や新聞記事の戦意高揚を謳う名調子ぶりである。

「写真も戦力!」「一億の力を結集して、つくるぞ立派な戦闘機」など、なかなかのリズム感である。


「声にだして読みたい日本語」なる番組が数年前にはやったけれど、内容はともかく、

戦時中の文章も、なかなか声に出すに値する名文である。

世界大戦というスケールも悲惨度も壮大な戦争は、結局マスメディアなくしては成り立たなかった。

そんなふうに感じられた。


たかが視覚情報、たかが聴覚情報。されど、それは人間を動かす力をもつ。

人間が光と音の知覚を止めることはできない。自分で目と耳をつぶさない限り。

こうした人間の特性は、本能的にマスメディアとの親和性が高いようである。


たくさんの修学旅行生が記念館に来ていた。

「特攻隊のような悲劇を繰り返さないためにも、戦争はしてはならない」という風にだけは、

修学旅行生にはこの記念館を片づけてほしくない。もっとたくさん考えてほしい。


戦争は、人が殺されるという悲劇をたくさん生むがゆえに、否定されるべきなのだろうか?

人が実際に殺されるということよりも、「だれかを殺したいという思いを自分が抱いてしまう」ことの

ほうが、だいぶ悲劇ではないだろうか?


まぁいろいろ考えて、知覧を後にした。鹿児島空港で氷白くまを食べて満足。妹を見送った後、

今度は霧島神宮に向かった。


かなりたかい山の中に霧島神宮はある。参道はかなりの迫力と言わねばならない。
Nothingness of Sealed Fibs-霧島神宮

せっかく車があるので、高千穂河原に足を延ばす。ここは元霧島神宮があったところ。

霧島山の噴火で神宮は今の場所に移った。霧島山のてっぺんには天孫降臨のしるしと

いわれる「天の逆鉾」がささっている。今度来たら、山も登りたい。途中に鹿の親子もいた。

Nothingness of Sealed Fibs-高千穂河原

なにやら、『古事記』や『日本書紀』を読んでみたい気分になる。

太平洋戦争とは無縁な時代の神道は興味深い気がする。京都に帰ったら読んでみよう。


帰りは、岩戸温泉によって、汗を流してからおじさんちで焼肉。お腹がはちきれそうになって

眠った。ほんとうにごちそうさまです。


今日、前期最後のレポートを事務室に出してきた。

いつもどおりギリギリである。やれやれ。

やれやれ。

やれやれ。

ちょうど今、河原町からでた阪急電車の中にいる。

週末だからだろうか。

顔が赤らんでる人が多い。

そのせいだろうか。

今日はいろんな人が、いろんな話をしていて、にぎやかに感じる。

もしかすると、日本は元気なのかもしれない。

そんな風に感じる。

だとすればよろこばしい。

みなさん、よい週末を!!

フェリーで一泊し、9/4の朝5時に奄美についた。

名瀬の港に祖母が迎えに来てくれていて、奄美での4日間がスタート。


一日目は、ちかくの大浜海岸で妹と二人で水泳。きれいなエメラルドグリーンの海は健在。

もう10年以上泳いでいなかったが、ふつうに泳げた。バタフライを練習してみるも、習得ならず。

二時間泳いで、予定通りへばり、おまけにめちゃくちゃ日焼けた。


小学生の時に父に連れられてきたときの大浜海岸は、サンゴだらけで泳ぎづらいほどだったが、

今回は、ほとんどサンゴがなくなっていて、驚いた。高水温が原因らしい。


午後は、龍郷町の西郷さんの流謫地跡を見学に行った。

西郷さんの奥さん、愛加那の子孫にあたる龍家の方々が西郷さんの家を保存してらっしゃる。

閉館間際なのに、あたたかく迎えてくれた龍家のみなさんに感謝。

西郷さんが、奄美の地でも休むことなく学問し続けていたと聞いて、心が熱くなった。


二日目は、初めてのダイビングに挑戦。体験コースに妹と申しこんだ。

午前は倉崎の浅い海岸で練習かねて一本。午後は船で沖まででて20mくらいまでもぐった。

海の中にはたくさんのきれいな魚たちがいて、ふむふむ。

でも、20mぐらいもぐると、かなり耳がいたくなって、しょっちゅう耳ぬきしなければならず、

わりと大変である。でも、初めてのダイビングにしてはなかなか順調に潜れた。


船にもどったのだが、すっかり船酔いになってしまい、陸に上がってダウン。

そのまま午後は眠ってしまった。いと情けなし・・・。

夕食後に、おばあちゃんの話をいろいろと聞く。壮絶であった。


三日目は、午前中に神がかりの能力をもつ神社の宮司さんのところにみんなでお参り。

いろいろと将来のことを見てもらった。内容は・・・かなりあたっていた。

「神や仏よりも、自然のほうがランクが上です」という宮司さんの言葉が印象深かった。


午後は、田中一村美術館と遠い親せきのおじさんがされているカフェを訪問。

田中一村さんの絵は、普通の日本画とはちがい、ヒロ・ヤマガタのような質感をもった独特の

タッチが印象的である。奄美に来てからの絵が非常に気に入った。

相方さんへのお土産にいくつか絵葉書を購入した。夕食後はおばあちゃんの話を聞いた。


四日目は最終日。近くの高千穂神社をお参り。続いて大島紬会館を見に行って、最後は、

名瀬にある戦没者慰霊塔を参拝。


Nothingness of Sealed Fibs-慰霊塔

戦争はよくないことだ。戦争などないほうがよいに決まっている。

しかし、太平洋戦争はもう起こってしまったことである。この事実を消すことはできない。

だから、たとえ、太平洋戦争が間違いだったとしても、

生き残った人が戦没者を悼む気持ちまでを否定するのも変だろうと思う。


祖母は、東京にいくと必ず靖国神社に参拝する。それは、国をどうこうというのではなく、

戦争を肯定することでもなく、単に戦没者を悼んでいるだけのことだ。

僕はそれはそれで大切なことだと思う。


大事なのは、今後、戦争をなるべくしないようにすべきことであって、

過去の戦争を肯定するか否定するかを議論しあい、明確な答えを出すことではない。

過去の歴史を学ぶのは、過去を断罪するためではなくて、未来に備えるためであるべきだ。

その点を、われわれは頭の隅においておいてよい。


おばあちゃんの家にもどってから、昔の写真をみせてもらった。

祖母や父の昔の姿には、厳しい時代の刻印がうかがわれた。


夜8時、名瀬から出発するフェリーで鹿児島に向かった。

最後まで見送ってくれたおばあちゃん、どうもありがとう。お世話になりました。


Nothingness of Sealed Fibs-人形
最後に、戦争時代を生き抜いたひいおばあちゃんが晩年に作っていたお人形の写真を。

短歌も作れば、着物も自分で仕立てるひいおばあちゃんだった。

ほとんどしゃべった記憶がないが、ちゃんと話を聞ければよかったなと、今頃思う次第。

この夏休みは、どうしても奄美の祖母のところへ行きたいと思っていた。

小学生のころに一度、父に連れられて奄美に行って以来、もう15年以上

行っていない。


ちょうど妹も休みが取れたということで、鹿児島で合流することにし、僕の方は

青春18切符で京都から出かけることにした。しかし、鈍行では一日で鹿児島に

到着できない。今回は前々からおもっていた熊本城見学のために、熊本で

一泊することにした。


9/2、京都駅を朝6時9分に出発した。ね、ねむい…。岡山から糸崎は座れず。

14時ころに岩国に到着。関門海峡は17時ごろ通過。結局熊本には21時についた。


市電で辛島町にむかい、ちかくのカプセルホテルにチェックイン。そこから

繁華街を歩いてみつけたにぼしラーメンを食して、あっさりめな食感に満足。

帰りによったコンビニで、カルビーのポテトチップス「九州しょうゆ」味が

あることに気づいて早速購入。金麦も一緒に買って、お行儀のわるい歩き飲みである。


個人的には「関西だししょうゆ」のほうが総合的に好きだが、「九州しょうゆ」の方が

ちゃんと「しょうゆ」の味になっているという意味では、味わい深い一品であると判断。

相方さんに電話してから、ホテルにもどって睡眠。久々の旅は楽しい。


9/3、朝8:00にチェックアウト。荷物をもって熊本城まで歩いた。

ちょうど出勤の時間帯。社会人の皆さまの群れの中に入りながら、なんだか申し訳ない

気分になる。とはいえ、それほど気にせず、堂々たる城郭の門をくぐった。


いきなり出迎える高石垣。すでに威容である。これは、西郷さんも途方に暮れたに違いない。

往時は、外観三層の櫓が林立していたという。お城というよりも、要塞である。

入城してすぐ、重要文化財の宇土櫓に上った。普通のお城なら余裕で天守閣扱いとなるべき

外観三層、内部五階の櫓である。直線的な破風が男くさい機能美を生んでいる気がする。
Nothingness of Sealed Fibs-宇土櫓
荷物をかついだまま、宇土櫓最上階までのぼると、さすがにつかれた。


お次はいよいよ天守閣と小天守へ。どちらも外観を忠実なまま復元されたコンクリート造りである。

内部には加藤家や西南戦争などに関連した展示がされている。さすがの熊本城。築城以来、

一度も落城したことがない。そりゃそうだ。攻める方がやる気なくすぜ、こりゃ。
Nothingness of Sealed Fibs-熊本城天守閣
城内を二時間ほどうろついて、退城。すっかり、圧倒された。


午後は、鹿児島に住む叔父さんにあうため、なんとリッチに九州新幹線に乗車。

本当は肥薩線にのりたかったのだが、接続が悪く、昼までに鹿児島に着けない。


滞在時間は非常に短かったから、なんとも適当な感想になるが、熊本と鹿児島を比べると、

熊本は穏やかで正統派な町、鹿児島はごった煮的な気合のある町という感じがする。


熊本は、加藤家が二代で改易になってから、名家である細川氏が長らく支配していた。

また、明治維新後は中央政府の鎮台が置かれた。おそらくそのほかにもいろんな理由が

あるのかもしれないが、町を歩いていて「文化のうねり」というものがあまり感じられないなと思った。

むしろ、熊本の底流には、京都的、正統派文化があると感じられた。


別の言い方をすると、「アンチ中央」という気合みたいな革新的な要素が熊本には少ない。

唯一、熊本城の異様さだけが突出して気をはいているが、それもそのはず。

もともと熊本城は加藤清正という外様大名が作った要塞なのだ。


熊本城があったがために、熊本は政府としても必ず守っておかなければならない地点となり、

その結果として、「アンチ中央」色が薄れてしまったのかもしれない。その意味では、

エネルギーほとばしる熊本城の異様さが、熊本の町を穏やかにしたと言えるかもしれない。


鹿児島に到着すると、桜島が灰を空に打ち上げていた。

妹と合流後、おじさんに案内してもらって市場で刺身定食をいただいた後、仙巌園から桜島を望む。

Nothingness of Sealed Fibs-桜島

大地は雄大である。


鹿児島の鶴丸城は城郭としては小さいが、そのかわり桜島がある。

熊本城は、城郭としては破格の大きさ、険要さ、威容を誇る。

そう考えると、熊本の人工性と鹿児島の自然性という対比も思い浮かぶ。

桜島に対抗する熊本城という図式は、地球に対抗する人間という関係と重なる。

なかなか面白い。


ひとしきり鹿児島市内をおじさんが案内してくれて、気がつけばもう五時過ぎ。

妹と二人で、18:30鹿児島新港発のフェリーに乗り、いざ奄美大島へと向かった。