たび -9/8 知覧特攻隊記念館、霧島- | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

奄美への旅最終章。


9/8早朝、妹と二人で鹿児島新港についた。さっそくおじさんが迎えに来てくれて、

叔父さんの家で、豪勢な朝食。ごちそうさまです。


車がないとなかなかいけない知覧の特攻隊記念館に行きたいとおじさんにリクエスト。

すこし雨がちらつく中、特攻隊記念館に到着。


特攻隊のひとりひとりの方々にドラマがあるということは、あるていど予想できていた

ことなので、たくさんの遺書を目の前にしてもとくにショックは受けなかった。


特攻隊はたくさんの人の努力で資料が収集されて、記念館までたっている。

たしかに特攻隊は悲劇である。しかし戦争の悲劇はなにも特攻隊だけではない。

南方戦線では、ドラマも語り継がれないままにたくさんの兵隊さんが亡くなっている。

特攻隊だけが悲劇ではない、という思いが僕にはある。


むろん、遺族の方々はなくなった特攻隊の方々に特別な思い入れがあるだろう。

しかし、赤の他人である僕が、一人ひとり亡くなった特攻隊の方々に思い入れを

いだくのは、いささか不自然な気がする。


普通の人は、なくなったとき、親戚・友人によって見送られる。

僕は、それが普通であるし、特攻隊の方々も、親戚・友人、関わった方々が見送れば

それはそれでいいのだと思う。全く面識のない僕が、特攻隊の方々を悼むというのは、

なにか変だ。あえてしなければならないことのようには思えなかった。


むしろ個人的に面白かったのは、戦時中の雑誌や新聞記事の戦意高揚を謳う名調子ぶりである。

「写真も戦力!」「一億の力を結集して、つくるぞ立派な戦闘機」など、なかなかのリズム感である。


「声にだして読みたい日本語」なる番組が数年前にはやったけれど、内容はともかく、

戦時中の文章も、なかなか声に出すに値する名文である。

世界大戦というスケールも悲惨度も壮大な戦争は、結局マスメディアなくしては成り立たなかった。

そんなふうに感じられた。


たかが視覚情報、たかが聴覚情報。されど、それは人間を動かす力をもつ。

人間が光と音の知覚を止めることはできない。自分で目と耳をつぶさない限り。

こうした人間の特性は、本能的にマスメディアとの親和性が高いようである。


たくさんの修学旅行生が記念館に来ていた。

「特攻隊のような悲劇を繰り返さないためにも、戦争はしてはならない」という風にだけは、

修学旅行生にはこの記念館を片づけてほしくない。もっとたくさん考えてほしい。


戦争は、人が殺されるという悲劇をたくさん生むがゆえに、否定されるべきなのだろうか?

人が実際に殺されるということよりも、「だれかを殺したいという思いを自分が抱いてしまう」ことの

ほうが、だいぶ悲劇ではないだろうか?


まぁいろいろ考えて、知覧を後にした。鹿児島空港で氷白くまを食べて満足。妹を見送った後、

今度は霧島神宮に向かった。


かなりたかい山の中に霧島神宮はある。参道はかなりの迫力と言わねばならない。
Nothingness of Sealed Fibs-霧島神宮

せっかく車があるので、高千穂河原に足を延ばす。ここは元霧島神宮があったところ。

霧島山の噴火で神宮は今の場所に移った。霧島山のてっぺんには天孫降臨のしるしと

いわれる「天の逆鉾」がささっている。今度来たら、山も登りたい。途中に鹿の親子もいた。

Nothingness of Sealed Fibs-高千穂河原

なにやら、『古事記』や『日本書紀』を読んでみたい気分になる。

太平洋戦争とは無縁な時代の神道は興味深い気がする。京都に帰ったら読んでみよう。


帰りは、岩戸温泉によって、汗を流してからおじさんちで焼肉。お腹がはちきれそうになって

眠った。ほんとうにごちそうさまです。