この夏休みは、どうしても奄美の祖母のところへ行きたいと思っていた。
小学生のころに一度、父に連れられて奄美に行って以来、もう15年以上
行っていない。
ちょうど妹も休みが取れたということで、鹿児島で合流することにし、僕の方は
青春18切符で京都から出かけることにした。しかし、鈍行では一日で鹿児島に
到着できない。今回は前々からおもっていた熊本城見学のために、熊本で
一泊することにした。
9/2、京都駅を朝6時9分に出発した。ね、ねむい…。岡山から糸崎は座れず。
14時ころに岩国に到着。関門海峡は17時ごろ通過。結局熊本には21時についた。
市電で辛島町にむかい、ちかくのカプセルホテルにチェックイン。そこから
繁華街を歩いてみつけたにぼしラーメンを食して、あっさりめな食感に満足。
帰りによったコンビニで、カルビーのポテトチップス「九州しょうゆ」味が
あることに気づいて早速購入。金麦も一緒に買って、お行儀のわるい歩き飲みである。
個人的には「関西だししょうゆ」のほうが総合的に好きだが、「九州しょうゆ」の方が
ちゃんと「しょうゆ」の味になっているという意味では、味わい深い一品であると判断。
相方さんに電話してから、ホテルにもどって睡眠。久々の旅は楽しい。
9/3、朝8:00にチェックアウト。荷物をもって熊本城まで歩いた。
ちょうど出勤の時間帯。社会人の皆さまの群れの中に入りながら、なんだか申し訳ない
気分になる。とはいえ、それほど気にせず、堂々たる城郭の門をくぐった。
いきなり出迎える高石垣。すでに威容である。これは、西郷さんも途方に暮れたに違いない。
往時は、外観三層の櫓が林立していたという。お城というよりも、要塞である。
入城してすぐ、重要文化財の宇土櫓に上った。普通のお城なら余裕で天守閣扱いとなるべき
外観三層、内部五階の櫓である。直線的な破風が男くさい機能美を生んでいる気がする。
荷物をかついだまま、宇土櫓最上階までのぼると、さすがにつかれた。
お次はいよいよ天守閣と小天守へ。どちらも外観を忠実なまま復元されたコンクリート造りである。
内部には加藤家や西南戦争などに関連した展示がされている。さすがの熊本城。築城以来、
一度も落城したことがない。そりゃそうだ。攻める方がやる気なくすぜ、こりゃ。
城内を二時間ほどうろついて、退城。すっかり、圧倒された。
午後は、鹿児島に住む叔父さんにあうため、なんとリッチに九州新幹線に乗車。
本当は肥薩線にのりたかったのだが、接続が悪く、昼までに鹿児島に着けない。
滞在時間は非常に短かったから、なんとも適当な感想になるが、熊本と鹿児島を比べると、
熊本は穏やかで正統派な町、鹿児島はごった煮的な気合のある町という感じがする。
熊本は、加藤家が二代で改易になってから、名家である細川氏が長らく支配していた。
また、明治維新後は中央政府の鎮台が置かれた。おそらくそのほかにもいろんな理由が
あるのかもしれないが、町を歩いていて「文化のうねり」というものがあまり感じられないなと思った。
むしろ、熊本の底流には、京都的、正統派文化があると感じられた。
別の言い方をすると、「アンチ中央」という気合みたいな革新的な要素が熊本には少ない。
唯一、熊本城の異様さだけが突出して気をはいているが、それもそのはず。
もともと熊本城は加藤清正という外様大名が作った要塞なのだ。
熊本城があったがために、熊本は政府としても必ず守っておかなければならない地点となり、
その結果として、「アンチ中央」色が薄れてしまったのかもしれない。その意味では、
エネルギーほとばしる熊本城の異様さが、熊本の町を穏やかにしたと言えるかもしれない。
鹿児島に到着すると、桜島が灰を空に打ち上げていた。
妹と合流後、おじさんに案内してもらって市場で刺身定食をいただいた後、仙巌園から桜島を望む。
大地は雄大である。
鹿児島の鶴丸城は城郭としては小さいが、そのかわり桜島がある。
熊本城は、城郭としては破格の大きさ、険要さ、威容を誇る。
そう考えると、熊本の人工性と鹿児島の自然性という対比も思い浮かぶ。
桜島に対抗する熊本城という図式は、地球に対抗する人間という関係と重なる。
なかなか面白い。
ひとしきり鹿児島市内をおじさんが案内してくれて、気がつけばもう五時過ぎ。
妹と二人で、18:30鹿児島新港発のフェリーに乗り、いざ奄美大島へと向かった。
