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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

8月末のことになるが、姉が京都に遊びに来ていた。

僕の行ったことのないところに行こうということで、善峰寺と石清水八幡宮をチョイス。


朝9:00ごろに姉と京都駅で合流し、そのままJRにのって向日町駅に向かった。

向日町駅から善峰寺までは、バスに乗って30分ぐらいかかる。


ところが、今はシーズンオフなので、バスは一日数本。向日町駅についてみると、

次のバスまでは3時間待ちだった。


引き返すのも悔しいので、泣く泣くタクシーに乗車。善峰寺までは1800円くらいとやや高額。

でもタクシーの運転手さんがいろいろ善峰寺の豆知識を教えてくれたので、事前勉強ゼロの

姉弟の一行にとっては非常に良かった。


善峰寺は山の中腹にあるので、かなり急な山道をタクシーは進んだ。

到着してみると、ほとんど参拝客はゼロ。しずかな山中の伽藍が僕らを迎えてくれた。

参道は木々に覆われてすずしいが、伽藍の中は、強い日差しがさし、身体にはキツイ。


山門を入ってすこし登ったところに、「遊龍の松」というものすごく横にのびた松があった。

全長50メートル。日本最長とのことである。松の幹は龍のウロコのようにも見える。

なかなかどうしてすばらしいネーミングである。お見事。

Nothingness of Sealed Fibs-善峰寺3


下の写真は、北門から幸福地蔵のある祠を見下ろした一枚。善峰寺の伽藍は相当広い。

Nothingness of Sealed Fibs-善峰寺2


下の写真は阿弥陀堂から下る石段を撮った一枚。生垣と水路、石段のバランスが美しい。
Nothingness of Sealed Fibs-善峰寺

善峰寺は一時間ほどで観終わったが、下山するバスがくるのは一時間半後。

時間つぶしにということで、隣の三寺にいったり、バスの待合室でだべったり

しながら、バスをまった。バスで阪急の西向日駅につく。阪急電車で河原町へ。

お昼は「おめん」にて冷たいおうどんを食す。暑さに弱った体にはうれしいお味。


お次は、京阪電車の祇園四条駅から八幡市駅へ。そこから男山ケーブルで

石清水八幡宮に向かう。ケーブルではほんの5分ほどで着いてしまうが、

本当は自分の足で登りたいところ。


八幡宮の本殿は向かって右が修復済みなのかかなりきれいなのに、

向かって左は朱色が薄れてきていて、へんてこりんんな印象。
Nothingness of Sealed Fibs-石清水


神社は非常にしっかりした形式をもっているので、どの神社も建物は大体一緒である。

だから、神社を見るときには、神社建築自体よりも、神社の建っている場所、参道の

様子に注目するほうが面白い気がする。


石清水八幡宮は、まさに山の上に位置しているから、山の神の社でもあるが、山腹の

湧水があるから水の神の社でもあったのだろう。

自然を愛する古代日本の人々の思いが社殿の建つ山頂に残っているような気がした。

しかし、男山自体はそれほど高くないので、別世界度はそれほど高くない。

庶民にとっても、参拝しやすい、親しみのもてる神社だったのではないかと思われた。


神道は比較的アニミズムの要素を多く残した独特の宗教である。この夏、僕は

アニミズムに対する考え方が結構変わったのだが、それはまた別の機会に。


ケーブルカーで下山すると、すごい夕立が来た。雨を避けながら八幡市駅に戻り、

丹波橋駅から近鉄に乗り換え、京都駅について本日の行程終了。

姉を見送ってから家路に就いた。

だいぶ前の話になるが、先々週、父親が車で関西に来ていた。

車があるので、父と二人でどこか旅に出ようかという話になった。

目的地は、なんとなく四国。


父は日本の五重塔を、僕はお城を見に行くのが趣味であるので、

二人の趣味を一気に楽しもうということで、いざ出発した。


五重の塔もお城の天守閣も、木造の高層建築物ではあるが、

歴史的に往時のままの姿をとどめているものは、それほど多くない。


昼10時に京都からスタートして、岡山、瀬戸大橋を経由し、香川の丸亀へ。

丸亀城の天守閣は、明治と戦争を生き延びた数少ない現存天守閣の

うちのひとつで、重要文化財である。この時点ですでに15:00すぎ。


Nothingness of Sealed Fibs-丸亀城
強い日差しにひいひいいいながら二の丸から本丸へと続く坂を

のぼり、たどりついたのは、三層の白い天守閣。

勾配の美しい石垣の上に、鮮やかな天守閣が映えていて美しい。

次には目標を変更して、いざ、善通寺へ。こちらは江戸時代後期

から明治初期にかけてつくられた木造の五重塔が残っている。


丸亀から善通寺までは、一般道を走行。すぐについてしまった。

この時点で16:30ごろ。善通寺は、弘法大師生誕の地として有名。

個人的には、映画『サマータイムマシン・ブルース』のロケ地という

ことで、映画のシーンを思い出しながらの参拝となった。
Nothingness of Sealed Fibs-善通寺

参拝後、そのまま二時間ほど車を走らせて松山へ。

『坊っちゃん』、『坂の上の雲』など、松山を舞台にした文学作品は多い。

到着すると、すでに19:30をまわっており、松山の町は夜に包まれていた。


車から電話をかけておいたビジネスホテル(二人で一泊7000円!!)に

車をおいて、おりたたみ自転車で夜の道後温泉へ。ひと風呂あびて身体の

疲れをとったあとは、道後ビールなる地ビールとかき氷で、爽快なひと時を

堪能。そのあと居酒屋に入ってまたまた父親と飲んだくれた。


翌朝、起きてすぐふたたび朝の道後温泉へ。7:00というのに、かなりの

人でにぎわっていた。

Nothingness of Sealed Fibs-道後温泉
ホテルにもどってバイキングの朝食にむかい、見事に食べ過ぎた。

おそらく二日分のカロリーを摂取。お腹がちょっといたくなる。


ホテルをチェックアウトして、松山城へ。

松山城は、天守閣だけでなく、本丸、二の丸がほとんど往時の姿を

とどめている。重要文化財も10以上あり、展示も充実していて見ごたえがある。
Nothingness of Sealed Fibs-松山城

二の丸にはいる前の道から天守閣を望んだ景色。なかなか素晴らしい。


Nothingness of Sealed Fibs-松山城2

本丸公演内から、天守閣を見た姿。現在の天守閣は三層だが、一番最初の

松山城は5層の天守閣だったそうである。

姫路城や和歌山城と同じように、天守閣と小天守、櫓を組み合わせて、

天守丸という郭が作られている。本丸が落とされても、天主丸だけで最後の

抗戦を試みるという江戸時代初期の建築様式がよく残っていて面白かった。


Nothingness of Sealed Fibs-かきごおり

あまりにも暑いので、天守閣見学後に、伊予かんかき氷600円をいただく。

高価だが、非常においしかった。おごってくれた父上、ありがとう。


Nothingness of Sealed Fibs-備中国分寺

松山から車を飛ばして、次は、岡山は備中国分寺へ。国道を走っていると、

五重塔が風景にとけこんだ美しい景色が出現した。

いたくこの五重の塔を気に入ったらしい父親。よかったよかった。


あいにくの曇り空だったが、1時間ばかり五重の塔ばかり見てすごして、帰路へ。

京都に戻った頃にはへとへとだったが、非常に楽しい旅であった。西日本は面白い。

『踊る大捜査線 3』を見てきた。

久しぶりの踊るシリーズなので、期待と同時に不安も抱えながら鑑賞してきた。

結論からいえば、結構面白かった。スリーアミーゴスは快調に飛ばしてくれてるし、

あれだけたくさんいるキャラクターもひとつの脚本にまとめたのはすごい。


今回の『踊る・・・』を見て、僕は「オマージュ」について考えさせられた。


『踊る・・・』の映画版一作目には、黒澤明監督の『天国と地獄』のシーンやセリフを

換骨奪胎した場面が結構ある。同作を見たことのある観客にとっては、にやりと

させられるシーンが多かったはずだ。同じように、『踊る・・・」の映画版二作目には、

野村芳太郎監督の『砂の器』のセリフがうまくまぜ込まれていた。


そして、今回の三作目は再び黒澤明監督の『生きる』である。

青島係長のセリフは、あるいはワクさんノートの言葉は、『生きる』のセリフそのままだった。


でも、残念なことに、僕は今回の三作目は、オマージュとしては失敗していたのではないか

と僕は思う。


なぜなら、オマージュは、オリジナルの作品と同じ形式を用いて、違う内容を観客に提示する

べきだと僕が考えるからである。

あるいは、形式と内容にはどちらが先ということはないから、オリジナル作品と同じ内容を、違う

形式を用いて表現することもオマージュかもしれない。


今回の三作目の『生きる』のオマージュは、内容の面でも、形式の面でも、

オリジナル作品との適切な「ズレ」がないように感じられた。


たしかに青島係長が死の病に侵されるのは「勘違い」ではあるが、その勘違いっぷりが

生むはずのオリジナルとの「ズレ」が、ラストの「生きるってすばらしい!」という青島係長の

セリフで消失してしまう。結果として、観客がにやりとできるようなオマージュにはなっていない。


オマージュの面白さは、元ネタをどのように変奏するかという発想の卓抜さに由来する。

残念ながら、三作目の映画版では、オマージュが「変奏」しきれていないと言わざるをえない。


もうひとつ、気になったのは、深津絵里と織田裕二の二人が出ているシーンで、深津絵里が

非常にいいセリフをいっているのに、織田裕二の正面を映して、深津絵里は後ろ姿しか映して

いないシーンがあったことである。

あのセリフを言っている時の深津絵里の表情は映しておくべきであった、とぼくは思う。


いろいろ辛口に書いてしまったが、劇場では十分に笑わせてもらったので、

やはりエンターテイメントとしてはよくできている作品だと思う。

夏もたけなわになり、しかも試験も終わって心がゆるむ。

運動不足度とコーラ消費量がうなぎ上りのこのごろ。

「きがつけば  きがつくまえと  へんかなし」

久々に思いついた渾身の一句もヤヤ不発かつ不毛。

さて、最寄り駅ー大学間の徒歩通学を4ヶ月間頑張ったので、

めでたく体重が二年前の水準にもどった。

体重はいいのですが、筋肉がひどい。三十路をまえにして腕が

益々細くなっているのではないかという疑いが相方さんから提出された。

けなげにも腕立て伏せにより、疑いを一掃しようと試みた私だが、

10回伏せたところで、諸処の事情により継続困難と判断。

曖昧な結果を目撃して微妙な笑いをうかべる相方さんに、

まだまだ余力が残っているぜという表情で対抗し、その場はなんとかやりすごした。

ところが翌日。予想以上の筋肉痛に見舞われた。

われながら10回の腕立て伏せで痛みがでるのは信じ難いことではあったが、

阪急電車のつり革をつかもうとするだけで、腕が「つる」という現実が…。

普段、嵐の桜井翔くんの鍛え上げられた肉体に賛美を惜しまない相方に向かって、

「韓国の俳優さんじゃあるまいし」とぶーたれていた私であるが、美しさうんぬんの

前に、基礎体力がヤバいことを痛感させられてしまったのだ。

夏休みは文献の読み込みだけでなく、少しずつ基礎体力をあげていくための

運動もしなければ。いかんいかん。

しか~し!!
必要以上の筋肉はやっぱりいらないだろう、とも根拠もなしに強く思う。
固い筋肉よりは柔らかい筋肉を、不自然さよりは自然さを目指したいものだ。


とはいえ、やはり些細な運動で筋肉痛になってしまうわが身はせつない。

いずれにせよ、最低限までは鍛えなくてはなるまい。


やれやれ。課題の多い夏である。

本日はポール・ヴァレリー風に。

毎日3科目ずつ行われたテストが本日めでたく終了を向かえた。

最終日に門外漢の理系科目が固まっていたので、出来ぐあいもスカッとはいかず、徹夜のつけで体も重たい。

もう、体が無理を受け付けなくなってきたようだ。でも久々に天下一品を食べたい~

テスト終了の余韻にひたるまもなく、いそいそと駅までの道を歩いていると、無性に本を読みたくなってきた。

実り大きい夏にできますように。

とりあえず、はやく帰って寝ますかね。さすがに15科目はシンドイぜぃ。