昨年の5月と、今年の2月に近江八幡を散策したので記録しておく。
まずは、5月の暖かい日の訪問。このころはまだ体力に自信があったので、
無謀にも、800段という階段で有名な姨綺耶山(いきやさん)長命寺を訪ねた。
JR近江八幡駅ちかくでレンタサイクルをかり、相方さんとふたり漕ぎだしたのだが、
長命寺、意外に遠い!!
お客さんがいっぱいのCLUB HARIEと日牟礼八幡宮の間を通り抜けるまでは
結構近かったのだが、そこから人家がなくなり、広大な田んぼが広がるなかを
ひたすら自転車をこぐこと約30分。田んぼを吹き抜ける強風に苦しみながら、
なんとか長命寺山の麓に到着した。すでにかなり疲れてしまったので、サイダーを
飲みつつ休憩。いざ境内をめざすことに。
上を見上げると心が折れそうなので、足元をみながら、一段一段登っていく。
最近は階段をあがらずとも、自動車やバスが境内のすぐ近くまでいけるように、
舗装された道が整備されているらしい。
そのせいだろうか、石段を登っている間にすれ違ったのは、3人ぐらいと少なかった。
たっぷり汗をかいたところで、境内に到着。見事な伽藍が迎えてくれた。
脚はひいひいだったが、この眺望を前にして、疲れがふっとんだ。
長命寺の創建は推古天皇の時代にまでさかのぼるとのこと。文字通り「古寺」である。
山の中であるから、境内自体の広さはそれほどないが。限られたスペースを実に巧みに
利用しながら、立派な伽藍が建造されていた。
本堂、三重塔、護摩堂など、おおきさよりも、ぴりっとした味わいのある建物が多い。
拝観しながら久々に清々しいお寺に行き当たったなと感じた。
じっくり拝観し、しっかり休憩もとってから、下山。石段を下りながら色々と考えをめぐらせた。
たとえば、昔の人はどうしてこんな山の中にお寺を建てようと思ったのだろうか。
確かに琵琶湖の水運上、重要な場所だったというのは分かる気もするのだが、
それにしても、大変な労力をかけて、石段を整備し、ましてや立派な伽藍を建てるなど、
よほどのモチベーションがなければ実現しないだろう。
昔の人の信仰心は、どうやら現代を生きる僕の想像をはるかに超えた強さをもっていたようだ。
自転車で近江八幡駅に戻る途中、「天之御中主尊神社」という小さい神社が目に入った。
きっと河合隼雄さんが『中空構造日本の深層』で言及していた「何もしない神」のことだろう。
神社境内にお参りしてみると、小さな男の子が笑いながら遊んでいた。ふと心が和んだ。
次に近江八幡にいったのは、ついこの前の2月。晴れてはいたが、冬の気配が濃厚な日だった。
この日の目的は、院外実習でお世話になった病院の先生に国家試験終了のご挨拶をすること。
病院で無事先生方にご挨拶できたので、帰りがけに八幡山を訪ねることにした。
時間が限られていたので、奮発してロープーウェイを使用。山頂までは10分もかからない。
ロープーウェイを降りると、豊臣秀次が築いた八幡山城の石垣が出迎えてくれる。
石垣のうえには「瑞龍寺(村雲御所)」という素敵な名前の建物がそびえる。
書いてあった説明によると、豊臣秀次の実母が秀次切腹の後、出家した門跡寺院の建物とのこと。
もとは京都市内にあったものを八幡山に移築したらしい!!日本の大工さんはすごい。
門は流石に雅な印象。建物内部を拝観させてもらったが、江戸期の和風豪邸みたいな感じ。
決して大きくはないが、丁寧さ、上質さが伝わってくる建造物だった。
八幡山の頂上から琵琶湖を望む。右手の山がなつかしき長命寺山。
やはり山頂は一段と寒く、戦国時代の偉い人は寒いところにすまねばならないから、
ロープーウェイであっという間に下界に到達。「降りる」を味わう暇はない。
あったかいコロッケをほおばったりしつつ、近江八幡駅まで歩いて戻った。
近江八幡にはたしかに古代、安土桃山、明治の痕跡が積み重なっていた。


