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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

昨年の5月と、今年の2月に近江八幡を散策したので記録しておく。


まずは、5月の暖かい日の訪問。このころはまだ体力に自信があったので、

無謀にも、800段という階段で有名な姨綺耶山(いきやさん)長命寺を訪ねた。


JR近江八幡駅ちかくでレンタサイクルをかり、相方さんとふたり漕ぎだしたのだが、

長命寺、意外に遠い!!


お客さんがいっぱいのCLUB HARIEと日牟礼八幡宮の間を通り抜けるまでは

結構近かったのだが、そこから人家がなくなり、広大な田んぼが広がるなかを

ひたすら自転車をこぐこと約30分。田んぼを吹き抜ける強風に苦しみながら、

なんとか長命寺山の麓に到着した。すでにかなり疲れてしまったので、サイダーを

飲みつつ休憩。いざ境内をめざすことに。


長命寺階段

上を見上げると心が折れそうなので、足元をみながら、一段一段登っていく。

最近は階段をあがらずとも、自動車やバスが境内のすぐ近くまでいけるように、

舗装された道が整備されているらしい。

そのせいだろうか、石段を登っている間にすれ違ったのは、3人ぐらいと少なかった。

たっぷり汗をかいたところで、境内に到着。見事な伽藍が迎えてくれた。


長命寺境内

脚はひいひいだったが、この眺望を前にして、疲れがふっとんだ。

長命寺の創建は推古天皇の時代にまでさかのぼるとのこと。文字通り「古寺」である。

山の中であるから、境内自体の広さはそれほどないが。限られたスペースを実に巧みに

利用しながら、立派な伽藍が建造されていた。

本堂、三重塔、護摩堂など、おおきさよりも、ぴりっとした味わいのある建物が多い。

拝観しながら久々に清々しいお寺に行き当たったなと感じた。


長命寺塔
じっくり拝観し、しっかり休憩もとってから、下山。石段を下りながら色々と考えをめぐらせた。


たとえば、昔の人はどうしてこんな山の中にお寺を建てようと思ったのだろうか。

確かに琵琶湖の水運上、重要な場所だったというのは分かる気もするのだが、

それにしても、大変な労力をかけて、石段を整備し、ましてや立派な伽藍を建てるなど、

よほどのモチベーションがなければ実現しないだろう。

昔の人の信仰心は、どうやら現代を生きる僕の想像をはるかに超えた強さをもっていたようだ。


自転車で近江八幡駅に戻る途中、「天之御中主尊神社」という小さい神社が目に入った。

きっと河合隼雄さんが『中空構造日本の深層』で言及していた「何もしない神」のことだろう。

神社境内にお参りしてみると、小さな男の子が笑いながら遊んでいた。ふと心が和んだ。


次に近江八幡にいったのは、ついこの前の2月。晴れてはいたが、冬の気配が濃厚な日だった。

この日の目的は、院外実習でお世話になった病院の先生に国家試験終了のご挨拶をすること。

病院で無事先生方にご挨拶できたので、帰りがけに八幡山を訪ねることにした。


時間が限られていたので、奮発してロープーウェイを使用。山頂までは10分もかからない。

ロープーウェイを降りると、豊臣秀次が築いた八幡山城の石垣が出迎えてくれる。

石垣のうえには「瑞龍寺(村雲御所)」という素敵な名前の建物がそびえる。


書いてあった説明によると、豊臣秀次の実母が秀次切腹の後、出家した門跡寺院の建物とのこと。

もとは京都市内にあったものを八幡山に移築したらしい!!日本の大工さんはすごい。


門は流石に雅な印象。建物内部を拝観させてもらったが、江戸期の和風豪邸みたいな感じ。

決して大きくはないが、丁寧さ、上質さが伝わってくる建造物だった。
村雲御所

八幡山の頂上から琵琶湖を望む。右手の山がなつかしき長命寺山。

やはり山頂は一段と寒く、戦国時代の偉い人は寒いところにすまねばならないから、

自然と粘り強くなりそうだなどと考えてみる。
八幡山山頂から

ロープーウェイであっという間に下界に到達。「降りる」を味わう暇はない。

あったかいコロッケをほおばったりしつつ、近江八幡駅まで歩いて戻った。


近江八幡にはたしかに古代、安土桃山、明治の痕跡が積み重なっていた。

国家試験が一月前に終了。素直に振り返ると、結構きつかった。

いや、正確にいうと11月頃はきつかったのだが、2月には割と楽しくなってきた。

たぶん、知識が身についてきた実感が徐々に持てたからだと思う。


国家試験が終わって数日後にスター・ウォーズ最新作を拝見。

ハン・ソロ、ルーク、レイアが登場したとき、なんだか目頭が熱くなった。

時間を圧縮させる芸術であるはずの映画が、このシリーズに限っては、

人の刻む時間こそが映画に魅力を与えている。

現実社会に流れる時間の速さは、いまのところ人力で加速も減速もできない。

であるからこそ、スター・ウォーズは価値のあるシリーズである。

もちろん、最新作は、映画としての質も非常に高く、楽しんで拝見した。


さて、本日のお題、「苦しみ(くるしみ)と苦み(にがみ)」。

試験勉強が苦しい、苦しい…と唸っているうちに、ふと思いついた。


「苦しみ」と「苦み」は日本語では同じ漢字をあてているけれど、

両者の主観的なしんどさの度合いはかなり違うのではないかということだ。


例えば、資格試験の勉強は、苦しくはなっても、苦くはならない。

あるいは、良薬は苦しくはないけれど、苦い。

英語でいえば、苦しみsufferings、苦みbittersと、全く異なる訳語となる。


しかし、日本語が同じ「苦」という漢字を当てているということは、

苦しみと苦みの間になにかしらの共通点を昔の日本人が見出していた、ということになる。


僕は、その共通点は「人生」ではないかと思っている。

すなわち、「人生の苦しみ」を「人生の苦み」とも捉え直せるということが、

困難な時代において、いくつもの困難な人生を支えてきただろうと、僕は思うのだ。


苦しい出来事に遭遇すると、すぐさま苦しみから逃れたいと思うのが普通だろう。

すぐに逃れられる苦しみならそれでよい。でも、すぐに逃れられない苦しみもある。


そんなときこそ、苦しみから目をそむけるのではなく、苦しみを味わってみてはどうか。

不思議なことに、苦しみが苦味になるとともに、しんどさが軽減されはしないだろうか。


感情を味わうと、感情が和らいでいく。


おそらくこの事実はなんらかの生理学的な根拠をともなっているはずなのだが、

僕は不勉強なので、この事実に対する生物学的な記述を知らない。

でも、僕のささいな経験からいっても、この事実は、しばしば確認できる。


そんなことを考えているうちに、試験勉強のしんどさは消えてしまった。

どこへ行ってしまったのだろうか?見当がつかない。


机に戻って試験勉強を再会したとき、なぜか再びしんどかったことは言うまでもない。

2015年は実習と試験に追われて終了。ほとんど趣味の本を読む時間はなかった。

しかし、昨年は戦後70年ということもあり、空き時間をみつけては歴史の本を読んでいた。

もちろん時間が限られていたので、読み応えのある大作には挑戦できなかったのだが、

簡単なコメントとリストで2015年の読書を振り返っておきたい。


○中井久夫『戦争と平和 ある観察』みすず書房

 「精神医学界のウルトラマン」と称される中井久夫先生の新旧の戦争・平和論を集めた一冊。東大の加藤陽子先生との対談も収められている。中井先生は、戦争と平和がどのような状況で生じ、あるいは戦時と平時が如何に反転したかという点を徹底して観察し、理解しようとされている。「ある観察」という副題には、病気と健康に「関与と観察」という武器で向き合ってこられた中井先生の骨太な方法論が垣間見える。戦争を道徳的に批判する人道論とか、必要悪として受容する現実論ではなく、成り立ちから「観察する」中井先生のスタンスは、戦後70周年を機に再び活気づいている多くの戦争論、平和論に欠けている視座を提供してくれる。

 戦争は変化に富んでいる「過程」であり、平和は変化の乏しい「状態」であるといういう中井先生の指摘の背後には、おそらく戦争≒病気、平和≒健康というアナロジーがある。このアナロジーをとれば、戦争と平和の問題にも病理学と治療学の知見が緩用できる。僕が中井先生から学んだつもりになっているスタンスによれば、「抑止力という名の武装拡張競争」は、「予防的抗生剤投与による耐性菌の繁栄」と似たり寄ったりということになるだろう。「平和を守るために武装すること」は、「健康を守るために日頃から薬を飲んでおくこと」と同じくらいにイビツである。薬漬けの毎日よりも、薬に依存せずに日々を過ごしていけることのほうが、より健康であるという感覚は自明であろう。薬を飲むという行為は、病気を抱えたときにこそふさわしい。国家の平和(≒健康)についても同じことが言えるのではなかろうか。

 ところで、20世紀に起こった戦争をふりかえるとき、国防の観点からみると感染症のアナロジーとよくなじむ一方で、国内の内政をみると精神科疾患とのアナロジーとなじむのではないか。ちゃんと考えていないのだがそんな気がする。そのあたりを宿題としつつ、あらためて、どこかでどっしりと戦争と平和を考え直さないといけない気がしてきた。


○鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの』新曜社

 ちゃめっけたっぷりの鶴見さん、つっこみするどい上野さん、冷静なまとめ役の小熊さんと見事な分担で面白く読める対談である。思想の内容ではなく、人としてどう仁義をきったかという点で人物を評価していたというのが鶴見さんらしいところだが、やはり思想の評価は思想的にしたほうが議論が深まりやすいのではないかと思うのが僕の正直な感想である。ある思想の評価を行動面から行ってしまうと、「思想を練っていく」ことにつながらないのではないか。思想と思いつきは違うだろうし、違っていてほしい。思いつき直すことはできないが、考え直すことはできるからだ。

 なぜかこの本で一番印象に残ったのは鶴見さんではなく韓国の詩人・金芝河さんの言葉だった。金さんは釈放要求運動の署名を集めて金さんを訪れた鶴見さんに対してこう言ったらしい。「Your movement can not help me, but I will add my name to it to help your movement.」やたらに芯の通った言葉である。


○鶴見俊輔『語りつぐ戦後史 第一』思想の科学社

 戦争を生き抜いた様々な分野の学者に鶴見俊輔さんがインタビューしている本。もっとも刺激的なのは丸山真男の回。丸山は、学問が一種の型・作法である点を強調することで、吉本隆明からの批判に対して弁明を試みている。乱暴にまとめてしまえば、丸山は、政治や歴史を学問的分析の対象とするとき、なんらかのアプローチ(=型)に依拠する必要があると考えていた。だからこそ、大学で学問を身につける(ウェーバーやマルクス、ヘーゲルらの方法論を咀嚼する)ことを重視する。一方、吉本は、丸山が依拠した型に対して、それは欧米的な型に過ぎないと批判し、何らかの方法論を依拠しない自由な思索を試みる。おそらく、丸山と吉本の分かれ目は、「分析する」と「考える」の違いにある。分析にはなんらかの型が必要だが、考えるのに特別な方法は必要ない。ゆえに、丸山真男はその仕事内容の分析の鋭さにおいて学問的に評価されるべきであり、吉本隆明は仕事内容よりも、その「自由に考える」スタイルにおいて評価されるべきであると思うのだが、どうだろうか。ちなみに僕は、吉本の徒手空拳が生みだした仕事の「内容」は、イマイチだったと思っている。さらに僕は、「考えるのに特別な方法は必要ない」という吉本的立場が成立するかという点も訝しんでいるのだが、はたして真相は・・・?

 他には仏教学者中村元の回も強烈。中村は仏教的な「論理」を探究した大学者だったが、そうした中村先生からみると天皇制は非合理以外の何ものでもなく、存在すべき積極的な意義がないことになる。論理を突き詰めるとしばしばアナーキーな帰結に至る。中村先生の立場からすれば、仏教が無に至るのは「論理的」必然であり、天皇制が戦後も存続したという事実は不可思議であった。


○アーノルド・トインビー『現代人の疑問-二つの世代の考え方』毎日新聞社

 トインビー父子による対談を収録した本。テーマは宗教、歴史、政治である。ミュンヘン協定やスエズ問題に対する父トインビーの苦い思いを感じ取れて面白かった。アメリカ、ロシア、フランス、日本に対する冷静な観察からは、イギリス知識人の知的タフさがにじみ出ている。恐るべし英国。


○山本七平『裕仁天皇の昭和史 -平成への遺訓 そのとき、なぜそう動いたのか』祥伝社

 敗戦にあたって、連合国側の回答に国体護持の保証が含まれていないという阿南陸軍大臣の主張に対し、昭和天皇が「国体の護持について私には確信がある」旨を発言されたことで御前会議は決着した。僕には、昭和天皇の「国体」と阿南大臣の「国体」は違うものを指していたように思えてならない。そんな疑問からこの山本さんの本を手に取った。天皇「制」ではなく、昭和天皇という個的存在に焦点をあてている点で、この書物は貴重である。もしかすると、昭和天皇は、目に見えないレベルにまで「国体」を掘り下げて考えておられたのではなかろうか。


○司馬遼太郎『胡蝶の夢 全四巻』新潮文庫

 幕末の蘭方医・松本良順、司馬凌海を物語の中心に据えて、勝海舟、浅草弾左衛門などとの交流を描く。西洋の医療が日本に「平等」を文字通り持ち込んできたということ、日本最初の病院は法外の地域に立てられたことなど、興味深い事実を知ることができた。しかし、司馬さんの辛口な人物評や、身分制度へのしつこい批判が気になって、やや閉口。最近、「司馬さんの小説では登場人物が人間的に成長しない」と感じるがどうだろうか。この本で一番ぐっときたのは「あとがき」の文章だった。やはり司馬さんのエッセーのほうが、僕は好きである。

 ところで、この本を読むと、患者を身分によらずに平等に診療するということが如何に画期的だったかがよくわかる。それ以前は、殿様を専属で診療する医師、庶民を診療する医師は別であり、医師の用いる薬や技術も医師により様々だった。その上で、ある意味で患者個人に応じた医療が行われていた。しかし、西洋医学は、患者を平等に扱うこと、画一化された技術、薬を用いるという思想を日本にもたらす。現在日本の医療では、再び「患者さん一人ひとりに応じた医療」が唱えられているが、この提唱は新規なのではなく、ある意味で「復権」であるということを司馬さんに教えてもらった気がする。


○宮田光雄『いま日本人であること』岩波同時代ライブラリー

 思想史の大家・宮田先生には申し訳ないのだけれど、歴史教科書検定の問題は僕にはグッと来ない。宮田先生が太平洋戦争をめぐる記述に関して、官庁とやり合っている姿勢は学者として立派だと思う。しかし、その一方で、中学高校の歴史の教科書など、ほとんどの学生が真面目に最初から最後まで読んだことがないのではないかというのが、僕の素直な実感である。また、そもそも歴史について公平中立に記述することなど不可能であろう。公平中立のラインは、時代ごとの政治情勢によって変わりうる。結局、日本の立場から書いた歴史、外国の立場から書いた歴史を両方とも読んだうえで、自分の中で中庸のラインを探るのがもっとも中立に近いスタンスを保つのに必要なことなのだろう。無難な記述を沢山読むよりは、二つの両極端な主張を二つとも読むほうが教育においても、有用なのではなかろうか。


○鹿野政直『日本の近代思想』岩波新書

 コラム形式で振り返るコンパクトな昭和思想史。短い文章に思想のエッセンスを凝縮させる鹿野先生の手腕は素晴らしい。鹿野先生自身の思考は行間に垣間見えるぐらいにしか書かれていないが、本書末尾には「「国民」を相対化する視線の先に、未来があると考えている」という明瞭な一文が記されている。個人的には、「ニッポン」と「ニホン」の違いに敏感だった戸坂潤、女性の参政権運動に尽力しながら戦争協力へと向かった市川房枝の項が印象深かった。


○なだいなだ『江戸狂歌』岩波同時代ライブラリー

 笑いが不謹慎とされることが多くなってきた昨今にこそ、単なる娯楽としてではなく、危機へのソリューションの一つとして笑いを見直してみたくなる、そんな読後感をもった。江戸時代の狂歌には、徹底した凄みのある笑いが満載である。


○森嶋通夫『日本の選択 新しい国造りにむけて』岩波同時代ライブラリー

 数理経済学の泰斗・森嶋さんが戦後50周年に刊行した防衛論。軍備のようなハード・ウェアを拡充するるよりも、そのお金で国際交流など外交的ソフト・ウェアを充実させたほうが、日本の「国防」によほど寄与するという主旨の議論が展開される。外交重視の議論は、やもすると「現実論」を自称する軍備増強派からは「理想論」と批判されがちである。しかし、森嶋氏によれば、むしろ外交重視論のほうがより「現実論」であり、軍備増強論のほうが「理想論」である可能性がある。すなわち、アメリカからの援軍を期待する/前提とするという点に軍備増強論の理想論(=現実認識の甘さ)を森嶋氏は読み取るのである。

 森嶋さんの議論は20年前のものである。しかし、昨夏、某国首相が「日本の自衛隊がそれなりに戦闘を担うことではじめて、いざという時にアメリカが守ってくれる」という「理想論の変奏」を展開したことを思い起こすと、悲しいことだが、森嶋さんの議論は依然として有効である。また、この本は、森嶋さんへ厳しい批判をおこなった福田恆存への反批判も含んでいる。詳細を書くことはしないけれど、この本を読み終わってから、僕は福田さんという批評家を、「恰好よく、切れのある文章の書き手ではあるが、しばしば的を外す人」として懐疑的に読むようになった。すくなくとも福田恆存の国防論に僕は賛同できない。

 国家の自立とは何を意味するのか。昭和天皇の「国体護持への確信」と合わせて、いまだに謎の多い領域であることを痛感させられた。


つづく

新しい年が明けた。

引っ越しして、はじめての年明けである。試験勉強があるので、実家には帰らず。

相方さんと二人、近隣の神社の太鼓、お寺の鐘の音に包まれての年越しとなった。

12月末には再試験に回ったことで、一時危ぶまれていた大学卒業判定が無事クリア。

いよいよ国家試験にむけて踏ん張りどきである。


去年は、なんだかきな臭い一年だった。

国際ニュースでは、テロや各地の戦闘、難民の話が飛び交っていたし、

日本の中では、沖縄、集団的自衛権、軽減税率など、政局問題がにぎわっていた。


思想関係では、長田弘さん、鶴見俊輔さんが相次いで亡くなり、いよいよ世代交代である。

一方で、一読してたいしたことないなと思われる言論人の本が結構売れたりして、

このレベルで本を出してよい時代になったのかと思うと、やはりさびしくなる。


個人的には、NHKドラマ『ボクの妻と結婚して下さい』に好感を持てたのと、

『ブラタモリ』シリーズ、小栗康平監督の『FOUJITA』と『じっとしている唄』がアタリだった。

ウッちゃんとマッキーの組み合わせに、それだけでちょっと涙腺がゆるんでしまう。

NHKのBS『英雄たちの選択』もできるだけ見るようにしている。最近、歴史が気になる。


元いた大学院のゼミにはしばらく顔を出していなかったのだが、9月からの秋学期に

ひょこりと参加してみた。やはり、思想の根幹は、自分で考えぬくことが大切である。

沢山の人が集まっていろいろ議論して、みんなの共通合意を出そうとすると、

みんなが共有できるような論点しか論じることができない。そこがちょっと辛かった。


おそらくなのだが、僕にとって本当に大切な問いとは、僕にとってのみ、

その大切さが切実に感じ取れるような、そんなたぐいの問いなのではないか。

少なくとも、僕にとって興味があるのはそういう問いである。

みんなが話し合って、納得する解を探せるような問題は、僕にはグッとこない。

「有識者会議」などという言葉に、どうしても距離を保っておきたい自分がいる。


哲学であろうと、神学であろうと、僕は、僕自身の根底にたどり着くために、そして、

その根底に湧出する「精神のエネルギー」(ベルグソン)に触れるために勝手気ままに

学んでいるにすぎない。誰々の思想の「正確な」理解など、率直にどうだってよい。

それよりも、誰々の思想を僕なりに考え直してみて、それが自分にとって本当かどうか、

経験と照らし合わせながら確かめていく作業のほうが、僕には興味がある。


思想系のアカデミズムでも、なぜだか議論の根拠が文献におかれることが多いのだが、

僕はやはり、学問の厳密さを担保するのは「誰かは○○と書いている」ではなくて、

「この文章は、客観的な事実(あるいはその主観的な経験)に即している」ことだと思う。

その点で、自然科学の悪名高きエビデンス主義に、文系が学んで良いのではないか。


たとえ、カントやヘーゲルの浩瀚な著作に挑むのであっても、探究の対象となるべきは、

彼らの文章というよりも、彼らの文章が言表しようとしている「事実」であろう。

そんなことを久々のゼミにでながら考え込んだ。数年前にも全く同じことを感じた気がする。


根源的な思想というものは、それを実生活に活かそうとしてはいけない、と僕は思う。

もし実生活に活かせる思想があるとすれば、それは根源的ではない。

根源的な思想とは、日々の生活の前提とはなっても、生活の内容には影響を与えない。

そんな風に「根源的」という言葉を用いたいと僕は考える。


今年から、僕はいよいよ医学の長い長い道を歩き始める(はずである)。

僕にとっての医学は、生活の知恵の延長にあり、その意味で根源的な思想ではない。

しかし、不思議なことに、根源的な思想は自分自身の根底にしかたどり着けないのに、

生活の知恵の延長である医学は、自分ではない他者に届く(らしい)。そこが興味深い。


先人達の気の遠くなるような医学探究の蓄積に、敬意と若干のうらめしさを抱きつつ、

急ぐのは苦手な僕ではあるが、なんとか取り残されずにやっていけたらと思う。

待ちに待った小栗康平監督の10年ぶり(!)の最新作『FOUJITA』を見てきた。もちろん台詞も音楽もあるのだが、サイレント時代を思い起こさせる映像の魅力に満ちた、久々に映画らしい映画だった。すこしでも多くの心ある方に見てもらいたいと願う。


思い起こせば、小栗監督の前作『埋もれ木』が公開された時、僕はまだ東京で働いていた。たしか新宿武蔵野館で鑑賞したような気がする。いろいろあった10年だった。


そんなことはさておき。とりあえずオダギリ・ジョー演じるフジタの人生を振り返っておこう。


東京芸大を卒業したフジタは、20代後半で「売れるまで日本に帰らない」と宣言して渡仏。売れない模索の時代を経て、独特の乳白色を用いた裸婦像によって仏画壇を席巻する。日本に凱旋帰国した後、陸軍に協力して『アッツ島玉砕』に代表される戦争画を描いた。終戦後は「戦争画」を描いた責任を糾弾され、再度フランスに渡る。その後、フランス国籍を取得し、70歳を超えて受洗し、カトリックとなる。遺作は平和を祈る小さな礼拝堂の設計と、堂内すべての壁画だった。


『FOUJITA』は、画家レオナール・フジタ(藤田嗣治)の伝記映画と紹介されているが、僕はこの作品を、伝記映画としてよりも、20世紀の歴史に対する骨太な問いかけとして観た。


例えば、フジタのもとを訪ねてきた日本の画学生が、パリの美しさに感動し、おとずれたカフェでフジタに向かって高村光太郎の詩を朗読するシーンがある。高村の詩には、パリへの憧れに満ちた言葉がつづられていた。しかし、その詩の朗読をフジタはちょっと小馬鹿にしたような表情で聴いている。朗読が終わった後、フジタは、自らが修行時代にルーブル美術館に通い詰め、ひたすら模写を繰り返したことを画学生たちに伝える。


このやり取りからフジタのスタンスをかぎ取れるように思われる。


何かに憧れて眺めている限り、その何かを自分の血肉とすることはできない。実際にその何かを自分でやってみなければ、単なるあこがれで終わってしまうだけだ。明治以降、日本は西洋から、思想、文学、絵画、音楽など、いわゆる文化を貪欲に学んできた。しかし、そうした営みは、本当に日本文化に深く根ざすところまで到達したのであろうか。しばしば、いやほとんど、単なる西洋文化の表面的な模倣、西洋への憧憬に終わってはいないか。西洋文化の批判的受容というと聞こえは良いが、しばしば都合のよい矮小化におわり、西洋文化の最良の部分を見落としてしまいかねない。そのような問題意識がフジタの根底にあるように思われる。


そのせいだろうか。フジタの作風はパリ滞在時と日本帰国後でかなり変わっている。パリではモデルをみながら、日本的な画法をとりいれた裸婦像を描き、時代の寵児となる。日本に帰ってからは、西洋風の手法を駆使した重厚な戦争画を描いた。


この画風の変遷の意味を少し考えてみたい。


フランスで自らの精密な観察眼にうつったものを描き出そうと苦心を重ねたフジタは、西洋人が思ってもみなかった乳白色の肌を現出させた。皮肉な見方だが、その白色は、フジタが白い肌を持たない日本人だったからこそ見出せた白さだったのかもしれない。


画において対象を細部まで観察するフジタは、身の回りの小物、工芸品に愛着をもち、しばしば自作する人でもあった。ヘンテコなパジャマみたいな普段着も自作だったらしい。パリ街角のガレッジセールでみつけた一軒家のおもちゃを愛するフジタのシーンもある。たぶん、手触り、質感、機能性、そのものの形を感じ取り、愛することにおいて、フジタは、怖ろしいほどに繊細な感受性をもち、さらには迸る探究心をもつ人だったのだと思う。


では、戦時の日本に帰国してからのフジタの観察眼はどうなったのか。


戦争画をあつめた「決戦美術展」のシーンでは、フジタは自作「アッツ島玉砕」の前に立ち、無言のまま観覧者ひとりひとりと互いにお辞儀をかわす。「アッツ島~」の前にお賽銭を投げる人もいれば、突然画の前で伏して慟哭する人もいる。決戦美術展の後、オダギリ・ジョー演じるフジタはこんな台詞を口にしている。「絵というものが、人の心を動かすものであるということを、私ははじめて目の当たりにしました。」


フジタは何度か南方戦線に従軍画家として取材にいっているらしいのだが、玉砕がおきるような危険な戦場を、直接その眼でみることはできなかっただろう。フジタは自慢の観察眼を封印したまま「アッツ島玉砕」に挑まなくてはならなかったのである。つまり、「アッツ島玉砕」は、フジタの想像力から産み出されたもの、その意味で幻想に属する。しかし、その幻想が、人々の心を深く動かしたのである。


振り返ってみれば、確かにフジタはフランスでもてはやされた。フジタは競争を勝ち抜いた勝者であった。しかし、その実態は、1920年代パリの狂騒の中で「やたらにウケた」のであって、本当にフジタが目指したものが観衆に理解されたかというと、フジタ自身にもあまり手ごたえがなかったのではなかっただろうか。


「スキャンダラスになるほど、バカをするほど、自分に近づく」というフジタの台詞の裏には、「フランスでもてはやされている姿は、自分の本当の姿ではない」という直観がみえる気がする。


実際に眼にした裸婦を描いた作品が、人々に面白がられる対象となり、実際に眼にしていない極限の戦場を描いた作品が、人々の心を震わせる。この奇妙な逆説を、フジタは身を持って体験していたのではないだろうか。


すこし視線を転じて、もう一つの謎めいたフジタの言葉についても考えてみたい。戦時日本に帰国後、墓参りを終えたフジタは、5番目の妻に北鎌倉駅ホームでこう言う。「私は、20年間、十字架にかけられたキリストを見てきたのです。」


素直に考えれば、西洋画を貪欲に山ほど見続けていたフジタであるから、宗教画をとおしてゴルゴタの丘を見る機会はたくさんあったという意味になろう。しかし、ここまでの考察をふまえると、僕にはフジタの言葉の裏に、ある問いかけが隠されているように感じられる。すなわち、「この目で見て、手で触れていない”キリスト”のリアリティはありうるのか」である。


宗教画とは、後代の画家が聖書や伝承をもとに想像して描いたものである。その意味で、フジタの戦争画と同様に、西洋の宗教画も幻想であると言える。


キリスト教絵画も、フジタの戦争画も幻想ではあるが、多くの人の心を揺さぶる。フジタという画家は、この奇妙な、しかし確固たる事実の理由を、生涯をとおして追い続けていたのではなかったか。


晩年、カトリックに入信したフジタは、礼拝堂のフレスコ画に十字架のキリストを描いた。そのキリストを見つめる群衆の中に混ざって、フジタ自身の姿も描き込まれている。


フジタは、自分の眼でみたことのないキリストのリアリティを見出せたのだろうか。フジタの遺した礼拝堂の宗教画をみる限り、フジタは、眼に見え、手で触れるという意味でのリアリティとは別の確かさを、イエス・キリストに感じていたのではないかと僕は思う。同様の意味において、「絵画は絵空事だ」とうそぶくフジタの姿は、言葉の卑屈さとは裏腹に確信に満ちている、とも僕は感じるのだが、むろん、推測にすぎない。この問いについてなにかはっきりしたことを言える素地が僕にはない。


しかし、西洋美術を真摯に学び続け、最後はカトリックにまでなったフジタの姿は、何かを学び取るという営みの本質を告げているように思えてならない。僕なりにその本質を翻訳すれば、「ミイラ取りはミイラにならなければならない」となる。


果たして、この翻訳は適確なのだろうか。あんまり自信はないのだが、この翻訳には、僕なりに、若干の根拠がないわけではない。


『FOUJITA』の中で、誰にも知られれず山に入って、その人の燃やす焚火の煙だけがその人の存在を麓の村に告げ知らせているという村人についてのエピソードが出てくる。この人の燃やす焚火の煙に、映画の中のフジタは並々ならぬ興味を示す。


たぶん、「フジタの絵画」と「その村人が焚く煙」との間にアナロジーが成り立っている。フジタの絵画は、山の中で静かに焚かれる火のように、人知れずその火を訪ねてくる同志を待ち続けているのではなかろうか。ミイラは、ミイラ取りを静かに待っている。ミイラを真に批判的に批判するためには、一度は丸ごとミイラになってみなければならないのではないか。


ラストの少し前、戦場に倒れた兵士と、その傍らを流れる川の水面下に「アッツ島玉砕」のキャンバスが漂うというおよそ非現実的な構図のシーンが登場する。むろん、「水面下」は、波立つ表層よりも常に静かで本質的である。このシーンからは、「真実は、現実よりも幻想に潜む」という小栗康平監督の静かな闘志がじんわりと伝わってくる。


パリの喧騒、戦争画、疎開先でフジタが耳にする「キツネに化かされる話」、晩年の宗教画、そのすべてが、幻想と真実の重なりという一つの洞察で結びついている。「映像の虚構性」に長年正面から向き合い続けてきた小栗監督の真骨頂である。


小栗監督は、とあるインタビューでアンジェイ・ワイダ監督、小津安二郎監督から影響を受けているとおっしゃっていた。しかし、僕は『FOUJITA』を拝見して、小栗監督の幻想(ファンタジー)へのスタンスに、テオ・アンゲロプロス監督の系譜を感じ取ったのだが、どうだろうか。


小栗監督の次回作も待ち遠しいが、まずは『FOUJITA』をもっと腑に落とせるよう、考え続けていきたい。