『FOUJITA』-真実は、現実よりも幻想に宿る- | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

待ちに待った小栗康平監督の10年ぶり(!)の最新作『FOUJITA』を見てきた。もちろん台詞も音楽もあるのだが、サイレント時代を思い起こさせる映像の魅力に満ちた、久々に映画らしい映画だった。すこしでも多くの心ある方に見てもらいたいと願う。


思い起こせば、小栗監督の前作『埋もれ木』が公開された時、僕はまだ東京で働いていた。たしか新宿武蔵野館で鑑賞したような気がする。いろいろあった10年だった。


そんなことはさておき。とりあえずオダギリ・ジョー演じるフジタの人生を振り返っておこう。


東京芸大を卒業したフジタは、20代後半で「売れるまで日本に帰らない」と宣言して渡仏。売れない模索の時代を経て、独特の乳白色を用いた裸婦像によって仏画壇を席巻する。日本に凱旋帰国した後、陸軍に協力して『アッツ島玉砕』に代表される戦争画を描いた。終戦後は「戦争画」を描いた責任を糾弾され、再度フランスに渡る。その後、フランス国籍を取得し、70歳を超えて受洗し、カトリックとなる。遺作は平和を祈る小さな礼拝堂の設計と、堂内すべての壁画だった。


『FOUJITA』は、画家レオナール・フジタ(藤田嗣治)の伝記映画と紹介されているが、僕はこの作品を、伝記映画としてよりも、20世紀の歴史に対する骨太な問いかけとして観た。


例えば、フジタのもとを訪ねてきた日本の画学生が、パリの美しさに感動し、おとずれたカフェでフジタに向かって高村光太郎の詩を朗読するシーンがある。高村の詩には、パリへの憧れに満ちた言葉がつづられていた。しかし、その詩の朗読をフジタはちょっと小馬鹿にしたような表情で聴いている。朗読が終わった後、フジタは、自らが修行時代にルーブル美術館に通い詰め、ひたすら模写を繰り返したことを画学生たちに伝える。


このやり取りからフジタのスタンスをかぎ取れるように思われる。


何かに憧れて眺めている限り、その何かを自分の血肉とすることはできない。実際にその何かを自分でやってみなければ、単なるあこがれで終わってしまうだけだ。明治以降、日本は西洋から、思想、文学、絵画、音楽など、いわゆる文化を貪欲に学んできた。しかし、そうした営みは、本当に日本文化に深く根ざすところまで到達したのであろうか。しばしば、いやほとんど、単なる西洋文化の表面的な模倣、西洋への憧憬に終わってはいないか。西洋文化の批判的受容というと聞こえは良いが、しばしば都合のよい矮小化におわり、西洋文化の最良の部分を見落としてしまいかねない。そのような問題意識がフジタの根底にあるように思われる。


そのせいだろうか。フジタの作風はパリ滞在時と日本帰国後でかなり変わっている。パリではモデルをみながら、日本的な画法をとりいれた裸婦像を描き、時代の寵児となる。日本に帰ってからは、西洋風の手法を駆使した重厚な戦争画を描いた。


この画風の変遷の意味を少し考えてみたい。


フランスで自らの精密な観察眼にうつったものを描き出そうと苦心を重ねたフジタは、西洋人が思ってもみなかった乳白色の肌を現出させた。皮肉な見方だが、その白色は、フジタが白い肌を持たない日本人だったからこそ見出せた白さだったのかもしれない。


画において対象を細部まで観察するフジタは、身の回りの小物、工芸品に愛着をもち、しばしば自作する人でもあった。ヘンテコなパジャマみたいな普段着も自作だったらしい。パリ街角のガレッジセールでみつけた一軒家のおもちゃを愛するフジタのシーンもある。たぶん、手触り、質感、機能性、そのものの形を感じ取り、愛することにおいて、フジタは、怖ろしいほどに繊細な感受性をもち、さらには迸る探究心をもつ人だったのだと思う。


では、戦時の日本に帰国してからのフジタの観察眼はどうなったのか。


戦争画をあつめた「決戦美術展」のシーンでは、フジタは自作「アッツ島玉砕」の前に立ち、無言のまま観覧者ひとりひとりと互いにお辞儀をかわす。「アッツ島~」の前にお賽銭を投げる人もいれば、突然画の前で伏して慟哭する人もいる。決戦美術展の後、オダギリ・ジョー演じるフジタはこんな台詞を口にしている。「絵というものが、人の心を動かすものであるということを、私ははじめて目の当たりにしました。」


フジタは何度か南方戦線に従軍画家として取材にいっているらしいのだが、玉砕がおきるような危険な戦場を、直接その眼でみることはできなかっただろう。フジタは自慢の観察眼を封印したまま「アッツ島玉砕」に挑まなくてはならなかったのである。つまり、「アッツ島玉砕」は、フジタの想像力から産み出されたもの、その意味で幻想に属する。しかし、その幻想が、人々の心を深く動かしたのである。


振り返ってみれば、確かにフジタはフランスでもてはやされた。フジタは競争を勝ち抜いた勝者であった。しかし、その実態は、1920年代パリの狂騒の中で「やたらにウケた」のであって、本当にフジタが目指したものが観衆に理解されたかというと、フジタ自身にもあまり手ごたえがなかったのではなかっただろうか。


「スキャンダラスになるほど、バカをするほど、自分に近づく」というフジタの台詞の裏には、「フランスでもてはやされている姿は、自分の本当の姿ではない」という直観がみえる気がする。


実際に眼にした裸婦を描いた作品が、人々に面白がられる対象となり、実際に眼にしていない極限の戦場を描いた作品が、人々の心を震わせる。この奇妙な逆説を、フジタは身を持って体験していたのではないだろうか。


すこし視線を転じて、もう一つの謎めいたフジタの言葉についても考えてみたい。戦時日本に帰国後、墓参りを終えたフジタは、5番目の妻に北鎌倉駅ホームでこう言う。「私は、20年間、十字架にかけられたキリストを見てきたのです。」


素直に考えれば、西洋画を貪欲に山ほど見続けていたフジタであるから、宗教画をとおしてゴルゴタの丘を見る機会はたくさんあったという意味になろう。しかし、ここまでの考察をふまえると、僕にはフジタの言葉の裏に、ある問いかけが隠されているように感じられる。すなわち、「この目で見て、手で触れていない”キリスト”のリアリティはありうるのか」である。


宗教画とは、後代の画家が聖書や伝承をもとに想像して描いたものである。その意味で、フジタの戦争画と同様に、西洋の宗教画も幻想であると言える。


キリスト教絵画も、フジタの戦争画も幻想ではあるが、多くの人の心を揺さぶる。フジタという画家は、この奇妙な、しかし確固たる事実の理由を、生涯をとおして追い続けていたのではなかったか。


晩年、カトリックに入信したフジタは、礼拝堂のフレスコ画に十字架のキリストを描いた。そのキリストを見つめる群衆の中に混ざって、フジタ自身の姿も描き込まれている。


フジタは、自分の眼でみたことのないキリストのリアリティを見出せたのだろうか。フジタの遺した礼拝堂の宗教画をみる限り、フジタは、眼に見え、手で触れるという意味でのリアリティとは別の確かさを、イエス・キリストに感じていたのではないかと僕は思う。同様の意味において、「絵画は絵空事だ」とうそぶくフジタの姿は、言葉の卑屈さとは裏腹に確信に満ちている、とも僕は感じるのだが、むろん、推測にすぎない。この問いについてなにかはっきりしたことを言える素地が僕にはない。


しかし、西洋美術を真摯に学び続け、最後はカトリックにまでなったフジタの姿は、何かを学び取るという営みの本質を告げているように思えてならない。僕なりにその本質を翻訳すれば、「ミイラ取りはミイラにならなければならない」となる。


果たして、この翻訳は適確なのだろうか。あんまり自信はないのだが、この翻訳には、僕なりに、若干の根拠がないわけではない。


『FOUJITA』の中で、誰にも知られれず山に入って、その人の燃やす焚火の煙だけがその人の存在を麓の村に告げ知らせているという村人についてのエピソードが出てくる。この人の燃やす焚火の煙に、映画の中のフジタは並々ならぬ興味を示す。


たぶん、「フジタの絵画」と「その村人が焚く煙」との間にアナロジーが成り立っている。フジタの絵画は、山の中で静かに焚かれる火のように、人知れずその火を訪ねてくる同志を待ち続けているのではなかろうか。ミイラは、ミイラ取りを静かに待っている。ミイラを真に批判的に批判するためには、一度は丸ごとミイラになってみなければならないのではないか。


ラストの少し前、戦場に倒れた兵士と、その傍らを流れる川の水面下に「アッツ島玉砕」のキャンバスが漂うというおよそ非現実的な構図のシーンが登場する。むろん、「水面下」は、波立つ表層よりも常に静かで本質的である。このシーンからは、「真実は、現実よりも幻想に潜む」という小栗康平監督の静かな闘志がじんわりと伝わってくる。


パリの喧騒、戦争画、疎開先でフジタが耳にする「キツネに化かされる話」、晩年の宗教画、そのすべてが、幻想と真実の重なりという一つの洞察で結びついている。「映像の虚構性」に長年正面から向き合い続けてきた小栗監督の真骨頂である。


小栗監督は、とあるインタビューでアンジェイ・ワイダ監督、小津安二郎監督から影響を受けているとおっしゃっていた。しかし、僕は『FOUJITA』を拝見して、小栗監督の幻想(ファンタジー)へのスタンスに、テオ・アンゲロプロス監督の系譜を感じ取ったのだが、どうだろうか。


小栗監督の次回作も待ち遠しいが、まずは『FOUJITA』をもっと腑に落とせるよう、考え続けていきたい。