苦しみと苦み | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

国家試験が一月前に終了。素直に振り返ると、結構きつかった。

いや、正確にいうと11月頃はきつかったのだが、2月には割と楽しくなってきた。

たぶん、知識が身についてきた実感が徐々に持てたからだと思う。


国家試験が終わって数日後にスター・ウォーズ最新作を拝見。

ハン・ソロ、ルーク、レイアが登場したとき、なんだか目頭が熱くなった。

時間を圧縮させる芸術であるはずの映画が、このシリーズに限っては、

人の刻む時間こそが映画に魅力を与えている。

現実社会に流れる時間の速さは、いまのところ人力で加速も減速もできない。

であるからこそ、スター・ウォーズは価値のあるシリーズである。

もちろん、最新作は、映画としての質も非常に高く、楽しんで拝見した。


さて、本日のお題、「苦しみ(くるしみ)と苦み(にがみ)」。

試験勉強が苦しい、苦しい…と唸っているうちに、ふと思いついた。


「苦しみ」と「苦み」は日本語では同じ漢字をあてているけれど、

両者の主観的なしんどさの度合いはかなり違うのではないかということだ。


例えば、資格試験の勉強は、苦しくはなっても、苦くはならない。

あるいは、良薬は苦しくはないけれど、苦い。

英語でいえば、苦しみsufferings、苦みbittersと、全く異なる訳語となる。


しかし、日本語が同じ「苦」という漢字を当てているということは、

苦しみと苦みの間になにかしらの共通点を昔の日本人が見出していた、ということになる。


僕は、その共通点は「人生」ではないかと思っている。

すなわち、「人生の苦しみ」を「人生の苦み」とも捉え直せるということが、

困難な時代において、いくつもの困難な人生を支えてきただろうと、僕は思うのだ。


苦しい出来事に遭遇すると、すぐさま苦しみから逃れたいと思うのが普通だろう。

すぐに逃れられる苦しみならそれでよい。でも、すぐに逃れられない苦しみもある。


そんなときこそ、苦しみから目をそむけるのではなく、苦しみを味わってみてはどうか。

不思議なことに、苦しみが苦味になるとともに、しんどさが軽減されはしないだろうか。


感情を味わうと、感情が和らいでいく。


おそらくこの事実はなんらかの生理学的な根拠をともなっているはずなのだが、

僕は不勉強なので、この事実に対する生物学的な記述を知らない。

でも、僕のささいな経験からいっても、この事実は、しばしば確認できる。


そんなことを考えているうちに、試験勉強のしんどさは消えてしまった。

どこへ行ってしまったのだろうか?見当がつかない。


机に戻って試験勉強を再会したとき、なぜか再びしんどかったことは言うまでもない。