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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

憲法記念日に憲法について感じたことを考え直してみる。

まずは現状確認から。

 

■1.「憲法解釈」という言葉の不思議さ

「憲法解釈」という言葉がとても不思議な使い方をされている。僕はそう思う。テレビニュースを見る限り、「憲法条文と現状のズレをどのように理屈づけるか」という文脈で、「憲法解釈」、「解釈改憲」という言葉は使われている。

 

しかし、W・ディルタイが提唱した「解釈学」は、テキストの真意をつかむため方法論として出発した学問だ。ディルタイの意図を引き継ぐならば、「憲法解釈」とは本来、憲法が条文を通して表現しようとしていた本質的な事柄はなんなのかを考えることである。別言すれば、憲法条文を1つの結果と見なし、条文の奥にある原因を探ろうとする事だ。

 

本質的な事柄 → 憲法条文 ← 現実

 

上のような図式を書いてみると分かりやすいかもしれない。もちろん、左の→がディルタイの解釈学、右の←が今の日本の憲法解釈となるだろう。なぜディルタイ的な意味での「憲法解釈」が話題にすらならないのか、僕は不思議に思う。

 

■2.ズレの解消方法

「70年前の憲法は、現状とズレている。だから憲法を変えるべき」という人がいる。たしかにズレはあるのかもしれない。また、そのようなズレは解消したほうがよいのかもしれない。

 

だが仮にそうだとしても、”どちらか一方だけを変えることでズレを解消すればよい”ということには、単純にはならない。「現状に合わせて憲法を変えること」と「憲法に合わせて現状を変えること」はどちらも憲法と現状のズレを解消する手段になりうる。でもなぜか、テレビでは前者の意見しか聴かれない。不思議なことだ。

 

■3.憲法議論が神学化している

次に、憲法の議論が活発化している(らしい)にもかかわらず、意見の乱立だけ起こって、議論が平行線のままなのかということを考えてみたい。

 

いや、考えるまでもない。議論が平行線をたどっているのは、対立している人々の間で「現状の認識」、もっと正確にいえば「現状に対する直感的な判断」が異なるからだ。そして、議論が「憲法条文」と「直感的に把握された現状」のズレに着目するからだ。

 

外国から侵略の危険があると思う人がいて、そんなに危険はないと思う人がいる。直感的な現状認識は人それぞれ異なる。しかも、やっかいなことに、それぞれの人は、その直感を自明だと考えている。どちらの直感が正しいかを”論理的に”決めることは非常に難しい。もともと難しいことを試みているから、混乱し、収拾がつかなくなる。かつての神学論争と同じだ。

 

キリスト教の歴史では、一時期、「聖書が何を言わんとしているか」という探究がおろそかになり、「自分の主張を聖書を使っていかに正当化するか」という方向に傾いたことがあった。キリスト教が広まり、各地に様々な教会ができるなかで、儀式のやり方とか、偶像についての取り扱いなど、細かい違いがでてくる。それぞれの教会がそれぞれの現実を根拠づけようと聖書を読みだしたことが、煩雑で空疎な神学論争として結実した。

 

煩瑣な神学論争に疲れ果て、教団が分裂するたびごとに、キリスト教は聖書本文へと原点回帰することで、幾度となく活力を取り戻してきた。今の日本の憲法議論も、過去のキリスト教神学とよくにた顛末をたどりつつある。僕にはそう思える。

 

解決策は簡単。平行線をたどる憲法議論を、疲れ果てるまで続けることである。みんながヘトヘトになって嫌気がさしたとき、「そもそも憲法って何を言おうとしてるの」という点への回帰が起こってくるように思う。憲法と現状のズレではなく、憲法の条文そのものに焦点が移った時、ディルタイが言った意味での、「本来の憲法解釈」の議論がスタートするはずだ。

 

たくさんの人が、色々な意見をもつこと。その状態が望ましいのは、人権的観点からとか、寛容の精神とか、そんな倫理的な要請によってではない。人間という生き物は、お互いに異なる意見を持つということによってしか、「意見の異なりを感知できる共通基盤をお互いが共有していること」を知ることができない。歩み寄るまでもなく、人間には深い共通の基盤がある。その基盤への信頼こそが、日本国憲法の条文の奥にある本質なのだと僕は密かに思っている。


5月の連休には、密かに何かを思わせる作用があるようだ。

 

【2016年5月5日追記】

巷には、「憲法条文にこだわりすぎて、現実の国際情勢をちゃんとみないから、憲法議論が神学論争化している」と憲法学者たちを非難する意見が多くあるようだ。しかし、それは端的に言って誤解だ。むしろ、そのような「現実の国際情勢をちゃんと見よ」という政治家やその周りの人たちの主張のほうが、神学論争化をまねいている。ちなみに「神学論争」と「机上の空論」は違うのだが、その違いがあまりにも理解されていない。

 

【2017年3月15日追記】

「神学論争」と「机上の空論」について補足しておく。言わずもがなだが、前者は現実をみすぎることに、後者は現実をみなさすぎることに根差している。僕は、憲法についての神学論争は勘弁だが、「机上の空論」は歓迎したいと思う。なぜなら、「憲法=Constitution」は「法律」ではなくて、国家の「設立趣意書」であるからだ(学校でいうなら「校則」ではなくて「建学の精神」である)。設立趣意書にはある種の「願い」が込められる。「願い」は「願い」なのであるから、必然的に現実と乖離した「机上の空論」という側面を持つ。その意味で、僕は今の憲法議論に一番期待したいのは、日本国憲法に込められた「願い」をきっちりと読み取り、理解するという「机上の空論」である。「空論」部分がしっかりとしなければ、「願い」と現実にズレはあるのか、あるとしたらどういう意味におけるズレなのか、そのズレにどのように対処していけばよいのかという点についての議論はブレざるを得ない。

僕なりの「空論」の結果は以下の通り。国会で議論になっていた「他国の示威行動」は、日本国憲法に込められた「願い」(と僕が読み取ったもの)からすれば、「何らかの対抗処置を必要とする脅威」ではなく、「国同士のコミュニケーション不足の顕れ」に過ぎない。僕の常識はそのように告げている。

4月からいよいよ初期研修がスタート。

最初の2週間は病棟の業務(電子カルテ操作、物の配置とか)と点滴・採血に習熟する期間。

優しく、頼もしい先輩方についていくだけだが、数日通っただけでやはり疲れがたまる。

新しい環境に飛び込んだのだから当然。来週もまた頑張ろう。


さて、3月中旬に訪れた奈良・吉野山について、記録しておきたい。

京都駅から近鉄に乗り換え、約3時間。終点近鉄吉野駅に到着したのは朝9時過ぎ。

シーズンオフということもあり、乗降客は少ない。

近鉄吉野駅をでて数分あるくと、吉野山頂へとつづくロープウェイの千本口駅がある。

昭和2年から動き続けているというロープウェイ。乗るときに少し揺れるのが昔っぽくてよい。


千本口駅から吉野山頂駅まではロープウェイで約10分弱。

吉野山頂駅からはバスにのって、とりあえず奥千本に向かった。

だんだんとバスが登って行くうちに、道端にちらほら雪が見えてきた。


奥千本のバス停に到着すると、すっかり雪が積もっていた。

相方さんと二人、スニーカーで来たことを後悔しながら、金峯神社に向かう。


金峯神社

修験者たちが歩く道の入り口としてしられる金峯神社。静かな鳥居が参拝者を迎える。


鳥居右横の道を山にはいっていくと 約20分ほどのところに西行庵があった。

こんな寒いところで、西行は一体何を感じていたのだろうか。
西行庵


西行庵から金峯神社まで戻る途中の雪景色。視線の及ぶ範囲に人の住む気配はない。

雪山

スニーカーがずぶ濡れになってしまった以外は、山の雪景色を堪能できた。


金峯神社からは徒歩で下山しながら、途中途中のスポットをみていくことに。

まずは吉野水分神社。鳥居と社殿の向きがずれていて面白い。上賀茂神社のようだ。
吉野水分神社


神社の出口ちかくに、みごとな木彫りのフクロウが。

このフクロウの鋭い視線は、どれだけの期間、社殿を見守ってきたのだろうか。

ふくろう


吉野水分神社からさらに下ると、スッと視界が開けた。有名な吉野の桜が山肌を覆う。

桜の開花までにはまだ時間がかかりそうだが、つぼみを眺めるのもなかなか素敵だ。
吉野山

金峯山寺に直接行かずに、すこし山道を迂回して塔尾山如意輪寺にむかった。

如意輪寺には、境内には後醍醐天皇稜や楠正行が矢で歌を刻んだ扉がある。

天井画の如意輪観音像を横になって拝観したり、興味深いお寺だった。


如意輪寺からいったん谷に降りて、また登って金峯山寺へむかった。

すでに14時。お腹が減っていたので、途中にあったお店で「柿の葉ずし」を購入。

途中の和菓子屋さんで葛湯もいただきながら、観光気分も満喫。


金峯山寺境内の石のベンチでお寿司をパクリ。鮭と鯖の二種類を美味しくいただいた。

食べながら国宝の蔵王堂を眺める。本当にきれいなバランスを保った建物だなと思う。


金峯山寺

金峯山寺の境内の西側の階段を下りていくと脳天大神にたどり着いた。久々に膝が笑う。
脳天大神龍王院

首から上にご利益がある神さんらしいので、相方さんと二人の国家試験合格をお祈り。

再び400段の階段を上って金峯山寺を目指す。階段が多すぎて心が折れそうなので、

相方さんと「しりとり」をしながら一段一段登っていく。

しりとりをすると、以外に疲れを感じないままに400段を登りきれた。


金峯山寺を出て、ロープウェイの吉野山頂駅まで歩くと、16時近くになっていた。

近鉄吉野駅で、地元缶ビールを購入して、家に帰ると21時ちょっと前だった。


吉野山の空気は清々しかった。気持ちの良い旅になった。

先日発表があり、なんとか無事、国家試験に合格していた。

うれしい半面、怖さ半面というところだろうか。これからしっかり勉強しなければ。


そんなことはさておき。


さて、3月初頭に、いまこそチャンスとばかりに念願の高野山を訪問した記録しておく。

朝5時半に家をでて、高野山駅についたのは9時すぎ。さすがに遠い。

ケーブルカーとバスを乗り継いで、まずは奥ノ院に到着。シーズンオフで人は少ない。


奥の院

参道は並び立つ大木に囲まれている。参道横には著名人、大企業のお墓が

ずらっと並んでいる。弘法大師の廟まで約30分ほど歩くだろうか。

あまりにもたくさんのお墓を一度に目にしたためか、頭がクラクラしてきた。

数々のお墓をみてきたが、これほどの規模のものは始めてである。

お墓を囲む木々が、救いを求める人々の思いを受け止めているように思えた。


廟につくと、お寺の住職さんと思われるかたが奉納したお供え物が置いてある。

あらためて、高野山はお寺の中のお寺、お墓の中のお墓という感じがした。



金剛三昧院


奥ノ院から金剛峯寺に向かう途中、金剛三昧院という標識がでていたので、

道を曲がってみた。人の気配がほとんどないなかで、しずかな寺院が佇む。

拝観受付で交通安全のお守りをいただき、ラッキー。門をくぐると、

聴こえるのは、風と鳥の鳴き声のみ。相方さんとふたり、無言で境内を歩いた。

お寺にしてはすこし書院っぽい入口と住宅風の建物がある。本尊は愛染明王。

国宝の多宝塔もあり、小さな敷地の割に密度の濃い寺院であり、静かさを満喫。

京都の曼珠院に似た雰囲気だなとおもいつつ、門を後にした。


シーズンオフでほとんどのお店がお休みだった。

そんななか、名物笹巻あんぷだけはいただくことができた。

お麩とあんこの組み合わせがめちゃくちゃ美味しい。


お腹がへったので、南海食堂という懐かしい雰囲気の食堂でお昼ごはん。

相方さんは肉そば、私はカツカレーというお坊さんなら絶対食べないだろうメニューを

チョイス。普段、軟弱な生活をしていると動物性たんぱく質がないと歩きとおせない。


お腹いっぱいになってから、金剛峯寺についた。

現在の金剛峯寺は安土桃山時代建立とのこと。やはり伽藍を囲む巨木が印象的。


金剛峯寺


拝観すると、広大な石庭が迎えてくれる。これほど広い石庭は始めてみた。

さすが総本山。豊臣秀次自刃の間は、涙を誘う。


庭


霊宝館で怒涛の曼陀羅の連続攻撃に圧倒された後、壇上伽藍へ。

大塔、東塔、西塔の巨大な三塔が天文学のアンテナ施設のように並んでいる。

どこか宇宙との交信基地であるかのようだ。

人の感性に訴えかけるというよりも、この世を超えたものからの何かを受信する、

あるいはその超越者へむかって発信する場所のように思われた。

そのためだろうか、どことなく神秘性よりもカラッとした理知的な雰囲気を感じる。

西塔

三昧堂と西行桜も見たのだが、三塔の迫力に押されて、存在感が乏しい。

西行の孤独感と、三塔の充実感はどこかズレている気が思うのだが・・・。


これだけ観終わると、いつのまにか夕方になっていた。

ごま豆腐を買って帰途につく。家に着くと21時を回っていた。

さすがに日帰りはしんどかったが、充実した一日となった。


今回は、高野山の建物を中心に見て回ったのだが、

おそらく高野山の真骨頂は「山」あるいは「巨木」にある。

もっと時間ができたときに、またゆっくりと訪れてみたいと感じた。

2015年読書記録の第二弾。


■思想

○小川修『小川修パウロ書簡講義録4 コリント前書講義Ⅰ』リトン

○小川修『小川修パウロ書簡講義録5 コリント前書講義Ⅱ』リトン

 ニーチェにコテンパンに批判されたパウロを、これでもかと肯定的に捉えなおす。難解さで知られるパウロだが講義形式で分かりやすい。田川建三氏の訳業の良い点、おかしな点を一つ一つきっちり判定しながら展開されるので一般的なキリスト教のイメージと、小川先生の解するパウロ神学の差異が良く分かる。新刊の神学書を読んで元気が出てくるなんてことは昨今めったにないが、この講義録は稀な例外である。


○鈴木亨『鈴木亨著作集 第四巻 響存的世界』三一書房

 「響存Echo-xistence」という魅力的なアイデアが産声をあげた著作。共在、実存、虚存など、人間の表現には多種あれど、響存という言葉の味わいは格別である。


○市川白弦『市川白弦著作集 第四巻 宗教と国家』

 市川白弦は仏教者の戦争責任について考え続けた人として知られる。この著作集第四巻には、「軍人禅」「皇道禅」などに焦点をあてた『日本ファシズム下の宗教』が収録されている。市川さんの鋭利な批判は、西田幾多郎をはじめとする京都学派や鈴木大拙にも及ぶ。個人的には、市川さんが滝沢克己の国家論に、他の京都学派哲学者の国家論を超える意味を読み取っている箇所を面白く読んだ。滝沢先生の国家論は、いまでも戦争賛美と批判を受けることがある。しかし、滝沢の議論は、国家、政府、天皇を明確に区別したうえに成り立っており、そのことをしっかりと評価できる市川さんのような論者だけが、滝沢の近代国家批判を読み取っている。きちんと読めなければ、きちんとした批判はできない。

 市川さんの本を読んで思い出すのは、以前みた永平寺のドキュメンタリーである。入山を希望して山門を訪ねる若者にたいして、暴力こそないが、先輩雲水たちの厳しい怒号が浴びせられていた。「あ、軍隊じゃん」と僕は思った。軍隊は明治日本の「国民」を育成する役割を果たしていた。もしかすると、その育成には仏教の「修行」のイメージが重ねられていたのかもしれない。問題は根深いように思われる。


○O・S・ウォーコップ『ものの考え方 合理性への逸脱』講談社学術文庫

 原著は1948年発表。イギリス出身の謎の哲学者の著作。精神科医安永浩さんの本で知ったので手に取ってみた。全体として分析哲学と同じ匂いをもった文章で構成されている。例えば緒言には、「何がかくあるか、ということの解っているすべての人々に、私は、何がかくあると言い得るための指導の原理をこの書において、貧しいながらにも提供する。ありあまる知識はすでに到来している、しかし知恵の歩みはおそい」(p.11)、とある。また、「われわれはみな、神の存在の主張とは一見何の関係もなきかのごとく見える何か他の主張をなすことにおいて、まさにそのことにおいて神の存在をば含蓄的に主張していることを証明しなくてはならない」(p.187)という文章も味わい深い。「かけがえのない個」と「社会」の間に生きる実在の在り方を、「実在はパターンの充足である」という図式から説明していく明快な議論が積み重なっていく。実在を説明するということの、困難と楽しみが詰まった著作である。


○阿部利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書

 日本ではなぜ「無宗教」という言葉がこれほど一般に膾炙しているのかという問題意識に、日本の近代史と民俗学の蓄積という二つの角度から考えた本である。国家神道の強制が、「敬神(自分とかかわりのない土地の神々へ敬意を示す)」と「祈願(各自が生まれながらに属する氏神に対する信仰)」の区別をあいまいにしたという柳田国男の指摘の紹介(p.107)が興味深い。僕の理解したところでは、著者は、宗教が人格を転換するために存在するのではない、ということを法然の「信心とは疑いが除かれたこと」や妙好人源左の言葉を引きながら主張し、それゆえに、日本では決断や回心を要する創唱宗教であっても、その究極的な形態では自然宗教と重なってくると主張している。すなわち、日本には、もともと「創唱宗教ではない」という意味での「無宗教」的な自然宗教が深く根ざしていると指摘する。明快な整理だと僕は思った。


○鹿野政直『近代日本思想案内』岩波文庫別冊14

 明治以降の日本思想史は諸子百家時代に似た様相を呈している。そうした乱立する思想の数々が非常にコンパクトにまとまっていて分かりやすく整理されている本。個人的には、農本主義者橘孝三郎が農村の窮乏から政党政治批判を強め、海軍青年将校らと五・一五事件の計画・決行に至ったことを始めて知ることができて収穫だった。橘の『日本愛国革新本義』(1932年)から橘が汽車で乗り合わせた村のお年寄りの衝撃的な会話が引用されている。「どうせならついでに早く日米戦争でもおつぱじまればいいのに」。「ほんとにさうだ。そうすりあ一景気来るかも知らんからな、所でどうだい、こんな有様で勝てると思ふかよ。何しろアメリカは大きいぞ」。(中略)「うむ、それやさうだ。だが、どうせまけたって構つたものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつつけることだ。勝てば勿論こつちのものだ、思ふ存分金をひったくる、まけたつてアメリカならそんなにひどいこともやるまい、かえつてアメリカの属国になりや楽になるかも知れんぞ」。この会話をどう評価したらよいのかとても難しい。ある意味で先見の明を示しているとも読めるし、ある意味で「窮鼠猫を咬む」的なやむにやまれぬ発言としても読むこともできるだろう。もちろん、1932年当時、戦争という言葉が日本で持っていた重みは、現代の我々の感覚よりもはるかに軽かっただろう。しかし、多くの一般人がこのような思いだったとしたら、日米開戦は来るべくして来たように思われ、僕は暗澹たる思いを拭い去れない。


■医学

○霜山徳爾『素足の心理療法』みすず書房

 特定の心理学派の理論に基づくのではなく、ある意味で常識の延長線上にある知恵からなる「素足」の心理療法がつづられる。心理療法家であるまえに一人の人間であるという、言わずもがなの点に、通常よりもより焦点をあてていこうという著者の姿勢がうかがわれる。そのせいだろうか、心理療法についての本なのだが、琴線にふれる言葉に満ちている。「心理療法家にとって、何よりも望ましいのは、詩人と神経心理学者と心理治療家とが同じ言葉を語ることである」(p.122)という一文に、これからの僕の勉強の方向を読み取りたいと思う。


○松本雅彦『精神病理学とは何だろうか』星和書店

○松本雅彦『言葉と沈黙 -精神科の臨床から』日本評論社

○松本雅彦『日本の精神医学 この50年』みすず書房

 やもすると流麗な言葉が踊り過ぎる感のあるこのジャンルの書籍の中で、松本先生の落ち着いた丁寧な文章は光る。精神医学界の輝ける才能達が輝きのままに偏る一方で、松本先生の冷静な立ち位置は貴重である。松本先生の本で僕は「不思議な精神科医」加藤清さんを知った。


○日野原重明『死をどう生きたか』中公新書

 日野原先生が鈴木大拙の最後をみとったということをこの本ではじめて知った。日野原先生はいろんな意味で伝説である。


○柏木哲夫『定本 ホスピス・緩和ケア』青海社

○細井順『希望という名のホスピスで見つけたこと』Forest books

 柏木先生、細井先生はともに緩和ケア医として活躍されている。緩和ケアでは現代の精神医学がかえりみなくなった人間学の遺産が大切にされているということが良く分かった。


○井上栄『感染症―広がり方と防ぎ方』中公新書

 なにはともあれ、日本語は飛沫感染を防ぎやすい発声法であるという指摘がユニーク。生物をよく観察すると、人間についていろんなことを教えてくれるんだなと実感した。


○岸本英夫『死を見つめる心』講談社文庫

 高名な宗教学者である岸本英夫先生によるがん闘病記。理知的で高潔な死への態度は美学として素晴らしい。しかし、僕自身の関心は、死を見つめる心があるとして、その心を見つめる自分が在る。その意味での自分にとって、生と死はもはや生物学的な意味をもたないと思うのだがどうだろうか。


■歴史

○大塚久雄『歴史と現代』朝日選書

 大塚史論はもはや批判的にしか口にされなくなってしまっている。しかし、経済を手掛かりとした歴史の書き手として、大塚先生ほど面白い学者を僕は他に知らない。個人的には内村鑑三の無教会と大塚先生の関連も気になる。あとがきで、大塚先生は内村鑑三の『興国史談』を意識したと書かれている。内村の遺産は思いのほか大きい。


○会田雄次『アーロン収容所』中公文庫

 ビルマ戦線で敗戦を迎え、英国軍の捕虜となった著者による収容所観察の記録。ひたすら英国人が日本人を見下していたという事実が挙げられている。貴重な記録であることは間違いないが、書物全体としての主張は単純で、個人的にはハッとさせられた個所がほとんどなかった。


○山本七平『日本はなぜ敗れるのか 敗因二十一カ条』角川ONEテーマ新書

 山本さんの舌峰が鋭すぎて、悲しい気分になってしまう。一番痛感したのは、合理性を不適切な前提の上に発揮するとやたらと悲惨な結果になるということだ。国内の士気を保つには徴兵を続ける必要がある。しかし、実際に国外の戦地では武器も輸送手段もなく、送られた兵士は無残に戦闘すらしないままに死んでいってしまう。国内情勢のみを前提とする合理性が引き起こした結果と言えなくもない。視野を広く取ると問題が複雑になってしまう。だからといって、視野を狭めれば問題が簡単になる一方で、トータルでは最悪の結果を招きうる。進んだ道がそもそも間違っていた時の軌道修正を可能にするには、考えられる限り広い視野で合理性を発揮しないといけない、と思う。昨今の憲法改正議論で問題になっている有事は、非常に局地的な危機を問題にしている。そこが広い意味でリスクを積み上げていないだろうか。


○半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』文春文庫

 どこぞの首相が「押しつけ憲法論」を押し付けようとしている昨今、あらためて日本国憲法成立の過程、すなわち大日本帝国憲法改正の経緯を知りたいと思って手に取った本。半藤さんの語り口は相変わらずわかりやすい。押しつけについては、そういう側面もあったけれど、そういう側面ばかりではない、というのが妥当性の高い判断だと思う。当時の政治的条件(天皇の戦争責任訴追、GHQ占領体制など)が国会の議論の方向性に影響を与えていた面はあるだろう。だが、実際に帝国議会で議論され、正式な手続きを経て改正されているということを全くのゼロ評価とするのは不適切だと思う。


○高坂正堯『世界史の中から考える』新潮選書

○高坂正堯『文明が衰亡するとき』新潮選書

 高坂さんの歴史論は、マニアックで細かいエピソードよりも大局的な流れを捉えるところが特徴である。読んでいてとてもダイナミックな展開にたびたびハッとさせられた。


○宮崎学『突破者 -戦後史の陰を駆け抜けた五十年』南風社

 教科書には載らないだろう陰の昭和戦後史が、実体験をもとに記されていて面白い。この本を読んでから安保闘争の帯びていた多義性に気付かされた。この本は、裏社会への締め付けが過剰にきつくなっていることへの警鐘も含んでいる。寅さんを知らない世代も増えてるんじゃ、しかたないよなと思う次第。


○ハンス・ヨアヒム・ビルクナー『プロテスタンティズム -潮流と展望』日本基督教団出版局

 プロテスタンティズムは文字通り「抗議するもの」という意味である。ドイツではプロテスタントという言い方よりも福音主義がよく用いられているらしいが、僕も福音主義のほうがベターだと思う。プロテスタントだとカトリックに対するアンチテーゼというニュアンスが強く、プロテスタントのもつ本質的意義が見えづらい。この本の著者も、プロテスタンティズムの系譜をたどりながら未来を展望しようとして、結果行き詰っているようだ。う~ん。すっきりしない。


■その他に読んだ本(コメントはなし)

○司馬遼太郎『韃靼疾風録』中公文庫

○司馬遼太郎『ひとびとの跫音 上・下』中公文庫

○小室直樹『世紀末・戦争の構造ー国際法知らずの日本人へ』徳間文庫

○会田雄次『敗者の条件』中公文庫

試験後の暇をねらって、実は行ったことのなかった西の京に足をのばしてみた。


近鉄の大和西大寺駅は京都駅から約1時間弱でいける。

駅の周辺は開発が進んでおり、乗り降りする人の数も多い。


でも駅から10分ぐらい歩くと、すこしずつ人家と木々が見えてくるようになる。

駅から歩くこと20分。昔の名残を感じさせる住宅の合間に古寺の門が見えてきた。

お目当て秋篠寺の南門である。


秋篠寺入口

平日の昼過ぎで人影はまばら。うっそうと茂る木々がお寺を守っているように見える。

秋篠寺講堂

往時は東西の塔と金堂もあったとのことだが、現在は焼失。礎石のみが残っている。

写真は国宝の本堂。屋根の反りもすくなく、マイルドな印象を受ける。静かだ。

うすぐらい本堂の中に、たくさんの仏像が安置されていた。明王像は薄明に映える。

なかでも伎芸天という珍しい仏さまの像が有名。

本堂内にはベンチもおかれており、腰かけてゆっくりと仏像を拝観する人もいた。

糸杉

秋篠寺の門をでて駅まで戻ろうとすると、道端にゴッホの描いた糸杉のような木があった。

なにやら力をいただけるような、生命力のある木である。

大和西大寺駅まで戻り、少し南に下ると西大寺がある。かつては南都七大寺に含まれ、

大伽藍だったが今は規模を縮小。保育園の園児さんが走り回る賑やかなお寺である。

本堂、四王堂、愛染堂が公開されていて、中の仏像も含めて拝観することができる。

東塔跡の石段が往時の大伽藍をしのばせる。

西大寺
拝観した仏像の中では、本尊の釈迦如来立像が印象深い。細かい衣のひだや髭の表現は

他の仏像ではあまり見たことがなく、新鮮だった。

大和西大寺駅まで歩いて戻り、今度は、近鉄電車で二駅の「西ノ京」駅まで移動。

西ノ京駅前すぐに薬師寺が見えるのだが、一部修復工事中ということで、今回は拝観を断念。

徒歩で唐招提寺に向かうことに。薬師寺と唐招提寺を結ぶ道は車の交通量が多く、

気をつけながら歩く。古代の道は、車に合わせた幅になっていないので要注意。

いや、車が古道の道幅に合わせていないと言うべきか。


唐招提寺金堂

薬師寺から歩くこと約10分。唐招提寺に到着。中学校の修学旅行以来の訪問である。

だいぶ久しぶりだったが、境内に入るとなんとなく見覚えのある金堂が目に入ってくる。

若干歩き疲れたのと、車の排気ガスにやられぎみだったが、金堂に心が和む。


金堂には、千手観音立像、盧舎那仏坐像、薬師如来立像が安置されていた。

薬師如来が脇におられるのも珍しいが、立ち姿も珍しい。しげしげと見入ってしまった。

礼堂や経蔵も奈良の香りを湛えている。


拝観を終えると、すっかり夕方になっていた。唐招提寺もまわりは住宅に囲まれている。

住宅地の細道を通って尼が辻駅にむかい、近鉄電車で帰途についた。


今回、西ノ京をおとずれてみると、中学時代の印象とことなり、寺院周囲に住宅が多い。

そのためだろうか、寺院に「人里離れた感じ」がしないのである。


帰宅してあらためてパンフレットを見返してみると、秋篠寺にも唐招提寺にも○○山という

山号がないことに気がついた。(西大寺は勝宝寺という山号があるらしい。)

これはどうしてなのだろうか。人里離れた感じがしないのと何か関係があるのだろうか。

唐招提寺よりも古いはずの長命寺には山号があったなと思いだしながら、疑問がわいてきた。


また、宿題の増える旅となった。