無事、17日に歩道が渡れなくなってしまった鎖橋。

結局、革命記念日の15日、16日の二日間

鎖橋を見るために、カメラ片手に、一人でお散歩。

革命記念日だった15日の昼には、国旗で飾られた鎖橋を見る為に

夜には国旗カラーのライトアップを見る為に、2度

16日は青空の鎖橋を見る為に

一旦帰宅して通常ライトアップを見る為に、2度。

そして、通常のお散歩で19日はブダ側から

20日はペスト側から鎖橋。

小さい頃から川沿いを歩くのが好きだけど、ちょっと行きすぎたかも。

15日の国旗カラー鎖橋、とっても綺麗で

16日の青空鎖橋も綺麗で

夜の通常ライトアップ鎖橋も、綺麗。

16日は、午後に予定してた予定がポッカリ無くなったので

手作りの苺大福を持って13時過ぎに到着して

お花見ならぬ、「橋見」をしながら食べて

川や鎖橋を、いろんな角度から眺めて堪能していたら

あっという間に17時を回っていて

寒かったので一旦帰宅して、厚手の上着に着替えた後、また鎖橋。

15日にはたくさん人がいたけど、16日は全然人がいなくて

同じようにカメラ片手に橋を見にきてた女性と

それぞれ二人で景色を独り占め状態。

19日、20日と立ち寄った時には

すでにバリケードが張られていました。

17日の「聖パトリックの日」

例年は鎖橋が緑色にライトアップされてたはずだけど

今年は歩道通行禁止になったし、ライトアップないんだろうな・・・

と思って、行かなかったけど(流石に行き過ぎだと思ったし)

代わりに、漁夫の砦エリアが緑色ライトアップだったみたい。

これからの改修工事中、さまざまな特別ライトアップは、漁夫の砦エリアで行うのかな?

昔から工事現場の足場を見たり、資材置き場等を見るのが好きなので

橋は渡れなくなってしまったけど

ハンガリー語だったけど工事内容を読んでみたら

とても大掛かりな規模の工事内容みたいなので

歴史的な建造物にどうやって足場を組むのか、

どんな風に工事を進めるのか等を見れるのが、とても楽しみ。

だからきっと、引き続き鎖橋まで足繁く通う予感。

自分で書いてても思ったけど、こんなに何度も通って、何時間も橋と川を眺めてて、本当に好きなんだなぁ。

多分、人から驚かれる・引かれるというか、確実に呆れられるレベルな気がする。



それはそうと。

昨日、3月20日は国際マカロンの日で

可愛いと評判のマカロン屋さんが、20%割引。

でも、敢えて色とか可愛さではなく「欲」を重視して

カメ、カエル、ゾウ、豚という、縁起の良い動物4種類のマカロン。

それと、いつも行ってるマカロン屋さんのマカロン。

そして、春分の日だったので、ぼた餅。

最寄りのコンビニ・和菓子屋さんまで約9000kmなので

お彼岸だし、煩悩に打ち勝つために

あんこは無いので、スーパーに売ってる190Ft(約60円)の缶詰の豆を煮詰めて

餅米も無いので、同じくスーパーに売ってる1kgで390Ft(約120円)の丸粒のお米に、米粉を少々。

不器用でズボラなわたしが見様見真似で、初めて作った割には

あんこが少し緩かったから、上手に包めなかったけど

味はちゃんと、美味しいぼた餅(おはぎ)だったし合格。

牡丹と萩とで、春と秋で名前と形を変える

そんな日本の食文化、やっぱり素敵だなぁと思いました。

「最寄りのコンビニまで約9000km」という発想の転換のお陰で

こだわって、こだわらなければ、現地調達でも創意工夫でなんとかなる。

余ったあんこで、念願の元祖いちご大福。


せっかくなので、春らしさを求めて、ピンク色の大福にしてみた。

雪が舞うくらい寒かった、そんな春分の日だったけど

健康で幸運に溢れる、そんな春を過ごせますように!
先週、気持ちの分析・整理が出来たはずなのに

なんだか未だにモヤモヤを引きずっているものの

お家はアパートの最上階で

直射日光は入ってこないけど
(だから夏は蒸し風呂にならない)

なぜだか日当たり良好な素敵な物件なので
(冬は暖房つけてなくても、そんなに寒くない)

「空気が冷たくとも、風が強くとも、日差しは春」なここ最近は

普段以上にとても快適な日中。

今日はなんだか、朝は小雨が降ってたし肌寒いけど

昨日のお昼頃、外出した時

「ポカポカだし、目的地は近場だし、上着はいらんな」と思って

薄手のセーター1枚+裸足にパンプスで外出したけど

アパートから道路に出た時、あまりの空気の冷たさと強風に驚いて

慌てて階段を駆け上がって、ライトダウンを羽織って出直しました。

コロナウイルスについて、1日の新規感染者数が9000人を超える日も出てきてしまったけど

わたしの場合、この温度差で体調やられないようにもしないといけないな、

と改めて気付けた、春のポカポカ陽気。

多分モヤモヤしてるのは、春だからかな。



そういえば、ふと無性に気になって調べてみたのだけど

ロックダウンという言葉。

わたしはこれまで「ロックダウン」という言葉を意識して遣わないようにしてるんだけど

というのも、小さい頃から外国語やカタカナ語が苦手すぎて

そもそもロックダウンという言葉の意味を、いまいち理解出来ていないし

自分の言葉で説明出来るだけの理解をしてないから。

「自分が意味の分かってない言葉は遣っちゃだめ。言葉に責任を持ちなさい。分からないなら調べなさい。」

って小学生の頃に先生や両親が言ってたのもあるし

母国語以外での会話が日常になってからは、なおのこと意味を理解してない単語を遣うのは避けてきたし

日本でもハンガリーでも

「単語の意味もわからんと、大口開けて自分で意味の分かってないことを歌ってたらあかんで。」

と言われることも多いし
(だからといって単語の意味を調べて対訳を作っても、一字一句覚えて歌えてるかと言ったら自信がないけど。それは日本語でも同じく自信ないけど。)

大使館からのメールでも常に「制限措置」という言葉が遣われてるし

自分の実感として「ロックダウンって何?」だったからなんだけど

今回調べてみて納得。


手元にある電子辞書の広辞苑には記載がなくて
(2018年に10年ぶりに大改訂されたみたいだから、最新のものじゃないけど)

ウィキペディアには「日本語の辞書には記載がなく、現在のところ定義がない」と明記してあって

日本語は便利だから、外国語をすぐにカタカナを用いて「日本語」の見た目に変身させれるけど

いまいち意味を理解出来ずにいて、分かってなかったことが

時代に取り残されてる&恥ずかしいわけじゃなかったんだ、って思えて安心しました。

以前、友達が

「自由という言葉も概念も、日本語にはもともと存在しなかったはず。なぜなら日本には必要がなかったから。開国してから必要になって出来た日本語だったはず。」

って教えてくれたのを何故か凄く覚えてるんだけど

言葉は生き物だし、この先ロックダウンも日本語の辞書にも掲載される日がくるのかな。

小学生の頃は、鰹節は木屑(木を食べれるように加工した栄養食だと思ってた)、汚職事件は「お食事券」だと思って過ごしてたし

わたしは、色々と謎の勘違いや、自分でも意味のわからん謎理解をしてることが多いから。


先生や友達とのやり取りでは、彼らは「Close」という単語を用いて会話をしてるし
(ハンガリー語でやり取りしてる人はBezárásと言ってたけど、それにロックダウンっていう意味が含まれてるのかは分からないけど)

捉え方、考え方って大事だなと。

外国語・カタカナ語が苦手なことがいい方向に働いてたお陰で「制限」って捉えてたから

多くの出来ないことよりも「出来ること」「許されてること」に自然と焦点を合わせて毎日過ごせてて

だからなのか、最近毎日があっという間に過ぎてて

「時間が足りない!」ではなくて「自分が足りない!」って思ってる自分は
(皮肉にも時間はたっぷりあるから)

我ながら呑気で天晴れだなと。

「本気デアレ」という小学校の校訓と

中学校の校訓の一節「自由と規律を重んじる学園」というのが

在学中から凄く気に入ってるんだけど

制限の中でこそ、本気に、自由と規律を大切にしたい。



そう。

改修工事の為、遂に3月17日から歩道通行禁止、と発表された鎖橋。

車道の通行禁止はまだ少し先みたいだけど

歩道通行禁止に伴って、わたしが好きな川沿いエリアも侵入禁止になるみたいなので

昨日は連休初日だったから「人が沢山いたら嫌だな」と思って避けたけど

残りの数日の間に、どこかでお散歩行こうかな。

明日は革命記念日で祝日だし、既に街中ではたくさんの国旗が掲げられてるけど

コカールダ、これまでそんなに気にしたことなかったけど

この前のKurtág氏の作品がきっかけで、ハンガリーが辿ってきた歴史にますます興味を持った結果

今年はなんだかとても気になってるので

せっかくだし機会があれば、ご縁があれば、手に入るといいな。
「現状の“近い将来”は不透明だから、冷静に判断して、不確定なことに対して不必要に期待しない」

というアドバイスを、去年の3月にハンガリー人からもらって以降

常にそのことを意識して生活するようにしてるけど

たった1時間先のことでも、今は未来が不透明で、不確定だなと思った、そんな今週1週間。

「来年の事を言えば鬼が笑う」という素晴らしい諺が日本にもあるじゃないか!

って思い出せてよかった。

昔からの教えの中には、今にも応用出来るヒントが、たくさんあるはずで

「モーツァルトを勉強する意味を、世界中の様々な場所でモーツァルトが課題になってる理由を考えてみて」とか

「現代音楽、実はバロック音楽と共通点が多いんだよ」といったアドバイスを

これまで様々なタイミングで貰う事があったけど

音楽もきっと同じなんだろうなぁと。



3月3日、ひな祭りは

立派な31歳、もう「女の子」と言える年齢ではないけど

(先生にも、母が飾ってくれた実家の雛人形の写真と共に、ひな祭りの説明をしたら「もう立派な女性だよ!」って笑われたけど)

日本から持ってきてた、ちらし寿司のもとを使って

スーパーで揃う、冷製の燻製サーモン、ゆで卵、魚卵、のり、不思議な野菜、アボカドを使って

お雛様にしました。

名前がわからないから、勝手に「トリケラトプス」って呼んでるこの野菜

ぼんぼりに似てるな、と思ったので茹でて飾ってみた。

パンダみたいなお雛様になったけど

不器用なのに図画工作は大好きだったので

工程も楽しかったし、味も美味しかったし、大満足。

ついでに、春らしいデザートと思って苺大福も。

最寄りのコンビニ・和菓子屋さんまでは9000km+隔離14日間だけど

最寄りの米粉、苺は自宅からたったの300m。

あんこは(アジア食材店に行くのが)面倒だったので、サツマイモ餡で代用。

苺の赤色、サツマイモのオレンジ色で、なんだか優しい色合いで

酸味と甘味のバランスも良くて、味も良かった。

いろんな催し物が中止、延期になる中

ピアノの先生が数年前にプレゼントしてくれたお雛様を飾って

無観客ひな祭り、無事開催、そして満足。

実家の雛人形、母のお陰で今年も無事に勢揃いしてくれてよかった。



ハンガリーでは、感染状況の悪化の影響を受けて

明日からまた規制が一段と厳しくなるけど

わたしの生活は大きく変わらないので、大丈夫。

高校受験、大学受験前に倍率を見て一喜一憂してた時に

「どれだけ倍率が高かろうが、低かろうが、裕子にとっての倍率は、常に2分の1だよ」

と父が教えてくれたように

どれだけ感染者数が増えようが、減ろうが

今も自分にとっての感染確率は常に50%で

かかるか、かからんか。それ以上でも以下でもない。

そう思ったら無駄には怖くないし、だからと言って楽観視も出来ないので

受験同様、自分がやるべき事・やれる事に取り組むのみ。

だから、良く寝て、良く食べる。

これに尽きる。



規制の再強化の宣言を受けて、もちろん自分にも少なからず影響はあったし

状況的に強化の予想は出来てたから、先週からなんとなく構えて備えてはいたものの

やっぱり悲しいなと思って、昨日・一昨日は気持ちの分析と整理に時間を費やしたけど

生活に大きな変化は生じてない、って冷静に気付けてよかった。

良く寝て、良く食べよう。
もう1週間経過してしまったけど・・・

先週のコンサート

日本時刻では深夜帯、ヨーロッパ時刻では日曜夜のお忙しい時間帯

リアルタイム配信をご覧下さった方ありがとうございました。

YouTubeチャンネル、Facebookページにて

演奏会の動画を、(恐らく3月末頃まで)視聴出来るようです。

もう1年以上も会えていない、日本の家族や

アルゼンチンやインド、英国、米国などに住んでいる友人、知人が見てくれていて

無観客のコンサートは本当に観客無限大だなぁ、と思いました。

大ホールの空っぽの客席を目の前に

「観客無限大」と思って向き合えたのは、

父からおすすめされた、ももクロの曲をずっと聴いていたお陰なのだけども。

そして、天皇陛下も誕生日会見にて、おっしゃっていたけれど

無観客だからこそお客様との距離が近いと、改めて感じました。



今回の演奏会は、2人のハンガリー人作曲家のお誕生日を記念したもので

わたしは先日95歳を迎えられた、Kurtág György氏の作品22番を歌いました。

ハンガリーの楽器、ツィンバロンとソプラノの為の作品で

全7曲からなる、10分程度の短い作品ですが、とても奥深い作品でした。



「言葉に沿って、音そのものに、表情と色と感情をつけてみて。綺麗に歌わなくていいの、綺麗だから。」

というアドバイスを、師事しているメラート先生が下さり

詩(言葉)の意味だけではなくて

作曲された時代、言葉の背景、作曲家の生い立ち、作詞家の生い立ち

作品と向き合えば向き合うほど、新たな発見と疑問が溢れた、とっても表情豊かな作品。

一つ一つは短くて、音も少なくて譜面はとってもシンプルで、余白が多いのに

たくさんの「音」が詰まっている、不思議な作品。

そんな作品と出会うことが出来て、とっても幸せでした。

政治的な意味を持っている作品と向き合うことで

日本では触れることの出来ない感情や

コミュニズムとは何か、ということをきっかけに

これまで考えたことのなかったこと、知らなかったこと

わたしなりに、たくさん触れることが出来ました。

今回、そんな作品に答えることが出来てたのか、音が形になっていたのかは

わたしが決めることではなく、聴いて下さる方のみが決めることだから、なんともいえないけど

本当に魅力あふれる曲、少しでも形になってたらいいなぁ。

終演後、ツィンバロンのアンドラーシさんも「またやりたいね!」って言ってくれたけど

本当に、また演奏出来たら嬉しいなぁ。



この作品は、小林一茶の

「かたつむり そろそろ登れ 富士の山」

という俳句が歌詞になっていて

(前6曲はハンガリーの詩人、Károlyi Amy氏の作品)

ハンガリー語訳でも、ちゃんと5・7・5になっていて

もちろん意味もパーフェクトで

翻訳者さんの俳句への敬意を感じて、とっても嬉しかった。

だから「カタツムリになって、7曲登り切らねば」と考えて

いつも行ってるパン屋さんへ、毎日のように通って

1週間、Csigaパン(Csiga=ハンガリー語でカタツムリ)を毎日2個ずつ食べ続けました。

それに、演奏会事務局のスタッフさんから

「字幕つけるから、Wordの書式で歌詞送って〜。ハンガリー語だけで大丈夫だよ〜」

と言われて送ってたのだけど

ちゃんと字幕も5・7・5で流してくれてた◎



演奏が終わって帰り支度を済ませてから
(こちらでは自分が終わったら、基本みんな速攻帰る)

友達のマルティンを聞いてから帰ろうと、袖に行ったら

「モニター席、座っていいよ!おいで!」

って言ってくれたから、スタッフさんと一緒にモニター鑑賞。

9台のカメラで同時に撮影しながら、リアルタイムに流すのを決めていて

本当に舞台は、前から(お客さん)も、後ろ(スタッフさん)からも、360度から支えてくれる人たちあって成り立ってるなぁと。

だからこそ、立つ為にはやる事、やるべき事がたくさんある。



今回、演奏会を迎えるにあたって、ツィンバロン奏者のアンドラーシさんと

イメージを作る為に、それぞれが見てた富士山のYouTube動画を共有したり

当時の様子(その時、アンドラーシさんはまだ子どもだったけど)で覚えてることや、感じてたことを教えてもらったり

わたしは、小林一茶のことや、富士山のことで知ってることをお話ししたり

とってもいい時間を過ごせました。



演奏会が終わった後は既に20時を回っていたので

許可証を持っての帰路。

街がからっぽで(デリバリーの配達員もあんまりいなかった)

映画「アイ・アム・レジェンド」の主人公、ウィル・スミスの気分になりました。

やっぱり音楽のことを書くと、こうやって無意味に長くなるから、反省。




最後に、ツィンバロンの調律がとても興味深かったので、その動画。


低音は1音1弦だけど、高音部分は1つの弦で2、3つの音を出すみたい。

「1つの音を整えるだけじゃダメで、同じ弦を使ってる別の音も確認して、バランス見るんだよ〜」って。

もともと机に置いて演奏する楽器だったツィンバロンを

国際的な楽器にする為に脚をつけて

今の「ツィンバロン」の形にしたのは、リストなのに

リストはツィンバロンを完成させたのにもかかわらず、当時はまだ演奏者がいなかったから、ツィンバロンの作品を書いてない

リストの没後10年くらいして奏者が育ったんだけど、リストは「ツィンバロンのように」っていうト書きしかしてない(出来なかった)

っていうことも教えてくれました。

面白いなぁ。



無駄に長い投稿になってしまったけど、とりあえず、明日から3月。

気持ち新たに過ごしていこう。
無観客だけど観客無限大

そう考えることにしました。

再び大ホールで歌える事、場所を問わず世界中の何処からもお楽しみ頂ける事

さっき、無事にホールでのリハーサルを終えて



既にお家だけど、本当に今から楽しみ。

(毎度思うけど、ハンガリーの朝にホールリハーサルをして解散、夜にまた集合してコンサートなのは、とてもいい気がする)



今日のコンサート、現地時刻19:30からで

日本時刻では22日、3:30だけど

質問してみたら30日間は閲覧出来るみたいなので

(19日に行われた同様のコンサート、学校のチャンネルでは20日の午後には映像消えちゃってたけど)

今回、ずっと色々な気持ちが戦ってるからこそ

自分も後から観れるといいな。



どうでもいいことだけど

昨日食べた唐揚げ、とっても美味しかった。