もう1週間経過してしまったけど・・・
先週のコンサート
日本時刻では深夜帯、ヨーロッパ時刻では日曜夜のお忙しい時間帯
リアルタイム配信をご覧下さった方ありがとうございました。
YouTubeチャンネル、Facebookページにて
演奏会の動画を、(恐らく3月末頃まで)視聴出来るようです。
もう1年以上も会えていない、日本の家族や
アルゼンチンやインド、英国、米国などに住んでいる友人、知人が見てくれていて
無観客のコンサートは本当に観客無限大だなぁ、と思いました。
大ホールの空っぽの客席を目の前に
「観客無限大」と思って向き合えたのは、
父からおすすめされた、ももクロの曲をずっと聴いていたお陰なのだけども。
そして、天皇陛下も誕生日会見にて、おっしゃっていたけれど
無観客だからこそお客様との距離が近いと、改めて感じました。
今回の演奏会は、2人のハンガリー人作曲家のお誕生日を記念したもので
わたしは先日95歳を迎えられた、Kurtág György氏の作品22番を歌いました。
ハンガリーの楽器、ツィンバロンとソプラノの為の作品で
全7曲からなる、10分程度の短い作品ですが、とても奥深い作品でした。
「言葉に沿って、音そのものに、表情と色と感情をつけてみて。綺麗に歌わなくていいの、綺麗だから。」
というアドバイスを、師事しているメラート先生が下さり
詩(言葉)の意味だけではなくて
作曲された時代、言葉の背景、作曲家の生い立ち、作詞家の生い立ち
作品と向き合えば向き合うほど、新たな発見と疑問が溢れた、とっても表情豊かな作品。
一つ一つは短くて、音も少なくて譜面はとってもシンプルで、余白が多いのに
たくさんの「音」が詰まっている、不思議な作品。
そんな作品と出会うことが出来て、とっても幸せでした。
政治的な意味を持っている作品と向き合うことで
日本では触れることの出来ない感情や
コミュニズムとは何か、ということをきっかけに
これまで考えたことのなかったこと、知らなかったこと
わたしなりに、たくさん触れることが出来ました。
今回、そんな作品に答えることが出来てたのか、音が形になっていたのかは
わたしが決めることではなく、聴いて下さる方のみが決めることだから、なんともいえないけど
本当に魅力あふれる曲、少しでも形になってたらいいなぁ。
終演後、ツィンバロンのアンドラーシさんも「またやりたいね!」って言ってくれたけど
本当に、また演奏出来たら嬉しいなぁ。
この作品は、小林一茶の
「かたつむり そろそろ登れ 富士の山」
という俳句が歌詞になっていて
(前6曲はハンガリーの詩人、Károlyi Amy氏の作品)
ハンガリー語訳でも、ちゃんと5・7・5になっていて
もちろん意味もパーフェクトで
翻訳者さんの俳句への敬意を感じて、とっても嬉しかった。
だから「カタツムリになって、7曲登り切らねば」と考えて
いつも行ってるパン屋さんへ、毎日のように通って
1週間、Csigaパン(Csiga=ハンガリー語でカタツムリ)を毎日2個ずつ食べ続けました。
それに、演奏会事務局のスタッフさんから
「字幕つけるから、Wordの書式で歌詞送って〜。ハンガリー語だけで大丈夫だよ〜」
と言われて送ってたのだけど
ちゃんと字幕も5・7・5で流してくれてた◎
演奏が終わって帰り支度を済ませてから
(こちらでは自分が終わったら、基本みんな速攻帰る)
友達のマルティンを聞いてから帰ろうと、袖に行ったら
「モニター席、座っていいよ!おいで!」
って言ってくれたから、スタッフさんと一緒にモニター鑑賞。
9台のカメラで同時に撮影しながら、リアルタイムに流すのを決めていて
本当に舞台は、前から(お客さん)も、後ろ(スタッフさん)からも、360度から支えてくれる人たちあって成り立ってるなぁと。
だからこそ、立つ為にはやる事、やるべき事がたくさんある。
今回、演奏会を迎えるにあたって、ツィンバロン奏者のアンドラーシさんと
イメージを作る為に、それぞれが見てた富士山のYouTube動画を共有したり
当時の様子(その時、アンドラーシさんはまだ子どもだったけど)で覚えてることや、感じてたことを教えてもらったり
わたしは、小林一茶のことや、富士山のことで知ってることをお話ししたり
とってもいい時間を過ごせました。
やっぱり音楽のことを書くと、こうやって無意味に長くなるから、反省。
最後に、ツィンバロンの調律がとても興味深かったので、その動画。
低音は1音1弦だけど、高音部分は1つの弦で2、3つの音を出すみたい。
「1つの音を整えるだけじゃダメで、同じ弦を使ってる別の音も確認して、バランス見るんだよ〜」って。
もともと机に置いて演奏する楽器だったツィンバロンを
国際的な楽器にする為に脚をつけて
今の「ツィンバロン」の形にしたのは、リストなのに
リストはツィンバロンを完成させたのにもかかわらず、当時はまだ演奏者がいなかったから、ツィンバロンの作品を書いてない
リストの没後10年くらいして奏者が育ったんだけど、リストは「ツィンバロンのように」っていうト書きしかしてない(出来なかった)
っていうことも教えてくれました。
面白いなぁ。
無駄に長い投稿になってしまったけど、とりあえず、明日から3月。
気持ち新たに過ごしていこう。