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『走る編集ライター』トレーニング日記

フリーランスの編集ライター、目指せ日本選手権三段跳び8位入賞!

3月18日の練習メニュー


尼競技場にて練習


・バウンディング
・ハードルなしのハードルジャンプ
・スタブロなしのスタートダッシュ
・200m(25.0)+150m(18.2)+100m(12.4)


2週間ぶりの走りの練習+昨日のウエイトの疲れで、
どこまで走ることができるのかがわからない中で手探りで練習。


フォームを意識して気持ちよく走れる程度でスピードを上げてみた。


200mは、気持ちよく最後まで走りきり、最低26秒切ることを目標にすえて。
練習不足で最後はバテたけど、わりとイメージ通りの走り。


しかし直線に入ってから接地のタイミングが少し足裏の前方にきてしまい、
軸がずれ、足が流れ、股関節の可動域がせまい窮屈な走りに。

昨日のレッグカールの影響でハムストリングがだるい。


150mは少しスピードを上げて18秒を目標にすえる。
わりといい感じ。接地もよく。でも、ケツワレ。練習不足、実感。


100mはなんぼなんでも13秒は切ろうや、と自分に言い聞かせ。
さーっと流して走ると、接地のタイミングもよく、軸も感じ、
腰の乗りも感じながら非常にラクに走ることができた。


右膝に違和感あり。おそらくウエイトの影響。
すれすれの状態で身体を酷使している。


3月17日の練習メニュー


・クリーン 60kg×10、70kg×7、80kg×4(途中断念)、80kg×5、60kg×10
・ベントオーバー25キロ20回×2
・レッグ・カール33キロ×10回、
 5回(39キロ)+10回(33キロ)×2セット
・レッグ・プレス10回×3セット(202キロマックス)
・スクワットジャンプ50回(30キロのバーベルかついで)
・シットアップ(腹筋)50回
・大腰筋まわりを集中的に鍛えるエクササイズ


風邪をこじらせて長く練習できない日々が続いていた。


久々にウエイト。


身体の状態がそれほどよくなかったが、

トレーニングを開始すると乗ってきて、ついクリーンで重たいのを持ってしまう。


クリーンで80キロにチャレンジ。

最初、5回を目指して行うも、4回で断念。

集中して再チャレンジし、5回成功。


しかし、クリーン終了後、上腕二頭筋に強い張りを感じたので、

おそらく正しくクリーンが行える許容範囲を超えていたと思われる。

集中しすぎて、クリーンしているときはまったく気づかなかった。


腕を使って無理やりバーベルを引き上げていたのだろう。

こうなると腕がケンダマの紐にならず、体幹をうまく使えなくなる。

結果、意味のない練習になってしまう。


まずは80キロで、体幹を使った正しいクリーンができるようしよう。


しかし、相変わらず体重が増えていないにもかかわらず、

クリーンがここまで復活しているのは収穫といえる。


感覚の目覚めに筋肉の増強が追いついていないような気がする。


感覚は、100キロ近くクリーンを上げていた現役時代の状態におそらく戻っている。

筋肉量が少ないにもかかわらず、感覚は、クリーンが100キロ上がると錯覚し、

現状の身体でも現役時代と同等の重量を上げようとする。


結果として、少ない筋肉量で効率よくクリーンが上がる道を感覚が探り出し、

この身体でも本当に100キロ上がってしまうかもしれない。


質の高い筋肉を育むチャンスである一方で、

リミッターが外れることで怪我する危険性も増す。


気をつけつつも、慎重かつ大胆に、紙一重の状態で鍛えるしかない。


2009年3月13日。


父親が、50年勤め上げた会社を65歳で定年退職した。


半世紀の重み。


「中学を卒業した次の日から休みなく働いてきた」--。


それが父の口癖だった。


昔はそれを聞くのがいやだったけれど、


社会人になり、働くことの厳しさを知るにつれて、


その言葉の重みを少しずつ感じるようになった。


そして、自分にも同じ血が流れていると思うと心強く、安心したりした。


13日の夜、電話を入れてみた。


最初、おかんが出た。


「ついにこの日が来たわ。感無量やわ」


そう言って涙ぐんでいる。


ひと昔前のバリバリの亭主関白の父を支えてきたおかん。


ようやく、ふたり、ゆっくりと過ごせる日が来たじゃない。


おとんにかわった。


照れくさいけど、「おつかれさんでした」と言った。


「大きな病気もせず、50年勤め上げたわ。ありがたいことや」


おとんはそう言った。


会社で花束をたくさんもらったと喜んでいた。


おとんは700人くらいいる社員さんの中でもっとも古い人材らしく、


社長さんよりも長く、会社のことも一番よく知っている。


番頭のような存在だったのだろう。


なので、65歳で辞めてもいい、というお許しを、


社長さんからもらうまで、だいぶ時間がかかったらしい。


一度、60歳のときに辞めると言っていたが、


そのときは僕がなんとも頼りなく、


「わしがもう少しがんばる」


と言って働き続けた。


「あとはおまえが稼げ」


昨日の電話で、バトンタッチされてしまった。


そう言われて、


まだ完全に心まで自立しきっていなかった自分に気づく。


来週は姉家族と共におとんお疲れさん会、


再来週は温泉旅行。


2週続けて、親孝行しようと思う。