関西弁、最後に「知らんけど」の ルーツ (再掲) | 民営文化センター

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関西弁、最後に「知らんけど」 笑い絡ませ表現に奥行き

 

 

 

引用

とことん調査隊

関西タイムライン

20211012 2:01 [有料会員限定]

 

 

東京出身の記者(33)は大阪に赴任して1年半。

 

 

 

関西での日々の暮らしの中で戸惑ったのは、真面目な会話をしていても、最後に「知らんけど」と付け足す人が多いことだ。

 

 

 

少し無責任にも感じる言葉だが、そこには商業の街として栄えた大阪の歴史、土地柄も密接に絡んでいるらしい。

 

 

 

関西の人々は実際、どれだけ「知らんけど」という言葉を使うのか。

 

 

 

9月中旬、日本一長い商店街といわれ、多くの買い物客でにぎわう天神橋筋商店街(...

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https://ameblo.jp/mintoooooooo-2021/entry-12705585402.html

                 

 

 

 

 

関西弁独特の“会話の最後での落ち”に就いて述べている記事なのですが、その由来は「法隆寺移築説」と関係がある、と私は睨んでいます。

 

 

 

テレビ的にも歴史がブームで、かなり突っ込んだ議論が交わされるのですが、所詮“歴史のIf”を語り合う茶話会的番組であり、真相を暴く楽しさに乏しいのです。

 

 

 

国の歴史の始まりの部分が「ボタンの掛け違い」のまま放置された状態で、“その後”をいくら議論してもむなしいのです。

 

 

 

「法隆寺移築説」は“白村江の戦い”以後、現在に続く(この日本列島の)真の統治者の正体とその変遷を明らかにします。

 

 

 

(白村江の)戦後、倭国九州王朝の存在を徹底的に消し去るイベントは北部九州の総て(地名、建築、文学作品、絵画、住民等)を近畿地方に移し、大和朝廷が初めからこの国を主導してきた、と成りすますことだったのです。

 

 

 

大宰府の観世音寺を分解した部材を斑鳩(→法隆寺)に運ばされた者達の多くはそのまま近畿地方に居ついたのでしょう。

 

 

 

自分達の行いと倭国の真相に就いては、きつく口止めされていたため、秘密をバラすような会話は死罪に値し、最後に「知らんけど」と付け足す癖が方言として定着したと思われます。

 

 

 

「知らんけど」という態度が1300年以上、本来の日本人の間で蔓延しているうちに、平安時代に縺れ込んだ歴史改ざん作業~武家政権~明治維新~大東亜戦争などの数ある局面で

 

 

 

成りすましを続けることに疲れてしまった半島経由人たちは本性を剥き出しにし“日本をトリモロス”などと意味不明な言葉を発するようになったのです。

 

 

 

このような流れに気付かないままだと2025年ごろに本当の日本が終了してしまう、と言われています。

では、どうすればよいのか?

 

 

 

「建築史学シリーズ」で本当の古代史を学ぶしかありません。

 

 

 

 プライドを取り戻すために。

 

 

 

『建築史学入門』の“前書きに書いた“救国の歴史書”が現実味を帯びてきました。

 

 

 

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今なら間に合います。

 

 

 

 

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