https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230529/k10014081181000.html
吉野ヶ里遺跡 墓の一部出土「歴史的に大きな意味の可能性も」
NHKTV によれば、吉野ヶ里遺跡で新たな発見があったようです。
吉野ヶ里は発掘の初期から弥生時代の集落と解釈され、復元建築もその趣旨で作られています。
今回の発掘で墓地と判断される所見が明確になったのですから、この先、研究者諸氏は丁寧に作業を続け、主観を交えず、事実を歪めないで成果を公表するようお願いしたい。
太宰府観世音寺の三十三間堂礎石の扱いが、真実を曖昧にするのを兼ね随分乱暴に掘っていたと現地の人から聞いたことがあるからです。
考古学マニアの皆さんも、やがて現地説明会で、どこかの教授が解説をすることと思いますが、その説をまずは疑い、真実を追求して下さい。
米田建築史学では吉野ヶ里は邪馬台国~九州王朝倭国の墓地公園であり、発掘はこれからが見ものとなります。
もう一つお楽しみがあります。
倭国の首都大宰府が500年代に短期間現在の神崎町辺に遷都(大きな都ではないと思いますが)したことがあり、その発掘も待たれます。