【論点】キリスト教の公会議と正統・異端(東大2024年第2問⑴⒝,東大2013年第2問⑶⒜ほか) | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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論点・テーマのポイント


キリスト教は4世紀にローマ帝国に公認・国教化されて帝国内で拡大していくが,それにともなって教義をめぐる論争が起こり,キリスト教会は分裂の危機に直面した。


この論争の解決のために公会議と呼ばれる教会の会議が開催され,そこで正統な説と異端な説が決定され,その過程を通じてキリスト教の正統教義が確立されていくことになった。

一方,異端とされた説も,帝国の周辺部や他の地域に継承・伝播されて,世界史において注目すべき役割を果たした。


世界史の論点としては,各公会議でどの説(派)が正統あるいは異端とされたか,そして,その後に正統説および各異端派はどのような役割を果たしたか,という点が重要である。


解説


総論


古代末期の4世紀から5世紀には,キリスト教が拡大・発展するとともに,教義をめぐる論争が起こった。論争は複雑で錯綜しているが,主な焦点は

①「イエス・キリストは人性(人としての性質)をもつのか,神性(神としての性質)をもつのか,あるいは両方を持つのか」

②「神とイエス・キリスト(および聖霊)はどのような関係にあるのか」

という点である。


①については,イエスは人性だけでなく神性ももつとする考えが主流であったが,神性をもつとすると創造主である神とイエス・キリストという複数の神が存在するようにも思われ,一神教に矛盾するのではないかという点が問題になる。

また,神性と人性の両方をもつと考える場合,イエスにおいて神性・人性はどのように存在しているのか,という点も問題になる。


②については,特に①でイエスに神性を認める場合,イエスと神はどのような関係にあるのか,という点が,一神教の観点から問題になる。


キリスト教の公会議とアタナシウス派・アリウス派・ネストリウス派・単性論派 フローチャート

<キリスト教の公会議と正統・異端 フローチャート>


このようなキリスト教の教義をめぐる論争が起こるなか,ローマ帝国の皇帝も介入して収拾がはかられ,教会の司教などの代表者が集まって協議を行う公会議が開催されることになった。

そして,4世紀前半から5世紀半ばにかけて,第1~4回の公会議であるニケーア公会議・コンスタンティノープル公会議・エフェソス公会議・カルケドンの公会議の各会議を経て,論争はいちおう決着がつけられることになる。


古代末のキリスト教の公会議と関係する地図

<古代末のキリスト教の公会議と関係する地図>


※なお,これらの神学上の議論は概念的・形而上学的な論争であって現実的な意義は薄く,現代ではあまり重要なものと見なされていない。受験生にとっては,それぞれの説を深く理解する必要はなく,簡単に主要な特徴を把握できていれば十分である。


ニケーア公会議(325年)


ニケーア 地図

キリスト教が公認されてからまもない320年頃,主にアレクサンドリア教会の司教や司祭の間で,イエス・キリストの性質や神との関係をめぐりアリウス論争と呼ばれる論争が起こった。

この論争を前に,キリスト教を公認した皇帝でもあるコンスタンティヌス帝は,キリスト教会の分裂が帝国の安定を損なうことを懸念し,325年に小アジアのニケーアで初の公会議となるニケーア公会議を開催した。


この論争においては,アレクサンドリア教会の司教アレクサンドロスと助祭(執事)アタナシウスはイエスの神性(神としての性質)を認めて神とイエスの同質性を唱えたのに対して,司祭アリウスはイエスの人性(人としての性質)を重視して神とイエスは異質の存在であることを主張した。

会議の結果,ニケーア信条と呼ばれる教義が決定され,アタナシウス派が正統として認められ,アリウス派は異端として退けられた。


実際にはこの公会議の後も論争はつづくが,最終的にはアタナシウス派が論争に勝利し,この説が以後のキリスト教会の正統教義のもとになった。

一方,アリウス派はローマ帝国において排除されることになったが,以後は国境外にいたゲルマン人への布教を行い,これが後にゲルマン人の多くがアリウス派を信仰する原因となった。


コンスタンティノープル公会議(381年)


コンスタンティノープル 地図

※コンスタンティノープル公会議は高校世界史のレベルをやや超えるので,入試の論述問題で論じる際には省いてかまわないでしょう。


ニケーア公会議によってイエスの神性をめぐる議論の決着はついたかのように思われたが,その後もイエスは神と「異質」なのか,「同質」なのか,あるいは「同類」なのかといった錯綜した論争が続いた。

そうしたなか,キリスト教を国教化したローマ皇帝テオドシウス1世が事態の収拾のためにコンスタンティノープルでコンスタンティノープル公会議を開催した。


この会議では,ニケーア公会議の決定が再確認され,アタナシウスの説が正統であり,アリウス派は排除され,これによってイエスの神性をめぐる論争が最終的に解決された。

また,アタナシウスの説をもとに,父なる神・子なるキリスト・聖霊は,それぞれが位格(存在様式)をもちながらも本質的には一体であるとする三位一体説が確立された。


エフェソス公会議(431年)


エフェソス 地図

ニケーア公会議とコンスタンティノープル公会議によってイエスが神性および人性をもつことは確認されたが,その後,それではイエスにおいて神性・人性がどのように存在しているのかということについて議論が起こった。

そこで,東ローマ皇帝テオドシウス2世が小アジアのエフェソスにおいてエフェソス公会議を開催した。


この会議において,コンスタンティノープル総主教ネストリウスは,イエスは神性と人性をもつが,神性と人性は区別(あるいは分離)されたかたちで存在していると唱え,それと関連して聖母マリアに対する「神の母」の称号を使用することに反対した。こ

れに対して,アレクサンドリア教会の総主教キュリロスは神性と人性は分離せず一体であることを唱え,ネストリウスと対立した。

会議の結果,イエスの神性・人性は一体となって結びついていることが確認され,ネストリウスの説は異端とされて否定された。


しかし,ネストリウス派はローマ帝国内の迫害を逃れて東方のササン朝に拠点をつくって活動し,さらに東方への布教を行った。そして,唐代の中国に伝わって景教という名前で中国人にも知られた。


カルケドン公会議(451年)


カルケドン 地図

エフェソス公会議によってイエスの神性と人性が分離して存在するとするネストリウス説は退けられたが,その過程で今度は逆に,イエスは神性・人性が完全に融合して単一の性をもつようになったとする単性論が台頭するようになった。

この単性論の問題をめぐって,東ローマ皇帝マルキアヌスによって,コンスタンティノープルの対岸に位置するカルケドンでカルケドン公会議が開催された。


この会議では,コンスタンティノープル教会のエウテュケスらはイエスは神性と人性が融合して単一の性をもつと主張した。

一方,ローマ教皇レオ1世らはあくまで神性・人性の両方を備えているとして強く反対した。

結局,レオ1世らの主張に沿ったカルケドン信条が決定され,イエスにおいては神性・人性の両者が存在するということが確認され,単性論派が異端として排除された。


しかし,ローマ帝国の東方の教会はこれにカルケドン公会議の決定に反発して単性論を支持したため,単性論はエジプトのコプト教会のほか,シリア教会アルメニア教会などに受け継がれることになった。


結果


キリスト教の公会議と正統・異端

<キリスト教の公会議と正統・異端>


以上のような論争を経て,結局,アタナシウス派を基礎として,イエスは人性・神性を完全なかたちで分離も混同もせずに有しており,また父なる神・子なるキリスト・聖霊が三つの位格をもちながらも一体であるとする三位一体説が正統であることが確定した。


このアタナシウス派にもとづく三位一体説は以後の主要なキリスト教会の正統教義となり,ローマ・カトリック教会はもちろん,ギリシア正教会,さらに後に形成されるプロテスタントの教会でも正統教義となっている。


このテーマと関連する大学入試過去問


  • 東大2024年第2問⑴⒝ 「ニケーア公会議」<論述>
  • 東大2013年第2問⑶⒜「ゲルマン人の信仰」<論述>
  • 東大1993年第3問⑴ 「ゲルマン人とローマ系住民の融合を妨げた宗教的理由」<論述>
  • 京大1996年第3問⒜ 「ローマ帝国におけるキリスト教の発展」<論述>
  • 一橋1997年第1問 「キリスト教会の分裂とローマ帝国」<論述>