昨年の12月、偶然買い物をした某商店街の歳末抽選会で、天然ボケのカミさんが「横浜みなとみらい高級ホテルペア宿泊券」をぶち当て、先日行ってきました。家から30分くらいなのですが、ディナーフルコース付きでかなり贅沢に過ごさせていただきました。ありがたいです。帰りによく行くブルズ13で見たのが「レジェンド&バタフライ」と「イニシェリニ島の精霊」。新作のレビューは基本的には若い人たちにお任せします

 

今日の映画を初めて観たのは、公開から10年ちかく経った70年代の終わりでした。女性は絶対入れないような東京下町の薄汚い名画座で「暗殺者のメロディ」「恐竜100万年」との奇妙な3本立てでした。内容は映画雑誌などで知ってましたが、観終わってからもしばらく席を立てなかったほど衝撃を受けた映画です。それからビデオやDVDで何度も観ている大好きな一本です

 

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「真夜中のカーボーイ」

1969年/アメリカ(113分)

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大都会の孤独に翻弄される2人の男を描いた、アメリカン・ニューシネマの代表作!

 

 

 監督

ジョン・シュレシンジャー

 音楽

ジョン・バリー

 主要キャスト

ジョン・ヴォイト/ジョー

ダスティン・ホフマン/ラッツォ

 

シルヴィア・マイルズ

ジョン・マクギヴァー

フレンダ・ヴァッカロ

バーナード・ヒューズ

 

監督は「イナゴの日」(75)やダスティン・ホフマンの「マラソンマン」(76)のジョン・シュレシンジャー。主役の二人には、「卒業」(67)「わらの犬」(71)「パピヨン」(73)「レインマン」(88)などのダスティン・ホフマンと「オデッサファイル」(74)「チャンプ」(79)「ナショナルトレジャー」シリーズのジョン・ヴォイト。その他には「カプリコン・1」のフレンダ・ヴァッカロ、「天使にラブソングを2」のバーナード・ヒューズ。主役の二人は公開時30代の前半で、ダスティン・ホフマンは「卒業」で名を知られたもののジョン・ヴォイトはほぼ無名で、そのほかの出演者も当時はほぼ無名でした。ジョン・ヴォイトは今も現役でアンジェリーナ・ジョリーの父としても有名です。そういえばこの映画に「未知との遭遇」のボブ・バラバンがちょっとだけ出てました

 

 


▲ジョン・ヴォイト/ジョー

▲ダスティン・ホフマン/ラッツォ

 

舞台は1960年代の終わりのニューヨーク_

幼い頃から祖母に溺愛され、何不自由なく育ってきたジョー(ジョン・ヴォイト)は、生まれ故郷のテキサスを離れニューヨークへやって来る。それは、女を手玉にとり大金を稼ぐジゴロになるためだった。しかし、逆に女にだまされたりして何もかもうまくいかなかった。そんなジョーにある日”ネズ公”と呼ばれる足の不自由な小男ラッツォ(ダスティン・ホフマン)が声をかけてくる。やがて二人で生活を始めるのだが・・・

 

物語は、大都会で知り合った二人の男が大都会の疎外感や孤独と戦いながらも夢を追い求める、友情、希望、挫折を描いた物語です

 

 

  アメリカン・ニューシネマの代表作

 

まず、この作品を見るにあたっては、時代背景とアメリカン・ニューシネマについて、ある程度理解しておかなければなりません。過去何度か説明させていただいているのでここでは簡単に概略だけ説明します

 

この映画が公開された1969年というのは、アポロ11号が月面着陸に成功し、アメリカ中が浮かれていた年であると同時に、まだアメリカ兵がベトナムに駐留していた時期でもあります。アメリカ全土でベトナム反戦運動が盛り上がり、愛と平和をテーマにした伝説のウッドストックでのロック・フェスティバルが開催されたのもこの年です。このように新しい価値観が生まれた時期でもあります。こういう時代背景の中で生まれたのが「アメリカン・ニューシネマ」の作品群であり、本作「真夜中のカーボーイ」です

 

アメリカン・ニューシネマとは、1960年代の後半から1970年代にかけて発表された、反体制若しくは逃避的な人物を描写した作品群を指します。 定義については明確にはありませんが、従来のスタジオシステムからロケーション撮影などのリアリティ重視の演出を特色とする傾向があります。本作監督のジョン・シュレシンジャーは、元々ドキュメンタリーを多く手掛けていた監督で、この映画でもニューヨークの通りに”人ひとりだけ入る箱”を置き、エキストラを使わず実際の通行人を撮影したと言います。したがって、よりリアルに当時のニューヨークの雑多な音や息づかいが聞こえてくるようです

 

「俺たちに明日はない」「卒業」「いちご白書」「スケアクロウ」「明日に向って撃て!」「さらば冬のかもめ」「フレンチ・コネクション」など秀作の多いアメリカン・ニューシネマを語るにあたって本作と「イージー・ライダー」は絶対に外せない映画です

 

 

 

 

  オープニング曲の「うわさの男」!

 

エルソンの「うわさの男」が流れ心地よいオープニングなのですが、逆にそれが楽しい結末で終わらないことを暗示しているようでした

 

いくつものトラウマをかかえ、夢を抱いてニューヨークにやってきたジョー(ジョン・ヴォイト)。フリンジ付きのウエスタンジャケットにウエスタンハット、そしてウエスタンブーツにウエスタンベルト、どこから見ても田舎から出てきたイモ兄ちゃんなのですが、当時は情報も今ほど早くないですから「自分が浮いている」ことさえ理解できないのです。見たこともない人込みにも驚きますが、ビルの前に倒れている人に誰一人見向きもしないことのが、この街の底知れぬ恐ろしさと哀しみを感じます。何をしても上手くいかず、そんな時に出会ったのが片足の不自由な、ネズ公ことラッツォ(ダスティン・ホフマン)です。薄汚く狡猾な彼をみるだけで大都会に生きていく厳しさ、寂しさを物語っています

 

映画の中でジョーが何度も鏡を見て自分に話しかけているシーンがあります。何気ない場面ですが、この映画を象徴している場面だと思いました。心の中の声では「俺はカッコイイ、イケてる!」と自己暗示をかけているのでしょうね。そして「なぜなんだ?どうしてうまくいかないんだ」という言葉と、もどかしさを飲み込んでいるような気がします

 

「ニューヨークじゃそんなカーボーイのカッコじゃ笑われる。寄ってくるのはホモばかりだ」

「ならジョン・ウェインはホモか?」

 

 

  大都会の底辺でもがく二人!

 

この映画を見て誰もが深く心を動かされるのが、ダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイトの二人の主演男優の存在ではないでしょうか

 

この映画を撮っていた段階では、主役の二人はほぼ無名でした。ダスティン・ホフマンはこの映画の2年前の67年の「卒業」の大ヒットによりかなり名が知れ渡りますが、実際は本作が先にクランクインしており、後から作られた「卒業」が先に公開されたという経緯があります。運命の悪戯と言ってはオーバーですが、制作順通りに「卒業」より先に本作が先に公開されていたら・・薄汚いラッツォのダスティン・ホフマンを先に見ていたら「卒業」はあそこまでヒットしただろうかと不思議な気がします。したがって、この映画も全くの無名の二人もこの映画のスタッフも、映画の中の二人と同様に底辺に居るもどかしさや虚無感をひしひし感じていたのでしょうね。そして、このリアリティこそがこの映画の最大の強みです!

 

当然のことながら、ニューヨークの街での撮影中だれも主役の二人の存在に気づかなかったそうです。後のインタビューで、演技のためにダスティン・ホフマンは薄汚い恰好で実際に物乞いをしたといいます。その彼が「僕らはニューヨークという街には見向きもされなかった。だから僕らはよそ者としてニューヨークを新鮮な視点で見ることが出来た」と語っていたのが印象に残っています

 

  若者の夢と挫折

 

ストーリーはわかり易いですが、この映画はあまり多く語りません。二人からも本音めいた言葉もありません。つまり読み取る映画なのです。察する映画なのです。彼等二人の過去や未来への思いや希望も映像から想像するしかありません。失礼な言い方で申し訳ないのですが、「幸せな青春」を過ごしていた人にはこの映画は理解できないかもしれませんね

 

この映画は、当時流行りのサイケデリックな幻想的な映像や風俗もかなり鮮明に描かれ、ゲイやドラッグなどアメリカの貧困層の姿もリアルに描かれています。電気も暖房もない部屋で暮らす二人のどん底生活はあまりにも悲惨でみじめです。夢を追いかける田舎の青年と、都会のどん底で生活してきた病気持ちの青年とが理解し合い、目指したものは何だったのでしょう?そして、この二人が発する温かさはどこからくるのでしょう?

 

この映画は、今から54年も前の映画です。古い映画が全ていいとは思いません。最近の映画でもいい映画はたくさんあります。ただ、半世紀以上経ってもたくさんの人に見続けられる映画はそう多くはありません。この映画は、10代の時に名画座で観て以来、何度となく観ています。それでもこの映画を青春時代に見られたことに感謝したいです。少し偉そうなことを言わせていただくと、青春時代に心に残る映画にどのくらいめぐり逢ったかで、その後の映画のかかわり方が違ってくるのだろうと思います。今でもこの映画を初めて観た時のことははっきりと覚えています!見ているうちに映像が身体に沁みつき、知らない間に泣いている自分がいました。不覚にもラストのエンドロールは涙で見えませんでした

 

ホテルのテレビにウルトラマン?!

  第42回アカデミー賞作品賞に輝く

 

この映画は第42回アカデミ賞ーに7部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚色賞に輝いています。ジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマンは主演男優賞にノミネートされましたが「勇気ある追跡」のジョン・ウェインが獲得しています。個人的な意見ですが、主演男優賞のジョン・ウェインにケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、彼の長年の功労に報いた印象が強く、冷静に考えれば圧倒的にダスティン・ホフマンだったと思います。ちなみにこの年は、あのアメリカン・ニュー・シネマの傑作「イージー・ライダー」「明日に向って撃て!」もいくつかノミネートされていました。面白いことにこの3年後、映画界を席巻する「ゴッドファーザー」が公開され、アル・パチーノが注目されますが、無名時代の彼が本作にバスの乗客役で出ていましたが、劇場版ではカットされていました(画像では見たことがあります。ベトナムの帰還兵?のような恰好でした)

 

映画の最初の方で、ホテルの一室で女性とコトの最中、激しく上下するたびに尻の下にあるテレビのリモコンが切り替わり番組が映し出されるのですが、一瞬「ウルトラマン」が放映されていました。ちょっとびっくりしました(笑)

 

 

 

 

  バットエンディングなのか?

 

ラストはバットエンディングなのか?

 

「どうした?」

「俺ションベン漏らしちまったよ・・」

「泣くこたあねえよ」

 

 

フロリダへ向かうバスの中で、話すことさえ満足に出来なくなっていたラッツォ(ダスティン・ホフマン)に、ジョー(ジョン・ヴォイト)は、汚れた服を捨てアロハを着せてあげます。夢にまで見たフロリダの風景、ヤシの実、真っ白いビルがバスのガラス越しに映る車内で、ラッツォは静かに息を引き取ります。この結末は、深い虚しさだけが漂うのですが、はるかかなたにフロリダのやさしい陽が差し込んで見えます。それは二人の希望の光です。そう信じたい!同時期のアメリカン・ニュー・シネマと比べると甘いとの批判はあるようですが、その希望の光も決して甘いものではないはずです。弱き者への優しさのあるラストが余韻を残します。そして、思い出すのが鏡の前で何度も自分に話しかけていたいたジョーの姿です。残された彼は、ラッツォと現実と希望が混在する世界を通じて大人へとなっていきます。彼はもう鏡の前で呟くことはないでしょう

 

鬱屈した社会情勢を色濃く反映しながらも、僅かな希望を見出そうとする普遍的な人生観が、現代の日本に生きる私たちにも必ず共感を得られると信じています

 

誰も振り向いてくれないニューヨークの街を歩く、ジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマンのツーショットがたまらなく愛しいです

 

是非観るべき映画です