足尾銅山、本山精錬所の最後 その1
足尾銅山の本山精錬所エリアの解体が始まった、という話を12月末に「大廃墟サミット」という名目の飲み会で、廃墟仲間から教えもてらった。 「足尾銅山」。明治期の銅産出量は、最大で国内生産の40%以上をまかない、未熟な産業しかなかった当時の政府にとって銅は貴重な輸出品として、外貨を稼ぐ大きな財産であった。一方で「足尾銅山」の名前は、主に公害事件の元凶としても知られている。ただし今残る遺構は、長い試行錯誤の末に、公害を克服するために建設された施設だ。特に本山精錬所の近代化は、銅を精錬するときに発生し、山の木々を枯らしてきた「亜硫酸ガ ス」を、工業的に有用な「硫酸」へと変化させ、無毒化させたという意味においては、足尾の影を光に転化させるきっかけになった。その本山精錬所が、解体されようとしている。個人的にも、鉱山廃墟にはまるきっかけとなる廃墟だ。江戸時代の本格稼動からでも400年。その歴史の最後を看取るため、私は仲間と旅にでた。足尾本山貨物駅プラットホームと、足尾銅山本山精錬所。国鉄時代は、貨物列車が物資を運び、硫酸を運び出していった。今では使われていない、腕木式信号機がそのまま残されていた。本山精錬所と、足尾の大煙突。ぼろぼろになった「足尾精錬」の文字が残る。