弓矢を使うヒーローものが作りたくて

異世界帰りの復讐者の話しを作りました

両親が亡くなっている資産家

って事でバットマンみたいですが 苦笑

 

自分はアメリカンヒーローものの

「大いなる力には大いなる責任が伴う」

というお題目が大嫌いだし、不殺主義も嫌いなので

続きを作るにしても

そういうのに反発して書きたいと思います

 

 

 

# 帰還者の復讐譚

## 第一章 帰還

桐生蒼太は、異世界から戻った瞬間、
自分が転移した時と全く同じ場所に
立っていることに気づいた。
時計を見る。
午後三時二十分。
転移した時刻と寸分違わない。

異世界で五年を過ごした彼にとって、
この世界では一秒も経過していない
という事実は奇妙だった。
だが、彼の身体には確かに
五年分の経験が刻まれていた。
魔法の力、弓術の技、
そして勇者として魔王を倒した記憶。
全てが彼の中に残っていた。

二十三歳の蒼太は、一年前に両親を失っていた。
資産家だった桐生家の莫大な遺産を相続した直後、
彼は異世界に転移していた。
そして今、戻ってきた。

特殊な力を手に入れた彼は、
ようやく両親の死の真相に迫ることができる。

## 第二章 不自然な死

両親は強盗に襲われて殺された。
そう警察は結論づけた。

犯人の名は田村健二。三十五歳の無職。
ギャンブルと薬物の前科があり、
金に困っての犯行とされた。
彼は逃走中に逮捕され、
拘置所で取り調べを受けていたが、
起訴される前に独房で首を吊って死んだ。

だが、蒼太には疑問だらけだった。

盗まれた金額は現金で三十万円程度。
桐生家の資産規模を考えれば、雀の涙ほどだ。
もし本当に金目当てなら、
もっと高価な美術品や宝飾品があったはずだ。
それらには手をつけず、なぜ両親を殺したのか。

そして犯人の獄中死。
自殺とされたが、あまりにタイミングが良すぎる。

蒼太は魔法を使った。
異世界で習得した探知魔法と記憶追跡術。
物や場所に残された「残響」を読み取る術だ。

両親が殺された屋敷の応接室。
そこに残された微かな魔力の痕跡を辿る。
普通の人間には見えないが、
蒼太の目には、
あの日の出来事が霞のように浮かび上がった。

田村健二は確かに実行犯だった。
だが、彼は誰かの指示で動いていた。
携帯電話での通話記録、
銀行口座への不自然な入金。
蒼太は田村の足跡を辿った。

そして、一つの名前に辿り着いた。

矢沢竜也。
関東最大の暴力団、龍誠会の中堅幹部。

## 第三章 尋問

深夜、蒼太は矢沢が出入りする
高級クラブの裏路地で待ち伏せた。

黒いスーツに身を包んだ矢沢が
部下二人を連れて現れる。
蒼太は暗闇から姿を現した。

「矢沢竜也」

矢沢が振り返る。
部下たちが即座に身構えた。

「あんた誰だ」

「桐生蒼太。桐生隆司と美咲の息子だ」

矢沢の顔色が変わった。

「知らねえ名前だな」

「嘘をつくな。
お前が田村健二に命令したんだろう。
俺の両親を殺せと」

部下たちが拳銃を抜いた。

その瞬間、蒼太の右手が虚空から弓を顕現させる。
魔法で作り出された漆黒の弓だ。
左手で矢筒から二本の矢を同時に取り出し、
弦に番える。

一瞬の動作。

シュッ、シュッ。

二本の矢が同時に放たれた。
矢は銃口に正確に命中し、
拳銃を二人の手から弾き飛ばす。
破壊された銃が地面に転がり、
部下たちは呆然と立ち尽くした。
次の瞬間、蒼太が放った風圧の魔法で
二人は壁に叩きつけられ、気を失う。

矢沢は後ずさりした。

「化け物か、てめえ」

「質問に答えろ。なぜ俺の両親を殺した」

蒼太の目が光る。
威圧の魔法だ。矢沢は恐怖で膝をついた。

「俺は…俺は命令されただけだ…」

「誰に」

「組長…いや、もっと上だ。
政治家、企業のトップ…複数の人間が絡んでる。
俺は末端だ。詳しいことは知らねえ」

「名前を言え」

矢沢は震える声で、いくつかの名前を口にした。
龍誠会会長・黒沢剛三。
国会議員・藤堂隆文。
大手建設会社社長・野村征一郎。
そして、もう一人。

「それから…桐生コンツェルンの重役、滝川修だ」

蒼太の拳が握りしめられた。

滝川修。
父の右腕として働いていた人物。
両親の葬儀では涙を流し、
蒼太を慰めてくれた人物。

「なぜだ。なぜ彼らが両親を殺す必要があった」

「知らねえ…ただ、聞いたのは…
桐生隆司が何か重大な秘密を掴んだって話だ。
それを表に出されたら、奴らは全員終わるって…」

矢沢は隙を見て、
路地の出口に向かって走り出した。

「待て」

蒼太の声が響く。だが矢沢は走り続けた。

シュッ。

矢沢の右足の前、
わずか十センチの地面に矢が突き刺さる。
矢沢は慌てて左に方向を変えた。

シュッ。

今度は左側の壁に矢が刺さる。
コンクリートの壁に深々と突き刺さった矢を見て、
矢沢は青ざめた。

「く、くそっ」

矢沢は後ろに下がろうとした。

シュッ。

背後の壁に矢。

シュッ、シュッ、シュッ。

右、左、前。
矢沢の周囲を囲むように、
次々と矢が地面と壁に突き刺さる。
まるで檻のように。
矢沢は完全に包囲され、動けなくなった。

蒼太はゆっくりと矢沢に近づいた。
弓を構えたまま、冷たい目で見下ろす。

「言っただろう。逃げても無駄だと」

「ひっ…」

矢沢は地面にへたり込んだ。

蒼太は弓を消し、矢沢の額に手を当てた。

「な、何をする…」

「お前はもう用済みだ。
だが、お前が喋ったことで、
奴らに警戒される。それは困る」

蒼太の手から淡い光が放たれる。
記憶操作の魔法だ。異世界で習得した、
人の記憶を書き換える禁術。

「あ、ああああ…」

矢沢の目が虚ろになっていく。
今夜の出来事、蒼太との遭遇、
そして自分が喋った全ての情報。
それらが矢沢の記憶から消去されていく。

数十秒後、蒼太は手を離した。

矢沢は呆然とした表情で地面に座り込んでいる。
彼の記憶は、
今夜クラブで酒を飲んでいた時点まで
巻き戻されていた。
なぜ自分が路地裏にいるのか、
なぜ部下が倒れているのか、何も分からない。

「さて、これで時間が稼げる」

蒼太は暗闇に消えた。
翌朝、矢沢は混乱したまま目を覚ますだろう。
そして、自分に何が起きたのか、
永遠に思い出すことはない。

## 第四章 復讐の始まり

蒼太は自宅の書斎に戻り、父のパソコンを開いた。
異世界で習得した解析魔法を使い、
削除されたファイルを復元する。

そこには、父が調べていた資料があった。

大規模な土地開発計画。
政治家と企業が癒着した不正入札。
裏金の流れ。
そして、その資金源となっていた
違法カジノと薬物取引のネットワーク。

父は正義感の強い人物だった。
この不正を告発しようとしていたのだろう。
そして、それを知った者たちに口封じされた。

蒼太は決意した。

父が暴こうとした真実を明らかにし、
関わった者たち全員に報いを受けさせる。

ただし、法の外で。

彼は異世界で勇者だった。
だが、この世界では復讐者となる。

魔法と弓術を駆使し、一人ずつ、確実に。

蒼太は窓の外の夜空を見上げた。
満月が彼を照らしていた。

復讐は、今夜から始まる。

---

*続く*

 

クリスマスの奇跡的な話を考えていて

その中の1つとして今回のお話が出来ました

ある意味 初恋の成就だけど

初恋を成就させる人ってどのくらいなんですかね?

 

 

# 冬の川辺で

十二月の冷たい風が、
川面を撫でて吹き抜けていく。

俺は、コートの襟を立てながら、
イルミネーションが輝く
川沿いの遊歩道を歩いていた。
キラキラと光る装飾が水面に映り込んで、
まるで天の川のようだ。
綺麗だとは思う。
でも、それ以上に目に入ってくるのは、
幸せそうに寄り添うカップルたちの姿だった。

「はぁ……」

思わず、白い息と一緒にため息が漏れる。

二十六歳、若手会社員。
先月、同期の彼女と別れたばかり。
上手くいくと思っていたのに、
何がいけなかったのか未だによく分からない。
気づいたら終わっていた。

なんで俺、こんなところに来ちゃったんだろう。

答えは分かっている。
高校二年の時、
初めての彼女とここでデートしたからだ。

美咲。
クラスメイトで、文化祭の実行委員で
一緒になって仲良くなった。
告白したのは、文化祭が終わった次の日。
放課後の教室で、二人きりになった時。
心臓が口から飛び出しそうだった。

「付き合ってください」

震える声で言った言葉に、
美咲は少し驚いた顔をして、
それから笑顔で頷いてくれた。

それから始まった恋愛は、何もかもが初めてだった。
手を繋ぐのも、デートに行くのも、キスをするのも。
このイルミネーションを見に来たのは、
付き合って二ヶ月目のクリスマス前。
寒い中、俺は三十分もかけて
ようやく美咲の手を握った。
美咲は冷たくなった手を、
ぎゅっと握り返してくれた。

でも、卒業が近づいた二月、些細なことで喧嘩した。
俺が進学する大学の話をしていた時だ。

「拓也は地方の大学に行くんだよね」

「うん。でも、長期休暇には帰ってくるし」

「私、地元に残って専門学校に行くから
……遠距離になるね」

美咲は不安そうだった。
俺は、その不安を軽く見ていた。

「大丈夫だって。すぐ会いに来るから」

「本当に? 
新しい環境で、可愛い子とかいっぱいいたら、
私のこと忘れちゃうんじゃない?」

「そんなわけないだろ」

俺は笑って答えた。
でも、美咲の顔は曇ったままだった。

「……そうやって、私の気持ち、
ちゃんと考えてくれないよね、拓也は」

「え?」

「いつもそう。
私が不安な時も、真剣に聞いてくれない」

「そんなことないって。考えすぎだよ」

その言葉が、決定的だった。
美咲は涙を浮かべて、走って行ってしまった。

次の日、謝ろうとしたけれど、
美咲は避けるようになった。
仲直りする前に卒業式が来て、
俺たちは離れ離れになった。
馬鹿だった。
若かった。
美咲の不安に、ちゃんと向き合うべきだった。

地方の大学に進学して半年後、
二人目の彼女ができた。
サークルの先輩、理沙だった。
明るくて積極的で、美咲とは全然違うタイプ。
理沙の方から誘ってくれて、
気づいたら付き合っていた。

そして、大学二年の夏。
理沙の部屋で、俺は初めての経験をした。

翌朝、
目が覚めた時、世界が違って見えた。

「おはよう」

隣で笑う理沙が、まぶしかった。
俺は大人になったんだ。
高校生の頃の、手を繋ぐのにも
緊張していた自分とは違う。
もう子供じゃない。

大学に行くと、何もかもが新鮮に感じられた。
同じ講義室、同じ食堂、同じサークル棟。
でも、昨日までとは違う。
俺は一段階、
上のステージに上がったような気分だった。

「なんか、今日の拓也、妙にニヤけてない?」

サークルの友人に言われて、
慌てて表情を引き締めた。
でも、心の中では有頂天だった。

理沙と会うたびに、
俺は自分が特別な存在になったような気がした。
もう童貞じゃない。
そんなことを意識してしまう自分が、
少し恥ずかしくもあったけれど、
同時に誇らしかった。

居酒屋で友人たちと飲んでいる時も、
つい調子に乗った。

「いやー、最近充実してるわー」

「なんだよ急に。彼女とうまくいってんのか?」

「まあね」

含みを持たせた言い方をする自分が、
大人に見えた。
友人たちは「リア充爆発しろ」
と笑っていたけれど、
その言葉さえ心地よかった。

理沙とのデートでも、
俺は以前より自信を持って
振る舞えるようになった気がした。
レストランを予約する時も、
店員と話す時も、
道を歩く時も。
自分が一回り大きくなったような感覚。

「拓也、最近なんか変わったね」

理沙が笑いながら言った。

「え、どう変わった?」

「なんていうか……自信ついたっていうか」

「そう?」

内心、嬉しかった。
やっぱり、俺は成長したんだ。
もう高校生の時の、頼りない自分とは違う。
美咲の不安に応えられなかった、
あの未熟な自分とは。

鏡を見る回数も増えた。
髪型を整え、服装にも気を使うようになった。
大人の男として、
理沙に相応しい自分でいたかった。

でも、今思えば。

あれは、成長なんかじゃなかった。
ただの勘違いだった。
表面的な自信だけで、
中身は何も変わっていなかった。
理沙が求めていた「大人」は、
そんなものじゃなかったんだ。

でも、ある日、理沙が真面目な顔で言った。

「ねえ、拓也ってさ、まだ子供だよね」

「え?」

「悪い意味じゃなくて。
でも、なんていうか……頼りないっていうか。
私がリードしないと何もできないっていうか」

その言葉が引っかかった。
でも、理沙は笑って
「まあいいんだけどね」と言った。

それから数ヶ月後。
理沙が妙によそよそしくなった。
問い詰めたら、泣きながら白状した。

「ごめん……サークルの先輩と、
いい雰囲気になっちゃって」

「浮気してたってこと?」

「うん……向こうの方が、大人で、
頼りになって……ごめん」

あっさりと、振られた。

理沙の言う「大人」になれなかった
自分が情けなかった。
でも、どうすれば大人になれるのかも
分からなかった。

就職して上京した。
新しい環境、新しい人間関係。
同期の中に、聡美という女性がいた。
仕事ができて、しっかりしていて、
でも時々見せる笑顔が可愛い人だった。

飲み会で意気投合して、
半年後に付き合い始めた。
今度こそ、
ちゃんとした大人の恋愛をしようと思った。

最初は本当に上手くいった。

休日はデートに出かけ、
平日は仕事終わりに待ち合わせて
一緒に夕食を食べた。
聡美の作る料理は美味しくて、
俺が作る料理を「意外と上手いね」と褒めてくれた。
映画を観に行ったり、ドライブに行ったり、
二人でいる時間が何より楽しかった。

付き合って一年が経った頃、聡美が言った。

「ねえ、同棲しない?」

「え、いいの?」

「だって、どうせ週の半分は
拓也の部屋に泊まってるし。
家賃ももったいないでしょ」

実用的な理由を挙げる聡美らしかったけれど、
俺は単純に嬉しかった。
一緒に暮らせるなんて。

二人で物件を探し、
駅から十分の1DKのアパートに引っ越した。
狭いけれど、二人なら十分だった。

「ただいまー」

「おかえり。今日、カレー作ったよ」

「マジで? 聡美のカレー、最高なんだよな」

一緒にテーブルを囲んで夕食を食べる。
テレビを観ながら笑い合う。
ソファで寄り添って眠ってしまう。
そんな日常が、幸せだった。

でも、三ヶ月が過ぎた頃から、
少しずつ変化が訪れた。

「ただいま」

「おかえり」

聡美は相変わらず笑顔で迎えてくれる。
でも、以前のような弾んだ声ではなかった。
俺も、疲れていた。

「今日、何食べたい?」

「なんでもいいよ」

「なんでもいいって言われても困るんだけど」

「じゃあ、適当に決めてよ」

会話が、事務的になっていく。

休日も、以前のように
デートに出かけることが減った。

「今日、どこか行く?」

「んー、疲れてるから家でゆっくりしたいかな」

「そっか」

聡美はテレビを観ている。
俺はスマホをいじっている。
同じ部屋にいるのに、会話がない。

夜、ベッドに入っても、
背中合わせで寝ることが増えた。
以前は抱き合って眠っていたのに。

「おやすみ」

「おやすみ」

短い言葉だけ交わして、それぞれの眠りに落ちる。

仕事が忙しくなった時期もあった。

「拓也、最近忙しいよね」

「仕事が立て込んでて……ごめん」

「私も忙しいんだけど。
でも、時間作ろうとしてるんだけど」

「分かってるって。来週は時間作るから」

でも、来週になると別の仕事が入った。
聡美との約束を、何度も後回しにした。

聡美の笑顔が、だんだん減っていった。

「ねえ、拓也」

「ん?」

「私たち、最近ちゃんと話してないよね」

「え、話してるじゃん」

「そういうことじゃなくて……
ちゃんと、向き合って話すこと」

「忙しいんだって。分かってよ」

聡美は黙ってしまった。

それから数週間後。

聡美が荷物をまとめていた。

「何してるの?」

「実家に帰る」

「は? なんで急に」

聡美は振り返って、静かに言った。

「もういいよ、拓也。
私たち、合わないんだと思う」

「待ってよ、もっとちゃんと時間作るから」

「そういう問題じゃないの。
拓也は私のこと、
優先順位の下の方に置いてるでしょ。
それって、付き合ってる意味あるのかな」

「そんなことない。俺は……」

「最初は良かったよね。楽しかった。
でも、今の私たち、
ただの同居人みたいになってる。
それって、恋人としてどうなのかなって」

何も言い返せなかった。

聡美は荷物を持って、ドアの前に立った。

「じゃあね、拓也。いろいろありがとう」

ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。

それから、数ヶ月が経った。

最初の数週間は、仕事に没頭した。
聡美のことを考えないように、残業を増やした。
週末も資格の勉強をした。
でも、ふとした瞬間に、
二人で過ごした部屋の記憶が蘇る。

一ヶ月経った頃、
友人に誘われて合コンに参加した。

「拓也、いい加減立ち直れよ。
新しい出会いが必要だって」

そこで知り合った女性に、
連絡先を交換してもらった。
何度かメッセージのやり取りをして、
デートに誘った。

「ごめんなさい、友達としてなら」

丁寧に、断られた。

それから、職場の別部署の女性に興味を持った。
何度か話す機会があって、
勇気を出して食事に誘った。

「嬉しいんですけど、実は彼氏がいて……」

またダメだった。

友人の紹介で知り合った女性とは、
三回デートした。
今度こそと思って告白した。

「ごめん。拓也くんのこと、
いい人だと思うけど……
恋愛対象としては見られないかな」

三回目も、振られた。

「なあ、俺って何がダメなんだろう」

居酒屋で、友人に愚痴をこぼした。

「いや、ダメってわけじゃないと思うけど……
なんていうか、焦ってない?」

「焦ってるつもりはないけど」

「でも、必死な感じが出てるんだよ。
それが相手に伝わっちゃうっていうか」

友人の言葉が、胸に刺さった。

確かに、焦っていたのかもしれない。
聡美と別れてから、ずっと。
早く次の恋愛をして、
自分がまだ恋愛できることを証明したかった。
でも、その焦りが空回りしていたのかもしれない。

それから、恋愛を諦めることにした。

もう暫く、一人でいいや。
無理に誰かを探さなくてもいい。
そう思うようになった。

三回、恋愛した。
三回、失敗した。
そして三回、告白して振られた。
俺は何も学んでいないんじゃないか。
それとも、もう恋愛には向いていないんじゃないか。
そんな気がしてならない。

「俺って、恋愛向いてないのかな」

誰に聞くでもなく呟いた言葉が、
冬の空気に溶けていく。

カップルだらけの人混みを、とぼとぼと歩く。

幸せそうな笑い声が、四方八方から聞こえてくる。
恋人同士が肩を寄せ合い、手を繋ぎ、
寒さを言い訳にくっついている。
俯きながら歩いていると、
視界の端に次々とカップルたちが
映り込んでは消えていく。

俺だけが、一人だ。

人混みの流れに身を任せて歩いていると、
ふと、視界の端に何かが引っかかった。

コートを着た女性。

すれ違いざま、一瞬だけ見えた横顔。
その残像が、妙に脳裏に焼き付いた。

綺麗な人だった。俺のタイプだ。

でも、もう通り過ぎてしまった。
振り返っても、人混みに紛れて見えない。

それでも、なぜかその残像が消えなかった。
コートの色、髪の流れ、横顔のライン。
ぼんやりと視界に残っているような、
不思議な感覚。

いや、待てよ。

足が止まりかけた。

あの横顔、どこかで見たような……。

でも、気のせいだろう。
そう自分に言い聞かせて、また歩き出した。
今の俺に、そんな淡い期待を抱く資格はない。
八ヶ月もの間、何度も振られ続けた俺が、
見知らぬ美人に声をかけるなんて。

それに、あんな綺麗な人が一人でいるわけがない。
きっと彼氏と一緒だ。

コートのポケットに手を突っ込んで、
イルミネーションから
目を逸らすように歩き続けた。

「あの……」

背後から、声がした。

女性の声だ。

まさか、俺に? そんなわけない。
後ろにいる誰かに話しかけてるんだろう。
そう思って、そのまま歩こうとした。

「あの、すみません」

もう一度、声が聞こえた。
今度は少し大きく。そして、近い。

足を止めて、恐る恐る振り返った。

そこに立っていたのは、
さっきすれ違ったコートの女性だった。

「あの……」

声をかけられた。

「え?」

驚いて立ち止まり、振り返る。
女性は俺の顔をじっと見つめていた。
その瞳は少し潤んでいて、目元が赤い。

まさか、と思った。

「……美咲?」

「やっぱり」

美咲は、嬉しそうにはにかんだ。
少し頬を染めて、昔と同じように目を細めて。

「拓也だよね」

高校の時の、初めての彼女だった。

八年ぶりだ。
髪型も雰囲気も変わったけれど、
笑顔は昔のままだった。
いや、今は笑顔というより、
泣き笑いに近い表情をしている。

「久しぶり。
こんなところで会うなんて、偶然だね」

「ほんとに」

俺は頭の中が真っ白になりながらも、
なんとか言葉を返した。

「美咲も、このイルミネーション見に来たの?」

「うん。拓也は?」

「俺も。なんか、懐かしくなっちゃって」

「一緒だ」

美咲がくすりと笑った。
目元が赤いのが気になったけれど、
その笑顔に少し安心した。

「高校の時以来だよね、ここ」

「そうだね。
あの時、拓也、手を繋ぐのに
すごい時間かかってたよね」

「え……覚えてるの、それ」

恥ずかしさで顔が熱くなる。
美咲は楽しそうに笑った。

「三十分くらいかかってたよ。
私、ずっと待ってたんだから」

「そんなにかかったっけ……」

「かかってた。
で、やっと繋いでくれたと思ったら、
手が震えててさ」

「うわ、もう勘弁してよ」

思わず笑ってしまった。
美咲も笑っている。
八年前の記憶が、鮮やかに蘇ってくる。

「文化祭の実行委員、一緒だったよね」

「そうそう。
拓也、装飾担当で、私が企画担当で」

「美咲が持ってきた企画書、
すごいちゃんとしてて驚いたんだよな」

「拓也の作った看板も、すごく上手だったよ。
美術部でもないのに」

懐かしい。
あの頃は、何もかもが新鮮だった。

「告白された時、びっくりしたなあ」

美咲が言った。

「そりゃそうだよ。
俺、めちゃくちゃ緊張してたし」

「でも、嬉しかった。
実は私も、拓也のこと気になってたから」

「マジで? 全然気づかなかった」

「鈍感だったよね、昔から」

美咲は笑いながら、少し寂しそうな目をした。

そこで、ふと気づいた。
美咲の目元が赤いこと。
一人でこんな場所にいること。

「あの……彼氏は」

言いかけた瞬間、美咲の表情が曇った。

その瞬間、美咲の瞳に涙が浮かんだ。

「あ、ごめん、変なこと……」

「ううん」

美咲は明るく首を振った。
明るすぎるくらい、無理に明るく。

「さっき、振られちゃった」

「……え」

「ここで、ね。
イルミネーション見ながら、別れようって。
ロマンチックな場所で別れたら、
いい思い出になるとか、そういうこと言われてさ」

美咲は笑っていた。
でも、涙が一粒、頬を伝った。

気まずい。
何を言えばいいのか分からない。
俺は慌てて、何か言葉を探した。
このまま別れたくなかった。

「そっか……俺も、実は今、一人なんだ」

「え?」

「数ヶ月前、彼女と別れて。
だから、一人もん同士ってことで……
その、夕食でもどう?」

我ながら強引な誘い方だと思った。
でも、美咲をこのまま一人にしたくなかった。

美咲はしばらく俺を見つめた後、ふっと笑った。

今度は本当の笑顔だった。

「奢りなら付き合うよ」

「もちろん」

俺たちは並んで歩き始めた。
繁華街に向かって、イルミネーションを背にして。
美咲の横顔を盗み見る。
綺麗だな、と思った。
高校生の時よりずっと大人びて、
でもどこか懐かしい。

もしかしたら、また付き合えるかもしれない。

そんな淡い期待が、胸の奥で小さく膨らんだ。
でも、それが成就するかどうかは、
まだ全く分からない。
ただ、今は隣に美咲がいて、
二人で同じ方向に歩いているという事実だけで、
十分だった。

冬の夜は、まだまだ長い。
でも、少しだけ温かくなった気がした。

(終)

おでんを作っていて

こんな話良さそうだな~と思い作りました

冬は恋愛話多そうだし丁度良いかな?って・・・

 

 

 

# おでんと告白の夜

週末の午後、俺は台所で寸胴鍋と格闘していた。

「よし、大根も柔らかくなってきたな」

去年の冬、勢いで買ってしまった寸胴鍋。
一人暮らしには明らかにデカすぎて、
押し入れの奥で眠っていたのだが、
今日ようやく日の目を見ることになった。
サークルの仲間が六人で集まるというから、
ちょうどいい。
それに十二月に入って寒くなってきたし、
みんなでおでんを囲むのも悪くない。

玄関のチャイムが鳴ったのは、午後五時過ぎ。

「おー、いい匂いするじゃん!」

最初に来たのは同じサークルの田中と佐藤、
そして女子三人組の先発隊、由美と彩花だった。

「すごい、本格的! 大根めっちゃ入ってる」

「練り物も充実してるね」

みんなが靴を脱いでいる間に、
もう一度チャイムが鳴った。
心臓が跳ねる。

「はーい」

ドアを開けると、
そこには眼鏡をかけた女性が立っていた。
美咲だ。

「お、お邪魔します……」

「ああ、来てくれてありがとう。
寒かっただろ、早く入って」

美咲は小柄で、少しふくよかな体型をしている。
いつも控えめで、大人数の集まりでは
隅の方にいることが多い。
でも、俺は彼女の穏やかな笑顔が好きだった。
たまに見せる、本を読んでいるときの
真剣な横顔とか、何か面白いことがあったときに
眼鏡の奥でくしゃっとなる目とか。

「わあ、美味しそう……
でも、私あんまり食べられないかも」

「無理しなくていいよ。好きなものだけ食べて」

リビングに集まった六人で、おでんを囲む。
湯気が立ち上り、部屋が温かくなっていく。

「いただきまーす!」

みんなで箸を伸ばす。
田中は厚揚げを三つも取り、由美は卵を狙っている。
美咲は遠慮がちに小さなちくわを一本取って、
静かに食べていた。

「うまい! この出汁、何入れたの?」

「昆布と鰹節、あと隠し味に醤油麹」

「へー、凝ってるじゃん」

話は盛り上がり、おでんも順調に減っていく。
美咲も少しずつだけど、卵を一つ、
大根を一切れと食べてくれている。
それだけで、なんだか嬉しかった。

一時間ほど経った頃、彩花が突然言い出した。

「ねえ、王様ゲームやらない?」

「おー、いいね!」

「久しぶりだね、王様ゲーム」

割り箸で作った即席のくじで、
王様ゲームが始まった。
俺は適当に六本の割り箸に
一番から六番まで番号を書き、
そのうちの一本に「王様」と追記した。

「じゃあ、最初いくよー」

由美がくじを引き、みんなも続く。

「王様だーれだ!」

「はい、王様です!」

佐藤が手を挙げた。

「じゃあ、一番の人は好きな食べ物を叫ぶ!」

「え、俺一番なんだけど……ラーメン!」

田中が叫んで、みんなが笑った。

「次いこう、次!」

二回目は田中が王様になり、
「二番と四番でじゃんけんして、
負けた方が腕立て伏せ十回」
という命令が出た。
由美と彩花がじゃんけんして、
彩花が負けて必死に腕立て伏せをする姿に、
リビングは笑いの渦に包まれた。

三回目、王様になったのは由美だった。

「じゃあねー、三番と五番、十秒間見つめ合って!」

「うわー、恥ずかしい!」

俺は自分の割り箸を確認する。
四番だった。ホッとしたような、残念なような。

「三番です……」

佐藤が手を挙げた。

「五番……」

美咲の小さな声。えっ、と思って彼女を見ると、
顔を真っ赤にして俯いていた。

「はい、じゃあ二人とも立って! 
みんなで数えるよ。いーち、にー……」

佐藤と美咲が向かい合って立つ。
美咲は恥ずかしそうに視線を泳がせている。

「美咲ちゃん、ちゃんと見ないとダメだよー」

彩花が茶化すと、
美咲は意を決したように佐藤を見た。
十秒が経ち、二人が座ると、拍手が起こった。

「次、次!」

四回目は彩花が王様。
「六番の人はおでんの大根を一気に三つ食べる」
という命令が出て、
田中が当たって悲鳴を上げながら大根を頬張った。

五回目も彩花が王様。

「えー、また私? ラッキー♪」

彼女は割り箸を見つめ、ニヤリと笑った。
その笑顔に、俺は妙な胸騒ぎを覚えた。

「じゃあね……
一番の人は、自分の好きなタイプを発表!」

「え、マジで?」

田中が一番を引いていた。

「うーん、明るくて元気な人かな」

「ほうほう、由美ちゃんタイプですね」

佐藤が茶化して、
由美が「やめてよー」と笑った。

六回目。みんながくじを引く。

「王様だーれだ!」

「はい、また私です!」

彩花が割り箸を掲げた。
三回目の王様だ。

「彩花、今日ツイてるね」

「でしょ? 
じゃあ、今度はちょっと本気出しちゃおうかな」

彼女は目を細めて、意味深に笑った。

「えーっと、じゃあ……三番の人と五番の人は、
今日の後片付け全部やること! 
もちろん、二人だけでね♪」

「おー、それはキツイ」

田中が笑う。後片付け? 
俺は自分の割り箸を確認した。
「五番」と書いてある。

心臓が跳ねた。

「俺、五番だけど……」

そして、恐る恐る周りを見回す。
誰が三番なんだ?

「あ、あの……私……三番です」

小さな声で、
美咲が震える手で割り箸を掲げた。

その瞬間、リビングの空気が変わった。

「「おおー!!」」

田中と佐藤が声を揃えて叫んだ。

「あらあら、これは運命ね」

由美がニヤニヤしている。

「ね、偶然って怖いよね」

彩花がわざとらしく言った。
いや、これ絶対偶然じゃない。
この流れ、完全に仕組まれてる。

「あー、そっか! じゃあ二人でよろしくね!」

由美が明るく言った。
美咲は真っ赤な顔で、
膝の上の割り箸を握りしめていた。

気づけば九時を回っていた。

「あー、そろそろ終電が……」

田中が時計を見て立ち上がった。

「じゃあ、俺たちもそろそろ」

佐藤も続く。

「え、でも本当に二人だけで大丈夫? 
手伝おうか?」

俺が言いかけると、田中がニヤリと笑った。

「大丈夫大丈夫。王様の命令は絶対だろ? 
な、美咲ちゃん?」

「あ、は、はい……」

美咲が戸惑いながらも頷くと、
由美が彼女の肩を軽く叩いた。

「王様ゲームのルールだもんね。
じゃあ、ごちそうさまでした!」

「ちょ、ちょっと……」

俺の制止も虚しく、
四人はあっという間に玄関から出て行ってしまった。
ドアが閉まる直前、
佐藤がウインクしてきた気がした。
彩花も最後に「頑張ってね」と小声で言っていた。

リビングには、俺と美咲だけが残された。

「あの……ごめんなさい、みんな……」

美咲が申し訳なさそうに言う。

「ああ、いや、全然。
むしろ手伝ってもらえて助かる」

二人で皿を重ね、鍋を洗い始めた。
台所は狭いから、ときどき肩がぶつかる。
その度に
「ごめん」
「いや、こっちこそ」と言い合う。

「あの、今日のおでん、すごく美味しかったです」

皿を拭きながら、美咲が小さな声で言った。

「ほんと? 良かった。
美咲が来てくれるって聞いて、
ちょっと気合い入れて作ったんだ」

「え……」

眼鏡の奥の目が、驚いたように大きくなった。
しまった、言いすぎた。
でも、もう後には引けない。

「あの、美咲」

「は、はい」

片付けが終わり、リビングに戻った。
二人並んでソファに座る。
外は真っ暗で、部屋の明かりが窓に反射している。

「俺、ずっと言いたかったことがあって」

心臓が早鐘を打つ。
美咲は膝の上で手を組んで、俯いている。

「美咲のこと、好きなんだ」

静寂。
時計の秒針の音だけが聞こえる。

「……え」

美咲が顔を上げた。
眼鏡が少し曇っている。

「で、でも、私なんて……地味だし、太ってるし、
いつもネガティブなこと言っちゃうし……」

「そんなことない。
俺は美咲の、その優しいところとか、
本を読んでるときの真剣な顔とか、
笑ったときの笑顔とか、全部好きだよ」

「……本当に?」

「本当」

美咲の目から、一粒の涙がこぼれた。

「私も……私も、ずっと好きでした」

えっ、と声が出た。

「でも、私なんかじゃ釣り合わないって思って
……だから、何も言えなくて……」

「美咲……」

気づけば、二人の距離は近くなっていた。

「じゃあ、付き合ってくれる?」

「はい……!」

美咲が涙を拭いながら、笑顔で頷いた。
眼鏡の奥の目が、キラキラと輝いている。

スマホが震えた。田中からのメッセージだ。

『どうだった? うまくいった?』

続いて佐藤、由美、
彩花からも次々とメッセージが届く。

ああ、そういうことか。
みんな、最初から分かってて……。

「なに?」

美咲が不思議そうに覗き込んでくる。

「あー、うん。みんなからだ。
どうやら、俺たちのこと、応援してくれてたみたい」

「え……恥ずかしい……」

美咲が顔を赤くして俯く。
その仕草が可愛くて、思わず笑ってしまった。

「後でみんなに、報告と感謝しないとな」

 照れ笑いしながら、俺は美咲の隣に座ったまま、
スマホに
「ありがとう、うまくいった」
と打ち込んだ。

 窓の外では、冬の冷たい風が吹いているだろう。
でも、この部屋は温かかった。
おでんの残り香と、
新しく始まった恋の温もりで。

おわり

# 白い波の向こうに

港に立つ老人は、遠い水平線を見つめていた。
波の音が、半世紀前の記憶を呼び覚ます。

「豊かさをもたらすため」

そう言って彼らはやってきた。
蒸気船に乗り、見たこともない機械を携えて。
村の長老たちは困惑した。
だが、若者たちの目は輝いていた。
鉄道が、工場が、
新しい世界への扉が開かれると信じて。

最初の十年は、確かに何かが変わった。
道路ができ、街灯が灯り、学校が建った。
だが、その代償は静かに、
確実に村を蝕んでいった。

工場建設が始まった。
祖父が守ってきた森は、一週間で丸裸にされた。
樹齢百年の木々が倒れる音を、
村人たちは呆然と聞いていた。
その森で採れた薬草で、
村の医者は何世代も人々を治してきたのに。

巨大な煙突が空に向かってそびえ立った。
黒い煙が昼夜を問わず吐き出され、
やがて雨が降ると、それは酸っぱい匂いがした。
子供たちの肌に湿疹ができ始めた。
咳が止まらない老人が増えた。

川は工場の排水で濁り、
魚の死骸が浮かぶようになった。
村人たちが何世代も飲んできた清水は、
今では触れることさえ躊躇われる色に変わった。
井戸を掘り直すにも金がかかる。
その金は、工場で働いても簡単には貯まらなかった。

「これは投資だ」
彼らは言った。

「発展のための必要な犠牲だ」

工場で働く人々の手は荒れ、肺は煤で黒くなった。
賃金は生活に足りず、
利益はすべて海の向こうへと運ばれていった。
医者に診てもらう金もない。
抗議する者は反逆者と呼ばれ、
従順な者は愚か者と笑われた。

そして最も恐ろしいことが起き始めた。
村が、内側から壊れていったのだ。

工場の監督として雇われた村人は、
突然立派な服を着て、革靴を履くようになった。
彼は同じ村で育った幼馴染に命令し、
怠けていると罵声を浴びせた。

「俺は努力したからこの地位にいる。
お前たちが貧しいのは努力が足りないからだ」

店を任された者は、商品の値段を吊り上げた。

「これが市場価格だ」
と言って。

かつて互いに助け合った隣人が、
今は債権者と債務者になった。

学校に通える子供と通えない子供が生まれた。
通える子供たちは、工場で働く子供たちを
「下層民」と呼ぶようになった。
十歳の少女が、幼い弟の手を引いて
工場の門をくぐる姿を、
制服を着た同じ年頃の少年が蔑んだ目で見ていた。

「貧乏なのは自己責任だ」

そんな言葉が、村に広がった。
かつて天候不順で収穫が減れば、
村人は蔵の米を分け合った。
今は「施しは自立心を奪う」と言って、
飢える者を見て見ぬふりをする者が増えた。

村の寺の住職は嘆いた。
「我々は何を失ったのだろう」と。

だが、その住職の息子は工場主に取り入り、
新しい事業の話を持ちかけていた。
金の匂いは、血のつながりさえも薄めてしまう。

工場で働く女性が、原因不明の病で次々と倒れた。
だが工場は「個人の体質の問題」として
責任を認めなかった。
監督となった村人も、見て見ぬふりをした。
かつての隣人の苦しみよりも、
自分の地位を守ることの方が大切になっていた。

村は二つに割れた。
工場で「成功」した者たちは、
新しく区画された「上の町」に住むようになった。
煙突から離れた、風上の丘の上に。
病に苦しむ者たちは、
汚れた川のそばの「下の町」に残された。

同じ村人だった。
同じ井戸の水を飲み、同じ祭りで踊り、
同じ空を見上げていた。
それがいつの間にか、
互いを人間として見ることさえしなくなっていた。

老人の父は、かつて村の教師だった。
ある日、届いた教科書を開いて絶句した。
そこには「文明化された民族」と
「未開な民族」が描かれていた。
父は静かにその本を閉じ、
夜通し自分の手で新しい教材を書いた。

海の向こうの国では、
豪奢な邸宅で晩餐会が開かれていた。
植民地から運ばれた絹のテーブルクロス、
象牙の装飾品、宝石。

「我々は世界に文明をもたらしている」
と彼らは乾杯した。
その足元に敷かれた絨毯が、
どんな子供の手で織られたかは、
誰も気にしなかった。

老人が青年だった頃、
同じアジアの国が立ち上がった。
その国は長く外界を拒んでいたが、
やがて扉を開き、巧みに力をつけていった。
そして国際会議の場で、ある提案をした。

「人種による差別を、撤廃しよう」

議場は静まり返った。
植民地を持つ国々の代表は、互いに目配せした。
そして採決の時、その提案は葬られた。
議長は言った。
「全会一致が必要だ」と。
たとえ賛成票が多数でも。

その瞬間から、
その国への風当たりは激しくなった。

海の向こうの新聞には、
連日その国を糾弾する記事が躍った。

「傲慢な黄色人種」

「世界秩序への挑戦者」

「危険な拡張主義国家」。

ラジオからは、その国がいかに野蛮で、
いかに危険で、いかに世界平和を
脅かしているかが繰り返し流された。

映画館では、その国の人々を猿のように
描いた風刺画が上映された。
子供向けの絵本にさえ、
「悪い東洋人」の挿絵が描かれた。
カフェで新聞を読む人々は、
眉をひそめてこう言った。

「あの国は止めなければならない」

教会の説教壇からも、
その国は「神の秩序に逆らう者」として語られた。
大学の講義室では、教授たちが
「文明の階層」を説き、
その国が「身の程をわきまえない」と論じた。
誰もが疑わなかった。
新聞に、ラジオに、政府に、教会に嘘があるとは。

だが、真実は別の場所に残されていた。

老人の村に、その国から来た医師がいた。
彼は工場の煙害で苦しむ人々を、無償で診察した。
自分の国の医学書を翻訳し、
村の若者に医術を教えた。
「人の命に、国境はない」と彼は言った。

遠い中東の地では、その国の技術者たちが
灌漑設備を造っていた。
植民地支配者たちが見向きもしなかった荒れ地に、
水を引き、畑を耕した。
現地の人々と同じものを食べ、
同じ地面に寝て、対等な仲間として働いた。

南米のある国では、その国の農学者が
新しい作物の栽培法を伝えていた。

「この土地に合った方法で」
と彼は言った。

本国から指示されたやり方を押し付けるのではなく、
その土地の気候を学び、人々の知恵を尊重した。

東南アジアでは、その国の教師たちが
学校を建てていた。
植民地支配者が禁じていた現地の言葉で授業を行い、
その国の文字と共に現地の文字も教えた。

「自分の言葉を誇りに思いなさい」と。

アフリカの港では、その国の船員たちが
現地の漁師に航海術を教えていた。
利益を吸い上げるためではなく、
技術そのものを分かち合うために。
夜には共に食卓を囲み、
互いの歌を歌い合った。

これらの話は、海の向こうの新聞には載らなかった。
ラジオで放送されることもなかった。
だが、助けられた人々は覚えていた。
その国の人々が、対等な人間として
自分たちを扱ってくれたことを。
搾取するためではなく、
共に生きるために来てくれたことを。

老人は覚えている。
村に来たその国の医師が、
最後の日に言った言葉を。

「いつか真実が明らかになる日が来る。
たとえ今、世界中が我々を悪と呼んでも、
私たちは正しいことを続ける。
なぜなら、それが人としての道だから」

彼は微笑んで、こう続けた。

「あなた方が健康でいてくれること、
子供たちが笑っていること。
それが私たちの報酬です。
新聞の見出しよりも、ずっと価値がある」

その後、世界は再び炎に包まれた。
宣伝は真実を覆い隠し、
多くの人々はその国を悪の権化だと信じた。
だが、助けられた人々の記憶の中に、
別の真実が静かに残されていた。

それは、いつか花開く種のように。

しかし、その種が芽吹くことは許されなかった。

植民地を持つ国々は、その国を包囲した。
経済制裁、資源の封鎖、外交的孤立。
そして最後には、戦争を仕掛けた。

「世界の平和のために」という名目で。

老人は今でも覚えている。
戦火の中で、若者たちが叫んだ言葉を。

「対等な世界を」

「尊厳を」

「自由を」。

戦争は多くのものを奪った。
そしてその国は、敗北した。

勝者たちは、歴史を書き換えた。

その国が世界各地で行った医療支援も、
教育も、技術移転も、すべて記録から消された。
新しい教科書には、
その国が「侵略的拡張主義」を取り、
「誤った選択」をしたとだけ書かれた。
差別撤廃の提案については、
一行も触れられなかった。

世界中の図書館から、
その国の貢献を記した文書が消えた。
助けられた人々の証言は
「敵国のプロパガンダに騙されたもの」
として否定された。
子供たちは学校で教わった。
「あの国は間違っていた。我々が正義だった」と。

一方、植民地を持っていた国々は、
戦後ゆっくりと、とても慎重に植民地を手放し始めた。
もはや直接統治を維持するコストが
割に合わなくなったからだ。
彼らは独立を「恩恵」として与えた。

だが、謝罪は一切なかった。

数百年にわたる資源の略奪について、
賠償は支払われなかった。
強制労働で死んだ何百万もの人々について、
追悼の言葉さえなかった。
破壊された文化について、奪われた尊厳について、
引き裂かれた家族について、
誰も責任を取らなかった。

それどころか、彼らは言った。

「我々は文明をもたらした」

「鉄道を敷き、学校を建てた」

「彼らを近代化させた」と。

まるで善行であったかのように。

教科書には「大航海時代」「産業革命」
「近代化の促進」という言葉が並んだ。
「植民地支配」という言葉は、
まるで中立的な制度であるかのように説明された。
「奴隷貿易」については、
小さな注釈で触れられるだけだった。

そして今も、その構造は続いている。

老人は今でも覚えている。
戦後、村に戻ってきた者たちの言葉を。
「我々は間違っていたと教えられた。
でも、あの医師の顔を、あの教師の言葉を、
私は忘れられない」

今、港には様々な国の船が停泊している。
かつて植民地だった国々は、独立を果たした。
だが老人は知っている。
搾取の形は変わっただけだと。
今度は爆弾ではなく、契約書によって。
軍艦ではなく、投資という名の鎖によって。

かつての植民地の資源は、
今も「公正な取引」という名目で、
かつての宗主国へと流れている。
現地で作られた製品は安く買い叩かれ、
完成品は高く売りつけられる。
借金という名の支配が、
独立した国々を縛っている。

国際機関の重要な地位は、
今も白人国家が占めている。
世界銀行、国際通貨基金、安全保障理事会。
「実力主義」という名目で、
かつての植民地国家は常に周縁に置かれる。

教育の場でも、白人の思想、白人の歴史、
白人の基準が「普遍的」として教えられる。
他の文明の知恵や哲学は、
「民族学」という特殊な分野に追いやられる。

そして最も巧妙なのは、
かつて植民地だった国の人々自身が、
この序列を内面化してしまったことだ。
白人のアクセント、白人の美的基準、
白人の生活様式を「上」とみなし、
自らの文化を「遅れたもの」として恥じる。

老人の孫娘は、
肌を白くするクリームの広告を見ている。
テレビには、白人モデルばかりが映る。
「成功者」として紹介される人物は、
ほとんどが白人か、
白人の価値観を完全に受け入れた者だ。

「おじいさん、何を見ているの?」

孫娘が尋ねた。老人は笑顔で答えた。

「未来を見ているんだよ。お前たちが作る未来を」

歴史は繰り返す。
だが人は学ぶこともできる。
真の豊かさとは何か。
真の文明とは何か。
それは他者を踏みつけた先にあるものではなく、
互いの尊厳を認め合う先にしかない。

ただし、その学びは容易ではない。
勝者が書いた歴史、勝者が作った制度、
勝者が定めた基準。
それらすべてを疑い、問い直す勇気が必要だ。

そして今、新たな支配の形が生まれている。

老人は新聞を広げる。

「グローバル化」

「ボーダーレス社会」

「世界市民」という言葉が躍っている。

国際会議では、巨大企業の経営者たちが
政治家たちと肩を並べ、
いや、時には政治家たちの上に座っている。

「世界平和のために国境を越えよう」
と彼らは言う。

「自由な貿易が繁栄をもたらす」と。
「規制は時代遅れだ」と。

だが老人は知っている。
それが何を意味するのかを。

かつて植民地を支配したのは国家だった。
今、支配しようとしているのは、
国家をも超越した資本そのものだ。
彼らに国籍はない。
忠誠を誓う国もない。
あるのはただ、利益だけだ。

国家が定めた労働基準は「競争力を損なう」
として撤廃を求められる。
環境規制は「投資の障壁」として攻撃される。
税金は「不当な負担」として、
より安い国へと逃れていく。

「これは世界の人々のためだ」と彼らは言う。
「繁栄は皆に行き渡る」と。
かつて植民地支配者たちが
「文明化」を唱えたように。
同じ論理、同じ嘘、ただ言葉を変えただけ。

巨大企業は、どの国の法律にも完全には従わない。
本社はタックスヘイブンに置き、
生産は賃金の安い国で行い、
利益は株主のポケットに流れ込む。
国家は彼らに課税することさえ難しくなった。
「規制すれば他国に逃げる」と脅されるから。

テレビでは、著名な経済学者たちがこう説く。

「国家の時代は終わった」

「規制緩和こそが成長の鍵だ」

「市場に任せれば最適な解が得られる」。

大学でも、企業でも、政府でさえも、
同じ言葉が繰り返される。

孫娘の教科書には「グローバル市民」という
新しい概念が載っている。

「国境にとらわれず、
世界中どこでも働ける人材になろう」と。

だがそこには書かれていない。
その「自由」を手に入れられるのは
一握りの者だけで、大多数は故郷を追われ、
より安い労働力として
消費されるだけだということを。

老人の友人は、こう嘆いた。
「孫が大企業に就職したが、
三年で五つの国を転々とさせられた。
家族も持てず、根を下ろす場所もない。
これが『グローバル人材』の現実だ」

反対する声は、確かにある。
一部の学者、活動家、労働組合、
そして現場で苦しむ人々。
彼らは警告する。

「これは新しい植民地主義だ」

「民主主義が企業に乗っ取られている」と。

だが、その声は小さい。
メディアは彼らを
「グローバル化に反対する時代遅れの人々」
として描く。

「保護主義者」

「競争から逃げる者」と。

かつて植民地支配に抵抗した人々が
「反逆者」と呼ばれたように。

大多数の人々は、騙されている。
あるいは、騙されていることに気づいても、
どうしようもないと諦めている。
システムはあまりに巨大で、複雑で、
どこから手をつければいいのかわからない。

「便利になった」と人々は言う。
世界中の商品が手に入り、どこへでも旅行できる。
だが、その便利さの裏で、誰かの村が工場に変わり、
誰かの森が消え、
誰かの子供が学校にも行けず働いている。

老人は港を見る。
巨大なコンテナ船が、昼夜を問わず行き交う。
かつての軍艦よりもはるかに大きな船が、
かつての植民地支配よりも
はるかに多くの富を運んでいく。

だが今回は、占領軍もいなければ、
総督府もない。
だから多くの人は、
自分たちが支配されているとさえ気づかない。

「自由な選択」だと信じている。

「市場の原理」だと受け入れている。

老人は孫娘の手を取り、歩き出した。
波の音が、希望と警告を同時に運んでくる。
真実は水面下に沈められたままだ。
だが、いつか誰かが潜り、
それを引き上げる日が来るかもしれない。

その日まで、記憶は受け継がれなければならない。
あの医師の言葉を、あの教師の笑顔を、
あの技術者の誠実さを。
そして、葬られた提案を。

「人種による差別を、撤廃しよう」

その言葉を発した国が、なぜ悪とされたのか。
そして今、「国境を越えよう」と唱える者たちが、
本当は何を求めているのか。

歴史は形を変えて繰り返す。
だが、その本質は変わらない。
支配する者と支配される者。
搾取する者と搾取される者。
そして、真実を語る者と、それを覆い隠す者。

その問いに答えられる日が来るまで。
老人は、孫娘に語り続けるだろう。
波の音に消されぬよう、
静かに、
しかし確かに。

革新的な兵器として列挙しましたが

数年後、十数年後には

現実に登場しているかもなぁ・・・

どこまで未来を想像出来るのかな?

 

 

# 新世代の盾

朝霞駐屯地の会議室に、
秋の陽射しが斜めに差し込んでいた。

「では、実弾デモンストレーションの
映像をご覧ください」

L'sコーポレーション日本支社の技術担当、
ケビン・チャンがリモコンを操作すると、
スクリーンに砂漠の試射場が映し出された。
陸上自衛隊の幹部たち
——一佐から三佐まで、
計八名——が一斉にスクリーンに視線を注ぐ。

画面の中央に据え付けられた
新型40mm自動擲弾銃が、滑らかに旋回を始めた。

「ご覧の通り、
ターレットは全周360度の旋回が可能です。
射角は上方90度まで対応しています」

ケビンの日本語は流暢だった。

「注目していただきたいのは、
左右に装着された二つのマガジンです」

映像が擲弾銃のクローズアップに切り替わる。
確かに、左右対称に配置されたマガジンが確認できた。

「右側には高性能炸薬弾、
左側には対ドローン用のエアバースト弾を
装填しています。
切り替えは車内のコントロールパネルから
瞬時に可能です」

画面の中で、擲弾銃が火を噴いた。
右マガジンから発射された弾頭が、
500メートル先の標的車両に着弾し、
鈍い爆発音とともに黒煙が上がる。
間髪入れず、左マガジンに切り替わり、
今度は空中で複数の小型ドローンを撃墜していく。

会議室に感嘆の息が漏れた。

「さらに」
とケビンは続けた。

「本システムはRWS
——リモートウェポンステーション——としてだけでなく、
センサーと連動したAPSとしても機能します」

「APS?」若手の三佐が確認するように尋ねた。

「アクティブ・プロテクション・システムです」

ケビンが振り返る。

「接近する対戦車ミサイルや砲弾を自動で迎撃します。
マガジン式のため、従来のAPSと比較して
迎撃可能回数が飛躍的に増加しました。
片側30発、両側で計60発の擲弾を搭載可能です」

映像が切り替わり、
今度は装甲車両に向かって飛来するロケット弾を、
擲弾銃が自動で迎撃する様子が映し出された。
センサーが脅威を検知し、瞬時に砲塔が旋回、
迎撃弾を発射する。
一連の動作は人間の反応速度をはるかに超えていた。

「防御から攻撃への切り替えもシームレスです」

ケビンがさらに説明を加える。

「ミサイルを迎撃した直後、
そのまま敵の発射地点に対して
高性能炸薬弾で反撃することも可能です」

一佐が腕を組んだまま口を開いた。

「L'sコーポレーションは、
確か多国籍企業でしたね。本社は米国?」

「はい。ワイオミング州ファーソンで創業し、
現在は航空宇宙、防衛、エネルギー、
AI技術など多岐にわたる事業を展開しております」

ケビンは資料のページをめくった。

「実は——」

彼は少し声を落とした。

「これまでも海上自衛隊とは
非公式に協力関係にありました」

室内の空気が微妙に変わった。

「C・ジャポニカス」
一佐が静かに呟いた。

ケビンは頷いた。

「秘匿潜水艦プロジェクトです。
公にはできませんが、東シナ海の情勢において
重要な役割を果たしていると理解しております」

「今回の40mm自動擲弾銃は」

ケビンは再び声のトーンを上げた。

「L'sコーポレーションとしては
日本の防衛省との公式な初の取引となります。
すでに日本支社も六本木に設立いたしました。
今後はドローン防衛システム、AI誘導兵器、
次世代装甲技術など、
幅広い分野で貢献させていただく予定です」

三佐が手を挙げた。

「価格は?」

「一基あたり、導入費用込みで
約2億円を想定しています。
量産効果により、さらなる価格低減も可能です」

会議室に沈黙が降りた。
決して安くはない。
だが、その性能を考えれば——。

一佐が立ち上がった。

「詳細な技術仕様書と、
実地でのデモンストレーションを改めて要請したい。
日本の地形、特に市街地や山岳地帯での
運用データも必要だ」

「もちろんです」

ケビンは深く頭を下げた。

「そして——」

彼は新しい資料を取り出した。

「本日ご紹介した40mm自動擲弾銃は、
あくまで第一段階の提案に過ぎません」

スクリーンが再び切り替わり、
新たな兵器システムの概要図が表示された。

「次世代長距離精密打撃システムです。
25mm擲弾銃をベースとした狙撃プラットフォームで、
偵察衛星やドローンのセンサーと直接リンクします」

ケビンの声に熱がこもる。

「有効射程は約10キロメートル。
衛星からのリアルタイムデータにより、
目視範囲外の目標に対して精密射撃が可能です」

二佐が身を乗り出した。

「10キロ? 擲弾で?」

「はい。弾道計算AI、気象データ補正、
GPS誘導技術の統合により実現しました。
狙撃手の技量に依存せず、
確実な長距離精密打撃を提供します」

画面が次のスライドに移る。
そこには、これまでのヘリコプターとは
明らかに異なる、重
厚な機体のシルエットが映し出されていた。

「そしてこちらが、
次世代攻撃ヘリコプターのコンセプトモデルです」

会議室がざわついた。

「従来の攻撃ヘリは軽量化と
機動性を重視していました。
しかし我々は逆の発想をしました
——低高度飛行に特化し、
戦車並みの重装甲を施したプラットフォームです」

ケビンはポインターでスクリーンを指し示す。

「機体下部に旋回式105mmライフル砲を装備。
地上の主力戦車と同等の火力を、空から投射できます。
重装甲により、小口径対空砲や
携行式対空ミサイルに対する
生存性が飛躍的に向上しました」

「重量は?」
一佐が鋭く問う。

「通常の攻撃ヘリの約2.5倍です。
その分、最高速度は犠牲になりますが、
低高度での制圧力は比類がありません。
市街戦や山岳地帯での運用を想定しています」

三佐が手を挙げた。

「エンジン出力は相当なものになりますね」

「ハイブリッド推進システムを採用しています。
ホバリング時の燃費も改善されました」
ケビンは自信に満ちた表情で答えた。

「そして当然ながら、この攻撃ヘリにも
先ほどご紹介したAPSを装備可能です」

「攻撃ヘリに?」
二佐が驚きの声を上げた。

「はい。機体各所に小型化した
APSモジュールを配置します。
接近する対空ミサイルを自動迎撃し、
生存性をさらに高めます」

ケビンは新しいスライドを表示した。
機体の前後左右に配置された
APSユニットが図示されている。

「重装甲とAPSの二重防御により、
従来の攻撃ヘリとは
次元の異なる耐久性を実現します」

一佐が鋭い視線を向けた。

「APSの弾数は限られる。継続的な防御は?」

「その点についても」

ケビンは期待していたかのように微笑んだ。

「次世代計画があります。
これらのAPSは、将来的にレーザー砲への
換装が可能な設計となっています」

会議室に静寂が訪れた。

「レーザー砲?」

三佐が反復する。

「はい。
現在、米国本社ファーソンの研究施設で開発中です。
高エネルギーレーザー兵器をAPSとして運用すれば、
弾数の制限がなくなります。
ハイブリッド推進システムの電力を利用し、
理論上は無制限の迎撃が可能になります」

ケビンは資料のページをめくった。

「そして、我が社のレーザー兵器の最大の特徴は——」

彼は声を強めた。
「少ない電力でも稼働できる点にあります」

二佐が身を乗り出した。

「少ない電力?」

「はい。従来のレーザー兵器は高出力電源が必要で、
システムの大型化が避けられませんでした。
しかし我々は独自の光増幅技術と
ビーム集束システムにより、
従来の十分の一の電力で同等の破壊力を
実現しています」

ケビンは誇らしげに続けた。

「これにより、システムサイズも
十分の一まで小型化することに成功しました」

「十分の一...」
三佐が呟いた。

「つまり」

ケビンはスクリーンに
小型レーザーユニットの概念図を表示した。

「攻撃ヘリだけでなく、装甲車両、艦艇、
さらには無人地上車両にまで搭載可能なサイズです。
ハイブリッド車両程度の電源容量があれば、
十分に運用できます」

一佐が鋭い質問を投げかけた。

「出力が下がれば、有効射程も短くなるのでは?」

「鋭いご指摘です」
ケビンは頷いた。

「確かに最大射程は従来型より若干短くなります。
しかし、APSとしての防御用途であれば、
数百メートルの射程で十分です。
むしろ小型化により、
複数のユニットを同時配置できることが
大きな利点となります」

彼は新しい図を表示した。ヘリコプターの機体に、複数の小型レーザーユニットが配置されている。

「一機の攻撃ヘリに、
前後左右それぞれにレーザーAPSを配置できます。
全方位からの同時多重攻撃にも対応可能です」

会議室に感嘆の息が漏れた。

「さらに」

ケビンは新しいデータを表示した。

「我が社のレーザーシステムは、
出力だけでなく圧力の増減も制御可能です」

「圧力?」

一佐が眉をひそめた。

「はい。レーザー光には運動量があり、
物体に圧力を加えることができます。
我々のシステムは、この圧力を精密に
制御する技術を確立しました」

ケビンは興奮を抑えきれない様子で説明を続けた。

「つまり、破壊が困難な目標に対しても、
レーザーで押し返したり、
軌道を逸らしたりすることが可能なのです」

三佐が驚きの声を上げた。

「迎撃ミサイルを破壊せずに、
逸らすということですか?」

「まさにその通りです。
高速で接近する対空ミサイルの弾頭部分に
持続的にレーザーを照射し、わ
ずかな軌道変更を加えるだけで、
目標から外すことができます」

ケビンはシミュレーション映像を再生した。

「破壊できなくても、跳ね返す、押し返す
——これが従来のレーザー兵器にはない、
我が社独自の技術です」

二佐が質問した。

「では、装甲の厚い目標に対しても有効だと?」

「はい。破壊力が不足する場合でも、
推進力を加えることで目標の姿勢を崩したり、
着弾点をずらしたりできます。
特にドローンのような軽量な目標に対しては、
文字通り空中で押し返すことも可能です」

一佐が腕を組んだまま、しばらく沈黙した。
そして、ゆっくりと口を開いた。

「革新的だ。
だが、実戦でどこまで機能するかは未知数だな」

「おっしゃる通りです」
ケビンは真摯に頷いた。

「だからこそ、段階的な導入と実証実験が必要です」

「実用化は5年以内を目標としています。
既存のAPSモジュールは、
ソフトウェアとハードウェアの更新のみで
レーザーシステムに対応できる設計です」

「ということは」

一佐がゆっくりと言葉を選んだ。

「今、APSを導入しておけば、
将来的にレーザー防御システムへの
アップグレードが可能だと?」

「まさにその通りです」
ケビンは力強く頷いた。

「L'sコーポレーションの兵器システムは、
常に将来の技術革新を見据えた
設計思想で開発されています。
今日お買い求めいただくものが、
明日には陳腐化する
——そのようなことは決してありません」

「プロトタイプは来年中に完成予定です」

一佐は腕を組んだまま、
しばらくスクリーンを見つめていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。

「L'sコーポレーションの技術は、確かに革新的だ。
だが」

彼は鋭い視線をケビンに向けた。

「これらの兵器が、本当に日本の防衛に
適合するかどうか、慎重な検証が必要になる」

「当然です」
ケビンは頷いた。

「我々は提案をするだけです。
最終的な判断は、この国を守る皆様にあります。
ただ一つ確信しているのは——」

彼は会議室全体を見回した。

「世界の軍事バランスは急速に変化しています。
L'sコーポレーションの技術が、
日本の防衛力を次の段階へと引き上げる
一助となれば、これ以上の光栄はありません」

窓の外では、演習場から訓練の号令が聞こえていた。
世界は確実に変わりつつある。
そして日本も、
その変化に備えなければならない時代に入っていた。

ケビンは資料を鞄にしまいながら、次の会議
——ドローン編隊制御システムと
無人地上車両のプレゼンテーション
——の準備を頭の中で始めていた。
ファーソンの本社から送られてきた
最新データを、もう一度確認しなければならない。
 

 

実際にはこんな事は絶対にありえないのですが

学生時代にはこんな事があったらいいなぁ~

なんて思った事もありましたね 苦笑

 

 

 

# 隣の部屋

## 一

僕の唯一の楽しみは、
タブレットで映画を見ることだった。

二十七歳、独身、一人暮らし。
仕事から帰ると、近所のスーパーで食材を買う。
最初は必要に迫られて始めた自炊だったが、
最近は意外と悪くないと思えるようになっていた。
味付けを変えてみたり、
新しい食材に挑戦してみたり。
小さな発見が、何もない日常に彩りを添えてくれる。

その日も、いつものように
ソファに座って映画を見ていた。
アクション映画の爆発シーンで、
部屋が揺れた気がした。

「演出が派手だな」

そう思った瞬間、本物の揺れが襲ってきた。

立っていられないほどの激しい揺れ。
棚から物が落ち、食器がガチャガチャと音を立てる。
僕は必死にテーブルの下に潜り込んだ。

幸い、アパートに大きな被害はなかった。
ただ、街の様子は一変していた。

## 二

地震から三日後、
スーパーの棚はまばらになっていた。

カップ麺やレトルト食品は比較的豊富にあった。
非常食として優先的に入荷しているのだろう。
でも、弁当やおにぎりといった
調理済みの食品はほとんど見当たらない。
野菜は意外にも並んでいた。
近くの農家が直接納品しているのかもしれない。

「ああ、自炊できてよかった」

心からそう思った。
電気もガスも早々に復旧していたから、
調理に困ることはない。

会社はリモートワークに切り替わり、
家にいる時間が増えた。
静かな日々が続いた。

その静寂を破ったのは、インターホンの音だった。

「はい?」

モニターを見ると、若い女性が立っていた。
見覚えのない顔だ。

「あの、隣の部屋に住んでる者なんですけど」

声が震えている。僕はドアを開けた。

女性は僕の顔を見て、わずかに目を見開いた。

「あ、男の人、だったんですね」

「はい、何か?」

「あの、実は、料理を教えていただきたくて」

彼女の話はこうだった。
今まで宅配とコンビニ弁当で生活していたが、
地震以降、それが難しくなった。
壁越しに聞こえてくる包丁の音や水の音から、
僕が自炊をしていると気づいたという。

「女性だと思ってたんですけど」

彼女は少し恥ずかしそうに笑った。

「でも、困ってるので、もしよければ」

「僕でよければ」

こんな状況だ。助け合うのは当然だと思った。

## 三

彼女の名前は綾香といった。
女子大生で、隣の部屋に一人で住んでいるらしい。

料理を教え始めてすぐに気づいた。
彼女は驚くほど不器用だった。

「包丁は猫の手で、野菜を押さえて」

「こう、ですか?」

「指、出てる。それだと切れちゃうよ」

玉ねぎのみじん切りに三十分かかったこともあった。
炒め物は焦がし、味付けは毎回違った。
それでも彼女は真剣だった。

「実家に帰らないの?こういう状況だし」

ある日、僕は訊いてみた。

綾香の手が止まった。

「両親とは、あまり仲がよくなくて」

それ以上は訊かなかった。ただ、彼女が続けた。

「でも、おじいちゃんがかわいがってくれてて。
学費も生活費も、全部出してくれてるんです」

その声は、少しだけ温かかった。

「じゃあ、こうしよう」

僕は提案した。

「材料費を半分出してくれたら、君の分も作るよ。
その方が効率いいし」

綾香の顔がぱっと明るくなった。

「本当ですか?ありがとうございます!」

こうして、僕たちの奇妙な共同生活が始まった。

## 四

綾香は大学の授業がリモートになった
と言っていたが、よく出かけていた。

どこに行っているのかは訊かなかった。
それは彼女のプライバシーだ。
ただ、帰りが遅い日は、
温め直せるような料理を作るようにした。

ある日の午後、
タブレットでニュースを見ていた。
何気なく芸能欄を開くと、
あるアイドルグループの記事が目に入った。
写真付きだった。

その写真の中に、綾香がいた。

僕は画面を二度見した。間違いない。
隣で料理を焦がしている彼女だ。

記事を読むと、地下アイドルグループのようだった。
最近人気が上昇しているという。
コメント欄には熱狂的なファンの
メッセージが並んでいる。

「これって、まずいんじゃ」

独り言が口をついた。

アイドルには恋愛禁止のルールがあると聞く。
一緒に食事をしているだけでも、
誤解されたら問題になるだろう。
地下アイドルだからルールが緩いのか?
でも、リスクはリスクだ。

僕は彼女を困らせたくない。
でも、このまま何も言わないのも不誠実な気がする。

今夜、夕食のときに訊いてみよう。

何事もなければいいけれど。

---

その日の夕方、
僕はいつものように料理を作った。
鶏肉の照り焼きと、
ほうれん草のおひたし、味噌汁。

インターホンが鳴った。綾香だ。

「お疲れさまです」

「お疲れさま。今日は早かったね」

「はい、午前中だけだったので」

彼女はいつもの笑顔で部屋に入ってきた。

食事を並べ、二人で向かい合って座る。
もう慣れた光景だ。

「あのさ」

僕は箸を置いた。

「なに?」綾香が顔を上げる。

「今日、ネットニュース見てたら、君が映ってた」

綾香の表情が一瞬、凍りついた。

「アイドル、やってるんだね」

沈黙。

長い沈黙の後、彼女は小さく頷いた。

「ごめんなさい、言ってなくて」

「謝ることじゃないよ。ただ」
僕は続けた。

「こうして一緒に食事してるのって、
もしかしてまずいんじゃないかと思って」

綾香は箸を握りしめたまま、俯いた。

「大丈夫、です」

「本当に?」

「ルールは、あるんですけど」

彼女はゆっくりと顔を上げた。

「でも、これは恋愛じゃないから」

その言葉には、どこか寂しさが混じっていた。

「私、ちゃんとみんなに説明できます。
料理を教えてもらってるだけだって」

「それで納得してもらえる?」

「してもらいます」

綾香の目には、強い意志が宿っていた。

「わかった」
僕は頷いた。

「じゃあ、続けよう」

彼女の顔に、安堵の色が広がった。

「ありがとうございます」

「ただし」
僕は付け加えた。

「君がもし困ることになったら、すぐに言って。
僕は君の邪魔をするつもりはないから」

綾香は、今まで見たことがないような
柔らかい笑みを浮かべた。

「はい」

僕たちは再び箸を取り、食事を続けた。

窓の外では、街の明かりが少しずつ戻り始めていた。
地震の傷跡は深かったが、
人々は確実に日常を取り戻しつつある。

そして、この小さなアパートの隣り合った部屋でも、
新しい日常が静かに根を張り始めていた。

何が正しくて、何が間違っているのか。
僕にはわからない。

ただ、一つだけ確かなことがある。

困っている人を助けたいと思う気持ちに、
理由なんて必要ないのだ。

(了)

大学に入って

いきなり環境云々言い出す人がいるけど

あれって厨二病みたい

って思ったのがこの話を考える切っ掛けでした

 

 

# 目覚め

春の日差しが差し込む教室で、
私は環境サークルの勧誘チラシを眺めていた。

「一緒に入らない?」

高校からの親友、美咲が声をかけてきた。
これといった趣味もなく、
大学生活に物足りなさを感じていた私は、
二つ返事で頷いた。

サークルの活動は刺激的だった。
大学の電力を再生可能エネルギーに変える署名運動、
動物実験反対のデモ行進。
私たちは正義のために戦っているのだと
信じて疑わなかった。
肉を断ち、ベジタリアンになった。
地球を救う戦士になったような気分だった。

だが、数ヶ月が過ぎると、体に変化が現れ始めた。

授業中、教科書の文字を追っていても
頭に入ってこない。
集中力が続かず、レポートを書くのに
以前の倍の時間がかかるようになった。
立ち上がるとクラクラして、
階段を上るだけで息が切れる。
健康診断で貧血を指摘された。

食費も予想外に膨れ上がった。
栄養バランスを保とうとすると、
野菜や大豆製品、ナッツ類を
大量に買わなければならない。
友人との外食も苦痛になった。
ベジタリアン対応のメニューが
ある店は限られていて、いつも気を遣わせてしまう。
断ることが増え、誘いも減っていった。

アルバイト先の賄いも食べられない。
生活は確実に大変になっていた。

「これも地球のため」
と自分に言い聞かせていたが、
心のどこかで疑問が膨らんでいた。

転機は、ある土曜日の午後に訪れた。

図書館で環境問題の資料を調べていると、
思いがけない事実が次々と目に飛び込んできた。
太陽光パネルの製造過程で
排出される大量のCO2。
わずか20年程度の寿命。
廃棄パネルから漏れ出す有害物質。
メガソーラー建設のための
森林伐採が引き起こす土砂災害。
風力発電の低周波音が野生動物に与える深刻な影響。

そして、電気自動車や蓄電池に不可欠な
リチウムイオン電池。
その裏側はさらに衝撃的だった。

世界中でリチウム鉱山の争奪戦が繰り広げられ、
採掘現場では膨大な量のCO2が排出されている。
環境を守るはずの技術が、
別の場所で環境を破壊している。
さらに画面をスクロールすると、
ある鉱山のドキュメンタリー記事が目に入った。
そこには、奴隷のような労働条件で
働かされている人々の姿があった。
子どもたちさえも。

私たちが「クリーンエネルギー」
と呼んでいたものの背後で、
誰かが犠牲になっていた。

手が震えた。

さらに調べを進めると、
私たちが「解放」した実験動物が、
難病治療の研究を何年も遅らせていたことを知った。
その研究を待っていた患者がいたことを。

「ねえ、最近のあなたたち、
どう見ても遅れて来た厨二病集団にしか見えないよ」

美咲の冷めた声が耳に蘇る。
あの時は腹が立ったが、今なら分かる。
彼女は正しかった。

私は何も知らなかった。
ただ耳障りの良いスローガンに酔いしれ、
大企業の描くシナリオに踊らされていただけだった。

グローバル化という言葉も同じだ。
世界がひとつになる美しい理想のように聞こえるが、
実際には各国の独自性を奪い、
一握りの巨大企業を肥え太らせるだけの
システムだった。
中小企業が淘汰され、失業者が増え、
物はあふれているのに買える人がいない。
最終的には企業も売上を失う。
誰も幸せにならない構図。

そして先月の地震騒動。
気象庁の「大地震の確率上昇」という発表に、
国中が震え上がった。
でも冷静に数字を見れば、計算方法を変えただけで
実際のリスクは変わっていなかった。
その間に防災グッズは売れに売れ、
関連企業の株価は急騰した。
誰かが儲けるために、
人々の不安が利用されたのだ。

決定打は、先週の出来事だった。

大学近くのカフェで資料を整理していた時、
隣のテーブルから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
サークルの顧問をしている教授と、
見知らぬスーツ姿の男性たちだった。

「今年も学生の勧誘は順調ですよ。
若い子たちは理想に燃えやすいですからね」

教授の声に、男性たちが笑った。

「助かります。
やはり若者を矢面に立たせれば、
批判もしにくいですし、説得力も段違いだ。
環境サークルを各大学に増やしたのは正解でしたね」

「ええ。学生たちは純粋ですから。
こちらが望む方向に導くのは容易です。
彼らは自分たちが正義だと信じて疑いませんから」

「次は再エネ関連の新商品のプロモーションに
協力してもらいましょう。
学生の声なら、行政も動かざるを得ない」

コーヒーカップを持つ手が震えた。吐き気がした。

私たちは、誰かの駒だったのだ。
純粋な思いを利用され、
企業の広告塔として使われていた。
「地球を守る」という美しい言葉の裏で、
誰かが笑いながら金勘定をしていた。

私はノートを閉じ、窓の外を見た。

あの頃の私は、正義を信じていた。
でも本当の正義とは、美しい言葉の向こう側を
見ようとする勇気なのかもしれない。
誰が、何のために、その言葉を発しているのか。

スマートフォンに美咲からメッセージが届いた。

「久しぶりにお茶しない?」

私は微笑んで返信した。
今度は、ちゃんと話を聞こう。
自分の頭で考えよう。
簡単な答えを求めず、複雑な真実と向き合おう。

それが、20歳の春に私が学んだことだった。

窓の外では、桜の花びらが風に舞っていた。
散りゆく花のように、甘い幻想も散っていく。
でもその先に、
本当の世界が待っているのだと信じたい。
 

 

監視社会というと

すぐにディストピアという人がいますが

そう思う人は良い心よりも悪い心の比率が

大きいのだと思います

後ろめたい事がなく真面目で

正直に生きている人にしたら

むしろ監視社会は安全で安心のできる社会です

自由は人に迷惑のかからない場所や

自宅で謳歌すればいいのであって

公共の場では常に自重すべきだと思います

公共の場での自由の謳歌は

他人の迷惑でしかありませんからね

 

 

 

# 監視社会の代償

## 第一章:救われた命と報われる善意

窓の外から聞こえる機械音で目が覚めた。
監視ドローンが朝の巡回を始める音だ。
スマホの画面には、
今日も思想審査試験の通知が表示されている。

「お母さん、今日も試験があるの?」

七歳の娘、美咲が不安そうに尋ねる。
私は弁護士だ。
いや、正確には「弁護士だった」人間だ。

法改正から三年。この国は劇的に変わった。

政府の発表によれば、
犯罪件数は改正前と比べて42%減少した。
街頭犯罪は63%減。
未成年による犯罪は57%減。
数字だけ見れば、この法改正は大成功だった。

「悪いことをしなければ、何も怖くないのよ。
正直に生きていれば、ちゃんと報われるの」

私は娘にそう言い聞かせる。
統計上、彼女が犯罪に巻き込まれる確率は、
三年前の半分以下になった。

美咲は安心したように笑う。
三年前なら、この通学路で月に二、三件は窃盗や
痴漢の被害があった。
今はほとんどない。

娘を送り出しながら、
向かいの山田さんと目が合う。

「おはようございます。
本当に安全になりましたね」

山田さんは心からの笑顔で言った。
彼女の娘さんは二年前、ひったくりに遭いかけたが、
犯人が監視カメラに気づいて逃げた。
未遂で終わった。

「ええ。改正前なら、
きっと被害に遭っていましたね。
それに、山田さんのご主人、昇進されたそうで」

「ええ! 真面目に働いてきたことが、
ようやく認められて」

山田さんの夫は、
改正前は上司の不正経理を内部告発して、
逆に左遷された。
しかし法改正後、
監視システムにより上司の不正が完全に暴かれ、
上司は逮捕。
山田さんの夫は名誉回復し、部長に昇進した。

「正直者が馬鹿を見る時代は終わったんですね」

山田さんの言葉に、私も頷いた。

数字の裏には、救われた人々がいる。

そして、報われた善良な人々がいる。

それは紛れもない事実だ。

## 第二章:消えない犯罪

法廷には三台のAIモニターが設置されている。
互いを監視し合い、中立性を保つシステムだ。

今日の被告人リストを見る。
殺人事件が一件、傷害致死が二件、窃盗が五件。

「まだこんなにあるのか...」

若手の検察官が呟いた。
彼の言う通りだ。確かに犯罪は減った。
しかし、ゼロにはならない。

殺人事件の被告は四十二歳の男だった。
妻を殺害した。
動機は「もう耐えられなかった」。
彼は知っていた。
殺人は死刑だと。それでも殺した。

「被告人に死刑を言い渡します」

判決が下る。男は何も言わなかった。
ただ、虚ろな目で天井を見つめていた。

厳罰化は、計画的な犯罪を大きく減らした。
損得勘定ができる人間は、
割に合わないと判断して犯罪を避ける。
だが、損得を超えた感情で動く人間は、
今日も犯罪を犯す。

控室に戻ると、
同僚の木村が統計資料を広げていた。

「見てくれ。窃盗は78%減少。詐欺は81%減。
でも殺人は32%減に留まってる」

計画性の高い財産犯は激減した。
しかし、衝動的な暴力犯罪は、
思ったほど減っていない。

「それでも、詐欺の81%減は驚異的です」

木村が別の資料を開く。

「改正前、投資詐欺や振り込め詐欺で、
年間数千億円の被害がありました。
高齢者を狙った悪質な詐欺師たちが、
法の抜け道を探して巧妙に犯罪を繰り返していた」

「今は?」

「監視システムが全ての金融取引を追跡します。
不審な動きがあれば即座に検知され、
犯人は数時間で特定される。
もう逃げ場はありません」

実際、改正後の逮捕率は劇的に上昇した。

改正前の検挙率:窃盗32%、詐欺18%、暴行56%
改正後の検挙率:窃盗89%、詐欺91%、暴行94%

「隠れて悪いことをしていた連中が、
次々と炙り出されています」

木村の言葉通り、改正直後の半年間で、
長年の未解決事件が大量に解決された。

ある税理士は十年間、
顧客の税金を着服し続けていた。
監視システムが全ての取引記録を分析し、
三日で犯行が発覚。逮捕された。

ある不動産業者は、違法建築を繰り返し、
検査をごまかしていた。
ドローンの建物スキャンにより、
すべての違法建築が明るみに出た。

ある会社経営者は、従業員への賃金未払いを続け、
労働基準監督署の立ち入り検査の日だけ
記録を改ざんしていた。
AIシステムが全従業員の勤務記録と
給与支払いを照合し、不正が即座に発覚した。

「法の抜け道を探していた人間たちが、
もう隠れる場所がないんだ」

木村が言った。

「結局、
人を殺すような状況に追い込まれた人間には、
刑罰なんて関係ない。
でも、計算ずくで悪いことをしていた連中は、
完全に排除されつつある」

## 第三章:炙り出される悪と報われる善

月例報告会で、
警察庁長官が驚くべきデータを公開した。

「表面上の犯罪件数は確かに減少しています。
しかし、未遂で終わった事案、
被害届が出されなかった事案を含めると、
実質的な犯罪行為は25%減に留まります」

会場がざわめく。

しかし、長官は続けた。

「それでも、この25%減は極めて重要です。
昨年だけで、推定三万七千人が
犯罪被害から救われました」

スクリーンに映し出される数字。

窃盗被害を免れた人:12,400人
暴行被害を免れた人:8,900人
詐欺被害を免れた人:11,200人
性犯罪被害を免れた人:4,500人

「三万七千の人生が守られたのです」

そして長官は、別のスライドを表示した。

「さらに重要なのは、
これまで隠れていた犯罪者の検挙です」

改正後三年間の検挙実績:
- 長期間の横領・着服事犯:8,920件
- 組織的詐欺グループ:340組織
- 違法営業・脱税:12,400件
- 労働法違反(賃金未払い等):15,600件
- 隠蔽されていた性犯罪:2,100件

「これらは、改正前なら発覚しなかった、
あるいは証拠不十分で立件できなかった事案です。
監視システムにより、すべてが明るみに出ました」

長官の声に力がこもる。

「法の抜け道を探し、
巧妙に犯罪を重ねてきた者たちに、
もはや逃げ場はありません。
一つの不正も、一つの嘘も、
システムは見逃しません」

会場から拍手が起こる。

「そして、これにより正直に生きてきた人々が、
ようやく報われる社会になりつつあります」

長官はさらに別のデータを表示した。

不正が暴かれた結果の社会的効果:
- 内部告発者の名誉回復・昇進:1,240件
- 不当解雇の是正:3,670件
- 未払い賃金の支払い:総額487億円
- 詐欺被害者への賠償:総額1,250億円

「真面目に働いてきた人々が、
不正を働いていた上司に代わって昇進しています。
パワハラで退職させられた人々が、
証拠によって名誉を回復し、賠償を受けています。
正直者が馬鹿を見る時代は、終わりました」

私は資料を見つめる。確かに、これは事実だ。

休憩時間、
被害者支援団体の代表が私に話しかけてきた。

「先生、私たちの活動も大きく変わりました。
三年前は月に百件以上の相談がありましたが、
今は三十件程度です」

彼女の目には涙が浮かんでいた。

「七十人の被害者が、生まれなかったんです。
七十人がトラウマに苦しまずに済んでいるんです」

私は何も言えなかった。

彼女の言葉は、真実だ。

犯罪が減れば、被害者も減る。
当たり前のことだが、それは何よりも尊い。

「もちろん、完璧な社会ではありません。
でも、私たちが支援する被害者が減ったことは、
心から嬉しいんです」

彼女は続けた。

「それに、これまで泣き寝入りするしかなかった
被害者たちが、ようやく救われています。
監視記録が証拠になって、加害者が逮捕される。
正義が実現されるんです」

彼女は微笑んだ。
複雑な、しかし確かな喜びの表情だった。

さらに深刻な問題もあった。

家庭内暴力の通報件数が激減している。
被害者が通報を躊躇するようになったのだ。
なぜなら、配偶者が逮捕されれば、
自分も「教育責任罪」で罰せられる可能性があるから。

子供の喧嘩も、親が必死に隠蔽する。

表面上の数字は改善した。
だが、闇に沈んだ犯罪が増えている。

## 第四章:それでも犯す人々

深夜、緊急呼び出しがあった。
十六歳の少年が、コンビニ強盗を犯したという。

取調室で少年と向き合う。
痩せこけた体。くぼんだ目。

「なぜやったんだ?強盗は最低でも
懲役十五年だと知っていただろう?」

「知ってました」

少年は淡々と答えた。

「でも、弟が死にそうで。
お金が必要で。どうしようもなくて」

彼の家は貧困家庭だった。
母親は病気で働けない。
弟は重い病気で治療費が必要だった。
少年は三つのバイトを掛け持ちしていたが、
それでも足りなかった。

「生活保護は?」

「申請しました。
でも、母が過去に軽犯罪を犯してて、
監視対象者には支給できないって」

法改正後、
前科者とその家族への社会保障は大幅に削減された。
「犯罪者を甘やかすな」という世論を受けて。

少年は知っていた。
捕まれば人生が終わることを。
それでも、弟を見殺しにはできなかった。

「弟は...助かりますか?」

「いや、お前が逮捕されたことで、
お前の母親にも教育責任罪が適用される。
家族全員、医療費の支払い能力を失う」

少年は何も言わなかった。
ただ、涙を流した。

これが現実だ。
厳罰化は確かに犯罪を減らした。
しかし、追い詰められた人間は、
刑罰を恐れる余裕すらない。

## 第五章:統計の裏側

ある日、匿名の内部告発文書が送られてきた。

「犯罪件数42%減少」
という政府発表の裏には、
巧妙な統計操作があった。

軽微な犯罪の多くが「訓戒処分」に変更され、
犯罪統計から除外されている。
痴漢、軽度の暴行、器物損壊。
これらは「犯罪」ではなく
「違反行為」として別カウントされるようになった。

また、未遂事件の多くは記録されない。
監視カメラが万引きを未然に防いでも、
それは「犯罪ゼロ」としてカウントされる。
実際には、
万引きしようとした人間がいたにもかかわらず。

さらに、前述の通り、
被害届が出されない事件が激増している。

「本当の犯罪減少率は、
おそらく15%から20%程度でしょう」

統計学者の友人が分析してくれた。

「それでも減ったことは確かです。
しかし、政府の言う42%は誇張です」

そして最も重要な事実。

「犯罪の種類が変わっただけで、
人間の本質は変わっていません」

計画的な犯罪は大幅に減った。
リスクとリターンを計算できる人間は、
犯罪を避ける。

しかし、衝動犯罪、情動犯罪、
絶望的な状況での犯罪は、ほとんど減っていない。

今も、毎日誰かが人を殺す。
毎日誰かが盗みを働く。
毎日誰かが暴力を振るう。

数は減った。でも、ゼロにはならない。

## 第六章:AI裁判官の記録

ある日、私はAIシステムの
保守担当者と話す機会があった。

「AIは学習しています。
膨大な判例を分析し、
最適な判決を導き出します」

「犯罪を防ぐことはできるのか?」

「それは不可能です」

彼は即答した。

「AIが分析した結果、
人間が犯罪を犯す理由は三つに大別されます。
一つは合理的判断。
利益が罰を上回ると判断した場合。
二つ目は衝動。理性を失った瞬間の行動。
三つ目は絶望。失うものが何もない状況」

「厳罰化は?」

「一つ目には極めて有効です。
合理的な人間は、厳罰を恐れて犯罪を避けます。
しかし、二つ目と三つ目には、
ほとんど効果がありません」

AIの結論は明確だった。

「犯罪をゼロにすることは、
現在の人間社会では不可能です。
人間である限り、感情があり、間違いを犯し、
絶望することがあります」

## 第七章:終わらない物語

三年が経ち、法改正の「成功」が祝われた。

式典で法務大臣が演説する。

「犯罪は大幅に減少しました。
我々の方針は正しかったのです」

拍手が起こる。

しかし、その夜。

十四歳の少女が父親を刺殺した。
日常的な虐待に耐えかねて。
彼女は死刑こそ免れたが、
懲役二十年の判決を受けることになる。

四十五歳の男が元妻を殺害した。
離婚後の養育費トラブルで。
彼は死刑判決を受けた。

十九歳の青年が強盗致傷で逮捕された。
奨学金が返せず、家族に迷惑をかけたくなくて。

犯罪は減った。確かに減った。

でも、今日も誰かが罪を犯す。

法廷に立つ彼らの目を見る。
恐怖、絶望、後悔。
しかし、時には諦めや、歪んだ決意すら見える。

「厳罰化しても、犯罪は無くならないんですね」

若手弁護士が呟いた。

「ああ。人間がいる限り、犯罪はなくならない」

私は答えた。

「でも、減らすことはできる。それが限界だ」

## エピローグ:光と影、そして正義の実現

統計上、犯罪は減った。
街は以前より安全になった。
子供たちが夜道を歩く姿も増えた。

ある日、公園で老夫婦が話しているのを聞いた。

「三年前は、この公園で強盗事件があったんだよ」

「今は安心して散歩できるね。
それに、孫の学校も良くなったらしい」

「ああ、あの校長が逮捕されたからな。
給食費を着服していたなんて」

「監視システムがなければ、
ずっと隠れていたでしょうね」

彼らは笑顔だった。

コンビニの店長も言っていた。

「万引きが本当に減りました。
改正前は毎日のように被害があったんです。
それも、組織的な窃盗団が法の抜け道を使って、
何度も何度も...商品を諦めて、
廃業も考えていました」

店長の表情が明るくなる。

「でも今は、監視カメラとAI分析で、
不審な行動をする人間は
入店した瞬間に検知されます。
窃盗団のメンバーは顔認証で即座に特定され、
警察に通報される。
もう、彼らは入ってくることすらできません」

駅前の居酒屋で、サラリーマンたちが話していた。

「うちの部長、逮捕されたんだってよ」

「ああ、取引先からのキックバックを
受け取ってたやつだろ。
十年以上やってたらしいな」

「監視システムがなければ、絶対にバレなかった。
証拠を隠すのが上手かったから」

「で、内部告発してた田中さんが
部長に昇進したんだって。
正直者が報われる時代になったな」

救われた人々が、確実にいる。

被害を受けずに済んだ人々が、確実にいる。

そして、
正直に生きてきた人々が、ようやく報われている。

三万七千人。
これは統計上の数字だが、一人一人に人生がある。
トラウマを負わずに済んだ人生。
財産を失わずに済んだ人生。
命を奪われずに済んだ人生。

さらに、
真面目に働いてきたのに不正をする上司の下で
苦しんでいた人々。
内部告発したのに左遷された人々。
理不尽な解雇をされた人々。
彼らが、証拠によって名誉を回復し、
正当な地位を得ている。

それは、喜ぶべきことだ。

心から、喜ぶべきことだ。

私の友人の弁護士、佐藤も言っていた。

「改正前は、証拠不足で
立件できない事件がたくさんあった。
被害者は泣き寝入り。
加害者は法の抜け道を探して逃げ続ける。
でも今は違う」

彼は満足そうに頷いた。

「監視記録がすべてを証明する。
どんなに巧妙に隠しても
、AIが分析して真実を明らかにする。
正義が実現される確率が、劇的に上がったんだ」

しかし。

毎日、法廷には被告人が立つ。
毎日、誰かが泣く。毎日、人生が壊れる。

数は減った。でも、ゼロにはならない。

なぜなら、人間は完璧ではないから。

感情に流される。絶望する。間違いを犯す。

法律は行動を縛れても、
心を変えることはできない。

厳罰は抑止力にはなっても、
人間性を書き換えることはできない。

深夜、また事件の一報が入る。

傷害致死。被告人は二十三歳の女性。

私はため息をつき、資料を手に取る。

しかし、その前に、今日の統計を見る。

「本日の犯罪発生件数:7件(前年同日:18件)」

十一人が、被害を免れた。

十一の人生が、守られた。

「隠れていた犯罪の検挙件数:
本日3件(改正前平均:0.2件/日)」

法の抜け道を探していた者たちが、炙り出された。

正直者が、報われた。

それは、確かに価値がある。

明日も、法廷は開かれる。

犯罪は減った。
多くの人が救われた。
悪人は隠れられなくなった。
善人が報われるようになった。

でも、終わらない。

それが、人間社会の現実だ。

光と影。

救われた命と、失われた命。

炙り出された悪と、報われた善。

快適で安全な街と、それでも消えない人間の闇。

その両方を見つめながら、私たちは歩み続ける。

---

*犯罪統計・改正三年後*
- *全体犯罪件数:42%減(実質15-20%減)*
- *窃盗:78%減*
- *詐欺:81%減*
- *殺人:32%減*
- *傷害:44%減*
- *被害を免れた推定人数:年間37,000人*
- *改正後に検挙された隠れていた犯罪:39,140件*
- *検挙率:改正前平均35% → 改正後91%*
- *正義が実現された事案
(名誉回復・賠償等):8,580件*

*数字は改善した。多くの人が救われた。*
*隠れていた悪人が炙り出された。
正直者が報われるようになった。*
*街は安全で快適になった。*
*しかし、今日も誰かが罪を犯す。*
*それが人間だから。*

*救われた命を喜び、失われた命を悼む。*
*報われた善を讃え、炙り出された悪を裁く。*
*それが、私たちにできることだ。*

 

世の中 ズルをする人が多いのに

全く罰せられないから

そっちの方が得だと

自分もズルをしないと損だ

そう思う人も増えて来ていると思います

ズルは悪い事

これを徹底する事が

必要な段階に来てしまったのでは?と思います

 

 

# 予約キャンセル

朝のバスターミナルは、
いつもと変わらない喧騒に包まれていた。
田中は二枚の予約券を握りしめ、深呼吸した。
隣に人が座ると落ち着かない。
それだけの理由で、
彼は二席分の予約を取っていた。

「問題ない。
乗ってから一席キャンセルすればいい」

心の中でそう繰り返しながら、
田中はバスに乗り込んだ。
こうやって、ちょっとした嘘やごまかしで
切り抜けるのは、彼にとって日常だった。
小学生の頃からずっとそうだ。

雨が降れば、傘立てから適当な傘を拝借する。
宿題を忘れれば、朝早く登校して
クラスメイトの答えを写す。
体操着を忘れた日は、隣のクラスの
大人しそうな子を脅して借りる。
「貸してくれないと、
お前が俺の財布盗んだって先生に言うぞ」
——そんな言葉で、何度も他人を利用してきた。

中学でも高校でも、そして社会人になっても、
田中のやり方は変わらなかった。
会社の会議資料は同僚のものをコピーして
自分の名前をつける。
取引先との約束をすっぽかしても、
「部下が日程を間違えて伝えた」と責任転嫁する。
飲み会の予約をドタキャンしても、
「急な仕事が入った」と嘘をつく。

誰かが困っても、自分さえ楽ならいい。
それが田中の生き方だった。

席に着くと、すぐに車内係員を呼んだ。

「すみません、
友人が急に来られなくなったので、
この席をキャンセルしたいんですが」

いつもの嘘。
いつものように、すんなり通ると思っていた。

係員は端末を操作しながら、
穏やかな表情で尋ねた。

「承知いたしました。
では、そのご友人様に
連絡を取っていただけますか?」

「え?」

「ご友人様が来られなくなった理由を、
ご本人から確認させていただく必要がございます」

田中の背中に冷たい汗が流れた。
友人などいない。
いるわけがない。

「そんな説明の必要があるのかよ!」

声を荒立てた田中に、
係員は変わらず丁寧な口調で答えた。

「法改正により必要になりました。
予約制度適正化法第三条に基づく確認でございます」

その瞬間、数名の警備員が近づいてきた。
田中を取り囲むような形で立つ彼らの表情は、
硬く真剣だった。

「ちょっと待てよ、俺は何も悪いことを——」

田中の言葉は、
バスターミナルに入ってきた警察官の姿で途切れた。
三人の警官が真っ直ぐこちらに向かってくる。

係員が警官に状況を説明すると、
一人の警官が端末を操作し始めた。
そして顔を上げると、田中を見据えた。

「田中浩二さん、あなたは二週間前、
『和食処 さくら』での予約を
当日キャンセルした件で指名手配されています。
予約制度適正化法違反
および公共秩序維持法違反の容疑で逮捕します」

冷たい金属の感触が手首に伝わった。
手錠だ。

「待ってくれ!
たかが飲食店の予約じゃないか!」

田中は必死で抗弁した。
だが、心のどこかで分かっていた。
自分がこれまで積み重ねてきた
小さな嘘と裏切りの数々。
それらが、ついに自分の首を絞めようとしている。

「『たかが』ではありません」
警官は静かに言った。

「三年前の法改正をご存じないはずはない。
予約の無断キャンセルは、
営業妨害罪として懲役三年以下の刑に処されます」

警官が端末を操作すると、
田中の過去の記録が次々と表示された。

「二週間前の飲食店キャンセル。
一ヶ月前の映画館の予約無断キャンセル。
三ヶ月前のホテル予約の直前キャンセル。
さらに遡れば、会社での勤怠不正、
取引先への虚偽報告……全て記録されています」

連行される田中の耳に、
周囲の乗客たちの声が聞こえてきた。

「また逮捕者か」

「当然よ。
ルールを守らない人は厳罰に処されるべきだわ」

「正直者が報われる時代になって良かった」

パトカーの中で、田中は窓の外を見つめた。
街中に掲げられた巨大なスクリーンには、
今日執行された死刑囚のリストが流れている。
万引き累犯者、交通違反常習者、
そして予約無断キャンセル三回目の男。

「以前なら考えられなかったことだ」
助手席の警官が言った。

「でも、社会の秩序を守るためには必要なんだ。
一部の人間は息苦しいと批判するが、
それは今まで好き勝手やってきた連中だけさ」

田中は何も言えなかった。
小学生の頃から、ずっと他人を利用し、
嘘をつき、ごまかして生きてきた。
それが当たり前だと思っていた。
少しくらいズルをしても、
誰も本気で罰したりしない。
そう高を括っていた。

だが、世界は変わった。
そして自分は、変われなかった。

警官は続けた。

「皆が普通に暮らしていくには、
ある程度の制限が必要だ。
公共の場で自由を謳歌するなんて、
他者の迷惑でしかない。
正直者が馬鹿を見る時代は終わったんだ。
ズルをすることができない社会になった。
君もそう思うだろう?」

田中の脳裏に、様々な顔が浮かんだ。
雨の日に傘を盗まれた同級生。
宿題を写されたクラスメイト。
脅されて体操着を貸した下級生。
自分の成果を横取りされた同僚たち。

彼らは今、どこかでこのニュースを見て、
何を思うだろうか。

パトカーは警察署に向かって走り続けた。
窓の外では、人々が整然と列を作り、
誰一人として列を乱す者はいない。
完璧に秩序立てられた街。

田中は目を閉じた。
二席分の予約。
ただそれだけのことから、
彼の人生は大きく狂い始めていた。

いや、違う。
狂い始めたのは今日ではない。
小学生の頃から、ずっと狂っていたのだ。
ただ、そのツケを払う日が、
ついに来てしまっただけだった。
 

最近 実際にこういう間違いが多いので

何だかなぁ~と思い作りました

スマホが普及しているのに

何でちゃんと調べないんですかね?

 

# 百万人の願い

夕暮れ時の六畳間。
オレンジ色の光が安アパートの窓から
差し込んでいた。

俺は畳の上に寝転がって、
テレビのニュース番組を眺めていた。
休日だというのに出かける金もなく、
こうして一日中部屋にいるのが
最近の日課になっていた。
大学生といっても、
バイトの給料は家賃と食費で消えていく。
今月はもう財布に三千円しか残っていない。

「このような事件が起きるのも、
日本人の性善説が原因ではないでしょうか」

画面に映る弁護士のコメンテーターが、
したり顔でそう言った。

俺は思わず身を起こした。また始まった。

「そうですね。
我々日本人は性善説で育てられていますから」

今度は大学教授だという
別のコメンテーターが相槌を打つ。

違う。全然違う。

性善説というのは孟子が唱えた思想で、
「人間の本性は善だが、
学び続けなければ悪に落ちてしまう」
という意味だ。
だから教育が必要だと説いている。
決して「人を疑わず信じること」
なんて意味じゃない。

ちなみに対になる性悪説は荀子の思想で、
「人間の本性は悪だが、学び続ければ善になれる」
というものだ。
どちらも教育の重要性を説いているのに、
テレビに出る連中はそんなことも知らずに、
堂々と間違えて使っている。
しかも自信満々に。

俺は立ち上がってテレビ局に電話をかけた。
これで何度目だろう。
四回目か、五回目か。

「あの、『性善説』の使い方が間違っています。
性善説というのは孟子の思想で、
人間の本性は善だけど学び続けないと
悪に落ちるという意味で……」

「貴重なご意見ありがとうございます。
担当部署に伝えておきます」

相変わらず事務的な対応。
何も変わらない。
翌日も翌々日も、
コメンテーターたちは同じ間違いを繰り返す。

呆れてものも言えなくなってきた。
しかもあろうことか、
間違えているコメンテーターの中には
教育学を専門にしている大学教授までいた。
教育者が言葉の意味を間違えてどうするんだ。

---

ある日の夕方、
近所のスーパーで半額の弁当を買った帰り道。

歩道の端に、くたびれた茶色の財布が落ちていた。

拾い上げて中を確認すると、
免許証もカードもなく、
千円札が一枚だけ入っていた。

交番は駅前にしかない。
ここから歩いて二十分はかかる。
正直、面倒だった。
でも、持ち主が困っているかもしれない。

俺は溜息をついて、駅前の交番まで歩いた。

「ご苦労様です」

警察官は淡々と受け取り、
遺失物届の書類を渡してきた。

---

それから一週間後。

学校の帰り道、
今度は歩道に女性用のバッグが落ちていた。

最近、よくものを拾うな。
俺は苦笑しながら、
またあの駅前の交番まで届けに行った。

---

さらにその数日後。

道端に、大きなスーツケースが転がっていた。

最近ニュースで見た。
外国人観光客が、
いらなくなったスーツケースを放置していく
という問題。
どうせそれだろう。

でも念のため持ち上げてみると、
ずっしりと重かった。

さすがに中身入れたまま捨てる人はいないか……。

俺は重いスーツケースを引きずりながら、
息を切らせて交番まで運んだ。
警察官は目を丸くしていた。

---

それから一ヶ月が過ぎた。

「もしもし、
先月届けていただいたスーツケースの件ですが」

交番から電話がかかってきた。

「持ち主の方が現れまして、
お礼がしたいとおっしゃっています」

別にお礼なんていらないんだけど……。
そう思いながらも、俺は交番に足を運んだ。

そこには、白髪の老紳士が立っていた。
上質なスーツを着て、
穏やかな笑みを浮かべている。

「本当に、本当にありがとうございました」

老紳士は何度も頭を下げた。
過剰なほどの感謝だった。

「お礼のしるしに、これをあなたに差し上げます」

老紳士が差し出したのは、
奇妙な金属製の筒だった。
長さは三十センチほど。
表面には見たこともない文様が刻まれている。

「この筒の蓋を開けて、
あなたの望みを言ってください。
すると百万人の人があなたの望みを叶えてくれます。
ただし、一度しか使えません」

何を言っているんだ、この人は。

俺は戸惑いながらも、
老紳士の押しに負けて筒を受け取った。

老紳士はにこやかに一礼すると、
そのまま去っていった。

---

家に帰ってテレビをつけた。

「やはりこれは、
日本人の性善説が問題なのではないでしょうか」

まただ。またアナウンサーが言い間違えている。

いいかげん、言葉の意味くらい調べないのかね?

ふと、机の上に置いた例の筒が目に入った。

どうせ眉唾だろう。でも、試しにやってみるか。

俺は筒の蓋を開けた。中は空洞になっている。

「マスコミは、
いいかげん『性善説』を正しい意味で使えよ!」

誰もいない部屋で、俺は叫んだ。

---

翌朝。

目を覚ましてテレビをつけると、
朝のニュース番組が異様な雰囲気に包まれていた。

「昨日の放送におきまして、
『性善説』という言葉を誤った意味で
使用しておりました。
視聴者の皆様、関係者の皆様に
深くお詫び申し上げます」

アナウンサーが深々と頭を下げている。

俺は画面に釘付けになった。

「性善説とは、孟子が唱えた
『人間の本性は善であるが、
学び続けなければ悪に落ちてしまう』
という思想であり、
『人を疑わずに信じること』
という意味ではございません。
対となる性悪説は荀子の
『人間の本性は悪であるが、
学び続ければ善になれる』という思想です。
いずれも教育の重要性を説いたものでございます。
これまで当番組では……」

チャンネルを変えると、

別の局でも同じような謝罪が流れていた。

スマートフォンを開くと、
ニュースサイトのトップに
「各メディアで『性善説』誤用問題が発覚」
という見出しが並んでいる。

記事を読むと、昨夜から今朝にかけて、
各テレビ局や新聞社に大量の抗議が殺到したらしい。
コメンテーターとして出演していた
大学教授の勤める大学にも、弁護士協会にも、
問い合わせや批判が相次いだという。

突然、何が起こったのか分からなかった。

俺が何度電話しても変わらなかったのに。
なぜ今になって。

視界の隅に、あの筒が入った。

まさか……ね。

でも、老紳士の言葉が頭をよぎる。

「百万人の人があなたの望みを叶えてくれます」

本当に? 本当にあれが?

信じられない。
でも、このタイミング。この展開。

俺は筒を手に取った。
もう蓋は開かない。
一度きりと言っていた。

晴れやかな気持ちになった。

百万人が動いたのかどうかは分からない。
でも、少なくとも今、
日本中のマスコミが正しい言葉の意味を
学び直している。

窓の外では、朝日が昇り始めていた。

いつもと同じ六畳間。
いつもと同じ安アパート。

でも今日は、少しだけ世界が違って見えた。