米TIME誌が、今年の「Person of the Year」に"You"を選んだ。先日、MySpaceが、Yahooのページビューを抜いたというニュースもあったように、まさに今年は、YouTubeやMySpaceなど"You"=ユーザー自らがコンテンツを作るUser-generated contentが、ネットサービスのメインに躍り出た年だった。この動向は、これからますます盛んになるはずだ。

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 前回のエントリーで書いたように、そうしたメディアの進化の中で、編集者の役割も徐々に変わる必要があるわけだけれど、それは"デザイナー"も同様だ。デザイナーの役割は、ウェブの進化とともに多様化している。多くのユーザーにウェブサービスを利用してもらうには、サービスそのもののコンセプトや機能とともに、インターフェイスデザインがひじょうに重要だ。"ワンクリック"のアクションを導くために、ボタンのサイズや位置がユーザビリティに大きな影響を与える。その意味で、新たサービスの開発に、デザイナーの役割は、これからますます重要になると言えるだろう。

 さて、今回は、そんな多様化するデザイナーの役割の中でも、比較的オーソドックス?な、紙メディアのイメージを残しつつデジタル化した雑誌や新聞のデザインついて考えたい。

 ニュース系ウェブサイトに世界共通のデザインフォーマットのようなものができてすでに何年もたつけれど、いっぽうで、それらとは別に紙メディアのイメージやデザインを残しながらデジタル化する試みが、これまでたびたび行なわれてきた。

 今年の夏から、イギリスやカナダで、いくつかの新聞サイトがPDF版を出し始めている。イギリスのGuardianが、ウェブの15分毎に更新される最新コンテンツをA4版のPDF版で提供し始め、その後、Telegraphや、さらにカナダの Toronto Star、Ottawa Citizenが続いている。日本でも新聞社がPDF版を提供することはあるが、ほとんどは印刷して販売・配布したもののPDF化したもの。これらは、ユーザーの手元でプリントアウトしたり携帯端末BlackBerryで閲覧されることを前提にPDF版を提供している。

 また、雑誌をめくるインターフェイスをもったビューワーもいくつも出ている。雑誌「Business2.0」が、Olive software社のOlive ActiveMagazineでデジタル化している。音声、動画にも対応していて、雑誌の写真が動きだしたり、背景で音が鳴る。デモは、「Manchester United Review 」がいい。さらに、Ifra newspaper techniques - Web 2.0 Special Editionは、NXTbookでデジタル化された。

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 これらのPDF版新聞やデジタル雑誌は、あえてウェブのHTMLで表現できる枠を越えて、別のフォーマットを用いている。これらの紙メディアのイメージやデザインを残しながらデジタル化されたものを見て改めて感じるのは、"デザインの力"だ。これまでのニュース系ウェブサイトは、デザインのフォーマットがおおよそ定型で、テキストを中心に構成されてきた。それは配信するのに効率はいいが、大きなビジュアルで、丁寧にレイアウトされた誌面は、やはり今のウェブにはない"魅力"がある。1ページというよりも、ひとつのパッケージとしての魅力が高まるということもある。

 ニュースサイトのフォーマットは、ナローバンドの時代からすでに決まっていたわけで、ブロードバンドの普及がUser-generated content時代の背景となっていることを考えると、そろそろグラフィックやデザインを重視したコンテンツ流通が注目されてもいいのかもしれない。
 前回のエントリーのようなやや長期的視点と、日々の業界動向を追う短期的視点のバランスで迷うのだけれど、今回は、短期的視点で進めてみよう。アメリカの業界動向を追うことは、2,3年後の日本の動向に影響を及ぼすと思うから、中期的視点とも言えるし。
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 雑誌「Business2.0」のシニア・ライターOm Malikが独立・起業して、自身のブログを商用ブログとしてリニューアルし、「Business2.0」の今後の方針に影響を与えているという話は、以前エントリーした。

 そのOm Malikのブログ「GigaOM」は、その後も確実に成長していて、9月にはバーチャルオフィスを効率的に利用するための「Web Worker Daily」も開始し、12月4日に、オンラインビデオに関するブログに特化した「NewTeeVee」をスタートした。これで、合計4つのブログを展開していて、着実にコンテンツの幅と量を広げている。

 これらのコンテンツは、かつてだったらIT系ニュースサイトが担っていたものだ。IT系ニュースサイトが、徐々にIT系商用ブログ浸食されてきている。こうした変化の原因としては、広告出稿の対象として商用ブログが認められビジネス的に成り立つようになったことも大きいが、少人数で編成されたブログならではのフットワークの軽さと迅速さが評価され、いっぽうニュースサイトの"ニュース"という形式にこだわったやや固めでニュートラルな表現が、一部で飽きられていて、ブログの気軽な意見表明が受け入れられているのだろう。

 また、かつては、有名サイト内で巡回していたユーザーが、del.icio.usのようなソーシャル・ブックマークや、Digg、Techmemeのようなニュースアグリゲーターの登場で、サイトの横断的な閲覧が推し進められ、ますますニュースサイトとブログをまったく同列に扱われるようになったことも重要だ。

 ここで個人的に気になっているのは、日本のニュースアグリゲーターの動向だ。ニュースアグリゲーターも、ユーザーが参加してランキングするDigg型サイト(日本ではソーシャルニュースと言われることが多いか)と、自動的にブログを巡回して、話題が集まっているサイトをランク付けするTechmeme型に分かれる。Diggは、スタートして2年たち、netscapeをはじめとして大量にクローンサイトが出てきているが、日本ではじまったDigg風サービスが、なぜかアメリカほど盛り上がらない。インターフェイスの問題なのか、ニュースソースの数がアメリカほど多くないからなのか・・。

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 もうひとつ、TailRankやTechmemeなどのミームトラッカーと呼ばれる自動巡回タイプは、来年あたり日本でもスタートするはず。本家Techmemeも、徐々に新しいサービスを増やし改良していて、11日には、過去5日分のアーカイブを時系列で"川の流れのように"表示する"riverriver of news"をスタートさせた。地味ではあるけれど確実にユーザーに使いやすいように改良されている。いっぽうのTailRankは、ビデオブログ「Scoble Show」で8日、開発者Kevin Burtonのインタビューが紹介されているところ。あとは、さらにパーソナライズ化が進めば、使い勝手は格段の進歩を遂げるはず。

 今後もブログネットワーク以外にも、さまざまな形でコンテンツが爆発的増えるのは間違いない。が、同時に、拡大拡散したコンテンツを、まとめて整理するニュースアグリゲーターが、ますます重要になるはずだ。
 かつては、その役割は"編集"とも呼ばれていたわけで、これからは、ニュースアグリゲーターの設計に関わることも"編集"の作業と言えるのかもしれない。
 
 話題になって久しいトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』をようやく読む。同じ著者が2000年に出した『レクサスとオリーブの木』が、あまり面白く読めなかった記憶があって、これまで積極的に手を出す気がしなかったのだ。

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 東西冷戦の終結と、インターネットなどの新しい通信技術が、旧ソ連、中国、インド、ブラジル・・に競争力を与え、世界をフラットにした・・・。この止めることのできない趨勢の中で、国家として、個人としてどう生きるか、というもの。ネットが社会に与える影響については、これまでも数多くのIT系の書籍で語られていて、新鮮味はないのだけれど、その技術的な動向と世界の政治経済の趨勢と重ね合わせて、国家、企業、個人のこれからの対処法として、ひろく一般に訴えているのが大きな特徴か。

 面白い指摘は多いのだが、このブログに関連するところで、「新しいミドルクラスの仕事」について書かれた7章、8章をメモ。
「フラットな世界で個人として栄えるには、自分を「無敵の民」にする方法を見つけなければならない。・・私の辞書の無敵の民とは、「自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化されることがない人」を意味する。・・失われる仕事の大半は、インドや中国にアウトソーシングさえて失われるのではない──「過去にアウトソーシングされて」失われるのである。つまり、デジタル化もしくはオートメーション化される」

「ミドルクラスの仕事を増やしつづけるには、フラットな世界に適合する特定のスキルが必要になる──一時的にでもかけがえのない存在になるか、特化するか、錨を下ろすことができるようなスキルがあれば、当面は無敵の民でいられる。新ミドルクラスでは、誰もが臨時雇いなのだ。」


 そして、こうした時代に新ミドルに必要な能力は4つ、だという。
・学ぶ方法を学ぶ能力。
・IQ(知能指数)も重要だが、CQ(好奇心指数)とPQ(熱意指数)がもっと大きな意味を持つ。
・他人を管理したり交流したりするのが、上手でなければならない。
・創造性を培わなくてはならない。

 ここで特に気になったのは、最後の「創造性」の部分。これからの時代、この「創造性」が非常に重要な意味を持つように思うのだが、先のエントリーでも書いたように、日本のウェブサービスにどうも創造性が欠けているような気がしているのだ。日本では、早くからブロードバンドのインフラが整ったにも関わらず、韓国やアメリカに比べると、オリジナリティ溢れるウェブサービスが、なかなか生まれて来ていない。先行する海外のサービスを真似ていれば、ビジネス的には成功する確率は高まるのだろうが、そればかりでは限界がある。創造性を高めるのはどうしたらいいのだろう。これは難しい問題だ。

 ゲームやアニメは、このところますます海外で評価を高めているけれど、いっぽう足元の製作現場を見てみると、この分野もアジアへのアウトソースが増えるなど、先行き不透明だ(ゲーム産業そのものの先行きもかなり危ういし)。ゲームやアニメで見られたオリジナリティが、ウェブサービス開発でも見られるといいのだけれど・・。まずは、"オリジナリティ"や"創造性"を発揮したクリエイター、開発者には、ビジネス的成功とは別の、これまで以上の高い評価が与えられるべきなのだろうか。
 先日、 ブログ「PUBLISHING2.0」 に、雑誌「JPG Magazine」の定期購読割引の案内があった。この手の記事がPUBLISHING2.0に載るのは珍しいので、リンク先のサイトをみてみると、これがなかなかユニ-クなものだった。(「PUBLISHING2.0」経由で定期購読すると5ドル割引される、というシステムも面白い。)

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 JPG Magazineは、ネットユーザーが、写真を投稿し、セレクトできる写真雑誌だ。今年に入ってから、出版元が代わって、ネットユーザーに開かれた雑誌という方針が明確になり、さらに、エディトリアルデザインも洗練され、プリントメディアとしての魅力も高まった。

 雑誌のpdfもダウンロードできる。ユーザ-登録し、投稿した写真が、多くのユーザーに選ばれて、雑誌に掲載されると、ギャランティが出るシステム。プロカメラマンではなく、一般の"写真好き"が投稿した作品が掲載されているわけだが、どの写真も、ひじょうに美しく力がある。

 デジタルカメラの一般化と、ネットインフラの整備が可能にした、まさにWeb2.0的雑誌と言えるだろう。ネットの力を最大限に利用しているが、最終的なアウトプットを印刷媒体にしているのも面白い。編集者は、ネットユーザー=写真愛好家の調整役に徹していて、いい写真をいい印刷で、広く伝えたい、という写真好きの想いをうまく共有させている気がする。

 ところで、このJPG Magazineと同様の企画が、日本でも成り立つだろうか? 
 この企画が成り立つためには、他人に自分の作品が評価されることを厭わず、高いクオリティを持ったアマチュア・カメラマンがかなりの数必要だ。日本には、写真好き、カメラ好きの方が多いし、JPG Magazineぐらいのクオリティの写真だったら、容易に集まるだろうという気もする。けれど、写真共有サイトのFlickrなどでは、しばしばプロ顔負け?の美しい写真に出会って驚くことがあるが、日本の写真共有サイトを見ると、個人の日記的な写真が多い・・・う~ん、どうだろう。

 また、音楽投稿サイトや動画共有サイトをアメリカなどに比べると、他人の目を意識した"作品"を気軽に積極的に作ろうという人々の絶対数が、かなり違うような気もする。このあたりのクリエイティブへの意識の薄さや、自分の作品を人と共有したい、見てもらいたいという意識の薄さ、絶対数の違いが、いちはやくブロードバンド環境が整っていた日本で、FlickrやYouTubeのような作品共有サイトが生まれなかった一つの理由ではないかとも思う。

 それが、FlashアニメやCGには、たくさんクリエイターがいるけれど、写真や動画、音楽は少ない・・というようなジャンルの偏りだったらいいのだが、"クリエイティブ"な意識そのものが停滞しているとなると、これはひじょうに重大な問題だ。
 次世代ゲーム機が出そろって、さまざまな話題を振りまいているが、ここ数年、ゲームに関わる個人的な興味は、"オンライン"にある。そこで、今春出版された魏晶玄著『韓国のオンラインゲームビジネス』を呼読んだ。韓国のオンラインゲーム市場について知りたかった、ということもあるのだが、インターネット・コミュニティとの接点があるだろうと思っていたのだ。

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「オンラインゲームは単純な製品ではなく、ある種の人間社会とも言えよう。オンラインゲームは、ユーザーととともに進化し、社会と文化によって独自の違う進化の経路を踏んでいくからである。したがって、同じゲームでも、国によって、文化圏によって、さらには同じ地域内でもサーバーによって、形成される文化とルールが違ってくる。」


 こうした国家、地域によるネットユーザーの行動の違いについては、以前から調査があって、2004年に出された木村忠正著『ネットワーク・リアリティ』でも、中国、韓国、アメリカと日本のネット利用の実態を浮かび上がらせていて、ひじょうに興味深いものだった。

 いっぽうで、今年に入ってから、コンテンツを配信するニュースサイト(Washington PostやNewYork Times、Reutersまで)は、ブログをはじめとした市民メディアを取り込む方法をさまざま試みていて(以前のエントリー)、この傾向は、ますます拡大しそうだ。

 市民参加型のサイト構築には、コミュニティであれ、SNSであれ、独自のノウハウが必要で、そこには国民性、地域性への配慮が必要になってくるはず。

 市民メディアといえば、2000年に韓国でスタートしたOhmyNewsが有名だが、今年の夏にスタートした日本語版オーマイニュースのほうは、スタート時以後はあまり話題を聞かない。また、韓国の総人口の1/4の1000万人が参加しているSNS、Cyworldも、日本やアメリカに進出しているが、こちらも苦戦中だ。同じように、アメリカから日本に進出したSNS、Myspaceも、アメリカと同様に成功するかわからないし、もし、Mixiがアメリカや韓国でサービスを始めたとしても、日本と同じように受け入れられるかどうかはわからない。

 一つのサービスに参加したら、なかなか他のサービスには移りにくい、というSNSゆえの特徴もあるが、匿名か本名か、閉鎖的か開放的か、キャラクター志向かどうか、など、その地域のネットユーザーの嗜好、地域性への配慮が、SNSのようなコミュニティの運営には必要なのだ。

 日本でもこれから増えるだろうニュース配信とコミュニティの融合した新しいニュースサイトは、こうしたネットユーザーの地域性をしっかりと配慮し、システムを設計していくことが重要だろう。