話題になって久しいトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』をようやく読む。同じ著者が2000年に出した『レクサスとオリーブの木』が、あまり面白く読めなかった記憶があって、これまで積極的に手を出す気がしなかったのだ。

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 東西冷戦の終結と、インターネットなどの新しい通信技術が、旧ソ連、中国、インド、ブラジル・・に競争力を与え、世界をフラットにした・・・。この止めることのできない趨勢の中で、国家として、個人としてどう生きるか、というもの。ネットが社会に与える影響については、これまでも数多くのIT系の書籍で語られていて、新鮮味はないのだけれど、その技術的な動向と世界の政治経済の趨勢と重ね合わせて、国家、企業、個人のこれからの対処法として、ひろく一般に訴えているのが大きな特徴か。

 面白い指摘は多いのだが、このブログに関連するところで、「新しいミドルクラスの仕事」について書かれた7章、8章をメモ。
「フラットな世界で個人として栄えるには、自分を「無敵の民」にする方法を見つけなければならない。・・私の辞書の無敵の民とは、「自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化されることがない人」を意味する。・・失われる仕事の大半は、インドや中国にアウトソーシングさえて失われるのではない──「過去にアウトソーシングされて」失われるのである。つまり、デジタル化もしくはオートメーション化される」

「ミドルクラスの仕事を増やしつづけるには、フラットな世界に適合する特定のスキルが必要になる──一時的にでもかけがえのない存在になるか、特化するか、錨を下ろすことができるようなスキルがあれば、当面は無敵の民でいられる。新ミドルクラスでは、誰もが臨時雇いなのだ。」


 そして、こうした時代に新ミドルに必要な能力は4つ、だという。
・学ぶ方法を学ぶ能力。
・IQ(知能指数)も重要だが、CQ(好奇心指数)とPQ(熱意指数)がもっと大きな意味を持つ。
・他人を管理したり交流したりするのが、上手でなければならない。
・創造性を培わなくてはならない。

 ここで特に気になったのは、最後の「創造性」の部分。これからの時代、この「創造性」が非常に重要な意味を持つように思うのだが、先のエントリーでも書いたように、日本のウェブサービスにどうも創造性が欠けているような気がしているのだ。日本では、早くからブロードバンドのインフラが整ったにも関わらず、韓国やアメリカに比べると、オリジナリティ溢れるウェブサービスが、なかなか生まれて来ていない。先行する海外のサービスを真似ていれば、ビジネス的には成功する確率は高まるのだろうが、そればかりでは限界がある。創造性を高めるのはどうしたらいいのだろう。これは難しい問題だ。

 ゲームやアニメは、このところますます海外で評価を高めているけれど、いっぽう足元の製作現場を見てみると、この分野もアジアへのアウトソースが増えるなど、先行き不透明だ(ゲーム産業そのものの先行きもかなり危ういし)。ゲームやアニメで見られたオリジナリティが、ウェブサービス開発でも見られるといいのだけれど・・。まずは、"オリジナリティ"や"創造性"を発揮したクリエイター、開発者には、ビジネス的成功とは別の、これまで以上の高い評価が与えられるべきなのだろうか。