長い出張から戻りました。

と言っても5日間ですが、

出張の時はいつも亡くなった母と

モモのことを思い出します。

 

 

モモを見送りたい気持ちが強かったため、

もう、いつ天国にいってもおかしくない、

というときに出張が重なり、

見送れるのかどうか?と

ハラハラしながらの出張だったことや、

母のときは、サイン本を書いていた

真っ最中に逝ってしまったので、

出張のたびに胸が痛みます。

 

 

今日はペットのことについての記事です。

 

 

ペットは家族のような存在です。

そして、子供がいない人にとっては

我が子のような存在だといいます。

ペットを飼ったことがある人は

そんな気持ちになることでしょう。

 

 

もし、人間の子供に先立たれたら、

親は生きていくのがとても辛くなります。

 

 

しかし、子供がいなくて、我が子のように

ペットを飼ってる人は、それを覚悟で

飼っており、そして、生涯の中で

何度かそれを経験しなければなりません。

 

 

そして、ペットが自分よりも

先に逝くことを喜びと

しなければなりません。

その子を残して自分が先に逝くほうが、

よっぽど災いだからです。

 

 

ペットを亡くすという

その経験を二度としたくない人は、

もう飼えなくなります。

亡くす辛さは、いかばかりでしょう。

 

 

我が子のように可愛がっていたモモを

亡くす前、何度もこのことを考えていました。

 

 

いつか別れがくる、と。

マイケルもハナも同じです。

 

 

しかし、母を亡くして思ったのは、

死は自然のことであり、命の形態が

変わっただけのことである、と。

 

 

なので、モモの死も、これから訪れる

マイケルやハナとの別れも、 

いつか来るであろうその日のために、

時々心の準備をする事があります。

 

 

それは、実家にいたときに、

何代もの犬と猫を見送ってきて

そして、モモと母を見送ってそう思いました。

 

 

モモを飼っていた時から、

もしモモを見送ったら、

悲しみに打ちひしがれないように、

すぐに次の犬を迎えよう!もう、すぐ!

次の日にでも!と思っていました。

 

 

ところが、一年半もの間は飼えませんでした。

モモの一生を面倒見て、犬を飼うという

責任の重さが肩にのしかかりました。

しかも離婚して、こんなに忙しいのに、

一人でペットたちの面倒を見なければ

ならない責任です。

 

 

眠くても、異変が起きれば、

夜中でも病院に連れて行かねばなりません。

家から出たくないのに、散歩に

毎日行かねばなりません。毎日です。

 

 

ちょいと前なんて、

ハナを夜間病院に連れて行きましたら、

いろんな検査をし、8万以上かかりました。

経済的にも余裕がないと飼えやしません。

 

 

中には、ペットをファッションのように、

取っ替え引っ替え、そして

飽きたら、処分場に連れて行く、

のような人がいるそうです。

処分ですよ?つまり殺すとうこと。

 

 

または、結婚するから、

相手は動物が嫌いだから捨てる、

とかもあるのです。

 

 

その子を見送ってから結婚したらいいのに。

ペットも一緒に愛してくれないのなら、

あなたとは結婚などしなくてもいい、

という覚悟の上でペットを迎えて

欲しいものです。

 

 

処分場のおじさんの話では、

ペットを持ち込む人は、普通に見える、

人の良さそうな感じだそうです。

 

 

で、思い留まってもらうために、

どのように処分するか説明するそうです。

そうすると相手は「はい、分かってます。

お願いします」と顔色も変えず、

置いて行くそうです。

 

 

おじさんいわく、人間不信になりそうだ、

と言っていたそうです。

普通のいいところの奥様みたいな人が

飼えなくなったんです、と普通に

物を捨てるように持ってくるそうで。

 

 

因果応報ありますけどね。

 

 

ペットを買う前に、真剣に金銭面、

お世話のこと、散歩、病気のこと、

ペットシーツ、フード、出張の時、

すべての環境を整えてあげられない場合は、

迎えるのはやめたほうがいいです。

 

 

とある精神世界の話では、

家に飼われるペットは、

野良猫や野生の動物とは違い、

人間から愛情を受けることを学び、

次なる人生で人間に生まれてくる魂である、

というのを聞いたことがあります。

 

 

本当なのかファンタジーなのかは

知りませんが、誰かが言っていたように、

家にペットを迎える人はそれの

ボランティアのような役目を

担っていると聞きました。

 

 

愛情を受けた飼い主から、

突然捨てたれたら、きっと

次に人間に生まれてきたら、

その恐怖の記憶がどこかに残ったまま、

生まれてくるかもしれませんね。

輪廻転生があれば、の話ですが。

 

 

いずれにしても、

言いたいことは、簡単にペットは

飼わないことです。

 

 

喜びもたくさんくれますが、

大きな犠牲も責任も伴う、

ということです。

 

 

どんなことがあっても

最後まで、つまり死ぬまで

一緒にいる、もしくは自分の身に

何か起きたとしても、ペットのその後の

環境のことを考えての決意と、

備えておく必要があるのです。

 

 

私も独り身ですので、

突然亡くなった時のために、

ペットたちの行く末を決めておかねば、

と思います。

 

 

今日は悲しいお知らせが届きました。

ちょうど、今日ペットの記事を

下書きしていてアップしようと

思っていたときでした。

 

 

昨日の午後、

西森家のエルガーが12歳にして、

静かに虹の橋を渡った、と

先程、連絡が入りました。

 

 

 

 

今年は、4回も会うことができました。

エルガーとのお散歩が終わり、

別れるときは毎回「これが最後かも、

これが最後かも」と年齢ゆえに思っていました。

享年12歳。今日は喪に服する気持ちで・・・

 

 

供養の意味も込めて、

エルガーの写真を一枚選ぼうと、

過去の写真を見ていましたら、

モモの事も思い出し、そして、

去年の今頃の母の死を思い出し、

夜中に号泣まつりですわ。

来月でモモを送って3年が経ちますが、

早いものです。

モモ永眠しました

 

モモの備忘録 哀悼の意を込めて

 

 

明日は、母の一周忌で実家に行ってきます。

この季節は母を見送り、エルガーも逝き、

モモもこの季節にお別れでしたから、

秋の季節の寂しさに輪がかかってしまうな、

と、いま心の中に寒い風が

通り過ぎているかのような

感覚に襲われれいます。

 

 

それでも時が癒し、

いい思い出に変わっていきますね。

 

 

ペットロスにならないために・・・

 

ペットが亡くなるのは悲しいけど、それはそれで幸せなこと

 

 

ペットを亡くした方に

読んで欲しいブログです。

モモがいない・・・

 

 

エルガーが天国で楽しく過ごせますように。

私がそっちに行くときに、歴代の

犬猫と一緒に迎えに来てほしいです。

 

 

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