昨年の春、この桜がモモにとっての最後の桜になってしまった・・・






今日はモモが亡くなって四十九日の日です。

(日付けが変わったので昨日になりますね。

27日に書いていますので、そのまま今日、としますね)





仏教の教えでは、この日に天国行くと言われています。

四十九日の今朝方、モモが死んだ夢を見ました。

とうとうその日が来たというショックで、

夢の中で私は大声を出して、泣いていました。

周りに居た友人たちはそんな私をあれやこれやと慰めるのですが、

それでも私は子供のように夢の中で泣きじゃくっていました。





27日はモモの四十九日って、一度も忘れた事がなかったのに、

なんと!!今日が27日っていうことを忘れていた私。バカ!(笑)

まだ、25日くらいだと思っていたのです・・・

クライアントが、私とモモにお花を送ってくださって、

今日がその27日であることがわかったのです。

ほんと、バカ。





実は、モモが亡くなって大泣きした1時間後、

そのときの様子を書いていました。





書く事で、落ちついていたのと、

そのときの気持ちを忘れたくない、という意味で、

私はそのとき、泣きながらパソコンを打っていました。

今日は、モモの四十九日の追悼と言う意味で、

それをブログに載せたいと思いました。





ペットに興味のない方は、つまらない記事かもしれませんが、

人間に置換えてお読み戴けれたらと思います。

愛する人を亡くしたとき、自分はどうだろうか?

と言う視点ですね。



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12月10日朝方3時6分

モモ、永眠(享年16歳)





先ほど、モモは逝きました。

行く時は、モモが逝きづらいかな、と思い、泣きませんでした。

さっき、モモの身体を熱いホットタオルで全身を拭いてあげて、

ドライヤーで乾かしてあげました。





モモは生きていたとき、ドライヤーが好きで、

私がドライヤーをかけていると、「私にもかけてかけて」と

寄ってきて、そして、かけてあげるとシッポを振りながら

温風が当たるのを楽しんでいたのを思い出し、

涙がモモの身体に何粒も落ちました。

声をあげて泣いたのは久しぶりでした。





実は、モモが逝く日が前もってわかっていました。

(安楽死とかではないですよ)

今となっては、これはあまりよいことではないと感じました。

だから、その日がくるのが恐怖で恐怖で、

そして、そのちょっと前に東京出張三日間があったので、

早く帰りたい、という気持ちと裏腹に、帰りたくない、

という思いもまた強くて、モモと離れている三日間は、

恐怖に苛まれ、16年もの長い間一緒にいたのに、

あと1日か2日でお別れかと思うと、怖くて、

1人ホテルの部屋で毎晩泣いていました。





今日がXデーであることが分かっていたので、

ベッドで眠ることもなく、服を着たまま、

リビングでモモと一緒に横たわりました。

モモの心臓に手をおいたまま、浅い眠りにつきました





私の願いは、モモを一人で逝かせないこと。

ただ、1つお伝えしたいことは、そのことを、

ペットたち全員が、飼い主に見送られることを

望んでいるわけではありません。





飼い主があまりにも泣き虫だったり、

ペットに執着していたりしますと、なかなかあちらの世界に

逝きづらいので、ペットなりに一番いい時を計画しているようです。

人間の逝き方もそうだと思います。





しかしモモは、私に見送ってもらう気、満々だそうで、

しかも、生きることへの執着があまりにも強くて、

「私がワタナベ薫を守ってやっているの。

私がいないと、この人、ホントダメなの」

くらいの上から目線の子でして、本当に死にたくなかったようです。





ですから、これまで数値的には、

致死レベルに何度も達しましたが、生還しましたし、

今回の状態では、随分と長く病院に毎日点滴にも行っていましたが、

生きているのが不思議なくらいでした。

食べなくなってから幾日経つのでしょう。

もう覚えていないくらい食べていません。





今日が危ない日だということは分かってはいても、

あまりにも鼓動が力強いので、もしかしたら奇跡が起きて、

また元気になるのでは?とさえチラリと思いました。

モモの心臓の上に軽く手をおいたまま、

リビングでウトウトと浅い眠りに着きました。





そのとき、夢を見ました。

明るい野原にモモがいました。

他にも動物が居たのですが、イノシシ?だか豚だかわからない

見た事もないような変な生き物と飛び跳ねながら遊んでいました。

その光景を見た私は、「ああ、なーんだ。モモちゃん、

元気になったんだ!よかったー」と思い、胸をなで下ろしたその瞬間に、

モモの吐く時の声がして、現実の世界に呼び戻されました。





慌てて目を覚まし、モモを抱っこして、

吐かせよとしたのですが、もう、グッタリしていて

吐く力もなく、そのまま頭はダラリと垂れました。

私は心臓に手をおきました。力強くなっていた鼓動が、

少しずつ弱く、間隔が遠くなって行き、

そのうち、鼓動が静かにとまりました。





幸い、モモが逝く瞬間は涙を流しませんでした。

それは決めていたのです。モモが逝きづらくなるので、

ここ数日間は「お疲れさま、いつでも逝っていいからね。

無理しないで。私は本当に大丈夫だから」と言い聞かせていました。





亡くなってから、ホットタオルで身体を全部拭いてあげて、

ドライヤーで乾かして、モモの毛は、若い時となんら変わらないくらい

フサフサで、とても16歳の老犬には見えません。

すごくツヤツヤです。





今、静かに私の脇で眠っています。





亡くなるまでの10日間くらいは、5分に一回、

モモが息をしているかどうかを確認していました。

そして、夜は、モモが寝返りを打つたびに、

小さな寝息がするたびに、吐く声がするたびに、

ベッドから飛び降りて、モモを確認していましたから、

ここ数日間はかなり寝不足でした。一時間に一回は起きて、

床ずれが起きないよう、交互に身体を返してあげていました。





夫には本当に感謝です。

私はセッションがあったり、打ち合わせがあったりと

色々あったので、病院はほとんど夫が行ってくれました。

全部で4、5時間かかるのです。それをずっとやってくれました。

だから、彼もまたやり遂げた感があることでしょう。





モモは私の所にきて絶対幸せでした。というか、

モモに私が選ばれて、彼女が私の元に来たとしか思えません。

彼女の意志で私が選ばれたような気がします。



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ここまでがその時に書いたものです。

・・・・って、なぜか、中途半端で文章が終わってます。

書いて満足したんだろうか?(笑)

備忘録と言うか、そのとき、書かずにはいられなかったんですよね。

この文章は公開するつもりもありませんでした。

その文章を泣きながら打っているときに、

「モモちゃん、私は何やってんだろね?」と

泣き笑いをしていました。





今思えば、夢で見た明るい野原は、

天国に渡る前の虹の橋の手前にある野原だったのでしょう。

作者不明と言われている虹の橋、という物語。

ペットは亡くなった時に、虹の橋を渡るのではなく、

私たちが死ぬまで虹の橋の前で待っていて、

飼い主が来た時に、一緒に虹の橋を渡ると言う物語。





私には、待っててくれるペットがたくさんたくさんいます。

私は生まれたときから、犬と猫と共に成長してきました。

しかし、その中でもモモは私が飼った私だけの犬、

はじめて家の中で飼う小型犬でした。特別な存在でした。





マイケルにも時々話をしています。

私は、あなたの命尽きるまで一緒にいて、

あなたよりも先に決して死なないから。

そして、あなたが亡くなったあとは、また会おうね。

必ず会おうね。再び私の元に、猫の姿をしてきてもいいし、

それが無理なら、必ず天国で会って一緒にずっといようね。

・・・と、時々話します。





もう、とっくにモモは天国に行っているのがわかりますが、

今日は戻ってきたのもわかりました。空耳なんでしょうが、

洗面所に居た時に、リビングから、いつものモモの

クンクンというかよわい甘ったれた声が聞こえた気がしました。





亡くなってから、今日まで、モモの生ゴミクサい(笑)

口の匂いがしたり夜、廊下のほうからモモの「フガッ」

と言う声が聞こえたり、夫もお線香をあげていたときに

「フガッ」が聞こえたよう気がしたそうです。

あちらの世界を行ったり来たりなんでしょうね。





ペットを亡くされている皆さん、

最後まで一緒にいれて、よかったですよね。

そして、もしあなたの友人がペットを亡くして悲しんでいるとき、

「早く新しいのを飼ったらいいよ」とか

「天命全うだね!よかったね!(^^)」などの笑いマークの絵文字、

「次はペットショップじゃなくて、保健所でもらってね」とか

言わないであげてください。





というのは、亡くしたばかりのときは、

敏感になっているのと、次の犬なんて考えられないのだから。

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ただただ悲しいだけなのです。

何かを言って励まそうともしなくて大丈夫。

「悲しいね・・・何を言ってあげたらいいか

ふさわしい言葉がみつからないよ・・・」でいいのです。

しかしながら、モモのとき、私は多くの人々から

こんなにモモが愛されていた事をコメントを通して知り、

どれだけ嬉しかったかは、皆さんにお伝えしていなかったのですが、

相当、モモが喜んでいたようです。ですから、私もコメントを1つ1つ

読ませて頂いたとき、本当に本当にうれしかったです。

改めて、あの時はありがとうございました。





そして、モモの死をきっかけに、個人で大型犬の

保護活動をしている方に出会いました。

団体ではなくて、個人でこうしたことを地道にやっていらっしゃる、

本当にすごいことです。ペット好きの方で金銭的、

または物資を援助してもいいよ、と言う方は

彼女のブログから入ってお問い合わせ下さいませ。

すべての犬の幸せを願って保護活動中





最後に、愛する人、愛するペットを亡くされた方、

一休さんのこんな言葉があります。





「今死んだ、何処へも行かん、ここにおる。

尋ねはするな、何も答えぬ」






死後、故人はどこか遠くに行ったような気になって、

残された者たちは、愛する人の肉体がなくなって

寂しい思いをするものの、どこにも行ってはいないんでしょうね。





思い出した時には、すぐにそばに居て、それでいて

「なんで私を置いて行ったのよーーー(涙)」と問うても、

何も答えはしてくれないけど、でもやっぱりそばに

居てくれているんでしょうね。





亡くなった者たちの方がもどかしい気持ちになっているかもです。

「ああー、もー、ここに居るのに、なんで気付かないんだよ!

この声が聞こえないんだもんなー。」・・・なんて

言っているかもしれませんね。





ということで、今日の記事はここまでです。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

ではではまた明日。