敵が敵でなくなる時
コロナ期から始まった隣人の壁叩き問題。最近段階を増して酷くなり、いよいよ警察に相談?報告?することになった。客観的に見て結構なことされ続けてると思うんだけど、もうこの数年でベテラン?になってしまい、行動が過激になっても全く恐怖や不安が起こらなくなってしまったホント今までよく統合させてもらったわ…それはそれとして、更にエスカレートした行為から私が学べることは何かを自問自答して、3つ決めた。皆が調和した結果に向けて、1, この件を通した学びは、今回で全て終わりにすべく学び切る、ということ。このままズルズルしてても互いの為に良くない2, そのうちの一つとして、統合の基本を徹底的に身につける機会にすると決めた。まだまだ自分に甘い所が残ってるから、そこを止めることにしたそして、3, 自ら積極的に「決めて」、意識的に「動く」ことにした。今まで「統合してたら、いつかなんとかどうにか良い方向に向かうだろう〜」と、何につけてもどこか他人事のようだった自分を終わりにするとも決めた。自分の中で方針が定まったので、家族で方向性を共有することに。望む結果は違っても「私はこうだよ」と話す。―――実はこれもこの数年で初めての行動すると最近意識の外になってた父を急に仲間?身内?だと感じた。アセンションするかしないかで普段の在り方は違えども、一緒にこの件に当たる仲間だと私の線の内(?)に含められた気がして、それは魂の道を生きる上でかなり重要なことだとも感じた。その後湯船の中で統合してたら、壁叩きの隣人もふと、ある意味今を共有する【仲間】だと感じられた。私の学びをぐんと促進してくれたし、先方も学ぼうとすれば学びは必ずあるはずで、互いに学ぶ者同士・共同創造する仲間というのかな、そんな感じ。自分の枠が外れ、胸から愛が溢れ出て、彼らもまるっと包んでしまうような…。融合、と言葉が浮かんだ私、統合してるつもりでも、ずっと自分と合わない人やものを「敵」として排除しようと、押しやってたんだな「敵」はいない。「敵」だと私が定義づけただけで、そこにいるのは今までの私と同じ、ただのこじれちゃった人間だ。私が私の弱さを認め愛するように、一旦私の意識内に入ったら、全ては私の中同然となる。彼らの分離も、私の中のものとして愛し、溶かして融合する。―戦う意味はもはやなく、怖いものはない。『"戦う意味は、もはやない"』頭ではそうインパクトないと思っていても、深く心に響き続けるものがある。去年秋?から読み出したピロリーヌさんのブログ。中でもこの記事に、最近では一番ガツンとや…ameblo.jpあーこの気づきがどれだけ嬉しいか一見大きなネガティブに見えることも、その向こうにでっかい学び&喜びがあると実体験で分かったから、もう無敵どんなネガティブも越えていける自信になったし、何が起きてもニヤニヤするしかないここまで来られた自分を誇りに、来週の立春から始まる新年もドンドン目醒めに邁進しようと思う。読んでくれてありがとう皆様にとっても豊かな一年となりますように