案外さあ、来月の頭辺り
君とデートしてるかもしれないよ。

誰でも小説の登場人物に自分を重ね合わせると思うんだけど、
『スプートニク』の“すみれ”も
わりとそうされやすい女の子に見える。
『背中』とか、読む人読む人「ハツって私に似てるかも」
(正直自分もそう思いました)と言っていて、挙句綿矢さんまでもが
「友達に、私に似てると言われました」とコメントしていて
日本女子総ハツみたいな感じだったんだけど、
“すみれ”はもう少しマイノリティなのではないか。
まあ、そうあることを祈ります。というのも、
今度は“すみれ”が自分に似ているような気がしたので。

“すみれ”と似ているなあと思った部分は
色々とあるんだけど、例えば
黒縁のいかつい眼鏡をかけちゃう辺り。
「ディジー・ガレスピーみたいなセルロイドの黒縁の眼鏡」は、
象徴的に使われる「装身具」とは対極にあるもので
どちらかというと「装備」的なもの。
そういうものを通して世の中を見る/見られたいという気分がある。

そして何と言っても、まずい部分が同じ。
(“すみれ”が自分の「できないこと」を一気に喋るシーンがある
しみじみ誰かと似ているなと思う時は、
まずい部分に関してが多い。でもそれって結構心地よかったり?

煙草は吸わないけど、自分も切符を失くすし、食事を採り忘れる。
同じ22歳だとか、この年になるまで、ほとんど迷わなかったとか。

“ミュウ”は“すみれ”の初恋の人なんだけど、
彼女は自分の先輩に似ているような気がした。
“ミュウ”は30代後半で本当は真っ白な髪をしていて、先輩はまだ20代。
だから正直どこが似てると思ったのかよくわからないんだけど、
強いて言うなら名前が似ているかもしれない。
例えば、いわゆる容姿の整った人には毎日出会う。
でも心が震えるくらいに美しい人は、人生で数人。
先輩はそういう、数少ない人だ。
もちろん“すみれ”のように、特別な感情は持っていないのだけど。

そうそう、一時期何も知らないで
メアドを“sputnik”にしていました。

喫茶店でアルバイト中、
店先に不思議な色のハトが来ているのに気付いた。
羽が、桃色がかった灰色で
尾っぽが、ごく薄い水色のような白。

何てきれいな色合いなんだろう、と見惚れる。
こんなハト、見たことないや。

どんなに人が通っても、逃げることなく
一心に石畳の隙間に落ちている何かをついばんでいる。
店の前を行ったり来たりしながら、
美しい羽と尾っぽとを、惜しまず雑踏に晒している。

飛んでいった、と思うとまだ留まっている。
そんなことを繰り返して、ハトはいつのまにか
本当に姿を消していた。

ああ、目に染みるようなあの色。

心持ち冷たい風が、花粉混じりの空気をかき混ぜる
3月のある日。
(願わくば、宮沢りえちゃんのように…

「髪を切る」ことは、女の子の希望なのです。
何かを断って、何かが始まっていく感じ。
断ったところに、別の何かを接いでもいいのです。

人にはいつでも、忘れる権利がある。
拓けた新しい世界に、後先考えずダイブする権利がある。
浸透圧にもがいて、これもまた運命なの。

それでもまた君に会いたくなったら、
今度はもう、言い訳は考えなくていいですか?
感謝する理由はあっても、
感謝しない理由はないんだよ。
乾きはこうして、
吸収力にスピードをくれる。

魚が水に飢えるように
獣が肉に飢えるように
人間は時々、知に飢える。
我が家に漫画文化が導入されたのは、わりと最近の話。
家の方針で、漫画とゲームは買ってもらえなかったから
小・中と、友達に借りてこっそり読むのが全てだった。
今、部屋の本棚を振り返ると、取りあえず『ヘルタースケルター』と
『ニュー土木』、『ダリアの帯』が目に入る。
自分なりに感銘を受けて、手に取った3冊だ。

今、どこの書店でも『NANA』が積んである。
トリビュートアルバムやら、映画化やら、周辺は賑やか。
一冊ビニールが外してあったので、店頭で開いてみた。

一応『天ない』世代であり、矢沢あいはわかる。
…なるほど。『NANA』の魅力って、何だろうか?

自分が作者のセンスを感じるのは、
会話のスマートさ・小気味よさだ。
小粋なキャラクターたちの、小粋な遣り取り。
より小粋なセリフを吐く時、人物はフォーカスされ
スタイリッシュな画像と吟味された言葉とが、
コマの上で音楽的に調理される。
多くは、この繰り返しのように思った。

会話って、少なくとも2名の人物が
臨機応変に言葉を選んでいくから会話なんだけれども、
小説や漫画の会話はこれに矛盾している。
つまりその場合の会話とは、作者1人によって設計された
「想像上の」遣り取りであるということになる。
『NANA』の会話は、そのデザインがより完全なんだろう。
それはぎりぎりまでリアルでありながら、絶対にあり得ない
的確なキャッチボールのように見える。

偶然にもこんな会話が交わせたら、
どんなゲームの勝利にも増して快楽だろう。

そんなわけで、実は映画が楽しみ。
漫画のセリフは、どんな風に調理されるのでしょうか。
ハムトーストは普通に、ハムにレタス、食パンとマヨネーズなんだけど
チーズトーストも普通に、チーズにレタス、食パンとバターなんだけど
喫茶店の食べ物は、どれでもしっかり喫茶店味。

なんで?
取りあえず、卒業が決まる。
待ちわびていたことなのに、いざ決まると
「この学籍番号捨てるんだな」とか、
「このキャンパス出ていくんだな」とか。

偶然に、または必然に、友達と次々遭遇。
時々自然と会えるもんだから
番号すら知らなかった友達とも、連絡先を交換する。
「またそのうち会うだろ」なんてわけにはいかなくなると思ったから、
ここはちょっと、勇気を出した。

場所がある。人がいる。
これは当たり前でも何でもない。
奇跡的なことだ。

今日はまた、入学手続きの日で
我々とは明らかに違う顔つきの若者たちが
三々五々、校章入りの紙袋を提げて降りてくる。
4年前、ヒマそうにしていた妹を連れて
自分もここに手続きに来た。
東京タワーが大きくて、ぎょっとしたもんだ。

明日は、4月から通うキャンパスへ手続きに行く。
心機一転、春からまた1年生をやる。

たくさんの出会いとチャンスが、転がっていますように。
見えない灰色の猫とまどろむ、
甘美なる8時間36分。