久々新宿まで出た母が、「ちょっとケチってしまった」と言いながら
チョコレートの箱をテーブルの上に出す。
こんなこと言いながら、チョコレートを一番楽しみにしているのは母だ。
食後に蓋を取ると、申し訳程度にアイシングで飾った
石ころ大のチョコレートの群れが、一斉にこちらを見たように思った。

ひとつつまんで口に含む。
「ちょっと、中の詰め物が多いよ」
ふたつつまんで口に含む。
「砂糖の固まり、食べてるみたい」
みっつつまんで口に含む。
「杏仁豆腐の味しかしない。これ、チョコレートじゃないね」
こうなると、もう面白くなってきちゃう。

生きてるとね、目の前の選択肢が全部はずれってこともあるね。
わかってても、選ばなくちゃいけないことがあるね。
あなたの方がよく知ってるか。

おどけてまたひとつチョコレートをつまむ母の、
少し困ったような笑顔が、美しいんだ。
いつも人を見ている自分にとって、
春の気配は、人が運んでくるもの。

ホームに上がった瞬間、
風にのって広がるコーヒーの匂い。
生の桃をクラッシュしたような、
甘いオードトワレ。
冬より空気が乾いてきて、気温も上がって、
香りも濃くなる。
誰かがくしゃみしている。

新しいものに触れることは、最良のビタミン。
旅は、生きることにとって食事のように必要なもの。
でも、今回の旅を終えて辿り立いた先には
2・3の小さな痛みがあった。

部屋の片づけをしていると、
むかし落として壊した陶器のケースのかけらが。
模様を頼りに、くっつけてみる。
おっと、足りないや。すぐに直せばいいものを。
苦笑い。
知る。まず震えがある。
行動し、見る。理解する。

落胆する。

再起に有効な情報を探る。
有効と思われる情報を、
何度も叩きこむ。言葉にする。

生活の流れを断ち切ってしまった
自分自身に気付く。
語りかける、愛しい小さなものを忘れて
ひとりになったエゴイストに。

さあ、食事を作ろう。
2人分の温かいものを。 
家で、明日返却の『8人の女たち』を観て
ものすごく久々に髪を切りに行く。
長くなってからはいつも結わえていたんだけど、
すいてもらって、結わえなくてもいいボリュームに。
前髪もできた。妙に新鮮な気持ち。
昨日偶然見つけたファーのショートコート、
まだあったら買っちゃおうかな。
年末によく聞いていたbirdのvacationをまたかけて、
ひとりワクワクする。

卒論もどうにか提出し終わった。
春までの時間に、何ができるだろう。
集中すれば、かなり色々できそうな気がする。
椎名兄にそういう歌があって (他は良く知らないんだけれども
j-waveのゼロ・アワーの挿入歌で使われていたのを聞き
去年の秋だったか、アルバムを借りてきた。
スコッチの香りのような、何となく大人の空間を思わせた。

東京に通い詰めて、踏破したしたような気分になって
出かけるのもつまらなくなってしまう。
あれも知ってる、これも知ってる、って。
東京は、昔はもっと未知の場所で
表通りを少し入った路地を歩くだけでも、
高揚で気が張り詰めた。
ささやかな対象に、必死でシャッターを押した。
あれはいい写真だったな、と今でも思う。

で、自分は東京を本当に知っているか。
否。

細い路地の住宅街を誰かが横切る時、
つぶれそうなバーの暗い室内から知らない音楽がもれてくる時、
郷愁と、あこがれと、高揚が入り混じったような
あの何とも言えない気分に、いつでも引き戻される。
2005年、やるときめたらやらないとね。
そういう女を徹底。今から!
チャラじゃないんだけれども、
最近ふいに「やさしい気持ち」を覚えるようになった。
それは自分を癒してくれるし、人生に関して
いつでもポジティヴなビジョンをくれる。
そんな「気持ち」をくれるのは、大切な思い出・いとおしい人。
ぎゅっと抱きしめたくなるようないとおしい人が、
何人もいたっていいじゃないですか。
22年生きて、既に取り返せない失敗もある。
そのことに一人、閉じこもってしまいそうになる時もある。

誠実に接してくれる家族、友達、恋人がいて
どんなに救われているか。
「まだ希望があるぞ」「チャンスがあるぞ」
その存在が、自分にとっての啓示。

「喫茶去」
あなたもつぶれそうになったら、思い出して。
辛い時こそ、一服のお茶で一息入れることを忘れないで。
憧れのcharとセッションで張る、たった5歳のブルースボーイ。
「次はステージで会おうぜ」と、ピンバッジを半分こ。
ずっと対等な口を聞いていたのに、
握手をして別れた瞬間、わっと泣き出した。
袖で顔をこすって一言。「ほんま泣けるわあ」
君は既にロッカーだね。

次にブラウン管で会えるのはいつだろう。
お遊戯会のタンバリンが苦痛な、難波のブルースボーイ。