少女たち
僕の高校では、街角のお姉さんと見間違うような服装と化粧の女性たちが教室で僕の隣りに座り、ひと癖もふた癖もありそうな意味深な会話を仕掛けてくることが多かった。男子生徒もシルベスター・スタローンと見間違うような連中はざらで、要するに「タフ」であることが無法地帯のようなこの田舎の生き抜くための条件だった。
僕はそんな雰囲気に飲み込まれまいと、自分の存在価値が算数の能力で証明されるまでは、毎日ビクビクしていた。
中学と一緒になっていた学校だったことが幸運だった。僕は13歳近辺の女の子に妙に人気があった。日本から来たとかいう、謎めいた雰囲気で年齢不詳の痩せた「男の子」は、体型的にも彼女達と釣り合いがとれた。
ホストファミリーとスケートに行ったとき、セクシーな女の子2人が親しげに話しかけてきた。笑うと歯の矯正用金具がむき出しになり、好奇心いっぱいの無邪気な姿とセクシーな風貌がひどくアンバランスだった。セクシーと言っても、こちらは何となく清純な感じだ。
地元の高校
それと対照的だったのが、僕が通った地元の高校だった。
高校まで義務教育のアメリカでは、大半の生徒は勉強する気など全くない。中学と高校が一緒になっていたその学校では、13歳のまだ可愛らしさが残る少年少女たちから18歳の全身からフェロモンが溢れ出ている印象の不良生徒たちまでが混ざり合い、様々な人生劇を繰り広げていた。
彼らの関心事はただひとつ、いかに異性を惹きつけるかにあった。13歳から化粧バリバリ、半裸に近い服装と好戦的な態度を誇示し、授業中には先生をあざ笑い、ニヤニヤしながらさまざまな悪戯を仕掛ける。親が旅行中の隙をついたホームパーティーが毎晩どこかで開かれており、好き放題の大騒ぎ。いつの間にかクラスからいなくなったと思いきや妊娠中・・・
こんな中で、日本の進学校から送り込まれてきた英語の不自由な男の「子」は、さぞかしひ弱に写ったことだろう。
スピーチ
僕の留学先は、オハイオ州のシンシナティから30マイルほど離れたところにある田舎町だった。
この留学制度は文化交流を目的としているため、意図的に留学生をアメリカ人しかいない小さな町に滞在させる。もちろん日本人などどこにもおらず、皆はじろじろと珍しそうに僕を眺めた。
留学費用はコミュニティの募金で賄うため、留学生はコミュニティに貢献する義務がある。その代表的な活動がスピーチで、到着後3ヶ月ぐらいして何とか英語に慣れてきた頃から地元の教会などに招待され、日本文化についてスピーチを行う頻度がどんどん増えていった。
最初は大きなプレッシャーだったが、聴衆の大半は年配のおばさんたちで、僕の話に笑顔で耳を傾けてくれ、積極的に質問してくれた。彼女たちは通常、はっきりした発音でゆっくりと英語を話すので、僕にとっては絶好の英語トレーニングの場だった。
友人たち
ホストファミリー以外とは、大きく分けて2つのグループに接した。
ひとつ目は、オタク風の僕のホストブラザーが属するいわゆる「テッキー軍団」だ。パソコンやエレクトロニクスを趣味とするこのグループは、数人で連れ立って近くのオフ会などに参加する。当然女性は皆無で、いったい何が楽しいのかよく解らないという感じだ。
ただ、その中のひとりのお父さんが近くの湖に大型ヨットを所有しており、そこに1週間招待された時は家族の暖かみをしみじみと感じた。水上スキーや船上バーベキューなどは、僕にとって初めての体験だった。
もうひとつのグループは、留学生が到着したと聞きつけて、毎晩僕を誘いに来る不良連中だった。オタク風のホストブラザーとは全くウマが合わなかったが、連中はとにかく親切で気配りに優れ、僕にもしっかりとガールフレンドまで用意しておいてくれた。
合計6人~8人ぐらい、男女半々で近くの原っぱまで車で行き、日が暮れてから深夜までそのあたりを「散歩」するのだ。途中、三々五々と皆どこかへ散っていき、気がつくと女の子とふたりだけになっている。ところが真っ暗な草原は「キモ試し」をしているようで落ち着かず、二人っきりになってもそれどころではなかった。
ホストファミリーとの絆
留学生が7月下旬に渡米するのは、まだ夏休みの8月いっぱいを、初対面のホストファミリーと十分な絆を作り上げるための時間として活用できるようにするためだ。9月に新学期が始まれば、地元の高校で凄まじいばかりのカルチャーショックが待っている。そんな時の精神的よりどころは、やはり身近で話しを聞いてくれる家族だ。
期待に反して、僕はあまり有意義な成果を上げることができなかった。もちろん毎晩ホストファミリーと一緒に食事をするのだが、そこは一家団欒などという暖かくウェットな雰囲気とは無縁で、子供たちは思いつく限りの悪態をつきながら大急ぎで食事を済ませて自分の部屋へ戻っていく。当然、僕は両親とテーブルに取り残され、週末のパーティーで大人たちに接すると同じように、日本文化についての質疑応答を強いられた。
映画でよく見かけるような笑顔が耐えずジョークを言い合う典型的アメリカン・ファミリーを想像していた僕は、ちょっとショックだった。
留学前任者
僕の前任者、つまり同じ留学制度によってこの田舎町に「派遣」された高校生は、ウェールズ(イングランド王国の一部)出身だった。
彼は、同じ英語+イギリスアクセントという圧倒的アドバンテージのせいもあったが、僕のホストマザーによれば、「Very mature and sociable.」(非常に大人っぽく社交的)だったそうだ。17歳なのに極めて成熟した考え方を身に付け、ホストファミリーには一人前の大人として接し、文化交流の大使としてコミュニティーに貢献した。
写真を見る限り35歳と言っても疑われないぐらいの風貌で、彼のガールフレンドだった女の子は、それこそハリウッドスター顔負けの容姿と言動と雰囲気を持ち合わせていた。
あるホームパーティーで、セクシーな衣装に化粧バリバリの彼女と話しをする機会があり、自己紹介しながら前任者のことをいろいろ聞き出そうとした。ウィットに富んだ大人の会話やクセのあるジョークなどに慣れきった彼女は、言葉も不自由な東洋のガキをまったくもって相手にしてくれなかった。