★ 総 括 ★
それが20代半ばを越すと、途端に吸収が悪くなり、日本文化とアメリカ文化との狭間で自己のアイデンティティがふ らふらするような気がした。
社会人になってからも出張で渡米した回数は数え切れないが、もともとは僕のハーフ・アメリカンなハイブリッド人格がどのように形成されたかをお話するのがこのトピックの主旨だ。
従って、僕の「亜米利加放浪記」もこれで終わりにしたいと思う。
もし皆さんも亜米利加に行く機会があったなら、是非、「放浪」をオススメする。日本人同士でつるんでガイジンの悪口を言ったって何も始まらない。慣れきった日常に別れを告げて大自然や都会という「荒野」に踏み出すと、そこには異次元の体験が待っている。
考え方や文化の違いに最初は驚き、少し慣れてくると腹を立てることも多くなるだろう。危険な目に合うかもしれない。ひとりぼっちで荒野にたたずみ、野宿をしながら間近で息づく自然に触れ、生きる意味を自問自答する瞬間も訪れるはずだ。
ただいつ何時も、自分の殻を突き破り、衣を脱ぎ捨てて裸になり、全身の感覚を研ぎ澄まして行動して欲しい。そうして生命力溢れる広大な地を旅すれば、遭遇するさまざまな局面で、きっとアメリカン・スピリットを発見し感動するに違いない。
皆さんの夢多き冒険を祈って、乾杯!
ナイトクラブ
なぜかクラブは女性が7割を占め、黒髪で彫りの深いラテン美人が多く、時折ダンスを楽しみながら、テーブルでは友人達と楽しそうに談笑していた。僕はウマの合う先輩ひとりと毎晩クラブに出かけ、彼女たちに積極的に声をかけた。僕が英語に不自由しないという理由で、「おい、お前行って来い」というのが先輩の常套手段だ。二杯目のテキーラが効き始める頃から、僕も大胆になった。
ラテン文化では声をかけるのは社交辞令のうち、後ろめたさはない。ブエノス・ノーチェスとか、コモ・エスタ・ウステッドとか、ノ・アブロ・エスパニオール、メ~、ミ・エルマーナ・アブラ・エスパニオール・ムイ・ビエンとか、僕はちょっとだけ聞きかじったスペイン語を連発しながらアプローチした。彼女たちはキャッキャッと笑いこけ、満面の笑みをうかべながら相手をしてくれた。何度も言うようだが、日本の女の子のように「能面面で無視する」などという無礼な行為には決してお目にかからなかった。
クラブでの会話なんて、手振り身振りを混ぜれば何とでもなる。ウノ・モ~メント(ちょっと待って)やウン・ポコ(少しだけ)程度で十分だ。僕はこういったバー会話は大得意で、日本でも昔の彼女から教わったタガロ語を駆使して店の女の子を笑わせたりする。どちらが客がよく分からなくなることも多々あるが、天真爛漫な彼女たちをエンターテインするのは結構楽しいものだ。
中には、英語が多少できる女の子もいた。そのうちのひとりは非常に社交的で、次から次へとグループの仲間に僕達を紹介してくれた。男友達も皆礼儀正しく親切で、ノリが良かった。やがて彼女はテーブルに座っている女友達のところまで僕達を連れていった。艶やかな黒髪とエキゾチックな顔立ちのその友人は、まるで映画にでも出てくるような恵まれた容姿でありながら、実に率直な態度で僕達の会話に付き合ってくれた。問題は、まったく英語が通じなかったことだ。
プエルトリコ
僕はその後も、会社の海外プロジェクトで少し長期間滞在する機会があるごとに、毎週末レンタカーを利用してホイホイといろいろな場所に出かけた。
ニューヨークに滞在した時には、モントリオールやナイヤガラにも行ったし、週末に少し休暇を足して、プエルトリコにも出かけた。ローマに一月半滞在した時は、シシリー島まで2泊3日の強行ドライブに挑戦したし、ローマ中心部では2度もボッタクリに遭遇した。このあたりは、別の掲示板に記載したとおりだ。
その中でも、会社の先輩を誘って4人で出かけたプエルトリコは最高に楽しかった。カリブ海に面したトロピカルな気候と美しいビーチはもちろんのこと、ホテルのクラブはスペイン語しか通じないラテン系の陽気な美女たちで毎晩賑わっており、屈託の無い明るいコミュニケーションを楽しむことができた。
「脱日常」が大好きな僕にとって、日中は南国の乾燥した暖かい風とブルーの海と強い日差し、夜はビートの効いた音楽とテキーラと美女たち・・・ そこはまさに天国だった。
