琉球という国があった (たくさんのふしぎ傑作集) 上里 隆史
日本人であるわたしは、当然のように縄文弥生時代から近代までの日本史を学んできたのですが、沖縄の子どもたちも同じなのでしょうね。
でも、この本を読むと江戸時代までは、沖縄が琉球と呼ばれる独立した国家で、開かれた海洋国家として、日本や中国朝鮮東南アジアとかなり自由に交易していたことがわかります。異なる文化や宗教もおおらかに受け入れ、独自の形で発展していったことも。様々な人々が交流する場面が描かれた市場の絵のなんてすてきなこと。こんな歴史があったことをもっとたくさんの人に知ってほしいなと思いました。
わたし自身は沖縄が日本でよかったと思っているのですが、沖縄の人にとってはどうなのでしょう。薩摩藩に統治されるまでの琉球王国の方がよかったのかもしれません。大きな国が小さな国を、強い国が弱い国を自分の国の中に引き込んでいく…。今もどこかで起きていそうです。文化や産業の発達が世界をカチカチにして、のどかさやおおらかさが失われているように思えます。
美しい海、美しい空。遠くからエイサーの太鼓の音が響いてきます。
携帯電話やスマホのない時代の、手紙だけで(あるいは文書だけで)語られた物語。幸せに向かっているはずなのに何故かたどり着けず、暗い闇の中に入りこんでしまったままならない人生が描かれています。
実際の生活の中でも、以前はこんな手紙がたくさんやり取りされていたのでしょう。手紙のあて先は家族が多いのですが、先生というのも時代の特徴でしょうか。それだけ関わる人が少ない生活だったのかもしれません。貧しさや理不尽な人間関係に、エピローグでささやかな清算を試みますが、それさえ何だか光の見えない悲しみのようでした。
6話の短編集。1話目の「えっ、いいの?」から始まって、「こんなことがあっていいの。」と、だんだんあきれてきてしまいました。登場するのはとんでもない人たちばかり。平凡な人の中に潜む悪意を描くのは、若竹氏の得意なところですが、それにしてもひどい。こんな悍ましいことありえない、と思いたいのですが、えらい政治家も悪事に走る世の中。警察官にだって、こんな人がいても不思議はないのかもしれません。きれいごとだけではすまないのでしょう。表題作の最後は何度か読み返したのですが、どう理解したらいいのか…。すっきりしません。
居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
東畑 開人
副題は「ケアとセラピーについての覚書」。ガラスドアの外から眺めて少しわかった気になっていたけど、ドアを開けて見てみると二つは似ているようでも違うものでした。違ってはいるけどどちらも繊細で大切なものだということが、軽めの表現で分かりやすく書かれています。気づかされたり納得させられる説明もたくさん。
ただ、明るくユーモラスに描かれているけど、やはりそこにあるものはとても重く、書ききれないこともあるようです。とくに別れや退職に至るまでの場面では、作者の葛藤や痛みが伝わってきて胸がつまりました。
聞き手が二人になり、「聞き捨て」に「絵」が加わって、おちかの胸に重く沈んでいた悲しみが少しずつ和らいできたようです。その結果が表紙の幸せな姿。でも、幸せになろうと決心させたものの中に、百物語で聞いたあやかしの結末を見届けたいという気持ちがあったことが、いかにも百物語という感じですね。
もんも声でも痘痕でも、心根さえまっすぐなら人は幸せに生きていけます。人を恨んだり憎んだりすることは、何より自分の心を傷つけるのだと、どの語りも教えてくれます。それでも世の中は魑魅魍魎。次のシリーズで富次郎は何に出会うのでしょう。
まどさんの詩を何回読んだことでしょう。簡単な言葉で綴られているのに、読むたびに思いが深まり、新しい感動があります。まどさんの詩は足元で動く小さなアリをうたったものでも、なんだか宇宙をうたっているように思えます。まどさんの中に宇宙があって、まどさんがきっと宇宙そのものだったから、ですね。初めて読む詩がありました。
臨終
神さま
私という耳かきに
海を
一どだけ掬わせてくださいまして
ありがとうございました
海
きれいでした
この一滴の
夕焼けを
だいじにだいじに
お届けにまいります
やっと晴れました。8月の朝の空。
夜は月もきれいでした。
南の空を見ると
この空は故郷につながっていて
その向こう、沖縄へもつながっているんだなと
妹や友人のことを思います。
今年は帰省できませんね。
室内で静かに過ごす夏になりそうです。
妹が送ってくれた鹿児島のひまわり畑







































