深淵にふれる -3ページ目

深淵にふれる

本来備わっている自然治癒力を目覚めさせ、医療を介さず「膠原病」を短期間にて克服。病気に限らず、仕事、人間関係、経済的な問題も、実は根っこは繋がっている。この仕組みを理解すると、人生のあらゆることが好転します。ブログの内容はすべて実体験♡

もうすでに
色々なことを試してみたけれど

現実が変わらない・・・という人に

オススメでっす♡

 

 

このブログでお伝えしている

「あなたは存在しているだけでいい」

 

これは、

自分の ”現状” を

きちんと 直視して、認めて

行動しちゃってる人のこと⭐︎

 

 

 

ちまたで

「過去は関係ない」

「思考を止める」

「今」

「意図するだけ」

「私はいない」

といったものがあるけれど。

 

ウソではないし

否定をするつもりもない。

 

 

ただ、それは

【無条件の愛で育てられた人】

であれば、ちょっとした調整で

現実は 動き始める。

 

 

でも

【条件つきの愛で育てられた人】が

今までの状態どっぷりんこのまま

同じことをしても変わらない。

むしろ、強化されていく。。

本人、実証済み凝視

 

なぜなら

【条件つきの愛で育てられた人】は

他者からの愛を獲得するために

「仮面」をつけて日々生きているから。

 

「仮面」を言い換えると

「役割意識」とか「演技」とか。

自分で自分にウソをついちゃってる状態

 

 

 

例えば

母親に対し、怒りを覚えたとき。

「親に怒りを持つなんて良くない」

「自分は長男(長女)なんだから」

「こんな自分は愛されない」

と、本来、素直に

放出されようとした怒りの感情が

「罪悪感」や「自己否定」という形で

封印されてしまう。

 

ここで「いい子」という

「仮面」を、つけ(本人、無自覚)

反抗することなく生き始める。

 

これって、

母親思いではあるのだけど

「怒り」という感情は

体の奥底に封印されたままで

さらに「本来の自分」も閉じ込めて

「いい子」を演じている。

 

 

この状態のまま

 

「過去は関係ない」

「思考を止める」

「今」

「意図するだけ」

「私はいない」

 

とか

 

「あなたは宇宙レベル」

「あなたは特別な存在」

「あなたは愛そのもの」

「あなたは存在しているだけでいい」

「あなたは〇〇の生まれ変わり」

「あなたは選ばれた存在」

「あなたはそのままで価値がある」
「あなたはそのままで素晴らしい」

 

というものを実践しても。

 

 

「仮面をつけた状態の自分」

「演技した状態の自分」のまま

そう思い込もうとしているだけ

なっちゃうんだよね。。

 

このまま進んでも

一時的には

経済的に豊かになれたり

幸せを感じることもあると思う。

 

でもそれは

「恐れ」や「逃げ」の

原動力が強かった、ということ。

 

どこかでその ”歪み” がきます。

人間関係の悩みが繰り返されたり。

どうも物事が進まなかったり。

お金の問題が続いたり。。

 

本人が気づかないでいると

その ”歪み” はだんだん大きくなり

事業で破綻したり。

熟年離婚したり。

事故や大病を患ったり。

このブログ内では、それを

「再配達される」と表現しています。

 

 

なので、まず

自身が「仮面」をつけていること

「役割意識」や「演技」をしていることに

気づくことが先決なんですね。

 

 

 

で、実際、私は

ニーチェや脳科学、仏教、禅道、

アドラー、非二元、自己啓発、

スピ系の本やサイトなどを独学しながら

紆余曲折、色々実践してみました。

 

 

その中で、

最も大事!と感じたのが

「母親と向き合う」 です。

 

 

そもそも母親は

自分をこの世に存在せしめている

いわば、別格な人。

そして一番、

何でも吸収する幼少期を

母親の価値観と共に成長していく。

当然、多大な影響を受けますよね。

 

ここで、

母親の【子育て】が

放任

過干渉

過保護

厳格

支配的

感情的

非一貫性

だったとしたら?

 

 

具体化すると

 

 

【放任】

子供に対してほとんど関心を示さず、

必要な世話やサポートを怠る。

子供が感情的にも物理的にも孤立し、

発達に悪影響を及ぼす可能性。

 

【過干渉】

子供の生活全般に過度に関与する。

子供が自立心や問題解決能力を

十分に発達させることが

できなくなる可能性。

 

【過保護】

子供が直面する困難を

すべて取り除こうとする。

子供が挫折や失敗を経験し、

そこから学ぶ機会を失う可能性。

 

【厳格】

極端に高い期待や

厳しい規律を子供に課す。

子供が過度なストレスや

プレッシャーを感じ、

精神的な健康に

悪影響を及ぼす可能性。

 

【支配的】

自分の意見や価値観を

子供に強制する。

子供の自己主張が抑えられ、

独立心や自尊心が低下する可能性。

 

【感情的】

感情に基づいて子育てを行い、

気分や感情によって対応が変わる。

一貫性のない対応により、

子供が混乱、不安定になる可能性。

 

【非一貫性】

対応が一貫せず、

状況や気分によって異なる。

子供が混乱、規律や安心感が

欠如する可能性。

 

母親も初めての子育てで

一生懸命ゆえの行動なのだけどね。。

 

 

母親が↑ いずれかだと

子供は「等身大の自分」では

生きていけなくなります。

 

「居場所を確保するために」

「生き残っていくために」

「愛されるために」

 

本来の自分を

封印せざるを得なくなります。

 

 

 

この「仮面」をつけた人生や

勝手に思い込んでしまった

「信念」などを手放すために

 

「母親と向き合う」

 

が、有効でした。

【ラスボス】といっても良いくらいおーっ!

 

実践方法は

テーマ「母親・家族」で綴っているので

よかったら読んでみてね⭐︎

 

 

 

【無条件の愛で育てられた人】は

「あなたは宇宙レベル」

「あなたは特別な存在」

「あなたは愛そのもの」

「あなたは存在しているだけでいい」

「あなたは選ばれた存在」

「あなたはそのままで価値がある」
「あなたはそのままで素晴らしい」

 すべて↑

呼吸するのと同じレベルで

「当たり前」として

生きているんだよね。

普段、呼吸に対し

「あ〜私は息ができている」と

意識にはあげないでしょ。

 

ここを↑ 

わざわざ意識にあげたり

感じなくてはならないのは

【条件つきの愛で育てられた人】が

「私は〇〇じゃない」と

思い込んでしまっているから。

 

その ”思い込み" を

手放していけばいいんです。

ホントにそれだけなんだよにっこり

 

 

「あなたは存在しているだけでいい」

 

 

色々な分野で

この言葉って出てくるけれど。

この【前提】の違いに気づく。

そして、もう

意識にさえあがらなくなる。

当たり前だからね♡

 

そうすると

現実が動き出しますクローバー

 

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「ネガティブ感情の放出」も
「癒し」も「気づき」も
「母親ワーク」もやったけれど。
 

なんだか動かない。
「現実が変わらないんだけど?」


 

自分が今まで

何をしてきちゃったのかが
腑に落ちて
「そのままの存在」を認められたら
勝手に動き出したくなるんだけど。
それでも、なんだかなあ…というときは。。



 

私の父は、

ポンコツくんだったので。
世にいう「父親像」というものが

さっぱり分からない。
母や兄妹を苦しめた人物として
「ああいう人間にだけはならぬぞ!」
という確固たる否定もあったから
20代までは「男性性」を封印していたと思う。


陰陽でいうなら「陽」の部分。

自身の片側を一切無視している行為。

怖いことしてるよねあせる

 

 

 

 

当時は、

【東洋医学】の知識が無さすぎて
気づけなかったのだけど…。

実は、
そのセンサーはきちんと働いていた。


右手首が腫れたり。

二度も右足首がパンパンに腫れたり。
右股関節が痛くて半年程歩けなかったり。

車椅子や松葉杖 出動状態だったあせる



病院では

MRI検査もしてみたけれど

どれも、原因不明。


体は、しきりに 私に

「男性性」が死んどるぞ〜!と
【お知らせ】してくれていたんだよね。




 

その後、横浜で飲食業を
手広く経営している会長さんと出逢い、
その方が、父親代わりのように

とても良くして下さって⭐︎

 

その出逢いを機に

「男性性」が刺激されたのだと思う。

サクッと起業した!笑

 

 

その後も

色々な企業の会長さんが

親しくして下さり。

仕事の楽しさも合わさって

右半身には何も起きなかった。

 

 

本来なら、

父親の背中を見ながら

決断力、行動力、瞬発力、パワー、

責任感、リーダシップ、逞しさ、

また、堂々と生きることや

能動的に進んでいくことなど

自然と身につくことなのだけど。

 

 

 

私のように

父親がポンコツくんだと。

その「男性性」が

ポッカリ欠けてしまうんだよね。

で、ぜんぜん現実が変わらないから

自分探し的な「気づき」ばかりに

精を出してしまう。。

「女性性」ばっかり

 

 

でも、この世は

「陰陽の世界」

 

やっぱり

”バランス” が大事なんだよね。

 

 

 

「行動」によって

現実に反映されくるのですクローバー

 

 

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「等身大の自分を認める」

 

これって、なかなか難しいよね。

 

腑に落とせると

他者や環境のせいにしなくなるし

自分のことも責めなくなる。

 

んで、どんどん行動したくなる🎵

勝手に結果が出ちゃう〜

 

 

 

純真無垢だった幼少期、私たちは、

常に、新しい発見と学びをしながら

この世を楽しく探求していた。

 

【無条件の愛で育てられた人】は

等身大の自分を受け入れられ、

そのまま大人になり、

さらに世界を広げていく。

 

【条件つきの愛で育てられた人】は

「今のままでいい自分」を

受け入れてくれない世界に悲しみ、

我慢をして親に従っていく。

そのうち、もう頑張れなくなり、

親や、他者、社会のせいにしたり

自分を責め始める。

 

 

そして、それは

「プライド意識」となる。

 

 

例えば

「忘れっぽいなあ〜w」と

冗談で言われただけなのに

真剣に怒る人いますね。

 

「怒り」が出るということは

自分のことを

「記憶力が良く尊敬される人間」

「しっかりした規律正しい人間」

「几帳面できちんとした人間」

こういったような(脳内理想)

プライドを持っている。

 

反対に、ここで

いやいや、プライドなんてない。

むしろダメ人間だから・・・など

自己卑下する人もいます。

一見、自分のことを理解してそう。

だけど実は、プライド。

自分に対して怒っている。

 

 

なんとか自分を

「優れた人間だ」と思いたい。

等身大の本当の自分を

見なくて済むよう

プライドという鎧をまとって

その意識によって

傷つかないようにしている。

 

自責めしている間は

他人から責められることなく

責任を取る必要もない。

自分を変えていく行動を

しなくて済む。

 

 

 

ただ、このプライドを

持っている限り、

「等身大の自分」は

一向に見えてきません。。

 

本当の自分が見えてこないと

「今のままでいい」と

自分の存在を認められない。

前に進むことはできないんですね。

それでは、現実が変わらない。。

 

 

人に何かを指摘されたとき

もし「怒り」を感じたなら

自分は脳内理想を持ってるなぁ

どんなプライドがあるんだろう?

と、自己対話をオススメします。

そして同時に

脳内理想も手放していく。

 

前述の例なら

なぜ、この理想を持ったのか?

 

「記憶力が良く尊敬される人間」

→記憶力が悪く軽んじられる人間

 

「しっかりした規律正しい人間」

→だらしなくて規律を守らない人間

 

「几帳面できちんとしてした人間」

→いい加減でだらしない人

 

 

等身大の自分が

実は「→」部分だからおーっ!

 

この部分を許し、受け入れていくと

世界も受け入れてくれるようになる。

 

 

私自身も結構だらしないw

一時は、そう見られないように

頑張っている時期があったけれど

どんどんその現実が強化されていって

自分の人生が窮屈になるだけなので

やめますたっグラサン

 

国際会議のような場所で

登壇する上場企業の社長だけれど

上の三拍子↑ 揃ってる友人もいるよ!笑

でもぜんぜん隠してない。

いつも楽しそうです⭐︎

 

 

自分の見たくない部分を無視して

仕事とか、結婚とか、子供とか

別のことをしてみても。

結局、またそこで向き合う出来事が

起こっちゃうんだよね。

どうしたって再配達されてくる。。

(何度も来た・・・笑)

だったら、もうサクッと解決して

仕事も、結婚も、子育ても、人間関係も

毎日、HAPPY〜が良いよねクローバー

 

 

この場から失礼して。

シェアしてくださった方

ありがとうございます!!

嬉しすぎーっチュー

 

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うちの姉は「自己防衛」が、強い。

 

一応、念のためですが・・

姉の愚痴ではないです

人間の仕組みの考察として

読んでいただけると嬉しいです⭐︎

 

 

先日、生まれてはじめて

二人でお料理をすることになり。

冷蔵庫にある材料を見て

姉が「〇〇が良いんじゃない?」と

提案してきたのだけど。

途中から、何もしなくなった!笑

私はそのお料理の想像もつかない。

全て知っている姉が作るのが

一番早いのに、私にやってと。。

 

いつも、そう。

相手が自分より少しでも能力が

ありそうだと分かると

スッと身をひく。

傷つきたくないんだよね。

自分は「できる」という

可能性の中にいたい。

「プライドが高い」という

解釈もあるけれど

これは、自尊心が低すぎる

「自己防衛」

 

私は、姉の生い立ちを

知っているから

普通に受け止められるけど。

 

ただ、

この「自尊心が低すぎる」に

繋がってくるのだけど。

母親のことを

とても「美化」してしまう。

これをしている限り

姉の「乳がん」や「子宮筋腫」の

【意味】を知ることは難しいし。

また、別の形で

再配達されてしまうだろう。

ココが何より怖い↑あせる

 

いつも、このブログに

立ち寄ってくださる方々は

すでにご存知の通り。

私の母は、宗教に依存し。

私たち兄妹を

父の浮気相手の家に置き去りにし。

私たちが社会人になってからは

常に「お金もってきて」と要求し。

それを他界するまで教祖に貢ぎ込んだ

そんな  暗黒卿  なのに!!

今、思い返しても笑っちゃうw 

 

 

 

それでも、姉は

「もっと生きていてほしかった」

「いつもキレイだったわよね〜」

「お金渡すのを嫌と思ったことない」

と、美化している。

「同情」も含まれていると思う。

 

 

で、精神分析的な裏側は。

「自分を美化していたい」

 

本当は姉自身、自分が

「大した人間ではない」ことを

知っているから。

母親の事実に目を向けたら

そこから生まれた自分も

同等になっちゃう。

自分を汚されちゃうよね。

特別でいたい。

 

【条件つきの愛で育てられた人】たちが

スピリチュアルなどの

「あなたは宇宙レベル」

「あなたは特別な存在」

「あなたは愛そのもの」

「あなたは存在しているだけでいい」

「あなたは〇〇の生まれ変わり」

「あなたは選ばれた存在」

スピ界を否定してません

 

こういう言葉に

吸い寄せられてしまうのは

今の「等身大の自分」を

見なくて済むからなんだよね。

特別でいられる。

一時的に「不安」から解消される。

気持ちがポジティブでいられる。

現実から逃れられる。

 

気持ちはとっても分かる。

私も散々逃げてきたし。

私の場合は

経済的豊かさをもつことで

少しでも自分を特別にしようと

自己防衛してきたから。

経済的豊かさがダメという

意味ではないよ

人生を楽しむ上で大事!

 

 

ただね、「前提」の違い。

上記の状態でいる限り

また、別の形で再配達がくる。

 

 

再配達が来ている友人たちのことも

ここに綴ったよ左下矢印

 

 

目の前の問題を解決しても

意味がない。

 

 

「母親と向き合う」ことが

ほんっとうに大事なんです。

 

 

 

必ず、現実に反映されています。

 

例えば

・働けどお金が手元に残らない

・借金から抜け出せない

・稼いでいるのになんだか不安

・就職先が全然決まらない

・起業したけれど軌道に乗らない

・仕事を他人に任せられない

・痩せたいのにダイエットが続かない

・好きなことをしているのに満たされない

・婚活がうまくいかない

・不快な出来事が続く

・こんなに頑張っているのに実現しない

・成功することに依存してしまう

・・・等々

 

 

 

で、実際

ここから解放されるには。

 

前述した姉のように

見てみぬフリをしないで

本当の自分の感情を知ること。

そこに「怒り」や「悲しみ」

「どん底感」などが出てきたら

それをとことん感じ切る。

感じるじゃないよ。

「感じ切る」です。

絞り切ってください オエー

 

今までは

「不安感」が出てきたら

どこかへ出掛けたり

友人と会ったりして

その感情を紛らわしたんじゃないかな。

「怒り」が出てきたら

そんな自分はダメだと自責めしたり

何か別のことに打ち込んだり

してきたんじゃないかな。

 

でも、

そこから目を背けるより

「感じ切る」と

その感情は出てこなくなります。

これはポジもネガも一緒。

人間の素晴らしい仕組みです⭐︎

 

「母親と向き合う」について

こちらでお伝えすると

長文になってしまうので

テーマ 「母親・家族」 を

読んで下さると理解できます♡

 

 

そういう母親に

育てられたことを認める。

等身大の自分を認める。

自分が今日まで

逃げまくってきたこと

無駄なことをし続けてきたこと

これを認める。

本来、母親は

この世で「唯一無二」の

存在だったことを認める。

そうすると、自分も

「唯一無二」の存在であり

「私はこの世に存在していい」と

スッと、腑に落ちる。

この順番↑ を 

飛ばすと現実変わりません

 

この漫画、内容はうつ病なのだけど。

でも【条件つきの愛で育てられた人】につながる

流れが、とってもわかりやすいよ左下矢印

 

 

全てが、腑に落ちると。

 

今までの「不安」や「焦り」から

していた行動ではなく。

人生を楽しむための行動

変わっていき。

踏み出せなかったことも

「やってみよっかなあ♪」と

軽い気持ちで行動できるようになり。

それが、いつしか勝手に

マネタイズされちゃったりします♡

 

 

この場から失礼して

シェアしてくださった方

ありがとうございます!!

嬉しいでっすドキドキ

 

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以前、目の病気にかかったことがあり。

 

症状は

右側そのもの

 

 

中心が真っ暗で、歪んで見えて

色もくすんで見えてしまう。

結構、待ったなし!の症状だったのね。

 

西洋医学では原因はわかっておらず

ストレス、副腎皮質ステロイドの

副作用などと言われています。

 

で、手術は避けたいと思い。

眼科の先生に

「試したいことがある」 とご相談して

一か月半後に次の予約をして

その日は帰りました。

 

 

ここから、怒涛の約一ヶ月半 真顔

 

 

症状としては

網膜の中心部に水が溜まる。

言い換えると→ 老廃物が溜まる。

失明へ向かっている。

 

ここから

【中医学】や【陰陽五行】を

用いて見ていくと。

 

自分にとってメリットがあるから

わざわざ、その症状をもつ。

 

最初は信用できなくても

ここを↑ 踏まえて進んでいかないと

東洋医学全般を捉えられない

 

「西洋医学」とは

木を見る・病気を治す・対症療法

 

「東洋医学」とは

森を見る・人を治す・根本療法

 

 

 

前述した↑ 症状から見ていくと。

「左目に発症」

「失明したがっている」

「老廃物が溜まる→ゴミを貯めたい」

 

→見たくないものがある

→何を見たくないのか?

→なぜ、目にゴミを貯めたいのか?

→なぜ、右ではなく左なのか?

 

 

ここから紐解いていきました。

 

 

 

当時、私は母の介護をしていて。

 

リハビリ施設での

入居者に対するスタッフの陰湿な態度や

病院での、先生による誤診。

看護師やヘルパーさんのずさんな仕事。

 

また、入院患者さんたちが

「家に帰りたい」

「私はもうここで死ぬの?」と

毎日、来る私に

しきりに訴えかけてきて。

それは全然構わなかったのだけど。

その患者さんたちね、

お見舞いに来たご家族には

その本心を一切 伝えない、

伝えられないの。

それが何より悲しかった。。

 

こんな日々で

色々なことが目に止まってしまい

気はずっと張っていたけれど

もう、うんざりしていたんだね。。

 

最初は

「自分は間違ってない」

「自分が正しい」

そう、思っているので

気づけなかったのだけど。

 

でも、そもそも

「何もできない自分」

「責任をもたない自分」

だから、その結果を招いているし。

行き場を失ったこの感情を

その方達のせいにして

自分から逃げていたんだなと気づいた。

また、母を在宅介護しなかった

根底にある罪悪感も

感じないようにしていたと思う。

 

左目の「左」は→「女性性」

母はもちろん、施設の入居者さんや

病院内で出会った患者さんたちも

スタッフや看護師さんたちも女性。

その、左目に

ゴミ(怒りやネガティブ感情)を溜めて

見ないでいられるメリット。

 

この「逃げ」をきちんと認め、

自分の「弱さ」も認め、

自分の「ダメダメな部分」も認め、

専門の方たちが

責任を担ってくれるからこそ

穏やかでいられる母と私。

感謝と共に 手放していきました。

 

 

 

そして、一ヶ月半後。

 

 

眼科の先生が

「一体、何したらこうなれるの!? 」

「一ヶ月半で、ここまで治るってすごいな!」

と、身を乗り出して驚かれていました。

 

8割くらい症状が改善していて

経過観察に切り替わりました⭐︎

 

 

この経験もそうだし

難病と言われる膠原病も

ここに↓ 綴った他の症状も含め、

同じ方法で克服できて。

【関節脱臼】中医学・陰陽五行で治す

【難病克服】膠原病は治せる病気【自然療法】

 

確信したのは 真顔

 

症状(病気)は体からのお知らせ。

「生き方がズレちゃってるよ」

「自分にウソをついちゃってるよ」

「そっちじゃない、気づいてー」

というサイン。

 

だから、

もはや ホクロも愛おしくなる(笑)

鼻にポツッとあるのだけど。

除去しようかちょっと迷った時期があった。

でも今は「あ、胃が弱っているお知らせね」

と、もう、感謝しかない♡

 

体ってすごいのよ。

いつだって教えてくれているし

何より、元々生まれもった

「自然治癒力」のチカラ半端ない!!

 

ウッソだーと思って試してみてクローバー

(当初の私↑ の態度w)

 

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ブログタイトル変えてみたにっこり

また変えるかも!?あせる

 

 

 

 

【条件付きの愛で育てられた人】は

生き方がズレちゃってる。

【条件付きの愛情】

子供が何かに対し、行動を頑張ったときや

成果を出したとき、上手くやれているとき

親の都合の良いことを子供がしてくれたときや

親の要望に応えてくれたときにだけ

愛情を示してくれる。

 

ズレちゃってる、とは

こんな自分なら必要とされそう、とか

こんな自分なら認められるかも、とか

こんな自分なら愛されそう、とか

そこから生まれる

"〜したい"を選んでるってこと。

 

 

これは、

心の奥底にある「不足」の

穴埋めをしているだけなんだけど。

 

結構、気づけない!

それなりに経済力がついたりすると

余計、気づけない(以前の私。。)

 

「自分のやりたいことをやってる!」

と、”勘違い” したまま続けていると

何かしらの強制終了が訪れる。

事業の失敗、とか

お金が無くなる、とか

病気になる、とか。

強制終了とまではいかなくても

なんだか「上手くいかない」

モヤっとした出来事が繰り返される。

 

 

 

このズレを調整するには

 

【自分の行動が「他人軸」であること】

前述したコレ↓

「こんな自分なら必要とされそう」

「こんな自分なら認められるかも」

「こんな自分なら愛されそう」

ココに気づくこと、と。

 

【やりたくないことをやめること】

言い換えると、我慢をやめる。

 

例えば

モラハラの上司や夫に我慢するべき。

義父母からのお願いは絶対聞かねば。

言い返したいけど意見が言えない。

友達主催のイベントには行かねば。

友達のためなら自分のことは後回し。

自宅の食事は手作りじゃなければ。

体調が悪くても家事と子育てはしなければ。

・・・等々

 

本当に 些細な

「隠れ我慢」がたくさんあるでしょ。

あまりに慣れすぎちゃって

自分では気づけなくなっていたりする。

儒教の影響で「人として当然」と

思い込まされていることもある。

”一般常識” という名のもとにね。

 

こうした身近なことから。

一度、疑ってみる。

 

それを、やめていく。

 

やめるには、勇気がいる。

嫌われるかもしれないからね。

 

 

ただ、人って【第二感情】で

相手に伝えてしまうことが多々あって。

 

【第一感情】

「嬉しい」「寂しい」「悲しい」

「辛い」「恥ずかしい」・・・他。

 

【第二感情】

「感謝」「満足」「怒り」

「孤独」「絶望」・・・他。

第一感情と組み合わさるので

一概に決めつけられない

 

人間は、はじめに第一感情が起こって

そのあとに第二感情が訪れる。

 

一番わかりやすいのが「怒り」

 

例えば

子供の帰りが遅くなった場合。

「何時だと思ってるの!!」と

怒ってしまいがち。

でもこの裏側にある感情は

「何かあったんじゃないか」

という、恐れや悲しみ。

 

本当に伝えたいのは

第一感情での

「心配したんだよ〜」

という気持ち。

 

身近な人ほど、第二感情で

相手にぶつけてしまいがちなので

気をつけたいよね。

 

 

10年くらい前にベストセラーになった

岸見一郎さんのコチラ左下矢印

 

 

私は、この本をキッカケに

「やりたくないこと」をやめていったよ。

 

で、実際

どんどんやめてみた結果。

周りは、そういうキャラだと認めてくれたw

離れていった友人もいるけれど

「このままの私」を受け入れてくれる人が

自分の中に空間をつくったことで

ちゃんと現れた。


昨日、ちょっと綴ったけど。

今、住んでいる里山の家のお庭が

雑草だらけでボーボーになってる!笑

地元の人たちからすると

雑草を生え放題にしていて気になるw

そのことで声をかけられるたびに

「見て下さーい!」

「また可愛い花が咲いちゃいました!」

と、報告していたら。

「雑草を楽しんでいる人」として

受け入れてくれるようになったw

もちろん周りの人たちに

迷惑になりそうな行為なら

私も適切な対処をする姿勢でいたけど。

ここで、何かが起こる前から

「迷惑になるんじゃないか?」

「家主さんが嫌がるんじゃないか?」

「地域の慣習に逆らっているんじゃないか?」

と、不安を前提に思っていたら

これもやっぱり「他人軸」になるし

まあ、その「前提」通りとなるよね(笑)

 

 

 

話は戻るけど凝視

 

10年くらい前に

アドラー心理学を知って

徐々に「やりたくないこと」を

手放していったのね。

でも、そのあと

難病になったんだよね。。

 

結局、人って

強制終了がかかるくらいの

出来事が起きないとやらないよね。

そして、何より

「気づきにくい」←コレ。

結構、コレ↑

割合高めで、コレ↑

 

なので

日常で「どうも上手くいかない」と

感じている人は、意識してみて。

強制終了の手前で

方向転換できるといいよね⭐︎

 

 

関連記事⭐︎

良かったら読んでみてね左下矢印

新たな一歩を踏み出すとき

人は見たいものしか見ない

自分軸と他人軸

全体をとらえる俯瞰力

【病気】「やらないこと」を決める【克服】

 

 

この場から失礼して。

シェアしてくださった方

ありがとうございまっす赤薔薇キラキラ

 

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病気の人寄りに綴っているけれど

「なんか上手くいかない」と感じている人にも

通づる内容になっているので良かったら読んでみてね⭐︎

生きづらさが病気を引き起こすキッカケだから。

 

 

 

 

前回の投稿の最後に

病気の人について綴ったのだけど。

今朝、ふと気づいた。

 

【条件付きの愛で育てられた人】や

【病気になる人】って「私」が強いよね。

私が、私が、私が、

ここにフォーカスされちゃってる。

 

 

本来、私たちは

すでに「豊か」である。

 

ここでも質問という形で示したように左下矢印

 

 

呼吸ができていること。

臭いを感じられていること。

指が勝手にお箸をもって

食べ物をちょうどいい位置に

運んでくれること。

段差を目の前にすると

勝手に足があがってくれること。

・・・等々

 

【無条件の愛で育てられた人】は

こんなことは、幼少期から

あたりきしゃりきで

普段、意識にも上がることなく

楽しく生きている。

 

【条件付きの愛で育てられた人】は

ここに、わざわざ

フォーカスしまくって

ない!ない!って言ってる状態。

病気の人もね。

 

この比喩、伝わるかな?うーん

 

 

で、ここから

どうやって抜け出せたかな?

と、今朝 考えたとき。

 

うつみん のところで

一番最初に学んだことは

自分は、

この地球上の一サイクルであり

生物であり、人間だってこと。

 

通院の第一日目に

この講義を4時間も受けた!

「全体像の仕組み」を理解していないと

どんなに、自己啓発とか

高額セミナーやコーチングとか

カウンセラーとかセラピーとか

病気が治った人の書物などを読んでも

表層を行き来していることになる。

各分野を否定しているのではないよ

自分がどの状態で取り入れているかってこと

 

 

 

私自身が経験しているので

よく分かるのだけど。

【条件付きの愛で育てられた人】や

【病気になる人】は

いつも目の前のことしか見てない。

目の前のことに反応して

あたふたしている。

 

目の前の段差に転けたら

もう一度「足を上げるだけ」なのに。

「誰かに見られなかったか?」

「誰かに笑われたんじゃないか?」

「なぜ、足が上がらなかったのか?」

「なぜあそこに段差が!?」

「足を上げられなかった私なんて」

「もうこの足なんて嫌いだ!」

「恥ずかしくて生きていけない」

こんなことを、ずーーーっと

握りしめてモヤモヤしている。

もう一度、足を上げるだけで

済むことなのに(笑)

 

これを、日常の あらゆる

シチュエーションで繰り返している。

 

ここに気づいたとき、大笑いだったよ笑い泣き

こんなことに何年も何年も

時間と労力を費やしてきたのかと。。

 

 

 

で、

「全体像の仕組み」

これを一番わかりやすく

説明しているのが、コチラね左下矢印

 

結構前にちゃんと書いてた!笑

 

自分は、

この地球上の一サイクルであり

生物であり、人間である

 

自分

 ↓

人間

 ↓

生物

 ↓

地球の一サイクル

 

ザックリだけどw

こうして捉えて生活し始めると

自然と姿勢が変わってくる。

 

例えば

お風呂場ってすぐカビになるでしょ。

過去の私はカビキラーを使っていた。

自分の家のお風呂場さえキレイであれば

いいと思っている行為だよね。

でも、この液体の汚染が

川や海に流されているとしたら

巡り巡って、結局、

私は、私を殺している。

 

今、里山でお庭付きの家に

住んでいるのだけど。

いろいろなタネが飛んできて

無いはずのお花が咲いたりするのね。

結構、ボーボーだったりする(笑)

それを見た、隣人の方たちから

「草刈機、貸そうか?」って言われるw

お庭って人間が創り上げたものなので

自分(ここでは家主さん)が

植えたもの以外は「雑草」となり

殺す対象になっちゃうんだよね。

この経験から、今度は

森の中に住もう!と決めてる。

雑草扱いしなくていいから。

 

食の選び方や食べ方に関しても。

オーガニック系の人たちが

豆類やナッツが体に良いといって

走りがちだけれど。

現代は、専門の人がつくって

収穫してくれて、それが袋詰めされ、

私たちはそれを買うだけ。

でも本来、野生動物(生物)として

食べ物を探しているとき

ナッツをあんなに摂って食べる?

袋詰めされているから

何も考えないで食べちゃうけど。

豆類もあんなに凝縮して摂るかな?

うつみんは、豆類もナッツも卵も

タネという性質を 体に直に

受けてしまうと仰っているよね。

 

こういったように

抽象度を上げて、物事を捉えていくと

より多くの情報が見えてくるし

その辺の情報に惑わされなくなるし

今までの行動や生活スタイルが

全く変わってくる。

【抽象度】とは

物事を見る視点の高さ

 

これは、心も同じ。

精神(心)については

過去投稿で色々綴っているので

良かったら読んでみてね⭐︎

 

【条件付きの愛で育てられた人】や

【病気になる人】は

世の中をもっと俯瞰して見ることが

抜け出せるきっかけになる⭐︎

 

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今日はちょっと重いかもしれぬ 真顔






母は、私が物心ついたときからすでに
宗教にどっぷりんこな人だった。
教会の向かい側に
宿泊用のお部屋を借りていたほど。

幼少期に養女としてもらわれていったから
「私は存在してはいけない」という
"思い込み" が出来上がったんだよね。

でもね、

育ての家はとっても裕福なの。
母の若い頃の写真を見ても
当時、流行っていたパニエワンピースに
きちんと写真館で撮ったものばかり。
お稽古事も何でもやらせてくれて。
ご近所の人たちが、まだ子供だった母に
お辞儀をしてきたとか。

そんな裕福な家にもらわれても。
宗教にハマっちゃうのだから
物質では「心は満たされない」

ってことが分かるよね。

私も10代の頃、
ファーストクラスで海外へ行ってた。
でも、子供ってそんなのどうでもいいんだよね。
それよりも家族で、近所の公園に行って
ピクニックをしたこと。
そっちのほうを鮮明に覚えている。
貧乏生活も経験しているから
マグロの缶詰め一個を
家族みんなで笑いながら食べあった
そっちのほうを鮮明に覚えてる。

物質では、やっぱり満たされない。。

 




私の家族の場合は

ちょっと特殊なケースだと思う。

 


「私は存在してはいけない」は

ほんとうに些細な出来事から始まり。

 

その"思い込み" をもつ母親に
育てられた子供たちは

もれなく、多大な影響を受け、
「存在してはいけない私」として成長する。


私は、自分で起業して
ハイクラスな生活を手にしたことで
こんなに頑張ったから
「私は存在していいよね?」と
世間にアピールしまくってた。

いつも、生き急いでいたし

得体の知れない恐怖感や

モヤモヤ感があるので

さらにそれを行動でかき消して

充実っぷりをアピールしてた。

もちろん、本人無自覚 絶望

楽しんでると思い込んでいたあせる


ニュースにも上がるような
電車内で暴走する人たち。
援助交際や自傷行為をする人たちも

経験してきたことは違えど
心は、同じだよね。
「私は存在していいよね?」と
自分を傷つけながらアピールしてる。

何の番組か忘れてしまったけど。
ストリッパーの女性の特集をしていて。
不特定多数の男性に強姦されたご経験があり。
でもね、その方、
「嫌じゃなかった」って仰ったの。
「構ってくれる人がいてくれる」
そう、思ったと。
絶対、嫌に決まってるじゃん。
本当は嫌に決まってる。
でも、それほど心は壊れていて
自分の存在価値を求めていたんだと思う。


 

 

「条件付きの愛で育てられた人」ほど
「私は存在してはいけない」という
”思い込み” をもってしまうのだけど。

【条件付きの愛情】

子供が何かに対し、行動を頑張ったときや

成果を出したとき、上手くやれているとき

親の都合の良いことを子供がしてくれたときや

親の要望に応えてくれたときにだけ

愛情を示してくれる。


そもそも、許可なんていらない。
この世に生み出されて

すでに存在しているのだから

それがもう「事実」だよね。
その「事実」以外、何も必要ない。
わざわざ、外側から
存在の許可なんてもらわなくていい。
 

「あ、許可いらなかった」

ここに気づくだけ真顔

 

 

古い価値観をもったままだと

私のように、いくら

経済的な豊かさを手に入れても

どこかの段階で

強制終了がかかる チーンあせる

 

同じような境遇の友人たちのことも書いたよ左下矢印

 

 

でも、

ここが腑に落ちると。


今までの

「失敗する自分は価値がない」

「良い子でいないと愛されない」

「頑張らないと認めてもらえない」

「優しくしないと離れていく」

「明るくしていないと悲しませる」

 

こういった「不安」や

「恐れ」が止んでくる。

 

そして、もう

 

「どうしたら認められる?」

「どうしたら愛される?」

「どうしたら私を見てくれる?」

 

 

ここから自分の行動を選ばなくていい。

無自覚だから気付きにくいけど。。

 

私は、気づけたとき

積極的に行動したくなった。

で、どんどん

やりたくないことをやめ、

やりたいことをやって

自分を大切にしていたら

世界も大切にしてくれるようになり、

マネタイズという豊かさがやってきた。

結果を出そうとかいうのではなく・・・

出ちゃうのニヤニヤ  ←ココ大事

能力があるとか無いとか関係ない

 

 

 

難病や末期がんなど

”重め” の病気を患っている人は

握りしめ続けているものがあると思う。

メリットがあるから、わざわざ、

その重い症状をもつ。

「痛みを取りたい」とか

「薬をやめたい」とか

病気を克服することがゴールでは

なかなか進みづらいと思う。

大切なので、もう一度言うと

その症状になることが

自分にとってのメリットだから。

表向きでは治りたいのに

深層では望んでいる。

 

病気(症状)は

「生き方がズレちゃっているよ」

という、体からのお知らせ。

このズレに気づくには

やりたくないことを

やめないと見えてこない。

そこに勇気が持てるかどうかクローバー

 

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人は

楽しそうなところに

吸い寄せられる音譜

 

これって

大人になっても、その感覚で選ぶし、

子育てにも、言えるよね⭐︎

 

 

 

 

うちの両親って

ほんと、楽しそうにしているところを

見せてくれる人じゃなかった。

いつも何かに追われてた。。

 

そうなると

当然ながら子供は

「この世界って怖いところなんだ」

「この世界ってつまらないんだ」

「この世界って厳しいんだ」

って、心に刻むよね。。

 

そんな中、唯一、

かなりご年配だったのだけど

ピアノの先生がいつも楽しそうで。

レッスンへ行くのが楽しみだった。

ピアノが好きになるように

教えてくれたし。

何より先生が楽しそうに弾くから。

幸せな気持ちになれた♡

 

 

 

子育てって、

私は、姉の育児ノイローゼの時に

あずかった経験だけなので

偉そうなことは言えないけど。

 

精神分析的にみると。

自分が子供だったら、という

視点からみると。

 

親が楽しそうにしているか?

最高な人生を送っているか?

だと、思う。

 

両親が毎日楽しそうだったら

「早く大人になリたいなあ」

「この世は自由だから」

「自分は何して楽しもっかなあ」

って、ワクワクする。

 

友人の中でも

子育てが上手な人がいて。

子供に対し

「〇〇しなさい」とは言わない。

自ら、楽しそうに

その行動をするんだよね。

 

例えば、勉強なら

「ママね、この勉強すっごい楽しいんだー🎵」

「ママ、もっと〇〇になっちゃう♡」

「ヤッホーィ 最高っ!!!」

と、子供たちが集まる

リビングルームで楽しそうに。

だから、その友人の子供も

言われる前から、楽しそうに

 ”勝手に” 勉強してる。

 

子供は 絶対、

親のすべてを見てるよね。

 

うつみん も、よく

「子供の洞察力なめんじゃねー」

って、仰ってるね。

普段のあの毒舌っぷりでも

子供と遊ぶときは全力だし!笑

都知事選のときも

もちろん大変であって

真剣でもあるけど。

「祭りじゃ!」と

楽しむが「前提」だった⭐︎

 

うつみんのことは嫌いでも

その概念は、嫌いにならないでくださいっおーっ!

 

 

今の、里山生活もね。

ぜーーーんぜん興味なかったのに。

楽しそうに農業をやっている人、

楽しそうにガーデニングをやっている人、

つい、吸い寄せられて

仲良くなって

時々、お手伝いするようになった。

 

その人たちが

「楽しそうにやっているから」

それだけだよ照れ

 

 

 

自分が人生を楽しんでいれば

世界は平和になるってことだよねクローバー

 

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姉夫婦が

今年、離婚したのだけど。

 

数十年間、

ずーーーっと同じ悩みを

聞かされてきた(笑)

長すぎて ウケる昇天

 

その愚痴の内容は

お互いが

自分の本性を隠したまま

なんとか自分にとって

都合のよい夫婦関係に

しようというもの。

 

どちらも

「条件付きの愛で育てられた人」だから

本性を出すと、失いそうで怖いし

相手のことも信頼できないんだろうね。

 

 

 

義兄が、まだ独身だった頃、

自宅がまるで合宿所のように

いつも友人たちで溢れていて。

今も、旅鴉のように

友人の家を転々と泊まり歩いている。

 

姉は

イメルダ夫人かっ!?っていうくらい

一時、ショッピング狂いしていて。

今は、大量に食材を買ってきては

スイーツを何品も作って

すっごい食べまくってる!笑

 

この行動だけでも

二人がどれだけ愛に飢えているのか

わかるよね。

 

穴埋め作業に必死 無気力無気力無気力

 

 

二人の間の いざこざって

全て、自分の母親に言ってるんだよね。

表面上の発言はどーでもよくて。

自分を繕うためのウソってこと(笑)

 

 

本心は

 

「なぜ愛してくれないの?」

「なぜ振り向いてくれないの?」

「なぜ私を見てくれないの?」

「私を見てよ!」

 

 

母親に叫んでる。

 

 

 

これって

「自分との対話」によって

自分のことをわかっていれば

相手にぶつけることはない。

 

でも、

それができていないから

「夫婦問題」という別の形で

再配達されてる。

 

 

義兄は

「臭いがわからない」

「肺が弱い」

陰陽五行でいうと

鼻も肺も「悲しみ」だから

自分の幼少期の感情と向き合って

”感じ切れば”

姉をコントロールしよう

なんて思わないし、

症状もなくなるかもしれない。

 

姉は

「乳がん」「子宮筋腫」

どちらも女性性の臓器だから

女性として生まれたことへの否定や

無価値感など根深いものと

向き合う必要があるかもしれない。

「急性肝炎」になったこともあって

肝臓は「怒り」の臓器なので

相当、溜まりまくっている。

それをひた隠しにしているのだけど

前述した通り↑ 

普段の行動に現れちゃってる!

 

 

 

「条件付きの愛で育てられた人」は

とにかく特別な自分でいたくて

仕方ないんだけど。。

自分もそうだったからわかるチュー

 

 

そこを握りしめている間は

現実は変わらない。

 

 

むしろ、

自分もパートナーも

「条件付きの愛で育てられた人」

ということを認めて。

子育てがうまくない未熟な親に

育てられたことを認めて。

こういうことに↑ 気づく前に

今のパートナー(夫や妻)を

選んでいることを認めて。

ああ、自分って

そういう人生を生きてきたのね

今、そこの立ち位置なのね、と

サクッと認めることができたら。

相手のことがスーッと理解できて

現実が良い方へ動き始めるんだよね。

 

ついつい、目の前の問題に

目を向けがちだけど。

 

夫婦で話し合う前に

自分に対して

やることいっぱいあるよねパンダ

 

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