2023年のブログです。

 

ここでも書きましたが、まず語彙がなければ語学は始まりません。

 

中学3年生になってからとか、高校3年生になってから、そこから単語を勉強し始めても遅すぎなんです。だって、単語が無ければ、文法の指導も、読解の指導も、リスニングの指導も、生徒の理解は限定的なものになってしまうから。

 

一昨日、英語科全講師ミーティングでも挙がったのですが、中学校2年生までに履修済みである英単語を、ランダムで150個出題して、30個にも満たないような状態だと、もうそこから事実上の入試が始まる9月まで、およそ5か月で偏差値60以上にするなんてことは、よほどのやる気と根性がなければ至難の業です。

 

たとえばウィルでは、小学生で単語の重要性と覚え方を1年かけてみっちり育てます。

 

そして、中学1年生では年に4回、中学2年生では年に3回、基礎学力テストと称して、教科書に出てくる英単語から出題。100個中80個、つまり80点に満たなかった場合には「試練」として、毎日呼んで100点とれるまで対応しています。

 

そのメンバーの中に、英語だけは他塾でやっていたけれど、中3からは英語もウィルで、なんて生徒が入ってきたりすると、結構な確率で英単語が壊滅的、上に書いたように教科書からランダムで150個出題して、30個以下というようなとんでもない状態だったりします。

 

中学校3年生までに履修する英単語はおよそ2,400個。もしその生徒が150分の30の割合そのままの習得率だとすれば、480個しか習得していないことになります。

 

実際は、ウィルで最低限覚えてほしいとして出題した150個というのは、

 

tired

dish

parent

each

experience

ask

bring

different

time

surprise

 

のようなものですから、その480個すら危ういかもしれない。

 

これでは他の生徒たちについていけないので、とにかく早く覚えるよう声かけしまくることになりますが、やれ!やれ!急げ!と言われて、やれる生徒はそうはいません。

 

多ければ、一日のやる量が増えるだけ忘れやすくもなります。


多ければ、やりたくない、めんどくさい気持ちも、より湧き上がります。


多ければ、数日がんばったくらいでは目に見える成長を感じにくい。本当はそんなことはないのに、焼け石に水かのように本人は感じてしまいます。


そして人間の本能、「(誰かに)〜させられる」ということ自体がヤル気を奪っていきます。


そうです。溜めたら苦しいんです。日々小分けにやる方がはるかに楽なんです。


英語は少なくとも高校までは続きます。その間、単語は少しずつ出てきます。そして、もし大学受験を考えているなら、そこの大学に必要な単語数は概ね決まっています。そして、受験日までの日数は日々1日、必ず減っていきます。


今日やらないということは、未来の1日あたりのやらなきゃならない単語数をわざわざ増やしているんです。


どうせやるのなら今やろう。すでに多くなってしまっているかもしれないけれど、それでも今やらなければ明日はもっと増えていく。どんどん追い込まれていってしまう。なぜに未来の自分を苦しめようとするの。

 

英語なんてぶっちゃけ語彙だけでもいいんです。語彙だけあれば、後は指導者次第でなんとでもなるんです。

 

ですから語彙だけは気にしてあげてください。あれがないと授業すら実は受けられていないんです。本人は気づいていないだけで、耳からも目からも、教室で隣に座っている他の生徒より情報を受け取れていないんです。

 

高校生も一緒。英語ができない高校生の90%以上が単なる語彙力不足だって、日本でもっとも有名な英語指導者である大西泰斗先生もおっしゃっています。

 

単語は先生が教えてできるようになるものじゃありません。教えてどうこうなるものじゃない。とにかく触れる。とにかく使う。とにかく見る。自分でやるしかないんです。なんとかしてあげたいけれど、助けてあげたいけれど、助けてあげられる人はいないんです。

 

 

ご無沙汰しております。

 

久しぶりにブログを書こうと立ち上げてみたら・・・前のブログは3月なんですね。アッという間に1ヶ月が経っていたことになります。

 

さて、1ヶ月ぶりの投稿。書きたかったのは、大型連休明けは子どもたちのメンタルが不安定になりがちですので、気を配っていきましょうというような話なのですが、3時間くらいかけて長々と書いて、う~ん、久々だからか、うまくまとまりません。

 

 

ズルをして要点だけをまとめますと、

 

文科省のデータからも、日本にコロナの初感染者が確認された2020年(令和2年)から激増している。しかもこれは日本だけの問題じゃなく、世界的な問題になっていることから、おそらくはコロナ禍による社会構造、学校環境の変化が子どもたちの心に何かしらの影響を与えている。

 

 

今の子どもたちにとって、学校に行くことはそれなりに難度の高いものになっていて、かつ、その原因は本人にすらもわからない、非常に複雑な何かがあるのだと、我々大人は認識をアップデートしておかないといけない。

 

じゃあ親はどうしたらいいかというと、きっと正解は誰もわからない。正解なんてないかもしれない。

 

プロを名乗る人がいっぱい情報を挙げているけれど、それをそのまま鵜呑みにするのではなくて、いろいろな意見、情報を集めて、咀嚼した上で、覚悟を持って臨んでいるのであれば、それはきっと間違いにはならない。

 

 

加えて、こんなサイトはいかがでしょう。

 

個人的にオススメなサイト ①

個人的にオススメなサイト ②

 

そして、諸外国の対応を知るのも視点が固まらなくていいと思います。

 

アメリカ 不登校児への支援と取り組み

ドイツでは不登校が許されない

 


適切な教育を受けられること。これは憲法で定められた子どもたちの権利であり、世界でもっとも多くの国に受け入れられている「子どもの権利条約」にも規定されていることです。


義務教育内容を習得し、同年代の仲間たちと時間を過ごし、様々な経験を積み重ねていくことが、それほどまでに大切なことなのだとしたら、なんとしても守ってあげなきゃいけない。


適切な教育を受ける、その目的のためには、たとえば今通っている学校じゃなくて、学校を変えたっていいはず。フリースクールとか、なんなら対応してくれるなら塾だっていい。目的が達成されるなら、方法はなんだっていいのだから。


明日は24期生の卒塾式。

 

今は一人一人の生徒のことを考えて、最後の言葉を書いているところです。

 

今年の生徒には不安を感じる才能を持った生徒が多く、我々としてはその姿を頼もしく感じていたのですが、どうやら彼ら自身はその不安を感じられる才能、将来の危機を感じ取る能力が高いということを肯定的に捉えていないようで・・・

 

非常にもったいない。

 

感じない人にはどうしようもありませんが、感じる人には制御することができます。

 

不安に振り回されることなく、不安を取り除こうとすることで、豊かな想像力や高い処理能力、強い危機管理能力が育ちます。(※事実、不安を感じる力とIQには相関関係があるそうですよ)

 

僕のような素人が言っても、不安を感じられる才能のある人は納得してもらえないでしょうから、ここにいくつか記事を引用しておきますね。

 

時間があるときでいいので、読んでくれたらいいな。

 

「心配性」という事も一つの才能

 

「心配性」はデメリットではなく才能。ちょっとしたコツで心強い武器になる

 

優秀な人こそ意外と「心配性」なワケ。“考えすぎる” は尊重すべき才能だ