高校受験まで、残すところおよそ1ヶ月。  


私が持っている「今でこそ届くアドバイス」のリストの中から1つを。


県立高校受験や国立大学受験は有限の中でのバトル。人生において、こんな見えやすいバトルは他にない。


たとえば、サッカーでも野球でも、吹奏楽でも100点はないじゃない。ここに達すれば、未来永劫誰にも抜かれない境地なんてものはない、無限の世界での歩みだ。


これは学問の世界だって同じ。本来は100点なんてない。無限の世界が広がっていて、ゴールなんてない。よって完璧もない。


でも、県立高校受験とか国立大学受験ということに関して言えば、勉強は有限だ。


教科書の中からしか出ないのだから限りがある。限りがあるのだから、その中を完璧にする事は可能だ。


だからね、こういうイメージで捉えて欲しい。


オセロの盤上、すべてのマスに黒を敷き詰める。


黒は「わからないこと」としよう。

その黒を、「理解したら」白にひっくり返す。


一つ一つ白にひっくり返していけば、本人には見えなくても、残りはどんどん減っている。後は期日までにどれだけ白を増やせるかどうか、ただそれだけだ。


ある日、突然残りの数が見えてくる。そうしたらなぜか一気に楽しくなってくる。


「よし!間に合いそうだ。あと少し、あと少しで完璧になる!」


そして最後まで白にして、よっしゃー!!と思って盤上全体を眺めると、白にしたはずのところがいつの間にかいくつか黒に戻ってしまっている。


もう…と言いながらそれをまた白に戻す。


できる生徒というのは、こういう感じで進めている。


一方で、残念ながらやっていてもできない生徒というのは、せっかくがんばって白にひっくり返したのに、またすぐに黒に戻してしまう。


3つ白にひっくり返して、4つ目に取り掛かったら、前に白にしたものがどんどん黒になる。一向に白が増えていかない。


これはもう、とにかくもったいない。


人間の段階には4段階があって、上から


① やっている + できる

② やっている + できない

③ やっていない + できる

④ やっていない + できない


となる。


②はあと一歩で大化けする。ほんの少しの気づきでいい。


どうかこのイメージを大切にして、どうやったら白にしたものが黒に戻らないのかを考え抜いて欲しい。そして気づいて欲しい。大化けするヒントはそんな凄いことなんかじゃない。極めて簡単なこと、すでに知っていることの中にある。


最後の最後は、頭に汗をかいて自分で気づくしかないんだ。


言葉ではなく行動。


どのような行動をとる人なのか、どのような行動をとる組織なのか、そこに本音、本心、つまり姿勢が見えます。


言葉ではなんとでも言える、盛れる、飾れる、偽れる。


しかし、いくら言葉で飾ろうとも、姿勢は態度に表れ、行動となる。


そして行動だけが結果をつくる。


姿勢って大切だと思います。


言葉ではなく、これまでの行動、経歴、実績を見ましょう。


選挙、行きましょうね。

【効率】 

機械によってなされた仕事の量と、消費された力との比率。

転じて、一般的に、使った労力と、得られた結果との割合。


子育てに効率を求めてもうまくいかない。だって、人だから。教育学と経済学は違います。

 

そのときに成果が出なくても、10年後に成果が出るかもしれない。

人生に無駄なことなど何一つない。成功も失敗も、同じくらいに学べることがある。
 

一方で、仕事のようなもの。

 

たとえば、単語の覚え方。テキストを用いた学習の仕方。テストで点数を取る方法。

こういったことに「効率」を求めることは否定しません。



ただし、成功ばかりを求めると成長は鈍化してしまう。このことには注意が必要です。

 

ここが人を育てる教育の難しくも興味深いところでしょう。

 

 

たとえば、よくある

 

「数学や理科を切って、3教科に絞って勉強すれば、その3教科に掛けられる勉強時間が増えるので効率が上がる(大学受験の成功の可能性が上がる)」という一見、合理的に見えるこの理論。

 

浪人生はさておき、現役生に限って言えば、この理論で早々に絞っていった教え子に、第一志望の合格者は(おそらく)ゼロ。早慶どころかMARCHすら危うい。

 

「切るという考えが、残した科目の成長を鈍化させる」とか、「数学や理科をやることによって育った力が残した科目の成長を促進する」とか、その理由について、いろいろと言われています。


実際のところはわかりません。でもこれ、感覚としては腑に落ちます。

 

人というものは、それまでの人生の中で得た様々な知識や経験が相互に関連し合い、有機的な繋がりを持つことで存在しているものです。


ゆえに、成功しそうなことを選んで、そこに向かって一直線の近道を進むだけでは、できることの幅は広がっていかないでしょう。

 

やっぱり、人は合理的にはできていないということなのでしょうね。