「わかる」と「できる」は別物ということを、わかっている人は読まなくていいです。

 

中学生で言えば、偏差値60以上の生徒は読まなくていいと思います。当たり前のことしか書いていませんから。

 

 

先日、某私立高校のカナダ人の校長先生が、「指導において一番大切なこと」としてこう言っていました。

 

know → do → understand !

 

英語で言われるとちょっとカッコよく聞こえるかもしれませんが、日本でもよく言われていることですよね(笑)。

 

教わって、「お!イケるんじゃね?」と思って、やってみたら上手くいかない。

 

あるあるですよね。そんなもんです、普通。

 

想像してみてください。サッカーでも野球でも何でもいいです。

 

コーチが身振り手振りでやってみせながら教える。

 

それを選手が輪になって聞いている。

 

そのあと、さらっと一発でコーチがやったことと同じことをできる、そんな人いますかね。

 

だいたいはやってみると、そうそう上手くはいかないもんです。

 

どこがダメなんだろう?どこが違うんだろう?

 

そうやって、コーチがしたことと自分がやっていることを比べて、その違い、ズレを探す。そうやって上手くなっていくものですよね。

 

だから、違いを探そうとしないといけないの、自分で。

 

やらなきゃ意味ないよ。← これ、僕の今年の流行語大賞。

 

「聞いているだけで、できるようになったらいいな♪」なんて、そんな風に楽をしようとしないこと。楽して上手くなるなんて、「楽して痩せる」「今まで通り食べても痩せる」が無いようにありえません。

 

僕らがやれることは、

 

① できそうな気になるよう、わかりやすく教える。(わかりやすさは、できそうな気にさせることしかできません)

 

② その生徒がなぜできないのか、ズレを探っている過程をみながら、どこにズレがあるのかを一緒に考える。(中には説明を聞きながら、同時に頭の中でいろいろな問題パターンを想定し、ズレの修正を終えられる人もいます)

 

③ そのズレの一つ一つを、一緒に直していく。

 

④ 途中で心が折れないように、また弱気にならないように、心に寄り添う。

 

これくらいです。

 

問題を解いて、自らの解答と正答との間にあるズレを、あなた自身が探そうとしないなら、僕たちにはどうズレているのかわかりようもない。

 

よって、できるようにはさせられないし、当然できるようにもならない。

 

これがよく言う、「結局、自分でやらないとできるようにならないよ」ってやつです。

 

 

【追記】

だから、「何時間くらい勉強したらいいですか?」という質問はナンセンス。

 

ズレが直って、自分でできるようになるまでやる。それが10分なら10分でいいし、また、2時間かかる時もあるかもしれない。時間は関係ない。“できるようになるまで”が勉強時間です。

 

「私、今幸せです。」

テーマ:

「私、今幸せです。」

 

たとえば結婚式で、娘にこう言われたとき・・・父はどう思うものなのでしょう。

 

修了、なのでしょうか。または、卒業。いや、合格?

 

どうあれ、まずはひと段落、肩の荷は下りて、感無量の瞬間なのは間違いないのではないでしょうか。

 

先日のこと、ある卒塾生が結婚の報告に訪れたとき、ちょっと恥ずかしそうに彼女が口にした言葉。

 

一瞬ですが、自分の娘から言われた未来が頭をよぎりました。

 

 

また先月、産まれたばかりの赤ちゃんを連れてきてくれた卒塾生がいます。

 

26歳の母、誰が見ても立派な母親なはずなのに、僕の頭の中にある彼女のイメージはまだ15歳のまま。結婚報告をくれた彼女もそうですが、なんか、こう・・・言葉にならない違和感。

 

「ここが、君のお母さんが過ごした場所なんだよ」

 

赤ちゃんの頭をなでながら、なぜか込み上げてきた熱いものにどう対処していいかわからず、うまく言葉が出てきませんでした。

 

 

そして今年の中3には、僕の塾人生で初めて、教え子の子どもがいます。

 

三者面談で娘とならぶ卒塾生。

 

互いに笑いが込み上げてきて、娘を差し置いて大爆笑。

 

笑いが込み上げてきてしまう、これにもまた困惑。

 

 

親になったからなのか、または、歳をとったからなのか。

 

そのどちらも、かもしれませんね。

 

 

笑顔で送り出す、それが最高の瞬間だと思って19年、これまでやってきましたが、それ以上の瞬間があるということを、彼らが教えてくれました。

 

ありがとう、みんな幸せにね。

 

スペインのサッカーリーグ、リーガ・エスパニョーラの名門クラブチーム、バルセロナの主将だった、カルレス・プジョル


全盛期、世界最高のDFの1人と言われた彼は、178cm・78kgと決して恵まれた体型ではない。


そこだけとっても、そこへ至るまでの弛まない努力を感じ取れるのだが、数年前に見たテレビによると、その努力の次元は驚愕の一言だった。


ここからは記憶をたどって書きます。


彼は、カタルーニャ州の中にあるラ・ポブラ・デ・セグールという、人口2500人程度の小さな町に生まれた。


そこでは有名なサッカー少年だったそうだが、そんな田舎町に優れた指導者などいるはずもなく、いわゆる「町で一番上手な○○くん」だった。


そんな彼が、街に出て、超有名クラブチーム、バルセロナの下部組織(日本で言うユースみたいなもの)に入団したのは、なんと17歳!


6歳から入団する者も多い中、彼は異色の存在だった。


そもそもなぜ入団できたのか。


入団するにはセレクションがある。


どうしても入団したかった彼は、セレクションを前にこう考えたのだそうだ。


「自分のような、まともな指導を受けていない田舎者が技術で勝てるはずが無い。ならば、せめて体力だけは1番になってやろう。」



彼はとにかく身体を鍛えまくった。


毎日、学校へ行く前、学校後、夜遅くまで、空いている時間はとにかく走りに走り、鍛えに鍛えまくった。


そうして彼は合格を勝ち取った。



しかし、壁はさらに続く。


入団したはいいものの、その中で勝ち上がっていかなければならない。


言うまでも無く、技術の差は圧倒的。


そりゃあそうだ、全国から選りすぐられた選手が、6歳とかから最高の指導者の下でやってきているのだから。



彼は考えた。


技術の差は、気持ちで埋めるしかない。



当時のコーチは言う。


「メチャクチャ下手くそだったが、とにかく走り回る。本当に死に物狂いで追いかける。


ある時、ボールを追って顔面から行ってね、顔反面、皮がベロンと剥けて血だらけだったのだが、彼はその状態でもボールを取れなかったことに地面を叩きながら悔しがっていたね。」


その猛烈なキャラクターがコーチの目に止まり、遅まきのスターは、一歩一歩階段を上っていった。



一軍デビュー当時の逸話もまた凄い。


デビュー当時、彼はバルセロナファンから厳しい叱責と失笑を買うことになった。足はとてつもなく速いが、走る姿はドタドタとしていて、出すパスは不正確、とにかく下手だったからだ。


だが、プジョルは厳しく自己を律する姿を見せつけることで、その笑いをかき消していく。

「今、俺はミスした。次は絶対に繰り返さない。」

誰が見ても伝わるその表情と姿勢。プジョルのミスは受け入れられていった。プジョルは下手、という事実は、それを補って余りある献身や汗、ファイトという、彼が教えてくれる生き方と比べれば、まったくとるに足らないものだった。


まあ、プジョルのような例は極めて稀少だ。


比較するに適当ではない。



でも、この話から得られることはある。


・過去を悔やんでも仕方が無い。今できることで勝負すること。


・どんなことでも、ただひたすら愚直なまでに追求すると、大きな長所になって、短所を隠してくれるということ。


・ひた向きな姿は、人の心を動かし、味方(仲間)を増やしていくということ。



プジョルまでとは言わない。というか、言えない。まず自分ができていないのだから。


でも、自分の周囲10人の中で、ということならできる。


プジョルをほんの少しマネてみるだけで何かが変わるかもしれない。