ヤドリギ金子のブログ -4ページ目

吉田美和子『吉田一穂の世界』より

「一つの時代が終るとき、その時代をまともに生きて来た文学作家は共に滅びなくてはならない。それを喰ひ止めるものは作家個人の苦業だけである。この苦業も、時代変化の緩慢なときはいいが、変転の激しい時には、惨憺たるものになる。誠実に生きてゐる限り器用に時代的な扮装に脱ぎ変へることも、文学の素樸な原型へ逃げこむことも出来ないで、或る期間過渡時代の問題を満載したままじっと無明に堪へてゐなくてはならない。今はそのやうな時期である。」(青柳優「文学と時代の統一」1941)

 戦時下の言説といえばいつでも「天皇あやふし!」(光太郎)で、翼賛的な言辞ばかりが伝えられる機会が多いためか、このような正気な文学的良心が日米開戦の状況下にも語られていたことの方に、何か粛然としたものを覚えるのである。ひとつの時代をくぐって生きるのに、ひとはどんなに大きな水圧に耐えなければならないのか。ただ強烈に自我の弾力を失わない人間だけが、芸術家たりうるのだろう。戦争という未曾有の体験の中で、わが国の詩と詩人の運命は無惨な敗北を喫したとするのが、今日、詩史の一般的な評価である。近代的自我の脆弱さを露呈した目を覆うばかりの自己解体。

 戦争詩も切実な内心から書かれている詩と、空疎な作りものの詩とがある。非戦争詩も、内に時代の運命を感受しつつおのれ自身を探ろうとする精神の緊張感に支えられた詩と、単なる駄作とがある。戦争の時代に戦争の詩を書かなかったことだけが、えらいのではない。それは単に時代に対する感受性の未熟や鈍感にすぎぬことだってあるのだ。

「昔はおれと同じ年だった田中さんとの友情」より、田中喜一さんの言葉

「僕の先生はある時、教科書の戦争に関することを全て墨で塗り潰すように言いました。

 戦争中の教科書には、戦意高揚、戦う気持ちを盛り上げるための内容がたくさんありました。

 でも、戦争を終わったら無かったことにされたんです。

 教科書が、先生や大人たちが間違ってるのやったら、何が正しいのかわからへん。

 僕はわけがわかりませんでした。

 教科書を塗り潰していた時、担任の先生が泣き出したんです。

 当時はどうして泣くんかわからへんかった。

 僕はそれから何年も考え続けて、こう思うようになりました。

 あれは、先生は自分が情けなかったんや。

 ちゃんと考えることができひんまま、周りに流されてはったことが。

 僕も一緒です。

 周りに流されて、万歳、万歳、言うて、お父ちゃんやお兄ちゃんお送り出して。

 子どもにそんなんされたら、死ぬ気で戦うしかない。

 僕がそう仕向けてしまった。

 僕が父や兄を死なせたようなもんや。

 戦争が終わって一人になって、僕は自分の頭で考えて、自分が正しいと思うことをしようと決めました。

 人間としてどう振る舞うのが良いのか、一生懸命考えました。

 それが人として生まれて来た意味やと思うからです。

 名誉の戦死や、お国のためやって、そんなの間違ってる。

 人が死んでええわけない。

 そんなのおかしい。

 そやから僕は戦争には反対です。」

誠実である