ヤドリギ金子のブログ -2ページ目

自虐日記24

  「妻は鏡だ」、その音に出さない呟きの反復が、耄碌しかかった最近の私を落ち着かせる。俗流他力本願と言うやつだ。絶対他力?などではあるはずがない。甘えの構造と言っても良い。恥を知れ!と言いつつ、そんな心境に自足してしまう。

 退職して外での用事がないかぎり、二人で「家」という閉鎖空間にいることが日常になりつつある。もちろん、近隣に共に買い物に出かけたり、ルーティーンとなっているスポーツ・クラブに行って、二人で共に小一時間くらい汗を流したりすることはあるが、一週七日間のほとんどは同じ空間=「家」にいる。退職後の年金暮らしの夫婦にとって、このことは当たり前と言えば当たり前のことかもしれない。

 新婚夫婦じゃああるまいし四六時中一緒にいるなど考えられない。顔突き合わせて同じ部屋にいるのは、寝るときと食事のときくらいか・・・。いや、妻も私も、自覚的にそうしているのかもしれない。読む本や映像の好みも、聴く音楽に関しても(特に最近は妻があるグループにハマっており、好みの違いは広がるばかりだ。ただ、そうした傾向を、私はむしろ好ましく思いつつある。そう、お互いにガス抜き装置は多ければ多いほど良いのだ。)、共通点が多いとはあまり言えない二人が、同じ部屋に四六時中いられるはずはない。従って、暗黙の了解のように(いや、正確に言うと、ほぼ完全なリタイヤの直前に妻と私は「自分の時間」を相互に尊重し、大切にしなければ・・・と比較的冷静に確認し合ったこともあった)、多くは自分たちの部屋にいて別々に過ごす。夕餉の時間に妻が私を居間へ呼ぶまで、私はほぼ自分の部屋に篭ったままだ。

 ところが、そうではあるのだが、そうは言っても基本は一日ほとんど同じ屋根の下。小心者の私は、自分の部屋で妄想しつづけて溜まった鬱憤を、時々何の関係もない妻にぶつけてしまいそうなことが、時々ある。妻にとってはそうした私の怒りは不条理以外の何ものでもない。

そんなことをさんざん繰り返す日々を2ヶ月近く続けてしまって、ようやく少しだけ学習した、あまりに当たり前すぎること、それが「妻は鏡だ」ということである。あるいは、「妻はリトマス紙だ」と言ってもいいかもしれない。

  私に、自分の部屋の中で発生した様々な非現実的・社会的・文学的妄想・懐疑・怒りが渦巻いてきて、それが高揚し爆発する時、その言わば〈公的な?〉怒りの矛先を、何の関係もない、隣人の妻に向けそうになることがある。その予兆は、鏡である妻の表情や態度が端的に知らせてくれる。つまり、彼女の態度が冷たくも熱くも急変することは、私自身の急変の、癇癪の予兆の反映に他ならない。このことを明確に早く自覚することで、私の内的動揺は爆発の一歩手前で冷静さを取り戻す。端的に言うなら、私は妻に甘えているに過ぎないのだろう。優しさも冷酷さも、私と妻との間で鸚鵡返しのような運動を繰り返す。何十年間も共に暮らしながら、私は何も学んでないに等しい。情けないばかりだ。

 相互に冷静さを保持するのには、物理的にも心理的にも適度な距離を取ることが必要なのは当然なのであるが、それを同じ屋根の下で長時間維持することはなかなかに難しいことだ。それゆえ、そのためにも、「妻は鏡だ」という内的呟きの反復を当たり前のように自覚的に常に行うことで、相互の平安を何とか保持しようとする。要するに、私は基本的に明るい妻に甘えているに過ぎないのだろう。そして、彼女はそのことを、長年の夫婦生活の中で、一種の諦念のようにすでに学習し身体化している。そのことは、私のわけわからない怒りに対して、戸惑うこともなく、冷たくも温かくもない態度を示すことでわかる。そんな時、私は幼く激しい自己嫌悪に苛まれ、しばらくして自分を笑うのだ。そうした自己嫌悪に至る直前で冷静さに戻るための方策、それが、今頃になって強く自覚できるようになった「妻こそ鏡」ということだ。いったい私はこれまで何を学習してきたのだ。あまりの自分の愚鈍さに呆れることすらできない。馬鹿な私だ。実にバカである。

 

石川善助『亜寒帯』と戯れる21

    OZONEと屈従

 

神話風な旭の映えとオゾンの匂ひ、

半睡の朧ろな意識へ滲んでくる。

一日の作業とそれへの屈従、

終ることない力の不当な消耗は、

海から陸へ陸からいかに失はれるか。

 

日焼けた皮膚に脈うつ赤色クローム銀、

目玉の玻璃に血走り上る過労の度盛、

 

せはしく左右の肺に流れ燃え、

熱となり、意志となり、動作となる、

天円の噴くオゾンの密度。

日に増し疲労はだるく肉体を抱き、

制度はおれらを海に縛る。

 

 オゾンは薫るのだ。あるきみ屋の森中さんが復刻してくれた詩集の【注】には、「オゾンは高緯度になるほど濃度が高くなり、濃度が高いと匂いを感じる。オホーツク海付近はオゾン濃度が高い場所となっている。」とある。善助が実際にオコツクで労働をしたとするなら、この「匂ひ」を嗅覚に感じたのは間違いない。オゾンの匂い(臭い)はどんな匂いなのだろうか。それは、自然界でオゾンが多く存在する高原、日差しの強い海岸、森林の空気の臭いなどに似ていると言われるから、オコツクに行ったことのない私は、普段ぶつく蔵王高原で感じる匂いを連想してみるが、いつの日かオホーツク海の海岸に佇むか、善助のように、船で海上に浮かぶかして、この匂いを感じてみたいと思ったりする。「オゾンの匂ひ」が、うつらうつらとした「意識」に「滲んでくる」感覚を味わいたくなる。しかし、この感覚は、過酷な海での労働(「一日の作業とそれへの屈従})を前提としなければ、得られないものなのかもしれない。「屈従」とか「力の不当な消耗」と言っているように、この労働を呪っている。それが「失われる」ことを願い、それが不可能であることに絶望している。

 二、三連目では、漁民の「肉体」の強靭さと「疲労」の過酷さを重ね合わせるように、強調するように、肺に侵入しまといつくオゾンとともに、同時に広大な海と空の姿を象徴するかのようなオゾンにからめて、詩語が立て続けに並べられる。

 最終行がまるでプロレタリア詩のように直接的で、単なる(いわゆる)ロマンティシズムではない、かといってイデオローギッシュな方向へ偏向しない善助詩の特徴を示しているように私には思われる。

 

自虐日記23

   今日はほんの少し真面目に書こうと思う。

  「自分で考え判断しその決定に自ら責任を持つという習慣を、私たちすべてが持てるようになるのはいつのことだろう。少数派となることを怖れないブレのなさ、権威を疑ってみる冷静なバランス感覚、利益のみに流されない志の高さ。それらをただの理想だと笑い飛ばし、お上の言うまま自らの魂の訴えとは正反対の行動をとるとき、私たちは自分を生きているとは決して言えない。」(覚 和歌子)

「殺戮は間違っていると誰もが知っている。なのに人類開闢以来一度も戦争がなくなったことがない。人間も文明も進化してきたはずなのに、こんな基本に敢えて立ち返らなければならないとは。それでも持ちこたえて微かな光でも探しに行かなければならない。虚無の甘美に身を任せてはならない。」(同上)

  今日は、真っ当すぎる覚さんの言葉に出会って、襟を正した、つもりになった。様々な雑音、雑念が、私をニヒリズムの方へ誘うことが、最近とみに多い。投げやりになり、手当たり次第に言葉を拾っては次々に消費し、無惨に捨てて行こうとする。人と深く交わる機会が減っているからだろうか? 本という他者が傍に山と積まれているのだが、その他者との対話になかなか没入できない。読み散らし、読み散らし・・・。そんな混乱の中で、かろうじて、半ば惰性で、石川善助の詩篇と意識的に戯れようとするのだが、1920〜30年代という時代背景への想像力に決定的に不足していて、中途半端な戯れのまま投げ出しかかる。

 亀殿や賢治や多喜二、そして啄木が生きた「東北=蝦夷」の現実は、どのようにすればリアルにつかみ取れるのか? 善助はなぜ「海=北太平洋、オホーツク(オコツク)」にこれ程までこだわったのだろうか?

  それは、単なるロマンティシズムではないのではないか? 賢治が岩手の森をがむしゃらに彷徨ったように、この戯れを進めていくにつれ、善助は暗い海へ、煌めく海へ、そして、海の生き物たちへ、さらにはその海を糧にして生きる人間たちの中を意識的に彷徨おうとしているのはなぜか?というような疑問が、解かなければならない問いとして増幅してきた。現段階では、気がしてきただけかもしれないが、これから読み進めていくに従って、それが確信に変わるような「気がする」。

 このことには、詩篇と対峙した時の直観で、論理的には何の根拠もないのであるが、詩篇との戯れを突き詰めていくなら、やがては根拠に近いものがぼんやりとでも見えてくるような「気がする」=甘い期待を持っている。

 当初私は彼の詩篇の読解を、いつものようにそのいい加減さを弁解するように、先の亀殿の読解同様に「戯れ」とし、歴史的背景を無視して書きはじめようとした。

 しかし、彼にとっての「海」を考えようとする時、彼の生きた時代抜きには考えられないような気がしはじめてきた。それが確信に変わるまで戯れを続けなければならないと現段階では思う。当初、そんなことはこれっぽっちも考えなかったのだが、善助の詩篇とだらだら付き合ううちに、詩篇の奥底に煌めいて流れる、決してポジとは言えない、透徹したネガ的魂が、ほんの少し顔をのぞかせる瞬間がある。そうは言っても、それが何かは、ぼんやりと、しかし、じんわりと感じつつあるだけなので、今の所明確にはわからないとしか言えない。「気がする」としか言えない。しかし、その煌めきが、その魂の謎が頭から離れなくなりつつあるのは事実だ。