自虐日記23 | ヤドリギ金子のブログ

自虐日記23

   今日はほんの少し真面目に書こうと思う。

  「自分で考え判断しその決定に自ら責任を持つという習慣を、私たちすべてが持てるようになるのはいつのことだろう。少数派となることを怖れないブレのなさ、権威を疑ってみる冷静なバランス感覚、利益のみに流されない志の高さ。それらをただの理想だと笑い飛ばし、お上の言うまま自らの魂の訴えとは正反対の行動をとるとき、私たちは自分を生きているとは決して言えない。」(覚 和歌子)

「殺戮は間違っていると誰もが知っている。なのに人類開闢以来一度も戦争がなくなったことがない。人間も文明も進化してきたはずなのに、こんな基本に敢えて立ち返らなければならないとは。それでも持ちこたえて微かな光でも探しに行かなければならない。虚無の甘美に身を任せてはならない。」(同上)

  今日は、真っ当すぎる覚さんの言葉に出会って、襟を正した、つもりになった。様々な雑音、雑念が、私をニヒリズムの方へ誘うことが、最近とみに多い。投げやりになり、手当たり次第に言葉を拾っては次々に消費し、無惨に捨てて行こうとする。人と深く交わる機会が減っているからだろうか? 本という他者が傍に山と積まれているのだが、その他者との対話になかなか没入できない。読み散らし、読み散らし・・・。そんな混乱の中で、かろうじて、半ば惰性で、石川善助の詩篇と意識的に戯れようとするのだが、1920〜30年代という時代背景への想像力に決定的に不足していて、中途半端な戯れのまま投げ出しかかる。

 亀殿や賢治や多喜二、そして啄木が生きた「東北=蝦夷」の現実は、どのようにすればリアルにつかみ取れるのか? 善助はなぜ「海=北太平洋、オホーツク(オコツク)」にこれ程までこだわったのだろうか?

  それは、単なるロマンティシズムではないのではないか? 賢治が岩手の森をがむしゃらに彷徨ったように、この戯れを進めていくにつれ、善助は暗い海へ、煌めく海へ、そして、海の生き物たちへ、さらにはその海を糧にして生きる人間たちの中を意識的に彷徨おうとしているのはなぜか?というような疑問が、解かなければならない問いとして増幅してきた。現段階では、気がしてきただけかもしれないが、これから読み進めていくに従って、それが確信に変わるような「気がする」。

 このことには、詩篇と対峙した時の直観で、論理的には何の根拠もないのであるが、詩篇との戯れを突き詰めていくなら、やがては根拠に近いものがぼんやりとでも見えてくるような「気がする」=甘い期待を持っている。

 当初私は彼の詩篇の読解を、いつものようにそのいい加減さを弁解するように、先の亀殿の読解同様に「戯れ」とし、歴史的背景を無視して書きはじめようとした。

 しかし、彼にとっての「海」を考えようとする時、彼の生きた時代抜きには考えられないような気がしはじめてきた。それが確信に変わるまで戯れを続けなければならないと現段階では思う。当初、そんなことはこれっぽっちも考えなかったのだが、善助の詩篇とだらだら付き合ううちに、詩篇の奥底に煌めいて流れる、決してポジとは言えない、透徹したネガ的魂が、ほんの少し顔をのぞかせる瞬間がある。そうは言っても、それが何かは、ぼんやりと、しかし、じんわりと感じつつあるだけなので、今の所明確にはわからないとしか言えない。「気がする」としか言えない。しかし、その煌めきが、その魂の謎が頭から離れなくなりつつあるのは事実だ。