最近 よく 思うことは

「ギターは女が弾くものじゃない」です。



こう書くと
語弊がありそうなので

正しいニュアンスで書き直すと


「ギターは「わたしの女性性」が弾くものじゃない」

です。



ギターはわたしが弾きたい楽器じゃないんだよなあ、と

改めてしみじみ思います。




ただ


天から

ギターを弾いて見せろ


だいぶ前に言われておりましたし





そう言われた理由までわかっているので


もう練習するしかないのですが





わたしは正直


「ギターは女(= わたしの女性性)が弾くものじゃないんだよ」

「わたしが弾いている姿を見たところで多分お前はキュンとしないんだよ」

「だからわたしにそれを押し付けないでほしいんだよ」

「いい加減それをわかってくれ」


「でも実際に目にしないとわかってはくれないんだろうなあ」

「わたしが弾いてみせないと、お前はずっと「他の男性がギターを弾いている姿」を見て、そこに力を送り続けるしなあ」

「そして、それをやられる限り、わたしには「お前が力を送った男性達」から気持ち悪いエネルギーがきて消耗し続けるばかりだから、やっぱりわたしが弾いている姿を見せるしかないんだろうなあ」

「でも、実際にわたしが弾いている姿を見せたら『この女(わたし)がギター弾いていても何か全然美しくないなあ……見苦しいからやめろ』って、お前はがっかりして見下してくるんだろうなあ」


「まあ、そうして「ギターを弾くわたし」にしっかり失望してもらわないと、わたしもギターに縛られたまま次にいけないのだから仕方ないのだけど」

「見せた後のリアクションが既にわかっているのに、わざわざ「美しくない」「がっかりだ」「やめろ」と思わせるためだけに ギターの練習しても、正直疲れるしモチベーションが上がらないなあ」


「何でわざわざわたしにがっかりさせるために、好きでもないものを練習しなきゃならないんだよ」

「そもそもギターよりわたしはマイクを持ちたいんだよ」

「マイクを持たせろ」


 
思いながら

練習しているので


凄まじいストレスです。






まあ

そこまでして

何でギターを弾けるようにならなきゃいけないのか

というと




そもそも

わたしには


自分以外の男性性の性エネルギーを
生身の肉体に通す前(処女時代)

人生をかけるほど好きだった
ギターを弾く男性アーティストがいたから


です。



(ギタリストと書きましたが、わたしがその男性ミュージシャンを好きになった理由は、彼の「世の中にある嘘を見抜いて暴くような歌詞」「自分の内にある美しさも醜さも全て正直に出した歌詞」「己が内包する矛盾した二面性をあられもなく出した歌詞」「善も悪も区別せずに清濁併せ呑む素直な感性を表現した歌詞」を自分で作曲した曲に乗せて自らの声で歌い全身を自由に使い表現して世間の波に反して強く生きていく姿(生き様)でしたので、彼がギターを弾く姿を見て好きになったわけではありません。彼はとあるバンドに所属するギタリストでしたが、わたしはそのバンド自体には興味が一切なく(というか嫌いでした。この男性ミュージシャンのことを好きだと言うと彼の所属バンドまで好きなのだと曲解されがちで 鬱陶しかったです。)ギタリストの彼ではなくソロで歌う彼が好きでした。むしろ、元ギタリストなのにギターを弾かずに 身一つで全身を自由に使い歌を表現する彼の姿に感銘を受けました。) 

(わたしが彼の存在を知り一目で好きになってから三か月後にその男性は鬼籍に入ったのですが、その後、わたしはその「生身では既に存在していない男性ミュージシャン」に おそろしいほどのめり込み、わたしの人生前半にこの男性の音楽は多大な影響と干渉を及ぼしました。

(過去に彼の歌をコピーしたバンド活動をしていましたので、わたしはこの男性ミュージシャンの曲は全て完璧に歌えます。彼の曲はハードなロックも多かったので結果的にわたしはデスボイスが難なく出せるようになりました。)

(しかしスピリチュアルを求道した後は、自分が「この男性の生き様に自分の満たされない内面を投影していた」ことがわかり(※ 惹かれていた理由は勿論それだけではないのですが、エネルギー的な説明をすべて書くと長くなりますので割愛します)精神的癒着を解消したため、この男性アーティストへの興味は全く無くなりました。ツインレイと出会った2016年3月の時点では わたしはこの男性の存在自体をもう殆ど忘れておりました。この男性の存在を再び思い出したのは今年に入り「わたしがツイン相方とのツインレイコードを切る」と決めてからです。)




だから


今のわたしが

ギターを弾いて歌う姿を

見せないといけないのですよね。

 


その男性ミュージシャンのエネルギーを

わたしの肉体の記録から

完全に消すためというか
何というか……



過去のわたしが

その男性ミュージシャンに注いだ
男性性エネルギーの履歴を

完全に消すためというか
何というか……
 




もう説明が面倒なので省きますが


(ツインレイ以外の方には全く意味がわからない話だと思います)




端的に言うと

 

わたし自身が

ギターを弾けるようにならないと



わたしの男性性が

「その男性ミュージシャンと同じ愛の鋳型を持つ異性」(彼を模した男性)に

コントロールされやすくなるから



自分の男性性を自由にするために

ギターを覚えるしかないわけです。




今のわたしが

「その男性ミュージシャンを模した男性」に

コントロールされないためには



自分が

その男性ミュージシャンから離れる意図を持ち


「彼」に

わたしがギターを弾いて見せることが

必要になるという話です。




ここでいう「彼」とは

「わたしの男性性」です。



それは

「わたし自身の男性性」とも言えますし

「わたしの男性性を現時点で担っている男性」

とも言えます。

  


(※ 現時点での「彼(≒ わたしの男性性の役割を担う人間)」というのは、「既知の男性」かもしれませんし「まだ見ぬ男性」なのかもしれませんし「わたし自身」になるのかもしれません。いずれにせよ「わたしがギターを弾けるようになっていれば」その男性性の支配下になるような愛にはならないという話です。理由は後述します)





わたしは

そこまで

わかっているからこそ



やりたくないことを

やらなきゃいけないのが

しんどいわけです。






本当は
 

わたしは


ギターより
マイクを持ちたいし

わたしの可愛い指を
弦で擦り切れさせたくないし

ギターを弾こうとすると
女性らしくない体制になり嫌だし

重たいギターを抱えるだけで
肉体的なストレスで気分が落ちるし

ギターに適した生活をしようとすると
好きじゃない格好をしなければならないし



本当は

ギターの練習なんかしたくもないのです。


 

何より

「ギターを弾くわたしの姿」を鏡に映して

自分自身がその姿を見た時に


「可愛くない」
「美しくない」
「素敵じゃない」
「好きじゃない」
「格好よくない」
「ときめかない」
「持たせたくない」
「何だか がっかりだ」
「これはわたしじゃない」


って

感じてしまうのです。





そもそもわたしは

音楽がやりたいわけではなく

 



この記事にも書いたように


本当のわたしは 

静寂が好きな人間です。





もしもわたしが

「誰にも関わらずに完全に一人で生きていける」のなら

わたしに音楽は必要ありません。




ただ

「「ツインレイの理想の愛」を生きるのなら、人と関わりながら幸せに生きられる道がある。まずそこを目指しなさい。」

って
天から教えられたビジョンがあるので


今はそこに向かっているだけです。





そして

その「ツインレイの理想の愛」を形にしたわたしの姿」は

「ギターを弾く姿」ではありません。



ですので


わたしが

「ギターを弾くわたしの姿」を見て

こうして「がっかりする」のは
当たり前の話なのですが




おそらく

「わたしの男性性を担う男性」

(= 「わたしがツインレイの愛を流す男性」つまり「これからのわたしと恋人になる男性」もしくは「わたし自身の男性性」)には

それがわからないため


どうしても

わたしの肉体意識の記録が持つ

「古いわたしの男性性のエネルギー( ≒ 先述した「ギターを弾く男性ミュージシャン」の意図が入った男性性)」の影響を受けやすいわけです。



ですので


実際に「今のわたし」(ツインレイの愛を知っているわたし)が

実態(肉体次元)を通して

「古いわたしの男性性」を実践してみせれば
(≒ ギターを弾く姿を見せれば)


「今のわたしの男性性」が

異性性のずれによる違和感や
自分自身の性への失望を感じることにより

認識をアップデートさせることができる


という話です。






まあ

だから


「ギターを弾くわたし(古いわたしの男性性)」を

今のわたしの男性性に見せて


「これじゃない」って

気づかせなきゃいけないのですが



その過程には

必ず「失望」というか

「自分の異性性に過度な期待を寄せていたが、それは実は逆だったのだという「認識のひっくり返し」による凄まじい絶望」を

通るため




もうこの辺り

説明が面倒くさいのですが



(※ ツインレイ特有の「二元的かつ一面から見る同一視の感覚」を知らない方には、どう説明しても理解できない話だからです。)




そこまでわたしは

わかっているから

モチベーションが上がらないのは

当たり前です。




ただ

「失望させること」が目的なのに
何でわざわざ好きでもないことをやらなきゃならないの

やりたくないことを頑張った末に
「がっかりされる」なんて
あんまりだわ



思います。




 




まあ 

わたしも過去に

逆の立場から


ツイン元相方が
とある行為をしている姿を見て 

失望しましたし



その「自分の異性性に向けた失望」があるからこそ

軌道修正して次に進めるのも


知っているのですけれどね。





結末を知っている物語に

夢中になれ、と

言われても


それができるのは

馬鹿だけです。











ギターを学ぶために

様々なオンラインのギター講座を見たりしましたが


ギターを弾かれる方の
エネルギーを見ていると

「女性性に苦労を強いて その恩恵を男性性だけが味わおうとしている方」や

「男性性の快楽のために女性性を虐げている方」が

非常に多いなと感じます。



そういう男性を好きな女性も
世の中にごまんといますが

わたしは違うのですよね。



 



この記事にも書いたように


わたしは

そもそもギタリストの男性に
今まで散々出会ってきていますし


ギターを弾く男性から

口説かれたり告白されたり
無理やりキスされたことはあっても

「わたしから」ギターを弾く男性を
好きになったことはありません。




先述した通り

昔のわたしには

「人生をかけるほど心酔していた 既にこの世にはいない、ギターを弾く男性ミュージシャン」がいたので

「その男性ミュージシャンに比べるとどの男性も大したことがないように感じていた」からです。



(※ まあスピリチュアルを究めた後のわたし視点で更に深く説明すると、「当時のわたし」は自分を護るために「生身で存在しない男性ミュージシャン」を無意識に自分の中で頂点に置いていたのだと思います。わたしは子供の頃から痴漢や変質者に遭遇することが非常に多く、思春期には既に潜在的な性への恐怖を抱えておりました。(これは男性への恐怖というより自身の性に対する恐怖でしたが説明が難しいのでここでは割愛します)、だからこそ「どれだけ意識を向けても性エネルギーの交流が起こらず(≒既に亡くなっているので起こらない)且つ 強い引力(暴走するような女性性のエネルギー)を放つ男性」を自身のシンボルにして周囲の異性の意識を逸らし自分の女性性を護っていました。当時はもちろん無意識でしたが。)

(この辺りのエネルギー事情を中途半端に書くと、スピリチュアル適性の無い方々から面倒くさいエネルギーレスポンスが届く事があるので、本当はもっと詳しく説明したいのですが、記事の文字数制限がギリギリなので割愛します。)




そもそも

わたしが
その男性ミュージシャンに
一目惚れした映像も

彼が
「ギターを弾いている姿」ではなく
「全身を自由に動かして身一つで歌っている姿」でした。


わたしは
彼が有名なバンドのギタリストとは知らず
ソロアーティストとしての彼を見て
好きになったのです。




今 思うと


「子供の頃からずっとギターを弾いてきて、ギタリストとして大成し、何でも弾ける高い演奏技術を持つ彼が、『敢えて』ギターを弾かずに(手に持たずに)、自分の全身を使って、自分自身を表現する歌を歌っている姿」

を見て



当時のわたしは 

その「彼の歌う姿」から
たとえようもない自由と喜びを無意識に感じて

「この人みたいに自由に生きていきたい!」と
強烈なインスピレーションを得たのだと思います。



それが転じて
「その後人生をかけるほどのめり込んだ」のだと 

今になって思います。







そういった

気づきを通した上で






この記事にも書きましたが

 

正直 今のわたしは

「ギターを弾く方々」に対する
好感も共感も憧れもないので

ギターを練習する
モチベーションが保てないのです。





自分でギターを弾いていても


「右半身(男性性)だけが喜びや楽しさを感じているけれど、左半身(女性性)は疲れしか感じていない」ことが

わかります。



 

わたしが

無心でギターを持っていると



左手(わたしの女性性)は

「もう酷使されたくない……」となり

フレットから手を離し全く動かなくなるのに



右手(わたしの男性性)だけは

思考停止したまま快楽だけを求めて

ひたすら開放弦を乱暴に奏で続けるのです。




まるで

この数年間の

わたしとツイン元相方の関係性だな、と

思います。




女性性は

「痛い。つらい。もうわたし(女性性)を酷使しないで」と

心底疲れて逃げたがっているのに


男性性は

「楽しい!気持ちいい!もっと奏でさせろ!俺(男性性)のために働け!」と

一人で悦楽を求めて暴走している状態で


この数年間のわたしそのものだなあと

心底 感じます。



  





まあ

今のわたしが

そういう状態にあるからこそ



天から

「ギターを弾いて(自分の男性性をあらわす相手に)見せろ」と

言われたわけです。







わたしのギターを弾く姿を見て


「ギターを弾ける女性って良いね!」
「格好いい!素敵!」

って感じる男性は


「わたしの男性性の快楽のために、わたしの女性性が虐げられながら奉仕をする姿」を

無意識に肯定しているわけですから


つまり

「わたしの女性性を大切にできない男性」 

「わたしの女性性に我慢や奉仕を強いる男性」

です。





でも

本物のツインレイの相手なら
 
ギターを弾くわたしの姿を見て



「似合わないなあ」

「何となくがっかりした」

「貴女にギターを持たせたくない」

「貴女の魂が嫌がっているのがわかる」

「それは貴女の役割じゃない」

「もうやめろ」


って

感じることでしょう。




本当に

わたしの「ツインレイの理想の愛」に
合致する愛を持っている相手なら


ギターを弾くわたしの姿を見て

理由の分からない嫌悪感や絶望感や

生理的な拒絶反応を感じることでしょう。




わたしも

逆の立場において

その経験があるので

わかります。





もしも

わたしの周囲にいる異性達が

わたしがギターを弾く姿を見て
理由のわからない快感を得ながら
「素晴らしい」と賞賛したとしても


その男性達は

わたしの女性性を虐げたいだけ。




そうして「古いわたしの男女観」を

引っ張り出して肯定してくるのは

ワニのやり口です。


 


  




でも
 

それとは逆に


わたしがギターを弾く姿を見て



「貴女の女性性が嫌がっている姿を見ても 僕は全く楽しくない」

「もう「大昔に好きだった男性性」にとらわれないでほしい」

「その「古い男性性」はいらないってわかったからもういい」

「それはもうクリアしたから次にいこう」

「君の役割は「そっち」じゃない」


って

自然と感じられた男性は



おそらく

わたしと「理想の愛のかたち」が

一致する相手で



その男性が

わたしの本物のツインレイの相手なのだろうなあ


思います。




 





本当に

「光の意図を持ち統合に向かうツインレイ」なら


「女性性の理想」と「男性性の理想」が

 綺麗な陰と陽の形であわさって


「互いに幸せを感じる世界」に

歓びを感じますから。






女性性と男性性の


どちらかが

どちらかを支配下に置いたり


どちらかの幸せのために

どちらかが犠牲になるのなら



それはもう

「ツインレイの真実の愛」では

ありません。









まあ

確かに


「やりたくないこと」を
わざわざ頑張ったのに

「本物の相方(ツインレイ)」からは  

「がっかりされて」「失望されて」「そんなことしなくていい」

と思われて


逆に 

「ツインレイをコントロールしたい異性(波動の低いワニ)」からは 

「ちやほやされて」「褒められて」「もっとやって見せてほしい」

という

レスポンスを受けるわけですから



結果的に


「自分の頑張りを評価してくれないツインレイの相方より、ちやほやして褒めてくれる人達(ワニ)の方が好きだ!」

って

勘違いしてしまうツインレイが
多くいることも知っております。






むしろそこを

神が精査するために


「古い異性性を捨てられるのか否か」を見るために

こうした「努力」をさせられているのだろうな



思いますし




何だかんだで


ツインレイの異性性は

呼応した反応をするので



そこはもう

「自分の異性性だ」と

受け入れて認めた上で


「自分自身にフィードバックしなければならない」のだと

思います。





「誰のために「やりたくない努力」をしていると思っているんだよ」


って話ですね。





そこを「互いにわからないと」


おそらく先には進めません。











まあ


何でこんなネタばらしするような記事を

書くのかというと


(「ギターを弾く姿」を見せて反応を引き出すことが目的なのに、こうして「正解」を出してしまったら、もう見せる必要性が無くなるような気もしますね)



「ギターを弾く姿を見せなさい」と

以前  天から言われましたが



「わたしのツインレイならそのくらいショートカットして理解しろ」

って

心底わたしの女性性が感じたからです。


 




それが本当に嫌なら

もう新しい恋人をつくって「見せなさい」という話です。







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