私は、研究というものはある『問題』に対し、その解決に貢献するための『課題』に取り組むことであるとした。
これまでに私が接点を持った研究者を観察して得た見聞の範囲ではあるが、私は、彼らが解決しようとしている『問題』は結局のところ、大きく三種類に分類できると考えている。
そこで、この三種類の研究における問題設定のためのテンプレートを提案した。
また、これらの『問題』に対して、取り組まれる『課題』設定のためのテンプレートも提案した。
特に、『課題』のテンプレートは、上記の三つの『問題』に対して共有されており、場合によっては、異なる『問題』に対して同様の『課題』が存在し得ると考えている。
私は、自身が、大学の卒業研究や博士課程で苦労したこと、また、現在は、立場上、様々な分野の研究者(学生含む)の悩み相談をうける立場にある。
もちろん、悩み相談の内容というのは種々雑多であり、その分野に精通していない私が適切なアドバイスをするというのもなかなか難しい話なのだが、少なくとも、この『問題』と『課題』のそれぞれを「理解している」かどうか、という視点から、悩める研究者が置かれている状況を整理し、それぞれに応じた対処を提案する事も可能であると考えている。
ここでは、便宜的に「理解している」という表現を用いているが、もちろん研究という活動において絶対的に正しい理解などというものは存在しないと思っている。
なので、ここでいう「理解している」は、所属するコミュニティにおいて受け入れてもらえる考えができているかどうか程度の意味であることは了解を願いたい。
まず、『問題』を理解しているかどうか、について。
これはつまり、取り組む研究が、『問題解決型』、『問題提起型』、『学術的意義探求型』のいずれであるかを認識した上で、該当する研究のテンプレートを関係者との合意と共に埋めることができているかということになる。
次に、『課題』を理解しているかどうか、について。
これはつまり、何(「名詞」が「名詞」&「動詞」)を明らかにしようとしているか、つまり、『課題』のテンプレートを関係者との合意と共に埋めることができているかということになる。
このように考えて見ると、研究で悩みを抱えている人は以下の図に示す4つのカテゴリーに分けられる。もし、あなたが、研究で悩みを抱えているのであれば、どれかに属するのではないかと思う。
では、それぞれのカテゴリーに関して説明していく。
まずは、「カテゴリー①:研究を通じて解決すべき『問題』を理解している、そして、それに向けて取り組むべき『課題』も理解している。」について。
このカテゴリーに属している人はある意味健全な状態であるので、このカテゴリーの人からは、悩み相談はほとんどうけない。
しかし、数名であるが、これまでに、このカテゴリーに属すると思われる学生の悩み相談をうけたことはある。
その人の悩みは、要は『課題』が10項目くらいあり、結果につながる保証がない状態で、それらを一つ一つ取り組むしかないのが辛いとのことであった。
確かに、それらの、項目から、最終的に成果として認められる知見が得られなかったのであれば、ハズレのテーマだったということになってしまうのかもしれない。
しかし、私は、仕事の進め方としては、それが正しいのではないかと思う。
ということで、あなたがもし、カテゴリー①の状況で悩んでいるというのなら、多分、自信をもって大いに苦労すればよいと思う。その中で、試行錯誤を繰り返すことが、成果にも自分の成長につながるのではないのだろうか?
ただし、私は、カテゴリー①に属していることが、研究に取り組む上での最低条件であってほしいと考えているのだが、実は、この状況で研究出来ている人は案外少ないのかもしれないと思っている。
これについては後程。
次は、「カテゴリー②:研究を通じて解決すべき『問題』を理解していない状態ではあるが、それに向けて取り組むべき『課題』は理解している。」について。
正直、カテゴリー②の状態は健全ではないと思う。
なので、もしあなたが、カテゴリー②で悩んでいると思うのであれば、まずは、カテゴリー①に異動することを優先して考えるべきだと思う。
実は、私に相談に来る学生の殆どがこの状態だ。
これは、『問題』を理解していなくても、設定された『課題』に、とりあえず作業として取り組むことは可能であるからだと想像している。
おそらく、研究室等に入ったばかりの人の多くは、まずは、そこに既に存在している『課題』に関連する作業に取り組むことから始めるのではないだろうか。
そういった作業にしばらく取り組むうち、ある程度、積極的な人であれば、「次はこういったことをやってみたい」と考える。
しかし、そういったときに、研究の関係者が認識している『問題』を理解していないと、少しおかしな提案をしてしまいトラブルになり悩んでしまうといったことが起こるかもしれない。
ということで、もしあなたが、カテゴリー②で悩んでいると思うのであれば、上記の『問題』のテンプレートを使って、周囲と『問題』に関する認識を擦り合わせてみると良いだろう。
実際、私が対応した学生の多くは、これで解決している。
少し話が飛ぶが、私は、英語論文を書けないという日本人の相談にも積極的に乗っている。
私の経験では、これらの人たちの中で純粋に英語の知識が足らないことが原因で英語論文が書けずに困っていた人は殆どいない。
では、何が問題なのか?
やはり、その多くは、『問題』を明確に周囲と共有できていないことが、論文を書く段階で露呈したというのが実情ではないかと思っている。
こういった人たちにも、上記の『問題』のテンプレートを使って、周囲と『問題』に関する認識を擦り合わせた上で論文執筆に取り組むように提案しているが、やはり、ほとんどの場合これで解決する。
ところで、先ほど私は、カテゴリー①に属する健全な状態で研究に取り組めている人が、実は少ないのではないか?と言及した。
そのように考える理由がここにある。
研究室の中では優秀な方であると思われる英語論文の執筆を許された学生の多くが、このカテゴリー②に属しているのであれば、おそらく、英語論文執筆に至る成果を出さない学生は、なおのこと同様の状況なのではないかと推察される。
いずれにせよ、言いたいことは一つ。
まずは、きちんと『問題』を共有しよう。
次、「カテゴリー③:研究を通じて解決すべき『問題』を理解しているが、それに向けて取り組むべき『課題』を理解していない。」について。
カテゴリー②に比べると、このカテゴリーに属する相談を受けることは圧倒的に少ない。
ただ、印象としては、外部の大学や研究機関からやってきた修士や博士の学生に多いと思う。
審査を受けて研究室に迎え入れられているため、『問題』に関する認識は共有されているものの、その解決を目指してどのような『課題』を設定すれば良いのか分からないといった状態である。
これも、ある意味、健全な状態ではあると思う。
大いに悩み、周囲と議論して成果につながる『課題』を練ってもらえればと思う。
ちなみに、博士課程の後半の私自身がこの状況に陥っていたと思う。確かに、指導教員の先生とは、『問題』は共有していた。しかし、一方で、その解決を目指した『課題』に関して意見をすり合わせることができず、最後まで先生との距離を縮めることができなかったと考えている。
その点は気を付けた方が良いかもしれない。
最後に、「カテゴリー④:研究を通じて解決すべき『問題』も、それに向けて取り組むべき『課題』を理解していない。」について。
このカテゴリーに属する人は、実質、研究室の研究活動に参加できていないことになる。
実は、私自身が、大学の卒業研究に取り組んでいる時の、ここに陥っていたと思っている。
私は、これまでに、卒業研究でハズレのテーマを割り振られたことをきっかけに英国留学を決意したといった話を何度かした。
しかし、ハズレのテーマなどというものが存在し得るのは、カテゴリー①の状態で研究に取り組めている人だけである。ということで、私が苦しんだのは、実は、それ以前の問題だったようである。研究テーマがハズレだったというより、無かった(それも含めてテーマというなら、ハズレなのかもしれないが、、、)!?
実は、カテゴリー④に所属していると思われる学生からの相談は、これまでにまだ受けたことがない。
ただ、それは、そういった人が存在していないわけではないと思っている。
なぜか?
なぜなら、そういった人たちは、私のように「その研究って意味あるの?」とか「その研究の学術的意味は?」等のそもそも論な質問の集中砲火を浴びやすく、もはや、私に相談にくる気力もなくなっていると思われるからである。
リンク:「その研究って意味あるの?」っていう質問って意味あるの?
以降、私は、更に具体的に、問題解決手法(VE・TRIZ)を研究に応用することを、このブログを通じて提案してくつもりである。
リンク:提案!問題解決手法(VE・TRIZ)を研究に応用する
ここには、私自身が、20年近くの歳月をかけて、何とかこのカテゴリー④からから抜け出したノウハウを、現在、不運にもカテゴリー④の状態にあるにもかかわらず、誰にも救済されずに苦しんでいる人に届けたいという思いが根底にある。