「学術的意義探求型」の研究のための文献調査 | ある日、タシケント@ウズベキスタンの大学の副学長になった私の日常

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「学術的意義探求型」の研究での文献調査は、「問題解決型」や「問題提起型」の研究とことなっており、文献調査の方向性を具体的に示すことは難しいかもしれない。

 

そもそも「学術的意義」とは何なのだろうか?

 

私は、かつて「その研究って意味あるの?」という質問に散々苦しめられた。

 

リンク:「その研究って意味あるの?」っていう質問って意味あるの?

 

一方で、私は、「その研究に学術的意義はあるの?」という質問にも、実は、たまに困らされてきた(この質問は、研究そのものを否定しているわけではないので受けるダメージは少ないわけだが、、、)。

 

一応、これに関しても、私なりの結論にいたっている。

 

ある学術分野が存在しているというのは、ようするに、『「名詞」が「名詞」&「動詞」様子を明らかにする』ことに意義を感じる人たちが集まっている状態なのではないかと思っている。

 

その人たちがどのように集まるかには、さまざまな経緯があると思う。

 

例えば、あるコンフリクトが世の中で認識されたならば、それを解決しようという人たちが集まってくるはずだ。

 

そのコンフリクトは、もしかしたら、人類に悪影響を及ぼす何かであるかもしれないし、単純な知的好奇心から発生しているものかもしれない。

 

いずれせよ、そのコンフリクトを解消することに価値が認められるのであれば、そのうち何かしらの専門的な知識を持つ人たちが、「問題解決型」や「問題提起型」の研究を始めるのではないかと思う。

 

そういった人たちが、コミュニケーションを繰り返すうちに、必然的に同様の問題意識を持つ仲間同士がコミュニティを形成することになる。

 

そのような状態から何が生まれるかというと、『「名詞」が「名詞」&「動詞」様子を明らかにする(した)』という知見を報告する論文が大量に生まれることになる。

 

 

そして、そういった知見の集合体を「学術分野」と呼んでも良いのではないかと思っている。

 

 

おそらく、そのコミュニティの中では、もともとどのようなコンフリクトの解消しようとしていたのかといったことは、もはや説明するまでもないだろう。

 

そして、そのコミュニティの主たる興味の対象は、いかに『「名詞」が「名詞」&「動詞」様子を明らかにする』かであり、そのために、今後、何を明らかにするべきかという方向性は大体共有されていることだろう。

 

そのようなコミュニティの中での『問題』設定は、

 

『「学術分野A」は「名詞A1」が「名詞A2」&「動詞A1」様子を明らかにすることを目指す興味深い分野であり、既に多くの研究がなされている。しかし、「名詞B1」が「名詞B2」&「動詞B1」様子に関しては未だ十分に明らかにされていない。』

 

で充分である。

 

リンク:テンプレート、『学術的意義探求型』の研究

 

このコミュニティに突然、あなたが外部から入った場合、その『問題』が共有できていない時点であなたは評価が得られない

 

個人的な印象で言うと、「問題解決型」、「問題提起型」、「学術的意義探求型」の研究が混在している研究コミュニティで、「その研究って意味あるの?」、「その研究に学術的意義はなんなの?」といった質問が飛び交っているように思う。

 

一方、全体で「学術的意義探求型」の研究に徹しているようなコミュニティであれば、その学術分野が目指している「名詞」が「名詞」&「動詞」様子を明らかにする』活動であれば、何をしても寛容な雰囲気があるような気がしている。

 

ということで、「その研究に学術的意義はあるの?」という質問に対する答え。

 

これに関しては、同じ学術分野の人であるかどうかで、真剣に対応するべきかどうかが変わってくるだろう。

 

これを踏まえると、『学術的意義探求型』の研究のための文献調査とは、そのコミュニティのトレンドを把握することを目的とするべきなのかもしれない。

 

つまり、その学術分野が何を明らかにしようとしているのか、をしっかりと抑えた上で、未だ明らかにされていない、かつ、明らかにされる価値があると認識してもらえることを探すといった作業である。