「ハズレの研究テーマ」と私の人生 | ある日、タシケント@ウズベキスタンの大学の副学長になった私の日常

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「最短ルートで迷子にならない!理工系の英語論文執筆講座」の著者が伝える、魅力的な論文の書き方、研究テーマの育て方。
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私の人生の方針は「後悔する選択だけはしないこと」なので、基本的にあのときこうしておけばよかったといったことはかんがえない。

 

しかし、あのとき、もし、こうだったらどうなっていただろうということはときどき考える。

 

つまり、自分ではコントロールできないことにかんして、ちがったシナリオでの自分の人生を想像する、ということである。


私は、大学の卒業研究のテーマでハズレを引いたことがきっかけで英国留学を決断した。

 

これが、大きな人生の転機になったのはまちがいない。

 

リンク:もと落ちこぼれ学生(←私)による留学体験記の魅力

 

すでに、このブログの中でも何度もこの「ハズレの研究テーマ」といった表現をつかっている。

 

そろそろ、私が経験したハズレの研究テーマが、いかなるものであったのかについて考えてみたい。


私は、当時の研究室において博士課程進学を決めた先輩とペアを組んで、あたらしく立ち上がった研究グループで卒業研究を進めた。

 

この一年でなにが起きたかの詳細を説明することはここではしないが、とにかく良く分からないまま研究に取り組み、もがき、なぜか、いつの間にやらテーマを変更したことにされた。そして、最後の数か月、なんとなくデータをまとめて、なんとか卒業を認めてもらったという、みじめなものだった。

特に、数カ月に一度、研究室のメンバーに向けておこなう中間発表がつらかった。

「そんな研究して意味あるのか?」とか、「そんなデータでは卒業できるの?」。といった質問を同僚や先輩から浴びせられた。

 

そもそも、「それって私の責任なのでしょうか?」というのが正直な気もちだった。

 

しかし、それを言える雰囲気ではなかった。


この状況を克服しようと、私なりに文献調査等をおこなったり、他にも思いつく限りがんばってみたが、まったく状況は好転しない。

 

私がこのような状況に置かれているのは、テーマが悪いから、つまりハズレの研究テーマをひいたのではないかと考えるようになったのは、研究を始めて半年程度たったころだっただろうか。
 

では、そもそも「アタリの研究テーマ」とは、どのようなものなのだろうか?

 

私の中では、それは、努力すれば成果がだせるテーマだ。これにかんしては、誰もがそのように考えると思っている。

 

だとすると、「ハズレの研究テーマ」とは、努力しても成果が出ないような研究テーマということになる。やはり、多くの人がそのようなイメージをもっているのではないだろうか。

 

ただ、私にあてがわれた「ハズレの研究テーマ」にかんしては、多くの人とは少しちがった要素が含まれていたと思う。

 

確かに、ほかの研究グループの先輩や同僚のなかにも、いくら努力しても成果が出せず、容赦なく詰められて、つらそうにしている人はいた。彼らが取り組んでいたテーマが「ハズレの研究テーマ」であったことはまちがいなきだろう。

 

しかし、正直、私はその人たちでさえ、うらやましかった。

 

なぜなら、その人たちが取り組んでいたテーマは、研究室として長年にわたり取り組んでいるテーマであっり、少なくともどのような成果を出さなければならないかは明確だった。なので、彼らの悩みは、「目標としているデータがあるが、それがどうしても出せない。」であったであろう。

 

一方、私の悩みは、一年を通じて最後まで「なにをすればよいか分からない。」であった。

 

私も、せめて、目標とするデータを出すために努力し、同僚や先輩とその結果や考察にかんする議論をしてみたかった。

 

いずれにせよ、これがきっかけで、私は、英国留学を企画し、紆余曲折を経て、現在は大学教員になっている。

 

その間、実は常に行動の根底にあったのは、「なぜ当時の私はあのような状況に陥ってしまったか?」を解明したいという願望であったように思う。

 

私なりに、現在、それは解明できたと思うが、これに関しては、また別の機会に詳しく語ることになるだろう。

 

そして、現在、私が取り組む研究テーマの一つは、その知見に基づき、いわゆる「良い研究テーマ」とはいかなるものか?を追究するといった内容になっている。

 

これは、ある意味、私の運命なのかもしれない。

 

リンク:価値工学・発明的問題解決手法による理工系分野横断的研究支援に関する研究

 

もし、私があの卒業研究で、「アタリの研究テーマ」を引いていたとしたら?

 

それは、単に、努力して、それが報われたという体験になっていた可能性が高い。そして、その後の私の人生は全く違ったものになっていただろう、などと、ときどき想うのである。