令和6年(2024年)6月12日㈬

「令和6年6月中旬の旅」1日目は福井に来ました。


京福バス62系統 一乗谷東郷線  福井駅1200発 鹿俣行き


に乗り、1224着の一乗谷朝倉氏遺跡博物館前で下車、運賃640円


一乗谷朝倉氏遺跡博物館に入場、館内に設置されている

日本100名城スタンプ 一乗谷城

を押しました。

*この記事の続きです。



一乗谷朝倉氏遺跡博物館を出て

1面1線ホームの無人駅、駅舎はありません。

この画像撮影時、入口前にあるデザインマンホールには気づかず……


越美北線の運転本数は少ない。今回は乗りませんでした。

越美北線は2年前に全線乗車

*2022年4月 越美北線に乗車
一乗谷朝倉氏遺跡は一乗谷駅から約2km先、越美北線の線路を横目に見ながら歩いて向かいます。

越美北線の踏切と鉄橋が見えてきました。


越美北線・一乗谷〜越前高田の足羽川第一橋梁

2004年の福井豪雨による被害にて、越美北線の足羽川に架かる7つの橋梁のうち5つ(第1・3・4・5・7足羽川橋梁)が流失。越前花堂〜越前大野は2007年6月まで3年間運休となりました。

足羽川第一橋梁は2007年の運行再開時に新たに架橋されたもの






足羽川

朝倉氏遺跡博物館から約1km、一乗谷の入口にあたる下城戸に来ました。

一乗谷朝倉氏遺跡の中心までは約1km

この先で撮影した画像はコチラ


朝倉氏遺跡・朝倉館跡

復元町並

復元町並南入場口で販売されているは一乗谷城の御城印を購入


復元町並南入場口で配布

一乗谷朝倉氏遺跡デザイン、福井県福井市のマンホールカード 

マンホールカードを入手したなら実物のデザインマンホールを見に行こう。

場所を検索すると

実物のマンホールは越美北線一乗谷駅前に設置とのこと。

一乗谷駅は先ほど訪れましたがマンホールは見落としました。先に見とけばよかった。


この頃は集め初めて2ヶ月の「マンホールカード初心者」、下調べが不十分でした。

デザインマンホールを見るため、再び2km先の一乗谷駅へ向かいます。

デザインマンホールは駅前の2か所に設置



駅入口のマンホールは夕陽が反射してこのように





帰路も京福バスに乗車

京福バス62系統 一乗谷東郷線  


一乗谷朝倉氏遺跡博物館前1545発 福井行き


に乗車






やって来たのは小さな車体のバス

日野・リエッセ KK-RX4JFEA

小型のツーステップ、車内はほぼ満席
1607着、福井駅東口(アオッサ前)で下車、運賃620円 Suicaにて支払い






福井駅東口再開発ビル AOSSA(アオッサ)の入口脇には史跡説明

説明板によると

福井城 桜木御門跡

越前松平家の居城であった福井城は、全国屈指の規模を誇る平城でした。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、越前68万石を領有することとなった、結城秀康(徳川家康次男)により、約6年をかけて築城されたといわれ、本丸を中心に、曲輪・堀を同心円状に配置した縄張りは、輪郭式城郭の典型といえます。 東西、約1.6km、南北約2kmの範囲には、43箇所の城門が設け られ、本丸へ攻め込むためには4〜5箇所の城門を突破する必要が ありました。 桜木御門は、南東の外曲輪と内側の曲輪を隔てる門であり、外側には中下級武士の居住地が、内側には上級武家屋敷が配置されていました。「桜木図書館」は門の名にちなんで、命名されました 手寄地区再開発に伴い、平成14年〜16年に実施された発掘調査で、桜木御門跡の遺構が検出されました。門は南向きで、西側、東側には石垣の基礎が残っていました。 東側から延びる道路は、西側の石垣に当たって北に折れ曲がる ようになっていました。 門の柱跡は、前面に4本の柱が並び、内側の2本が扉を取り 付ける門柱です。門柱の後ろ(北側)には控柱跡が検出されており、高麗門と呼ばれる形式の門だったと考えられます。
福井駅東口





西口の恐竜達を眺めて











3ヶ月前、北陸新幹線延伸開業によりJR西日本北陸本線から経営移管した


ハピラインふくい に乗車。