令和5年(2023年)10月25日㈬

「ふらっと両毛 東武フリーパス」を使用する旅1日目は浅草からは東武伊勢崎線の

特急リバティりょうもう1号 

に乗り太田に来ました。822着

*この記事の続きです。
*ふらっと両毛 東武フリーパス 2440円(浅草駅発)

東武鉄道から発売

有効期限 3日間 

発駅~茂林寺前間往復乗車券 

フリー区間乗車券 茂林寺前~伊勢崎、太田~赤城、館林~葛生、館林~西小泉、東小泉~太田

バス フリー区間乗車券 

館林エリア(運行:つゝじ観光バス)館林・板倉線、多々良巡回線 佐野エリア(運行:関東自動車)佐野新都市線、(運行:ジェイアールバス関東)佐野市生活路線バス 足利エリア(運行:関東自動車、足利中央観光バス、足利タクシー)足利市生活路線バス 太田エリア(運行:矢島タクシー)シティライナーおおた 桐生エリア(運行:桐生朝日自動車)おりひめバス 伊勢崎エリア(運行:伊勢崎市)いせさきしコミュニティバス「あおぞら」
 

 



* 1999年(平成11年) - 小泉線ホームが高架化。 2004年(平成16年) - 伊勢崎線・桐生線ホームが高架化され、3面5線化。自動改札機を導入。 2006年(平成18年) - 2番線ホームの北側に1番線ホームを新設し、3面6線化。伊勢崎線ホームの下り方に7 - 10番線ホームを新設。 2007年(平成19年) - 南北自由通路が供用開始。これにより、総工費289億円を投じて1997年(平成9年)以来進められてきた連続立体交差事業は完了となる。 2009年(平成21年)12月18日 - 太田駅北口駅前広場が竣工。

wikipediaより引用
太田駅南口、高架化と同時に再開発されたのか新しい道路やビルが目につきます。

左に見える「ドン・キホーテ太田店」、建物は老朽化が目立ち店内には撤退した多くのテナント。周囲に客や従業員の姿は見当たらず一瞬閉店したのか?と思ったほどでした。

後程調べたところ「ドン・キホーテ太田店」は2024年5月に約1km先に移転、現在の建物は解体されるとのこと。 


こちらは太田駅北口、駅前のロータリには2体の武将像

新田義貞(左)と脇屋義助(右)

新田 義貞(1301 −1338)

鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。上野国新田荘の御家人であったが、元弘の乱(1331年 - 1333年)では後醍醐天皇に呼応して鎌倉討伐軍に参加、いち早く鎌倉に侵攻し、東勝寺合戦で鎌倉幕府・北条得宗家の本隊を滅ぼすという軍功を立てた。 後醍醐天皇による建武の新政樹立の立役者の一人となった。建武の新政樹立後、足利尊氏と後醍醐天皇との間で建武の乱が発生すると、後醍醐天皇により事実上の官軍総大将に任命される。各地で転戦したものの、箱根や湊川での合戦で敗北し、のちに後醍醐天皇の息子の恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に赴き、越前国を拠点として活動するが、最期は越前藤島で戦死した。 軍記物語『太平記』等でその活躍が描かれ、楠木正成に次ぐ南朝の武将として顕彰された


*脇屋 義助(1305−1342)

鎌倉時代末期から南北朝時代初期の武将。新田義貞の弟。兄の義貞に従い鎌倉幕府の倒幕に寄与するとともに、兄の死後は南朝軍の大将の一人として北陸・四国を転戦したが志半ばで死去した。


これより向かう日本100名城である金山城跡へは標高235. 8mの金山の山頂にあります。

金山城跡へは大田駅から約5km、徒歩50分、近くまで向かう路線バスなどはありません。

公共交通機関利用ではかなり訪れ難い場所、意を決して?徒歩で往復します。

なるべく身軽に行きたい、荷物は大田駅のコインロッカーに預けました。

大田駅東口を出発
群馬県道2号前橋館林線を歩き本町交差点へ

頭上には「金山ドライブウエイ」なる道へ向かう標識

大光院(呑龍様)とは?
交差店を右に曲がり群馬県道321号金山城址線を歩きます。

大光院のアーチ?の先に見えるが金山
太田駅から2km、大光院に到着

画像は太田市指定文化財の大光院吉祥門

*大光院(だいこういん)

群馬県太田市金山町にある浄土宗の寺院である。通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」もしくは「呑龍様(どんりゅうさま)」。東上州三十三観音特別札所、群馬七福神の弁財天

慶長16年(1611年)3月、徳川家康は徳川一族の繁栄と天下泰平、さらにご先祖の新田義重の追善供養のため菩提寺を建立する計画を立てた。家康は、この問題を芝増上寺の観智国師(かんちこくし)に相談し、菩提寺建立の適地として太田金山南麓が選ばれた。 そして、観智国師の門弟で四哲(してつ)の一人といわれる呑龍上人(どんりゅうしょうにん)が招聘され創建された。境内裏には、新田義重や呑龍上人の墓がある。

子育て呑龍  呑龍は当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から子育て呑龍と慕われた。 

大光院正面の大手門は徳川家康の大坂城落城の日当日に落成したため、吉祥門と名づけられたという。

wikipediaより引用


本堂

慶長18年(1613年)に建築。大正時代に大修理。


開山堂 

昭和9年(1934年)に桃山風建築として建てられた。大型鉄筋コンクリート建築。

七福神スタンプなるものが開催されていました。
慈愛の鐘


境内では

第67回関東菊花大会  2023年10月25日(水)~11月25日(土) 観覧無料

が開催中でした。
頂いた書き置きの御朱印です。

大光院から先は道路脇の建物も少なくなり

大光院から0.5kmほど先に位置する寺院、金龍寺




金龍寺 

群馬県太田市にある曹洞宗の寺院。1417年(応永24年)、横瀬貞氏の開基である。横瀬氏(後に由良氏)は新田義貞の末裔と称しており、先祖の義貞の追善供養のために創建した。 横瀬氏が金山城城主だった時期、当寺は横瀬氏の菩提寺となっている。1590年(天正18年)の由良氏(横瀬氏)の牛久転封により、一緒に移転した。現在も茨城県龍ケ崎市に金龍寺として現存している。 一方、旧所在地(群馬県太田市)にも館林城城主榊原康政によって「金龍寺」が再興された。



本堂

境内には誰もいません。
金龍寺から先、金山の麓が近くなりました。
金山の麓あたりに来ました。この先、標高標高235. 8mのの山頂にある金山城跡へはまだ2km以上先です。

*金山城跡を訪れた記事はコチラ

日本100名城スタンプは山頂近くの南曲輪休憩所に設置

スタンプを押して満足?山道を下り大田駅へ向かいます。

往復約10km、途中で235. 8mの金山に登るという苦行?を終えて
約5時間ぶり、再び大田駅へ戻ってきました。時刻は13時過ぎ

太田から下り伊勢崎線に乗車

331E   太田1316発 伊勢崎行き


車両は8000系850型855F3連

ロングシートで乗客も多いため車窓は撮影せず。

終点の伊勢崎1341着


ホームの先には東武伊勢崎線の線路終端部

伊勢崎で下車するのは9年ぶり