群馬県太田市のほぼ中央にそびえる標識235.8mの金山にあった城。1469年(文明元年)築城 、 1590年(天正18年) 廃城。
金山 の頂上にある山城であり、現在は、本丸跡とされている地点に新田神社がある。背後の斜面には石垣の一部が残存しており、往時の様子を現在に伝える。関東平野を一望に収めることができ、西方は一段低くなっており「日ノ池」「月ノ池」がある。西南には二の丸跡、三の丸跡と呼ばれる曲輪が残り、これら曲輪につながる尾根群には堀切が設けられている。また南曲輪には中島飛行機の創設者である中島知久平の胸像が建てられている。また、大手門は櫓門で、物見櫓は木だけで骨組みを建てた物で、名古屋城のような城ではなく砦のような城であった。 「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はない」という従来の定説が発掘調査で覆されたほど、多くの石垣が多用されている。
1469年(応仁3年)、新田一族であった岩松家純が築城。
1528年(享禄元年)頃に横瀬泰繁・成繁親子が城主の岩松昌純を殺し、実権を握る。
1565年(永禄8年)、横瀬成繁が由良に改姓。
1584年(天正12年) 由良国繁は北条氏に従わず金山城に籠城した後、北条氏に降伏し開城。
1585年(天正13年)5月26日、由良国繁、桐生城に退く。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐に際して、秀吉家臣の前田利家らが金山城を接収。秀吉は由良氏に常陸国牛久に知行5,435石を与え、城主を失った金山城は廃城となった。
1934年(昭和9年)「金山城跡」として国の史跡に指定された。
2006年(平成18年) 日本100名城(17番)に選定された。
2009年(平成21年)史跡金山城跡ガイダンス施設・太田市金山地域交流センターが開館。
wikipediaより引用