金山城跡

群馬県太田市

令和5年(2023年)10月25日㈬ 撮影


東武鉄道太田駅から歩くこと2km以上、新田金山城跡のある金山の麓に来ました。
車道から外れた道を歩き

ちょっと怖い看板
太田駅から2.8km

史跡金山城ガイダンス施設に到着
史跡金山城跡ガイダンス施設

金山城跡の麓にある施設、金山城の歴史紹介や資料を展示。建物外観は金山城趾の石垣をイメージ。

入館料 無料

利用時間 9時〜17時まで。(入館は16時30分まで)   

休館日 月曜日(月曜休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月3日) 
金山城ガイダンス施設で販売している御城印2種類を購入


金山は標識235.9m 

日本100名城スタンプは山頂にあるとのこと

「史跡 金山城址」の石碑

*金山城

群馬県太田市のほぼ中央にそびえる標識235.8mの金山にあった城。1469年(文明元年)築城 、 1590年(天正18年) 廃城。


金山 の頂上にある山城であり、現在は、本丸跡とされている地点に新田神社がある。背後の斜面には石垣の一部が残存しており、往時の様子を現在に伝える。関東平野を一望に収めることができ、西方は一段低くなっており「日ノ池」「月ノ池」がある。西南には二の丸跡、三の丸跡と呼ばれる曲輪が残り、これら曲輪につながる尾根群には堀切が設けられている。また南曲輪には中島飛行機の創設者である中島知久平の胸像が建てられている。また、大手門は櫓門で、物見櫓は木だけで骨組みを建てた物で、名古屋城のような城ではなく砦のような城であった。 「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はない」という従来の定説が発掘調査で覆されたほど、多くの石垣が多用されている。


1469年(応仁3年)、新田一族であった岩松家純が築城。


1528年(享禄元年)頃に横瀬泰繁・成繁親子が城主の岩松昌純を殺し、実権を握る。 

1565年(永禄8年)、横瀬成繁が由良に改姓。


1584年(天正12年) 由良国繁は北条氏に従わず金山城に籠城した後、北条氏に降伏し開城。


1585年(天正13年)5月26日、由良国繁、桐生城に退く。


1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐に際して、秀吉家臣の前田利家らが金山城を接収。秀吉は由良氏に常陸国牛久に知行5,435石を与え、城主を失った金山城は廃城となった。 


1934年(昭和9年)「金山城跡」として国の史跡に指定された。


 2006年(平成18年) 日本100名城(17番)に選定された。 


2009年(平成21年)史跡金山城跡ガイダンス施設・太田市金山地域交流センターが開館。


wikipediaより引用

狭い山道を登ります。


城跡訪問というよりプチ登山


石碑と説明板

石垣

南曲輪に到着

南曲輪からの眺め
南曲輪に建つ中島飛行機の創設者・中島知久平の胸像。
南曲輪休憩所には
日本100名城スタンプが設置
スタンプを押すために標高235.8mの山を登る。これほど苦しかったスタンプ設置場所へのアクセスはなかったような
無事にスタンプを押せました。





南曲輪に設置されている金山城跡地形模型

日丿池

大手虎口南上段曲輪

大手虎口北下段曲輪

土塁石垣


月の下池