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ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

ウルトラマン・Hの ひとりごと


好きにならずにいられない」は、

1961年エルヴィス・プレスリーが、映画「ブルー・ハワイ」の挿入歌として唄った曲です。


日本ではプレスリーの最高のヒット曲のように知られている曲ですが、全米チャートでは最高第2位で、1位になったことはないのです。

でも、英国では4週間に渡ってチャート第1位となりました。


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1970年代のプレスリーのステージでは、クロージング・ナンバーとして唄われていたようです。


好きにならずにいられない」は、18世紀仏国の作曲家「ジャン・パウエル・エジート・マルティーニ」が作った歌曲「愛の喜び」を元にして作られました。

愛の喜び」は、仏語や伊語で唄われることが多く、

その甘いメロディーとは裏腹、歌詞の内容は、


愛の喜びは たった1日

愛の苦しみは 一生・・・


という、とても苦い歌なのです。


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本来の意味から云えば、「好きにならずにいられない」は、カヴァー曲なのです。

しかし、メロディーを引用しているものの、曲の調子や歌詞がプレスリーのために作り直されていて、ほぼオリジナル曲と云ってよいと思います。


この曲を作詞・作曲したのは、

ジョージ・デビッド・ワイス」、「ヒューゴ・ペレッティ」、「ルイージ・クレイトアー」の3人からなるソングライター・チームでした。


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1961年にリリースされたシングルには、「好きにならずにいられない」は、B面扱いでした。

ちなみに、A面は「ロカ・フラ・ベイビィ」で、思うに、おそらく両面A面ということだったのでしょう。


プレスリーの唄う歌詞は、原曲とは違って、

片想いのときめきを歌い上げています。


この曲は、カヴァーをしているミュージシャンを挙げると、キリがありません。

カヴァーをした代表的なミュージシャンを挙げると、


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アンディ・ウイリアムス」が、アップテンポにアレンジして、1970年全英チャート第3位になりました。


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スタイリスティックス」が、1976年全英チャート第4位になっています。


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カナダ人の「コリー・ハート」が、カナダでチャート第1位になりました。


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それから、「UB40」が、1993年ビルボード誌で7週間チャート第1位になりました。


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2010年にリリースされたアニメ映画「リロ&スティッチ」のアルバム「ロック・スティッチ」の中にも収録されていますね。



つづく

1970年代初期に放映されたTV番組「ソウル・トレイン」を、思い出しました。

ちょうどディスコブームが巷で流行っていた頃でした。



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スリー・ディグリーズ」は、この頃に生まれたグループかと思いきや、結成はもっと古い1963年で、フィラデルフィアで誕生したこともあって、後に「フィラデルフィアのセクシー・エンジェル」と呼ばれました。


オリジナル・メンバーは、「シーラ・ファーガソン」「フェイエット・ピンクニー」「バレリー・ホリデー」の3人娘でした。


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1969年「シャンテルズ」のヒット曲「メイビー」をカヴァーして、R&Bチャート第4位になりました。


スリー・ディグリーズ」は、その後、どの人が誰なのか分からなくなるくらい、とにかく何度もメンバーが入れ替わっています。


1973年リリースしたシングル「荒野のならずもの」がヒットしました。

この曲、本国の米国ではさっぱりだったのですが、日本のディスコシーンで火が点いて、大ヒットとなりました。


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翌年リリースしたセカンドシングル「ソウル・トレインのテーマ」が、全米チャート第1位に輝きました。

TV番組では、日本に初お披露目だった「ブレイク・ダンス」が見られましたよね。(懐かしい!)


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続けてリリースしたシングル「天使のささやき」が、米国、英国、そして日本で大ブレイク、三カ国でそれぞれチャート第1位を獲得、世界的な大ヒットとなりました。

米国では150万枚を超えるセールスを記録しています。


また、その年の東京音楽祭世界大会で、金賞を受賞しました。

天使のささやき」は、白井章生作詞の日本語バージョンもありました。

イントロの洗練されたハーモニーは素晴らしく、まさしく(天使の囁き)です。


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セクシー・エンジェル」と呼ばれている「スリー・ディグリーズ」は、そのとおり天使のように華やかで、セクシーで、気品に満ちたグループでした。

本国以上に日本での人気が凄まじく、来日コンサートのポスターには、「完売」の文字がすでに印刷されていたといいます。


それにあやかってではないでしょうが、安井かずみ・筒美京平の「にがい涙」が、1975年「スリー・ディグリーズ」自信による特別企画としてリリースされ、ヒットしました。


見てた はずよ 私の 気持ちが 少しずつ・・・

と、たどたどしい日本語で唄っていましたね。


異色なところでは、松本隆・細野晴臣の「ミッドナイト・トレイン」という英詞の曲もありました。

仏国の歌手「クロード・フランソワ」が大ヒットさせた「恋はシャンソン」も、仏語でカヴァーしています。


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3人娘のボーカルグループといえば、日本では「スリー・グレイセス」を、先ず最初に思い出します。

わ わ わー 輪が みっつ」と唄っていたCMをご存知ですか?(歳がバレバレじゃん!)


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それから、元祖「黄色いさくらんぼ」をヒットさせた「スリー・キャッツ(だったかな?)」もいました。

(三丁目の夕日)のあの時代にしては、お色気ムンムンだったことを覚えています。


他に・・・、「スリー・バブルス」とか、「スリー・ファンキーズ」・・・これは3人男でしたね。


話しが横道に逸れました。


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スリー・ディグリーズ」は、「世界の恋人達」とも呼ばれているように、世界中の最も多くの国でレコードを発売した歌手として、ギネスに認定されています。

また、今も活躍していることから、最も長く続いている女性グループとしても認定されています。


スリー・ディグリーズ」は、歌も最高ですが、ルックスもまた最高でした。


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2009年「フェイエット・ピンクニー」が61歳で亡くなったそうです。

ご冥福をお祈りしながら、「天使のささやき」を聴きましょう。



つづく






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カルロス・サンタナ」は、1947年生まれのメキシコ系米国のギタリストです。


1966年「サンタナ・ブルース・バンド」を結成、1969年バンド名を「サンタナ」と改名してラテン・ロック・グループとしてデビューしました。


その年の「ウッド・ストック・フェスティバル」に出演して話題となりました。


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1970年に発表したセカンド・アルバム「天の守護神」が、ビルボード誌のアルバムチャートの第1位を獲得しました。


シングル・カットされたイントロの長ぁ~い曲「ブラック・マジック・ウーマン」は、全米チャート第4位の大ヒットとなりました。


ちなみにこの曲、作曲は「フリートウッド・マック」で、「ガボール・サボ」作曲の「ジプシー・クイーン」とのメドレーで演奏されています。


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1974年に発表した「サンタナ」初のライヴアルバム「ロータスの伝記」は、73年の大阪での公演を収録したもので、3枚組のL・Pでした。


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このアルバムのジャケットは、イラストレーター「横尾忠則」さんが担当しましたが、折り目を広げると22面という大掛かりなものでした。(私の宝物のひとつです。)


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カルロス・サンタナ」は、この来日公演で「YAMAHA SG2000」のギターを使っていました。

これがきっかけとなって、「Budda」という名のオリジナル・モデルを、YAMAHAと共同開発しています。


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80年代から使用した「ポール・リード・スミス・サンタナ・モデル」が、メイン・ギターなんですけどもね。


それから忘れてはいけないのが、1976年リリースのアルバム「アミーゴ」に収録された「哀愁のヨーロッパ」で、この曲は「カルロス・サンタナ」を代表する名演だと思います。


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1999年アルバム「スーパー・ナチュラル」を発表、「サンタナ」にとって28年ぶりの全米チャート第1位を獲得しました。


このアルバムは、米国だけで1500万枚以上、全世界では2500万枚を超えるセールスを記録して、その年のグラミー賞の史上最多となる9部門を受賞しています。


シングル・カットされた「スムーズ」は、ビルボード誌で3ケ月間連続でチャート第1位を獲得、「サンタナ」初の全米1位シングルとなりました。


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この曲は、日本では「野口五郎」さんが、得意なギターをフューチャーしてカヴァーしましたが、いまいちヒットとまではいかなかったようですね。


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同じ頃に、「リッキー・マーティン」の「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」(ア・チ・チ・アチーっていうやつ)をカヴァーしたのが「郷ひろみ」さんでしたが、日本人にはこっちの方が受けたようでしたね。


日本人受けする曲、しない曲が何となくわかったような気がしたことを、今も覚えています。


話しが横道に逸れました。

2002年に発表したアルバム「シャーマン」も、全米アルバムチャート第1位を獲得していますね。


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サンタナ」の魅力といったら、何でしょうねえ・・・?


パーカッションを前面に押し出した、強烈なラテンのリズムでしょうか。


そうそう、それから、あの泣く様なギターの「きゅぃ~~~ん」っていう、サスティーンっていうんですか?

あれですかねえ。


初めて聴いた頃は、その音が何故かイヤで、ヘタクソなギター弾きやなあと、思っていたのですが、聴いているうちに引き摺り込まれてしまって、今ではどっぷり・・・。


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「ラテン・ロック」という新境地を築いた「カルロス・サンタナ」、やっぱり偉大なギター・ヒーローです。



つづく


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オー・シャンゼリゼ」は、1969年にリリースされた仏国のフレンチポップの楽曲です。


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元になったのは、1968年英国の「ジェイソン・クレスト」というサイケデリック・バンドが作った「ウォータールー・ロード」という曲でした。

この曲に仏国の作詞家「ピエール・ドラノエ」が、仏語で歌詞をつけました。


ジェイソン・クレスト」の歌詞は、舞台がロンドンのウォータールー通りとなっていましたが、「ピエール・ドラノエ」がこれを、パリのシャンゼリゼ通りに置き変えたものです。


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これを仏国の人気歌手「ジョー・ダッサン」がシャンソンにアレンジして唄ったのが、そもそもの始まりのようです。


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我々のバンドのレパートリーにしている曲のひとつなのですが、先日、バンドメンバーのエイミーが、

オー・シャンゼリゼ」の「オー」は、感嘆詞の「おお!」の「オー」じゃないのよ」などと言い出したので、

ちょっと調べてみました。


なるほど、原文は仏語で「Aux Champs Elysees」となっていて、「オー」にあたる「Aux」は、「オー」じゃなくて単に「オ」と発音すべきものなんですね。


つまり、「Aux」は感嘆詞ではなくて、方向や目的地点を示す前置詞である、ということでした。


ですから、「おお!シャンゼリゼ通り」ではなくて、「シャンゼリゼ通りには」とか「シャンゼリゼ通りで」と訳すのが正解なんですね。


ちぃ~とも知らなかったわぁ!


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日本語のバージョンは、安井かずみさんが訳詩をされる際に、仏語の意味を十分にくんだうえで、このメロディーのサビの部分に日本語の歌詞を合わせたものなのです。

ふたつを比べてみると、こうなります。


日本語は


   おー シャンゼリゼ おー シャンゼリゼ

   いつも 何か ステキなことが

   あなたを 待つよ シャンゼリゼ


仏語の原文は


   シャンゼリゼには シャンゼリゼには

   晴れでも 雨でも 昼でも 夜中でも

   欲しいものは みんなあるよ

   シャンゼリゼには


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日本では1970年に「ダニエル・ビダル」の歌が大ヒットしました。

ダニエル・ビダル」、可愛いかったですねえ。

こんなフランス人形みたいな女の子が地球上にいるのかと、幼い(?)心がときめいたものでした。


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フランス・ギャル」も、可愛いかったなあ・・・。(このブログには関係ないけど・・・)



つづく

リッチー・ヴァレンスと共に散った三人目のロックンローラー「ビッグ・ボッパー」について語りましょう。


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ビッグ・ボッパー」は、1931年生まれの米国のシンガーソングライターです。

体重が130キロを超える巨漢であったため、「ビッグ・ボッパー」と呼ばれていました。

本名は、「ジャイルス・ペリー・リチャードソン」といいます。


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陽気なキャラと巧みなパフォーマンスで、元々はラジオのDJとして活躍していました。

1958年「シャンティリー・レース」をリリース、それが発表の13週間後には、全米チャート第6位という大ヒット曲になりました。

それほど強いインパクトはないものの、聴き易いコミカルでポップなロックンロールとして受け入れられたのでしょう。

この年の全米トップ10の中に、連続して22週間もチャートインしました。


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シャンティリー・レース」とは何かというと、ランジェリーやウエディングに用いられるゴージャスな透かし模様のレースのことです。

1950年代に、このレースを素材とするフラミンゴ・スカートが流行したそうです。

ちなみに、このレース、かなりの高額なんだとか・・・。


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ビッグ・ボッパー」は、他に「ビッグ・ボッパーズ・ウエディング」のヒット曲があります。

また、ジョニー・プレストンの歌で1959年大ヒットした「悲しきインディアン(ランニング・ベア)」も、「ビッグ・ボッパー」の作曲です。(この曲の日本での発売は、彼の死後になってしまいました。)


そして、1959年、「ビッグ・ボッパー」23歳の時、運命の飛行機に搭乗するのです。


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1959年1月下旬から始まったツアーは、「リッチー・ヴァレンス」「バディ・ホリー」「ディオニ・ディムーチ」らと組んだウインター・ダンス・パーティーでした。

このツアーは、コンサートが終ると、出演者全員が大型バスで各地を移動するというものでした。

ところが、デブ(失礼!)の「ビッグ・ボッパー」には、バスでの移動は大変苦痛なものだったのです。

しかも、バスはかなりのポンコツで、ヒーターも効かず、ついには風邪をひいてしまいます。

そんな悪条件に我慢出来なくなった「バディ・ホリー」が、一人36ドルで三人乗りのセスナ機をチャーターしました。

セスナに乗りたい者がホリーを含めて三人を超えたので、コイン・トスをして決める事になりました。

そして、その賭けに勝ったのが「リッチー・ヴァレンス」とザ・クリケッツのギタリスト「ウェイロン・ジェニングス」でした。

しかし、ザ・クリケッツの仲間意識から、ジェニングスは、「ビッグ・ボッパー」に、その権利を譲ってしまうのです。

こういうのを「貧乏くじ」というには、あまりに悲しいですね。


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人の運命とは、何時、何処で、どうなるのか、誰にも分かりません。

明日のことは、約束など出来ない」という事なのです。

今日、今の命を、一生懸命生きなければなりません。


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偉大な三人のロックンローラーの冥福をお祈りしながら・・・


南無・・・



つづく